第22話

年を取ると涙腺が弱くなるものだが、幼いと感情の振り幅が大きい。

中身が大人なので制御出来ると思ったのだが、一度泣き出すと幼い身体に引っ張られるように号泣してしまった。


恥ずかしくて悶えそうだが、それはそれとして起きてしまおう。


腫れぼったい瞼を擦って、重たい瞼を開ける。

随分と泣いてしまったからか、喉に違和感がある。

白湯を一杯貰って来よう。


むくっと起き出すと、近くに人影があった。

ツヴァイには随分心配と迷惑を掛けてしまった。

声を掛けようとして、ふと気付く。


ツヴァイはこんなに背が高かったか。



「お」

「おはよぅ、ミルちゃん」

「ぉあ」



私が一番嫌いと評してくれた人物と寝起きに遭遇して、もう一度布団に潜る。

夢であって欲しかったが、薄いのに重い掛け布団を捲られると逃げられない。

渋々身体を起こすと



「アインスに挨拶の仕方も教わってないのぉ?」

「おはよう、ございます」

「はぃ、おはよぅ」



今は朝なのか?

いや、それは別に良いとして、何の用だ。


聞いてやりたいが聞くに聞けない。

嫌いと言った相手によくもまあこう、堂々と会いに来るものだ。

そっと壁際の方に移動したら、どすっとベッドに上に腰掛けたクルクがへらっとした表情で



「あのさぁ、そうやって露骨に避けようとするのぉ、気分悪いんだけどぉ?」



うん、待とう?

君も散々私を避けていたのではなかったか。

言ってやりたくて仕方ないが、口を噤む。


壁にぺったりと身体を寄せたら、オレンジの瞳が私を射抜く。



「嘘泣きじゃなかったんだねぇ。役立たずって言われたのぉ、そんなに傷付いたわけぇ?」

「・・・・・・・・・・・・」

「無視ぃ? あぁ、傷付くなぁ。避けられた上に無視されるなんて傷付くなぁ」



ねえ、待とう?

避けたかと思えば無茶ぶりした挙句に役立たず呼ばわりした口で、それを言う?

