第11話
新しい家は以前より日当たりが悪い。
洗濯物が乾き辛そうだなぁとか、湿気が酷くないと良いなぁとか。
あらぬ心配をしていたのだけれど。
「これからは、自分達の事は自分達でしなければならない」
アインスの言に、ツヴァイと顔を見合わせる。
「どういういみ?」
ツヴァイが代表して質問すると、アインスは間を置いてから
「思い出したくはないかもしれないが、以前に雇った女の件がある」
「わるいひとをやとったもんね、にいさんは」
ちくり、というより、ぐさり。
にっこりと天使の笑みを浮かべるツヴァイにアインスは顔を引き攣らせた。
「・・・・・・その件は本当にすまなかった。だが、俺もきちんと素性を確認してはいた。偽造されているとまでは疑わなかった。これは手落ちだったと認めよう。だが、今後もそのような見落としがあっては取り返しがつかない」
「つぎがあったら、こんどこそ、ぼくたちしんじゃうもんね」
ぐさぐさ。
無邪気な口調のツヴァイはわざとなのか、無意識なのか。
アインスが指先で米神を押さえ、私は二人を交互に見遣る。
仲良くなったのではなかったのか。
問う視線を向ければ、真っ先に気付いたツヴァイが笑みを深め、次にアインスが溜息を落とす。
「とにかく、用心したい。信用に足る人材が見つかるまでは、人を雇わずに生活をしよう」
「どういうふうに?」
「例えば、掃除や洗濯。家事の全般を今までは外注していたわけだが、それらを全て自分達の手で行う」
「がいちゅう? ・・・・・・ぼく、そうじはできるよ」
母や祖父と暮らしていた頃、ツヴァイは積極的に家事を手伝う良い子だった。
家事は覚えておいて損はないが、こうも早く経験を生かす機会が来るとは。
良いのか、悪いのか。
なんにしても、胸を張る小さな子供の姿は実に微笑ましく、愛くるしい。
「そうか、助かる。後は、洗濯と」
「ぼくとミルは、せんたくきにもせがとどかないし、あぶないよね。せんたくきはもうあるし、あとはかんそうきがあればはやいよ。それとも、にいさん。まいにちせんたくもの、ほせる? あ、たたむのはぼく、とくいだよ??」
「・・・・・・買ってくる」
「ごはんもかってくるといいよ。できあいのものはわりだかだから、せつやくするならじすいするのがいいらしいけど。にいさんはりょうり、できるの?」
「・・・・・・・・・・・・買ってくる」
「ほかは? しょうもうひんでなにがいるか、にいさんわかってる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・教えてくれれば、買ってくる」
母と祖父が仕込んでいたのだろうか、しっかりした兄である。
随分頼もしいツヴァイに対し、アインスは視線が完全に足元に落ちていた。
移り住んだばかりの家は最低限の家具家電は既にある。
消耗品も思いつくものは買ってあるようだが、長く住むとなると必要になってくるものは細々と出て来るだろう。
前の家にあった物は、服も含めて全て置いて出たようなので、これから買わければならない物は少なくない。
どれだけ稼いできているのかは知らないが、少年であるアインスが私達を養う為に消費した額をざっくり計算しかけて恐ろしくなる。
家を移ったのも、家政婦さんを長期間雇っていたのも、数々の嗜好品なども、全ての支払いはアインスが済ませているのだ。
青春の貴重な時間を割いて得た給金を、このように使って後悔しないだろうか。
まだまだ若いのだから、自分が欲しい物や遊ぶ為に使いたいのではないだろうか。
