第27話

水と人と車と。

色んなものが一緒くたになって落ちていく。


下水か何かだろうか。

酷い臭いのする水が撥ねて、クルクに抱き上げられている私の顔にもかかる。

無意識に頬を拭っていたら、ツヴァイがこちらに駆けて来た。



「大丈夫だった? 怪我はしてない?」

「おにいちゃん・・・・・・」

「ごめんね、僕が手を離しちゃったから・・・・・・でも、もう大丈夫だよ! 悪い奴らはやっつけたから!」



さも良い事をしたかのように。

炎に照らされた顔は私にとっては見慣れた、とろけるような笑顔で。


ほんの少し。

僅かにだけれど、それが恐ろしくなってしまって、クルクの首に縋りつく。

クルクは私の背中を撫でてから



「逃げるぞ、今すぐに」



言うなり動き出す。

周りの大人も、ツヴァイも一緒に動き始めるけれど、大人達は焦った様子で



「キルシェ! あの死体はどうするんだ!?」

「今の内に処分しておかないと、バレるぞ!」

「処分も何も、もう人が近付いて来てる。今から燃やしても間に合わない」

「だからって!」

「起きたことはどうしようもない。今は逃げる、急げ」



誰かが遅れ始めたツヴァイを担ぎ上げる。

殆ど荷物のような扱いだったけれど、ツヴァイは文句の一つも漏らさない。

少しばかり距離が開いたことにほっとしていると、炎から飛び出た時の魔法を使ったらしい。

急激に景色が遠ざかっていく。


流れる景色をぼぅっと眺める。

一度目も、今回も、外に出ると人が死ぬ。殺される。

たまたまにしたって、恐ろしい。


命あるものにはいずれ終わりが来る。


私はよくそれを知っている。

前世の私は幸いにも平穏に生きた。

終わりがあるとはいっても、こんなに唐突に。

傍らで命が失われる瞬間を目撃するなんて、前世では経験がなかった。



「ナーデル」

「・・・・・・」

「ラクスはもう魔法が使える」

「まほうつかい」

「そうだ。恐らく、ナーデルもその内に分かるようになるだろうが、ラクスは力の制御が難しい時期が来ている。今まで、誰も教える者が居なかったなら、暴走してもおかしくない」



つまり、ツヴァイは暴走して人を殺めてしまった、ということか。

密着している分、小さい声でも聞き取りやすい。



「急には無理かもしれないが、今後はコミュニティで指導する」

「・・・・・・うん」

「だから、あまり怖がってやるなよ」

「・・・・・・・・・・・・」



怖がりたくて、怖がっているのではない。

ずっと私のことを大事にしてきてくれた兄だ。

他人と知りながら、家族だ。妹だと愛情を持って接してくれた。

私とさして年の変わらない幼い子供だというのに、いつだって守ろうとしてくれていた。


だから、今回のことも私の為を思って、なのだとしたら。



「わたしのせい?」

「? なんだって?」

「わたしのせい?」



私のせいで、ツヴァイは自らの手を汚したのだろうか。


手を離したのも、転んでしまったのも、知らない大人に攫われそうになったのも。

全て私のせいで、そのせいでツヴァイはあんなことを。

そう思うと恐ろしくて仕方なかった。



「暴走していたとはいえ、ラクスは自分の意志で行動した」

「でも、おにいちゃんはわたしが」

「ラクスが一番大切にしているものが何か、知っているだろう? 守る為なら、きっと何でもやる。今後も同じようなことが起こらないとも言い切れない」

「わたし・・・・・・」

「後悔したくないなら、その為に何をすれば良いか考えろ。考えて行動しろ。それが出来なきゃ役立たずのままだ」



ここでもまた、役立たずとは。

酷いものだ。涙が出てしまう。

ぐすぐすと鼻を鳴らしたら、ぽんぽんと背中を叩かれ



「泣くのはいいけど、鼻水だけは垂らすなよ」



失礼な注意が飛んできたので、鼻水が出たら服で噛んでやろう。

絶対にそうしようと決めた。



























移住先では、コミュニティの人達にもみくちゃにされた。

どうやら、私達が一番最後に到着したらしい。

口を揃えて、心配していた。大丈夫か、怪我はないか。

同じような言葉が違う人の口から出て来て、頭を撫でられる。


クルクは状況説明。

ツヴァイは同行した大人達からの指導。

私は怪我の治療で離れ離れになり、私は治療が終わるなりぺったんこの煎餅布団に包まれ、眠るように言い付けられて素直に瞼を閉じる。

疲れていたからか、ころりと眠りに落ちた。


そして、目覚めると隣には葡萄ではなく、さくらんぼ。


嫌いと言っていたのに寄ってくるとは、よく分からない御仁だ。

私に背中を向けるように眠っているようだが、何を思って此処に居るのか。


半身を起こす。

私を壁際に追いやる形でクルクが寝ているので、ベッドから下りるには足を向ける方。

その端っこまで行かないと下りられない。


とはいえ、転居したばかり。

勝手が分からない場所で子供がうろちょろするのも迷惑だろうし。

何より、その内に顔を出すだろうツヴァイとどういう顔で会えば良いのか、迷っている。


昨晩のことは、ころっと忘れられるようなことではない。

今後もふとした時に思い出してしまうだろうし、以前のようにツヴァイと一緒に居られるか分からない。

それと今更ながら



「まほう、つかえたんだ」



クルクもそのように言っていたし、実際に魔法を使っているのを目撃したわけだし。

こんなに早い段階でツヴァイが魔法を使えるようになっていたとは。

そうなると、アインスも早くから魔法が使えるようになるのかもしれない。

ゲーム設定上、ストーリー進行、ルートによっては魔法が使えるようになるので、元々素養はあるはずだ。


ただ、既に魔法が使える、というのは引っ掛かる。

ツヴァイやアインスが魔法を使えると発覚するのは、ルート次第とはいえ物語が始まって以降。

それ以前に主人公の前で魔法を使ってみせた、という話はなかったように思うのだが。

あやふやな自分の記憶は当てにならないものとして。


もしや、使えることは秘密にしていた、とか?

