第5話
「どこか、行ってみたいところはあるか?」
唐突な質問に首を傾げる。
行ってみたいところと言われても、今生、外に出たのは後にも先にも一度きり。
その思い出もとてもではないが、良いものではなく、外の世界がどのようなものか。
ゲームプレイ時にテキストと一部は背景として街並みなどが描かれてはいたが、仔細は不明。
その上、地理的なものを把握するよりも、どの選択肢で好感度が上がるだとか。イベントが起こるだとかを気にしていたので、正直記憶にない。
反応のない私に、アインスは思考する間を置いてから
「公園とか遊園地とか、ないのか?」
「こうえん? ゆうえんち??」
公園や遊園地が、この世界にもあるのか。
驚いているとアインスの顔が曇る。
「公園ぐらいは行ったことがあるだろう?」
首を横に振る。
「じゃあ、好きな場所は」
首を傾げる。
「いつも何処に遊びに行っていたんだ?」
首を傾げる。
アインスは瞠目した。
「まさか、外に出たことがないのか?!」
彼と出会った日を数に入れなければ、そうだろう。
下手にその日のことを口にするのは憚られて、こっくりと頷く。
掌で顔を覆ったアインスは、頭痛を堪えるような顔で
「ツヴァイもか?」
尋ねられたが、そういえばどうだっただろう。
覚えている限り、ツヴァイが外に出たという記憶はないのだけれど。
あの頃は起きているよりも寝ている時間が長かったので、意識のない内に外に出ていた可能性もある。
首を傾げてみせれば、それ以上は聞かれなかった。
代わりに、抱き上げられてソファまで連れて行かれる。
アインスが腰を落ち着けると、膝の上に座らされて、私の膝の上に今日は絵本ではなく液晶のようなものが載せられた。
指でいくつかの操作をすると、そこには像が映る。
これはスマホか携帯のようなものなのだろう、雨の日に見たそれに似ていた。
興味本位で手を伸ばすと、すっと手を掴まれ、膝に戻される。
下手に弄ってはいけないものなのか、なるほど。
納得して大人しく待つと、画面が変わる。
「公園というのは、こういう・・・・・・遊具があって、誰でも使える場所だ」
この世界での公園の画像なのだろう。
青い空とブランコらしきものや、砂場などの馴染みのある遊具。
花壇や太い木々が植わっていて、なかなか景観が良い。
ふむ、と頷くとまた画面が変わった。
「これは遊園地。有料、金銭・・・・・・いや、お金、は分かるか?」
「うん」
「お金を払って、遊ぶ場所だ」
「おかねを」
つまり、前世の遊園地とそう変わらないシステム。
技術発展している国だというので、前世で暮らしていた頃と同じ程度の技術力があると期待しても良いかもしれない。
カラフルな建物やアトラクションらしき映像をじっと眺めていると、また画面が変わる。
画面が変わる度にアインスは簡単。
というか、最低限の説明をしてくれるので、黙って聞く。
そうして、ある程度の説明を受けた後に、どこか行きたいところはあったかと改めて尋ねられた。
だが、ぴんと来ない。
健康の為に日光は浴びた方が良いそうだが、室内でも日光は浴びられる。
日向ぼっこをしながらのお昼寝もしているし、体力のない幼子の身体では行ける範囲も狭い。
下手に遠くに行けば、連れ帰る為に同行者が苦労をするし、何かと手間を掛けるのは容易に想像がつく。
毎日変わり映えがしないので、退屈は退屈なのだが不自由はしていない。
それに、出掛けるとなると私について来て、お世話を買って出てくれるツヴァイはどうなるのだろう。
私に関することには多少の反応はしてくれるし、稀に会話も出来るようになった。
だが、それ以外の反応が乏しく、基本は口を開かない彼が外に出て、万が一のことがあったら。
想像して、ぞっとする。
いざとなれば、助けを求めてくれるかもしれないが、そうではないかもしれない。
それくらい、ツヴァイは話さない。
彼にとっては母と祖父の仇であるアインスを前にしても、何の反応もしないのだ。
最悪、悪い人間に捕まっても悲鳴の一つもあげない可能性もある。
「ううん」
首を横に振ると、頭を撫でられる。
「外に出たくないのか?」
「うん」
「どうしてだ」
「こわい」
よく考えずに答えた私に、頭を撫でていた手がぎくりと止まった。