今更心配になって、膝に置いていた手を丸める。
今、着ている服だって、上から下まで全て買ってもらった。
高い物ではなかったのだが、安い物でも決してない。
爪を立てることも躊躇われて、丸まった手をじっと見下ろす。
「おかね、だいじょうぶ?」
「ミル?」
「いっぱい、つかうの。ごめんなさい」
働けるようになって返すというのもありだろうけれど、私が働けるようになるにはどれだけ早くても十年近くかかる。
そんなに時間が経てば、アインスは大人になってしまう。
子供で居られる時間は、とても短いのに。
申し訳なくて、背中まで丸まっていく。
「子供が金の心配をするな」
あっさりと言って退けるが、アインスは子供だ。
子供が子供を。それも二人も養うなんて、並大抵のことではない。
「でも」
「そんなに俺は甲斐性がないように見えるのか?」
「かいしょうってなに、にいさん」
「ああ、甲斐性っていうのは・・・・・・ツヴァイ、それはまた後で教えてやるから。まず、ミル」
「はい」
「そんなに心配なら、これを見てみろ」
目の前に差し出されたのは薄い半透明の板だ。
掌にすっぽり収まるサイズのそれには、数字がたくさん並んでいた。
「数は数えられるか?」
「うん」
「数字はいくつある?」
言われて、ひとつふたつみっつと数えていく。
全部で7つ数字が並んでいたので、そのように答えた。
「良く出来たな、偉いぞ」
「うん」
「この数字は、俺の預金の一部だ」
「よ、きん?」
「預金は預けている金のことだ。その内、お前達の口座も必要になる」
「にいさん?」
兄が二人、どちらもお兄ちゃんと呼ぶとややこしい。
呼べば二人共振り返るので、片方はお兄ちゃん。片方は兄さんと呼ぶことになったのは少し前。
自分はずっとお兄ちゃんと呼ばれて来たから、自分がお兄ちゃんだ。
一切の反論を受け付けない雰囲気のツヴァイと争うつもりは微塵もなかったらしいアインスは、早々に自分を兄さんと呼ぶようにと言った。
が、二人になった時に「ツヴァイが居ない時は、俺の事もお兄ちゃんと呼んでいい」と言っていたので、たまには呼ぼうと思う。
いや、それはこの際いいのだ。
問題は預金の額。
7桁ってなんだ。どういうことだ。
もう一度、ひとつふたつみっつ・・・・・・と数えたが、やはり7つの数字が並んでいる。
日本円にするなら○百万。
一人の少年が稼げる額ではない。
もしや、この世界の金銭の価値が日本と比較すると安いのだろうか。
すっかり記憶から零れ落ちているが、ゲームプレイの中でアイテム購入の機会はある。
その時にどの程度の物価だったかを思い返すが、特殊アイテムをどのようにすれば日本円換算出来るというのだ。
比較対象がないし、そもそもアイテムの値段なんて覚えていない。
「たくさん・・・・・・?」
「一般的に言うと、たくさんだな。名義を変えて分散している分を合わせれば、もう一桁増える」
「ふえる?」
「桁で言っても分かり辛いか・・・・・・そうだな、例えば」
前に何処に行きたいかと画像を見せてくれた機械が再登場。
今回は画像と一緒に説明文らしきものや、値段らしき数字が並んでいる。
「ミルとツヴァイがいつも飲んでいるジュースが一本で200グード」
「にひゃく」
「200は桁3つだ」
「けた、みっつ」
此処での金銭は円ではなく、グードなのか。
なるほどなぁ、と意識が飛んでいきそうになる。
ほぼほぼ物価が変わらないように感じるのは気のせいだろうか?
