第21話
泣きじゃくるミルを抱き締めて、言葉を尽くす。
ミルは役立たずなんかじゃないよ、誰もそんなこと思ってなんかいないよ。
大好きだよ、ミルは自分のことを自分で出来る良い子だよ、お手伝いもして皆も助かってるよ。
気にしちゃ駄目だ、あんなのただの意地悪だから、ミルは何も悪くないんだよ。
一生懸命励ましてみたけど、ミルは静かに泣き続けていた。
大きな瞳が蕩けてしまいそうで、真っ赤に腫れた目元が可哀想で、違うんだよと繰り返す。
こんなミルは初めて見たので、どうしていいのか分からない。
ミルはたまに笑うけど、全然怒らないし泣かない子だ。
おばさん達いわく、感情表現が苦手な子。
感情がないわけじゃなくて、凄く嬉しければ笑ってくれるし。
笑ったり、変化がなくても僕からしてみればミルは楽しそうだったり、落ち込んでいたり。
見ていればどういう気分かが何となく分かる。
おばさん達も最近ではその見分けがつくようになってきたらしい。
今日は楽しそうとか、今はちょっと落ち込んでいるとか、悩んでいるとか。
ちゃんと分かる。
表情が変わるのは、いつだって気持ちがうんと強くなった時だ。
なかなか泣かなかったのは、ずっと我慢していたに違いない。
我慢して我慢して我慢して、それでも堪え切れずに泣いている。
役立たずなんて、ミルくらいの子は意味を知らないはずだ。
でも、ミルは分かってしまった。
ただでさえ小さいのに、もっと小さくなるみたいに身体を丸めて縮こまって。
しくしくと泣かれると、僕も悲しい。
仕方ないじゃないか。
僕達は入っちゃいけない部屋に通話機があるなんて知らなかった。
緊急事態の時に使う為の連絡手段はあっても、それ以外は何もない。
ここがどんなところか、詳しく教えてすらくれなかったから、生活に慣れるのに必死だった。
僕でさえ手一杯だったのに、僕より小さなミルがそれ以上のことを出来るはずがない。
クルクはとことん意地が悪い。
こんなに可愛いミルをいじめる嫌な奴だ。
でも、僕はそんな嫌な奴からミルを守れなかった。
お兄ちゃん失格だ。
掛ける言葉すら尽きて、ただ丸まった背中を撫でる。
泣き過ぎて、ミルの瞳は溶けてしまっているかもしれない。
顔を上げて欲しいけど、ミルはまんまるになって泣いている。
どうしたら、泣き止んでくれるんだろう。
どうしたら、笑ってくれるんだろう。
困り果てていたら、よくミルに裁縫を教えてくれるおばあさんが顔を出した。
「おやおや、どうしたの? ここは子供が入っちゃいけないよ」
「おばあちゃん・・・・・・」
「あらぁ、ミルちゃん? どうしたの、どこか痛むのかい?」
心配そうにおばあさんが言うと、ミルは涙で濡れた真っ赤な顔をくしゃくしゃにして首を横に振る。
ふぅふぅと辛そうな息遣いが心配で、落ち着かせようと背中を撫でた。
「まあまあ。こんなに泣いて・・・・・・何があったか、おばあちゃんに言ってごらん?」
「な、っえも、なっぅ」
「なんでもないことはないわねえ。ミルちゃんが言えないなら、ツヴァイくんに聞こうかしら」
「う゛ぅ~っ!!!」
ミルがいつになく激しく首を横に振る。
駄々っ子みたいな様子に、ますます心配になってきた。
口を開こうとすると、熱い掌が口を覆ってくる。
小さな掌だ。無視して喋ろうと思えば、喋れる。
でも。
「ごめんね、おばあちゃん。何でもないんだ」
「・・・・・・そう。おばあちゃんに相談出来ないことかね?」
「・・・・・・・・・・・・ここ、入っちゃ駄目だもんね。僕達、部屋に戻るよ」
「ああ。気を付けてね」
おばあちゃんは問い詰めて来なくて、とても助かった。
ミルは顔を真っ赤にしたまま、ぼたぼたと涙を零しながらも僕と手を繋ぐ。
泣いていても、ミルは静かだった。
僕が手を引くと、黙ってついて来る。
ちょっとくらい声を出して泣いたって良いのに。
ミルは部屋に辿り着いても、引き攣ったような声を時折出すだけ。
暫くすると力尽きたように眠ってしまった。
「ミル」
濡れた頬や目元を指で拭う。
熱い肌に触れると、酷く胸の辺りが痛む。
僕は自分の足で此処まで来て、兄さんと話もした。
でも、ミルは何も知らずに此処に連れて来られて、兄さんと話すら出来ていない。
心細かったかもしれない。
兄さんのことを凄く心配していたのかもしれない。