はて、どうかしたのだろうか。
振り返ってみると、いつもより三割増しくらい険しい顔があって、びくっとしてしまう。
「ミル、お前・・・・・・いや、そうか。そうだな」
「おにいちゃん?」
「いいんだ、気にするな」
「うん?」
もう寝るようにと、ベッドルームまで手を引かれ、それから。
それから、アインスは帰って来なくなった。
いつもなら帰って来ていた時間を過ぎても、アインスが帰って来ない。
一度だけならまだしも、それが二日三日と続けば、流石におかしいと気になってしまう。
家政婦さんにそれとなく聞いてみると「アインスくんも、きっと忙しいのよ」と、テンプレートな解答をくれるだけなので、さっぱりだ。
ツヴァイは相変わらずの様子。
アインスが帰って来ようと、来なかろうと変化はない。
代わりに家政婦さんは私に「昨日は帰って来た?」「今日はきっと帰って来るわよ」と話し掛けてくれたが、これも何度目だろう。
仕事だとは思うが、何処に行っているのか。
ゲーム内の設定では、アインスの仕事は後ろ暗いようなものだ。
要人の暗殺だとか、捕縛後に尋問だとか、そういうもの。
リスクもリターンも高い仕事を彼は若い内からこなしていった結果、ゲーム内では最強に近い立ち位置になる。
だからこそ、彼はどのような敵を相手にしても主人公を守ることが出来るわけなのだが、それはそれとして。
物語が始まるまでは、死ぬようなことはない、とも言い切れない。
此処はあのゲームの世界かもしれないが、ゲームが選択次第で様々な結末に向かったのと同じように、もしかしたら、何かしらの変化が起こって物語が始まる前の段階で亡くならない保障はないのだ。
どうにか連絡を取りたいところだが、手段がない。
探せばあるのかもしれないが、連絡を取れる道具がこの家の中にあるとして、それはどれなのか。
どのような操作をすればアインスと連絡が取れるのか。
欠片でも手がかりがあれば良いのだが、そんなものはない。
私とツヴァイを養い、恐らくは守ってくれているアインス。
幼子に比べれば年上であっても、彼も未だ少年なのである。
いくら心配しても足りないが、幼子である今の私には心配することしか出来ない。
今日もまた、帰って来ないものかと玄関で待っていたが、良い子は寝る時間がきてしまったらしい。
ツヴァイがつんつんと頬を突いてくるので、悔しいが彼の手を握る。
時間なのだと思うと、途端に目がしょぼしょぼとして眠気が容赦なく襲ってくる幼子の身体が口惜しい。
うつらうつらしながら手を引かれていると
「まってるの?」
一瞬、何のことか分からなかったが、多分アインスを待っているのか、ということだろう。
言葉を発するのも億劫で、こっくりと頷く。
そうすると、繋いだ手がぎゅっと握り締められる。
「ままとおじいちゃんをころした」
「おにいちゃん」
「あいつなんか」
ぎゅぎゅっと力を入れられると、流石に痛い。
ぶんぶんと手を振ってみるが、ちっとも離してくれる気配がない。
「いたいよ」
「あいつなんか」
「おにいちゃん、いたい」
「あいつなんか」
痛いより、怖かった。
硝子玉のようだった瞳に、ぎらぎらとした光が宿っている。
愛らしい顔は憎らしげな表情が塗りたくられて、怒りとも哀しみとも憎しみともとれない感情の発露が目に見えるようだ。
「しんじゃえばいいのに」
そんなことを言ってはいけない。
反射的にそう言い掛けた私の声が、掻き消える。
窓が割れる音。
照明が消え、辺りが一気に暗くなった。
「え」
どちらがあげたものか、戸惑いが口から洩れた。
逃げなくては。
咄嗟に動いた足は真っ直ぐに玄関に向かう。
鍵を開けて、外へ出る。
たったそれだけのことなのに、鍵の開け方が分からない。
それどころか、暗くてどの辺りにノブがあるのかさえ見当がつかない。
「おにいちゃん」
どうしようと、手を繋いだままでいた為、はぐれずに済んだツヴァイが居る方を見る。
他の人の気配がベッドルームに向かっているのを感じて、胸の内が騒がしい。
変な震えが止まらない私に対し、ツヴァイは無言で前に出た。
かちゃかちゃと小さな物音、それからノブを回す音。
数回続いた後、ツヴァイは固い声で「だめだ」と言った。