現実逃避気味の私に、アインスはまだ難しいか、と呟いて噛み砕いた説明を考えてくれているようだ。
ツヴァイの方は指折り数を数えて、納得しているようなしていないような。
何にしても、子供がこんな大金を稼いでくるなんて、どういう仕事を。
どれだけ働かせたら、こんな額になるのか。
呆然としている間に、アインスの方は考えがまとまったらしい。
「まあ、なんだ。ミルが毎日ジュースや菓子をたくさん飲み食いしても、大丈夫な程度には稼いでいるから。心配はしなくていい」
大雑把な言葉で締めて、頭を撫でられる。
顔色を窺うが、無理をしているようには見えない。
どちらかというと、この子供は今ので納得しただろうか、という不安が滲み出てはいたので。
「うん」
こっくりと頷いておいた。
ぽち、しゃっ。
ぽち、しゃっ。
指先で機械を操作し、画面を確認する。
これがグラム換算で1グラム当たり・・・・・・。
主婦時代に散々やっていた計算を、まさか此処で活用することになるとは。
母や祖父に色々と仕込まれていたツヴァイは、生活する上で何が必要かは把握していた。
どの程度で何がどれぐらい消費されるかを、凡そ分かっている。
だが、彼は値段については殆ど知識がなかった。
買い物に連れ出されたことがなく、金銭をやり取りすることもなければ、それを見る機会もなかったのだ。
アインスに至っては金はある、その金で他人を雇う、雇った人間に任せる。
外注で全てを済ませていたようで、日用品の相場や底値など気にしてもいなかった。
稼いで来ているのだから、別にそれはそれでいいのかもしれない。
だが、いつ何時働けなくなるか分からない。
備えは必要だし、物の相場を知らなければ必要以上の支出を出し兼ねない。
私は幼子である。
幼子らしく何も分からないふりをして、全てを任せることも出来た。
が、私は知っているのだ。
小さいことだが、家計の助けになるかもしれない。
と、アインスにねだって検索機を借り、使い方を習ってからは暇さえあれば日用品の電子広告を眺めている。
直接、これが安いと言うわけではない。
流石に幼児が計算をしてそんなことを言い出せば、奇異の目を向けられる。
これが欲しい、あれが欲しいと、消耗品が無くなりそうなタイミングで事前にチェックしていた商品の画像をアインスに見せるのだ。
電子広告の消耗品をいくつかと、フェイクでお菓子を一つか二つ。
あまりに遠くの店の広告だと、近くの店で同じものを買い与えられてしまう。
最近、少しずつ周辺にある店を把握しつつあるので、そんなミスは大分減ったのだけれど。
今日もせっせと液晶を眺め、時間がくればツヴァイと掃除をしたり、遊んだりする。
私は絵本で、ツヴァイはちょっと絵が少なめの児童文学に手を伸ばしていたり。
ちょっとずつ成長が見えるこの頃。
こうして、平穏無事な生活が続けば良いなぁ、と幾何かの月日を過ごし。
二度目の人生、何度か目の春。
いつもきっちりとした服を着ているアインスだが、その日は何か見覚えのある服装をしていた。
「兄さん、その服なに?」
初めて見た、とツヴァイが上から下まで見ている。
私はどこかで見たような気がして、首を傾げたのだが
「スクールの制服だ」
「すくーる?」
見覚えがあると思った。
攻略対象の一部が着ていた制服と同じだ、これは。
そうだ、毎日穏やかに暮らしていて忘れかけていたが、これもまた攻略に重要な要素。
スクールは此方の国の教育機関で、一定の年齢に達すると入学資格が発生する。
何歳から通い始めても良いし、卒業は義務ではない。
だが、卒業をしておいた方が就職に有利だとか、各種専門分野に足を踏み入れやすいとかなんとか。
細かいところは覚えていないが、飛び級制度が導入されていてアインスは最年少でスクールを卒業するはずなのだが、まさか。
「勉強する場所だ。今日で卒業だけどな」
今日かー、今日が卒業かー、そうかー。
なんでこの人はこういう大事なことを言わないのか。
というか、いつの間にスクールに・・・・・・ああ、昼間は学校、夜は仕事か。
オーバーワーク!!!