ただ、言葉にはしなかっただけかもしれない。
なのに、あんな風に悪し様に言われたら傷付く。
僕も悪い。
此処での生活に慣れて、家族以外の誰かと話したりするのが楽しくて。
内心、ちょっと兄さんが迎えに来るのが遅くても良いかな、なんて。
そんなことをちょっと、本当にちょっとだけど考えたりもしていたから。
だって、兄さんは。
いつまでも、きっと僕は忘れられなくて。
ほんのちょっとでも、思ってしまう。
死んじゃえ。
思わないようにしようって。
許せるとか、許せないは別としても、僕等を守ってくれる人にそんなことを思っちゃいけないって。
頑張ってる、僕もミルも。
あんな風に言われる筋合いなんてない。
兄さんだっていけないんだ。
いつまでも迎えに来てくれないから。
そのせいで、ミルはこんなに。
違う、兄さんは悪くない。
きっと、悪くない。
悪くないのに。
「ミルは、悪くないんだよ」
それだけしか、自信が持てなかった。
「キルシェのクルク、こちらにいらっしゃい」
ばあ様に呼ばれて、口の端が引き攣る。
いつもと変わらないゆったりした口調だが、雰囲気が違う。
これは怒られるやつだ。
どうにか逃げられないかと考えてみるけど、逃げたって仕方ない。
腹を括ってばあ様の前に腰を落ち着ける。
「なぁにぃ?」
「お前、ミルちゃんをいじめたでしょう?」
「はぁ?」
なんだ、あのちび達はあの時のことをばあ様にチクったのか。
僕に直接言えないからって、性格が悪い。
むっとしていたら、ばあ様はゆるゆると首を横に振る。
「ミルちゃんは何も言っていやしないよ。ツヴァイくんもね」
「じゃぁ、なんでそんな風に思ったのさぁ」
「ミルちゃんはあまり感情を上手く出せない子みたいだからね。泣くってことは、とても悲しい気持ちになったのよ」
「それさぁ、本当に僕が原因なわけぇ?」
チクっていないなら、僕が原因だなんて特定出来ないはずだ。
しらばっくれられそうだと胸を撫で下ろしかけたが、ばあ様はひたりと此方に視線を定めた。
「何を言ったのかしら? 私にも言えないくらい酷いこと?」
女の勘なのか、何なのか。
ばあ様の中では俺がミルを泣かせたことになっているし、それを否定も出来ない。
肩を竦めて、口を開く。
「役立たずって言っただけぇ」
「どうして、そんな事を言ったの」
「どうしてってぇ、本当の事じゃなぃ? 自分のことも自分一人で出来ないしぃ、何かっていうと手間がかかるしぃ」
「本当にそう思っているの?」
「思ったからぁ、そう言っただけぇ」
「お前はそんなに根性の曲がった子だったかしら」
頬に手を当てたばあ様も、大概酷いじゃないか。
コミュニティの仲間である僕を責めて、あのちび達を擁護しようっていうんだから。
「そうかもねぇ」
「素直じゃない子。でも、お前は優しい子だと知っていますよ」
「なんのことぉ?」
「何か、起きるのでしょう?」
急に確信を突いてくるから、侮れない。
知らないふりをして、へらっと笑みを浮かべてみる。
そうしたら、ばあ様もにっこりと微笑んだ。
熟成された気迫に、押し負けそうだった。
「だからぁ、なんのことぉ?」
「早く此処から逃がさなければ行けない理由があるのでしょう。もしくは、見せたくない何かをする気ね」
「ばあ様ぁ、人の話はぁ」
「皆の居場所でも分かったのかしら?」
何で、分かってしまうのだろう。
アインスと連絡を取ったのは、本当はあの時だけじゃない。
何度か、情報交換をしているし、独自に集めた情報もある。
僕等の仲間の何割かはシュテルンの何処かに連れて行かれた。
名目は様々でも、ようは実験だとか碌でもない目的で「使用」される。
生きている仲間は少ない。
少ないけど、0じゃない。
「今なら助けられるんだ。今しかない」
「そう」
「僕と動ける連中は救出に向かう。でも、その分ここは手薄になる。あいつ等が居たら逃げるのに邪魔だ」
「そうかもしれないわね。だけど、言い方が悪かったわ」
「あいつ等を気遣ってやる余裕なんてないんだ、分かるだろ? シュテルンの連中のやり口ならばあ様は誰より知ってるじゃないか」
ばあ様の息子や娘、孫まで連れて行かれた。
弟妹はヘクセレイヴァントに挑んだ4度目の時に亡くなっている。
シュテルンの人間は、僕等を同じ人間として見ていない。