ルートによっては魔法を使わない場合もあるわけなので、下手に実は魔法も使えます、というような設定を挟むとシナリオ上で「ここで魔法使えば良かったのでは」と思ってしまうような場面もなくはない。

齟齬が出る為に伏線にもしなかった裏設定的なものだろうか。

裏設定も何も、ここでは使えるというのが事実なのだけれど。


どうだったかな。

まだ先だと思って深くは考えていなかったのだが、覚えている範囲だけでも書き出した方が良いだろうか。

あの頃のように気付くところっと記憶が抜けているようなことは、今のところない。

無いにしても、十年以上も前世での記憶。ゲームの設定などを完璧に覚えていられる気はしない。

近々、書くものを貰えないか誰かと交渉してみよう。


差し迫った問題は、書き留める云々の前に魔法を使ったツヴァイのこと。

あと、未だ迎えに来ないアインスのことだ。


ツヴァイについては、今後クルク達が指導してくれるらしいし、この一件で歪んでしまうことはないと信じたい。

ゲーム上の彼は優しく穏やかな青年だったし、今だって優しい我が兄だ。

クルク達がどのようにして彼を導いてくれるかは定かではないにしても、悪いようにはしないだろう・・・・・・多分。


アインスは連絡が取れない上に、此方が移動してしまったのでどうなることか。

ツヴァイのこともあるので、暫くはコミュニティに留まる必要があるにしても、一度はちゃんと話をしておきたい。


服のポケットを弄り、クルク達から受け取った落とし物。

少し草臥れてしまった布製の栞を取り出す。

これも早く渡したいのだが



「何やってんのぉ?」



もぞもぞと起き上がったクルクは眠そうに瞼を擦る。

その仕草が年相応以上に幼く見えたが、彼は一体いくつなのだったか。



「おはよう」

「おはよぉ。でぇ、何やってるわけぇ?」

「なにも」

「ふぅん? つまんないやつぅ」



欠伸を一つ。

それから伸びをして、私と向き合ったクルクは粗く髪を掻き上げた。



「あのさぁ、昨日聞き忘れてたんだけどぉ」

「なに?」

「ナーデルのミルはぁ、魔法についてどれだけ知ってるぅ?」

「まほう」

「そぉ、魔法」



何を知っているかと言われても、ゲーム設定の部分しか知らない。

素養のあるなしだとか、感情の制御が云々。

使いこなす為には云々、理論上云々、云々云々。

つらつらとテキストにぎっしり詰め込まれた設定を覚えている私ではない。

大事な攻略ルートについてすら忘れているのが、お察しであろう。


黙っていたら、オレンジの瞳がうろんげに私を射抜く。



「前に魔法の適性とか聞いてきたわけだしぃ、知らないわけじゃないよねぇ?」

「・・・・・・」

「君達兄妹の関係について、とやかく言うつもりはないけどぉ」

「・・・・・・かんけい?」



聞き捨てならない単語だ。

アインス、ツヴァイ、主人公に血の繋がりがないと知っているのは少なくとも、互いだけのはず。

何でクルクが知っているんだ。

じっと見上げたら、視線を逸らされた。



「――あぁ、まぁ。そぉ・・・・・・ぅん。あれだよぉ、個人個人で適性は違うからぁ」

「かんけいって、なに?」

「だからぁ、あれだよぉ。ラクスのツヴァイとナーデルのミルでは適性が同じとは限らなくてぇ」

「かんけいって、なに?」

「・・・・・・聞かなかったことにしなぃ?」

「なに?」

「・・・・・・・・・・・・アインスには僕が言ったってぇ、言わなぃ?」

「うん」

「言い難いんだけどぉ、ナーデルのミルはラクスのツヴァイともアインスとも血が繋がってないんだよねぇ」

「ちがつながってない」

「本当の家族じゃないってことぉ」



何処でどうやって知ったのか。

驚いていたら、髪を掻きつつクルクは気まずそうに視線を揺らす。



「ナーデルのミルはその年で利口過ぎたのが災いしたかなぁ。普通ぅ、君くらいの年ならこんな話理解出来ないんだけどさぁ」



中身だけは身体年齢の云十倍ですので。

驚きはしたが、問題はないか。

大団円ではクルクと敵対していなかったはずだし、敵対するならまだしも。

しなければ、別に知られていてまずいことはなかったはず。


予定段階なので不安は残るが、クルクがこのことを忘れることはないだろうし。

当のクルクは窺うような動作をしているし。



「別にさぁ、本当の家族でなくても良いじゃなぃ? 僕だってぇ、本当の家族はいないけどさぁ。ばあ様やじい様達とかぁ、コミュニティの皆が家族みたいなもんだしぃ」

「・・・・・・」

「アインスもラクスのツヴァイもぉ、ナーデルのミルのことを妹として大切にしてるみたいだしぃ」

「・・・・・・・・・・・・」

「本当とかぁ、血が繋がってるとかいないとかぁ。気にする必要ないよぉ? 夫婦だってぇ、他人同士が家族になるわけだしぃ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「僕が悪かったからぁ、何とか言ってくれなぃ?」



いや、思いの外良いことを話し出したので聞き入っていたのだけれど。

気まずそうなので、気にしないでというつもりでにっこりと笑ってみる。

途端にそっぽを向かれた。

何故だ。

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