ツッコミたいなぁ、とオレンジの瞳を見返す。

ややたじろいだように見えるのは、気のせいだろうか。



「なにか、よう?」



思い切って尋ねると、クルクは口をへの字にした。

目だけで笑うという器用なことをやってのけて



「別にぃ?」

「そう」

「そーだよぉ」

「・・・・・・・・・・・・そう」



じゃあ、帰ってくれないだろうか。

此方は居候している身なので、帰ってというのも違うだろうけれど。

わざわざ嫌いな人間の居る場所に腰を落ち着けなくても良いだろう。


一体全体、この子は何をしたいのか。

探る為に言葉を並べると、どこで彼の地雷を踏んでしまうか分からない。

黙って出方を待っていたら、大きな。

それはもう、とびきり大きな溜息が落ちて



「エルピスアントス」

「うん?」



早口な上に意味が分からない。

首を傾げていたら、へらへらした表情を引っ込めたクルクが嫌そうな顔をしていた。



「ばあ様達はエルピスアントスって言ってたけど、お前はそんな器じゃない。せいぜい、シュティレだ」

「う、うん?」

「はぁ・・・・・・まあ、シュティレなんて言ったらばあ様にまた怒られるから、仕方ない。お前、裁縫だけは出来るんだろ?」

「うん」

「ナーデル。ナーデルのミルって言えば、僕等の仲間はお前を助けてくれるだろうさ」

「うん?」

「じゃ、僕はもう行くから」



気が済んだのか、ベッドから足を下ろしたクルクが背中を向ける。

何が言いたいのか、さっぱり分からなかったのだが。

というか、口調がいつもより引き締まっていた気がするのは、気のせいだろうか。

さらっと揺れるさくらんぼ色の髪を眺めていたら、肩越しにクルクは此方を振り返った。



「見た目で十分だとは思うけど、一応名乗る時はこれも見せな」



ぽいっと投げ渡されたのは、小さな裁縫セットだ。

針が数本と指抜き、糸切りバサミと糸が少量。

それだけの、でも貴重な物を受け取って、これをどうしたものかと困る。


貸してくれるのだろうか。

それとも、とおろおろしていたら、クルクは軽く髪を手で掻き乱し



「やる。だから、謝らない」



なんのことかよく分からないが、くれるらしい。

自分用の裁縫道具は持っていないので、これは嬉しい贈り物だ。



「ありがとう」

「・・・・・・どーいたしましてぇ」



嫌いだと真正面から言われた後だが、何となく少しだけ距離が近くなったように感じた。














「ナーデルのミル? あらあら、なかなか良い名を貰ったわね」



泣いていた時に心配してくれた女性に、お礼を言うついでにクルクの言葉の意味を聞くと、彼女は嬉しそうに目を細めた。

何でも、グランツヘクセでは実名と合わせて何らかのあだ名のような名前を付ける習慣があるらしい。

それは本人の外見的な特徴であったり、性格や特技に起因するもの。


クルクはキルシェ。グランツヘクセではさくらんぼという意味。

あの髪の色にぴったりだし、二つ名のようで恰好良い。


クルクが私に付けたナーデルというのはどういう意味かと聞いたら



「針って意味よ。裁縫上手は美人っていうから、女の子にその名前を付けるのは美人になって欲しいと願って付けるか。そうじゃなかったら、針仕事が得意な自慢の子ですっていう場合に付けるわね」