アインスが知る限り、生き残った仲間の内今回の件で引っ張り出されるのは正気ではなくなった者達。
薬などで精神の均衡を狂わされ、シュテルンの言いなりになってしまった仲間はヘクセレイヴァントに挑まされる。
突破口を作る為だけの役割を担い、それが済めば処分される。
そういう予定が組まれている。
手遅れかもしれない。
だとしても、僕達は仲間を見捨てない。
僕達は血で繋がった仲間、家族、同胞。
命を懸けてでも、僕達は救わなければならない。
「キルシェのクルク、あなたの言い分は分かりました」
「なら、余計な口出しはしないでくれよ」
「余計な口出しなんてしませんよ。でもね、やっぱりあなたはミルちゃんやツヴァイくんに謝るべきだわ」
「・・・・・・話をちゃんと聞いてくれてた?」
「聞いていましたよ。ここに居ては危ないから、早く逃がしてあげたかったのは分かります。ミルちゃん達が自発的に出ていきやすいようにしたかったのでしょう」
「そんなつもりは」
「だとしても、役立たずなんて言うものではありません。あの子達は慣れない場所で泣き言も言わずに頑張っていました。あの年頃にしては我慢も努力も、過ぎる程にしていますよ」
「ばあ様。だから、今はそんな話は」
「お別れをするのなら、その前にきちんと謝りなさい。出来ますね、キルシェのクルク?」
僕はそんなつもりで言っていない。
本当に役立たずだから、事実を口にしただけ。
悪いなんて思わないし、謝る必要も感じない。
あんな子供が二人居ては、仲間達は逃げきれない。
きっと、二人を逃がそうとし、庇おうとする。
そうなれば、また仲間が減る。
「どうでもいい、あんな奴等」
金を受け取ったから、義務として面倒をみているだけ。
アインスの弟妹だから、仕方なく置いていてやるだけ。
ばあ様達が気に入っているから、仕方がない。それだけ。
特にミルなんて気味が悪いじゃないか。
笑わないし、喋らないし。
全然子供らしくないのに、ちょっと本当のことを言ったら泣く。
子供みたいに。
「役立たずくらいで酷いなんて思わなくなるさ。あの髪と瞳でシュテルンを生きるなら、もっと酷い言葉を浴びることになる」
この程度で泣いていたら、生きていけない。
理不尽な暴力にも、不当な扱いにも。
全てに耐えなければ、グランツヘクセの血を引く僕等はシュテルンで生きていけない。
「キルシェのクルク。あなたの思いやりは私達には理解出来るけれど、あの子達には痛すぎるわ」
「知らないよ、そんなの。それに、謝る必要も感じない」
「あなたは嫌われることや傷付けてしまうことを、もう少し躊躇しなければ」
「ばあ様、いい加減にしてくれ。こんな無用な問答をしている暇はないんだ」
「優しい私達の子。あなたは随分と周りに傷付けられて強くなったから、覚えていないのかしら。あなただって、最初から強かったわけじゃない」
泣いた、辛かった、悔しかった。
どうしようもない怒りを抱えて、笑みを顔に貼り付けて。
言葉が憎しみで震えぬように、伸ばして薄めて誤魔化して。
「誰も最初から役に立てるわけでも、強いわけでもない。あなたの言葉は成長の芽を摘んでしまいかねない」
「だから、そこまで見ていられないんだって。あいつ等は僕達の仲間じゃない」
「仲間よ」
「ばあ様!」
「もう仲間だわ。だから、仲直りなさい」
なんでこう、理屈が通じないのか。
謝る謝らないという子供じみた次元の話はしていない。
仲間の生死や安全がかかっているというのに。
焦燥に駆られつつ、噛み砕いた説明をしようとするが
「なんにしても、その様子ではミルちゃんとツヴァイくんのお兄さんはまだ迎えに来られないのでしょう? だったら、迎えに来ると決まるまでに謝ってしまいなさいな」
言うだけ言って、年寄りとは思えない足取りで歩み去ってしまう。
そんなことしている暇はない。
早くアインスに二人を引き取らせて、仲間を救出し、住処を移らなければならない。
こんな時に、何故子供同士の喧嘩の仲裁されるみたいな話をしなくちゃならなかったのか。
ちっとも納得がいかなくて、髪を掻き乱して唸る。
「呑気なもんだなぁ」
誰も彼もが呑気が過ぎる。
こうしている内にもタイムリミットは近付いているというのに。
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