頭を抱えかけたが、とりあえず頭を切り替えよう。
「おめでたい?」
「お目出度いなんて、どこで覚えたんだ?」
「・・・・・・えほん」
「そんな絵本あったか? まあ、目出度いのは目出度いらしいな」
「しゃしん、とる?」
「写真? 何故?」
入学式と卒業式に写真は必須だろう。
門前で我が子と撮った写真は前世の私の宝物だったのだが。
理解出来ないという顔でアインスはネクタイを締め
「集合写真くらいは撮るだろう。それより、今日からは毎日とはいかないが、一緒に昼食が摂れる」
僅かに口角を上げるので、言葉が引っ込む。
アインスの母親はアインスが赤ん坊の頃に亡くなっているが、父親はゲーム開始以後も存命だ。
血の繋がった本当の家族。
ちゃんとした保護者が居るのに、アインスはこの家で暮らし、父親の元に戻っていない。
折り合いが悪いというわけではない。
アインスの父親は人格者とされている。
国の為、各分野の発展の為に私財を投じ、分野を問わない企業展開、多数の人材の雇用育成。
弱者の救済にも熱心で、国の中心。
最も重要な人物と目されている、という設定なのだが。
反面、彼はあくまでも自国のみ。
結果的に周りにも恩恵を与える形になっているが、基本的には自分が平和で豊かに暮らせること。
その為に、自国が豊かで平和になることを熱望している人物でもある。
このゲームの最も重要なイベント。
戦争の発端はどのルートであっても、彼が関わっている。
気付かれないように動いているが、環境破壊に資源枯渇。実験の被験者への被害や、環境への影響。
自国が抱える問題解決の最も早い手段として、自然と調和した暮らし、資源豊かな土地を持つ隣国に戦争を吹っ掛ける。
地道に時間をかけて解決するより、あるところから奪えば早いという考えだ。
無論、向こうは堪ったものではない。
最初は国境閉鎖、国交断絶。
次に両国間に魔法による結界まで作った。
物理攻撃を一切遮断する魔法結界に、此方の国は一切の手出しが出来ない。
この結界の攻略が、戦争の幕開けになるのだけれど、どうやって攻略したんだっけ?
何かしら切っ掛けがあったように思う。
かなり重要なのだが、これまた周回プレイする内にスキップ多用で読み飛ばし過ぎた。
後悔は先に立たないが、ゲームで何度も見るテキストを覚えていればと後悔することの方が珍しいだろう。
そんなこんなで設定上、アインスとツヴァイにとっても父親となる人物はいわば黒幕。
表向きでもかなりの重要人物なので、人が溢れかえる卒業式などに出てくることはなさそうだ。
設定上、今後アインスが父親と生活することはない。
私とツヴァイを隠し、養い育てる為。
母親のことやツヴァイのこともあって、抱えた気持ちを打ち開けられずに父親と距離を取る。
なのに、アインスは寂しさを感じさせない。
むしろ、ちょっと嬉しそうに今日の昼食をどうするかと相談を持ち掛けてくる。
卒業は節目。大事な日だ。
昼食を摂ることも大事だが、これまで努力して勉学に励み、成長し。
必要な単位を取得した、過程をこなしたという結果。
それを認められたお祝いの式典なのに。
「どうしたの、ミル。ピザは嫌?」
ツヴァイに顔を覗き込まれて、首を横に振る。
ピザは嫌いじゃない。
おばあさんだった頃は胃もたれがしたが、今はその心配もないし、そういう問題でもないし。
「しゃしん」
「写真? ああ、どれが良い?」
ピザのメニューが見たいわけでもない。
また首を横に振ると、大きな掌に頬をむにっと挟まれた。
「何を拗ねているんだ? ちゃんと言ってみろ」
「ひゃひん」
「写真が撮りたいのか?」
「ふん」
「何故?」
不思議そうに言ってくれるが、私の方が不思議でならない。
頬を挟む掌を掴み、元々力はそんなに入っていなかったのだろう。
ぐいっと引き剥がすと、あっさり離れた。
掴んだ掌をぎゅぎゅっと握る。
「そつぎょうしき、おめでたい」
「そうだな」
「おめでとう」
「ありがとう」
「しゃしん」
「そんなに撮りたいのか?」
「うん」
力強く頷くと、アインスが笑う。
ちょっと口角を上げるだけではない、はっきりとした笑顔だ。
「はい! 僕、写真撮れるよ! 前にやり方見てた!!」
真っ直ぐに手を上げたツヴァイの髪を空いている手で撫でて、アインスは肩を揺らす。
「じゃあ、ツヴァイに任せようか」
「うん! 兄さん、そつぎょう? おめでとう」
「おめでとう、にいさん」
「ありがとう、二人共」
私とツヴァイは卒業式に参加は出来なかった。
スクールの門前で写真を撮る事すら出来ない。
それでも、制服のアインスを真ん中に、家の中で写真を撮った。
ツヴァイが撮った写真は前に撮った家族写真より、綺麗に撮れていて。
三人共、同じように笑顔だった。
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