後者はないな。

多分、嫌味を含めた前者だろう。

女性は気が利いていると自分のことのように喜んでくれているが、もう一つ気になっている。



「す、すてぃ。シュ、ティレは?」

「シュティレ? シュティレは無口とか、そういう意味だけど・・・・・・まさか、あの子」



大本命は怒られるとの予想だったが、その通りのようですよ、クルク。

無口ってほど無口ではないつもりなのだが、この年頃の子供にしては口が重すぎるだろうか。

だとしても、今から急に口数を増やすのもボロが出そうだ。


クルクから貰った裁縫セットを広げながら、舌の上で貰ったばかりの名前を転がす。

ナーデルのミル。悪くないかんじだ。

裁縫セットの中の針を一本抜き出して、はたと気付く。


そうか、針のミル。

だから、針を見せるようにとこれを寄越したのか。

なるほどなぁ、と納得しているとツヴァイが駈け込んで来た。


常々心配性で世話焼きな我が兄は、私の目が腫れていないか。

寝落ちする前のことで気落ちしていないかを心配するので、一先ず針を仕舞う。

それを目敏く見つけたツヴァイは



「どうしたの、それ?」

「クルク、くれた」

「クルクが?! どういう風の吹き回し? 何か変な物でも入ってない、虫とか」

「! ・・・・・・むし」



その可能性は考慮していなかった。

信じないわけではないが、中を改める。

問題はないようでほっとした。



「その年で男の子から贈り物を貰うなんて、ナーデルのミルはモテるわねえ」



微笑ましそうな女性の言に、ツヴァイがぴくりと反応する。



「ナーデルのミルってなに?」

「あら、ツヴァイくんは知らなかったの? クルクがミルちゃんに付けた名前よ」

「なにそれ! どういうこと!?」



食いつくツヴァイに、女性は私にしたのと同じ説明をもう一度繰り返す。

ツヴァイは静かに耳を傾け、説明が終わるなり頬を膨らませた。



「そういうことなら、僕がミルに名前を付けてあげたかったのに!」

「まあまあ、良いじゃない。じゃあ、ツヴァイくんはナーデルのミルから名前を貰ってはどうかしら?」



いや、無理です。

グランツヘクセの文字や言葉に疎い私には荷が重すぎる。

期待いっぱいのきらきらした目で見られても困る。



「わからない」

「う・・・・・・そっか。そうだよね、ミルにはまだ無理だよね」



見るからにがっかりされて、うーんと唸る。

ツヴァイに似合いそうな名前を、グランツヘクセではどういう言葉になるのかを誰かに聞いてみようか。

優しいとか、賢いとか、良い子っていうのはどうだろう。

響きによっては良いと思うのだが。



「おにいちゃん、あのね」

「ん、なに?」

「かんがえてみようか?」

「え? 名前、考えておいてくれるの?」

「うん」

「ほんと! やった!!」



手放しで喜ばれて、ハードルが上がったような。

幼子が考えるのだから、あまり期待はしないで欲しい。

見た目は幼子、中身は老婆だ。

孫の見ていたアニメの半分以上を覚えていなかったし、お菓子のチョイスは若者向けではなかった。

名前は今後もついて回るものなので、慎重に考えよう。


考える、についてはもう一点。



「あと、にいさんとれんらく」



どうにか取らねば。

やる気になっているとツヴァイは困ったような、悩むような仕草で



「緊急事態の時は出来るんだけどね」

「きんきゅう?」

「これ。強めに握ったら、兄さんにこっちの位置が分かるようになってるんだって」



GPS的なものだろうか。

ツヴァイが硝子玉のようなそれを掌に乗せて見せてくれる。



「何度も使えるのかどうか分からないし。これ使ったら飛んでくるって言ってたから、話するだけで使っちゃ駄目かも」

「うん」

「クルクに通話機借りても、連絡先分からないし」

「うん」

「そもそも、兄さんって何処に居るのかも知らないから」

「・・・・・・うん」

「大人しく待ってるのが、もしかしたら兄さんにとっては一番助かる、かも」

「・・・・・・・・・・・・うん」



振り出しに戻った。

がっくりと二人で肩を落としていると、今まで黙って見守ってくれていた女性に落ちた肩を叩かれる。



「心配しなくても、お兄さんはきっと二人を迎えに来るわ。だから、それまでは此処でゆっくりして行きなさいな」



でも、クルクは嫌がってるかんじなんですけれど。

告げ口するのも気が引けるので、曖昧に頷いておいた。
















僕も何かあげる、と張り切ったツヴァイは男性陣に何かをまた仕込まれていたり、考え事をしたり。

私を驚かせたいと秘密にしたがっているので、自由時間が増えた。


その間に、私もツヴァイにあげる名前を考える。

外見的特徴でも良いらしいので、紫とか?

それとも、ツヴァイの特技・・・・・・あの子は何でも器用にこなすからなぁ。

やはり、響きを大事にしていこうか。


お手伝いの合間のお喋りで、これはどういう意味。

これはどういう言葉と質問をしながら、組み合わせてみる。

ていうか、これこそゲーム進行中にあったような気がするのだけれど。


思い出せないなら、考えるしかない。

考えつつ、縫い物をする。


クルクから貰った裁縫セットは新品で、針もぴかぴかだ。

自分用というのがまた嬉しくて、大事に使っている。


ちくちくと布を縫い、糸を通し。

破けた穴を繕い、ボタンを付け直し。

ちくちく、ちくちく。


女性達の話声をBGMに作業を続け、縫い物は終わるが考えはまとまらない。

アインスは無事だろうか。

私が呑気に考え事が出来るのはアインスのおかげ、のはず。

ツヴァイの名前を考えるなら、アインスのも考えておいた方が良いだろうか。


まだ手元にある栞と一緒に渡せたら良い。

喜んでもらえたら、もっと良い。


アインスは空、だろうか。

なら、ツヴァイは。


ふ、と思いついて、女性達に尋ねる。

彼女達は良いのではないかと言ってくれたので、決めた。


ツヴァイにその名前を伝え、贈ると喜んでくれた。

が、若干クルクと似たようなかんじがすると複雑そうでもあった。



「ラクスのツヴァイ」

「シエルのアインス」



葡萄と空。

私の義兄達の名前。

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