「かぎ、しめられてる」
「あかないの?」
「うん。こっちからはあかなくなってる。ここからはでられない」
「どうしよう」
「あっち」
「あっち?」
「おいで」
ツヴァイに手を引かれるままについて行く。
闇に慣れ始めた目が、煌めく瑠璃色を捉えた。
あの頃と同じ瞳の輝きを、こんな時に見られるとは。
慣れた足取りでツヴァイが向かったのは、キッチンだった。
息を殺すようにして進む最中、大人の怒鳴り声がいくつも響く。
「ガキ共、どこへ行きやがった!」
「慌てるんじゃないよ。何処も内からは開かない。どっかに隠れてるだけさ」
聞き覚えのあるそれは、家政婦さんの声だ。
なるほど、彼女ならそういう細工をする時間はいくらでもあっただろう。
特に、アインスが帰って来ない今なら、なおさら。
「あのひと、やっぱりわるいひとだった」
「しってたの?」
「みたら、わかるよ」
ツヴァイは中身が子供ではない私より、いっそ冷静だった。
キッチンのダストシュートの扉を開いて、繋いでいた手を離す。
「ここから、でられる」
「え」
確かに、出られはするかもしれない。
夜中であれば焼却作業もしていないだろう。
だが、此処は果たして何階なのか。
あまりに高い場所から落ちれば、いくら身体の軽い子供でもただでは済まない。
それに、下層は内側から抜け出せる仕様になっているだろうか。
もし、怪我をして動けなくなり、自力で出ていけない状態になったら。
もし、そのまま家に侵入してきた大人達に見つかったら。
もし、もしもだが、火を点けられでもしたら。
途端に足元が震えてしまう。
一度は死んだ身だとしても、生きたまま焼かれるかもしれない危険性を前にして、怯えずにはいられない。
そこまではされなくても、どっちにしたって怖い。
そして、それに比べれば小さなことだが、生ごみなどが通るダストシュートに入るには生理的嫌悪がある。
躊躇う私に気付いているのか、いないのか。
ツヴァイはダストシュートに入ろうとしていた。
「おにい、ちゃん」
「ミル?」
「やだ・・・・・・」
「ミル。はやくしないと」
「こわい・・・・・・」
「ここにいたら、あぶないよ」
「でも」
「だいじょうぶ。さきにいって、ミルがおちてきたら、うけとめてあげる」
無理だろう、それは。
いくらツヴァイの方が大きいといっても、そこまでの差はない。
速度がついて落下してくる幼児を、同じくらいの幼児が受け止められるか。
無理だろう、それは。
ぶんぶんと首を横に振り、尚言い募ろうとした時。
「おい! こんなとこに居やがった!」
「ダストシュートから逃げるつもりだ! 誰か先に塞いで来い!」
「いや、捕まえる方が早い」
いくつもの強い光に照らされ、闇に慣れてきていた目が眩む。
少しでも光から逃れようと顔の前に翳した手を掴まれ、そのまま持ち上げられる。
「っあ」
「ミル!」
腕から肩にかけて痛みが走り、足をばたつかせる。
宙ぶらりんの状態で吊し上げられながら、ダストシュートから出て来ようとするツヴァイに叫ぶ。
「にげて!」
叫ぶと同時に、乾いた音が一つ。
腕や肩ではなく、頬が激しく痛み、視界が赤と黒に明滅した。
「喚くんじゃないよ、ガキが!」
家政婦さん、だった人が私の頬を平手打ちしたらしい。
それが分かったのは、もう一発。反対の頬を打たれたからだ。
宙吊りにされた私は、打たれる度にぶらんぶらんと揺れる。
もうどこが痛いのかがはっきりしない。
鼻から熱いものが滴り落ちているので、鼻血が出ているのだろう。
「おいおい、やめとけよ。こんなちっこいの、痛め付けたらすぐに死んじまうぞ」
「構うもんか! そんときゃ、そっちのガキを使えばいいだろ」
「それもそうか」
軽い調子で私の生存権が奪われかけている。
視線を動かすと、ツヴァイがダストシュートから引き摺り出され、頭を床に押し付けられていた。
「どうすんだ、こっから」
「アインスの野郎に教えてやんな。うちのボスを解放しなけりゃ、お前の大事に隠してたガキ二匹の命はないってね」
「あいよ」
べちゃ、と床に落とされ、そこで私の意識は途切れた。
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