第4話
窓の外は、アインスの瞳と同じ色の空が広がっている。
今日も良い天気だ。
アインスと暮らし始めて、どれだけ経ったか。
広い部屋にも慣れ、大体の生活リズムが出来て、最初の頃の緊張感は無いに等しい。
朝は家政婦さんがやって来る前に、一人で出来るだけ着替えを済ませてしまう。
何着か買い与えられた服は、どれもボタンが少なくて着脱が簡単なものだが、短い手足とぽっこりとしたお腹。大きい頭のせいで大変苦労するのだが、出来ないことはない。
もたついていると、以前まで日がなパジャマで過ごしていたツヴァイが自分の着替えをさっさと済ませて、私の着替えを手伝ってくれることもある。
今日も、先に着替えたツヴァイが私の前に立ち「ばんざい」と指示をするので、大きく両腕を上げる。
すぽん、と脱げたパジャマをツヴァイが畳んでくれる。
こんなに小さな子にそこまでしてもらうのは申し訳ないのだけれど、実際問題、今生の私は彼よりも幼く、どうしても綺麗に服を畳めない。
自主性やお手伝いをしたいという気持ちは尊重すべきものだ。
ありがとう、とお礼を述べて、今日の服を選ぶ。
ほぼ無地、型が同じ、多分同じところから色違いになっていそうな物を買ったと考えられるラインナップ。
この世界ではどうかは知らないが、前世では子供服は多種多様。選ぶのに苦労する程に可愛らしいものがたくさんあったものだが、こうも選択肢が少ないと逆に楽だ。
選んだところで、私もツヴァイも外に出る機会がない。
見せる相手は家政婦さんとアインスのみ。
きちんと洗濯してある物を選べば問題なしなので、今日はスモック・ブラウスとスカパン。
どちらも着やすいので気に入っている。
スカパンは自分で、ブラウスはツヴァイの前でばんざいをして着せてもらい、着替えは終了。
次は洗面所だ。
ツヴァイに踏み台を出してもらい、歯磨きをする。
子供用の小さな歯ブラシで、やっぱりここでも苦労しながら歯磨きをし、口周りをべとべとにしてしまうが、どうにか遣り遂げる。
顔を洗って、濡れた顔をツヴァイにタオルで拭われ、踏み台から下りる前に髪を梳かす。
子供特有のさらさらとした髪は櫛の通りが良くて、気分が良い。
頭が大きく、腕が短いので後ろの方はツヴァイの手を借りなくてはいけないことだけは、大分情けない気持ちになるけれど。
そうして、一通りの身支度が終わるか終わらないかという頃合いで、家政婦さんが出勤してくる。
朝ごはんはそれからだ。
食卓に並べられた食事を私は家政婦さんに時折手を借り、ツヴァイは一人で行儀よく食べる。
食後は再度歯磨き。
寝起きに口の中がネバネバしていたりするのは、寝ている間は唾液の分泌が減って、雑菌を洗い流す作用が弱まって繁殖しやすくなるからだと言われている。
食べる前には歯磨き、食べた後も歯磨きをしておいた方が清潔だし、こういうことは習慣付けておいて損はないだろう。
この間、アインスは部屋。というか、家に居ない。
彼が家に居るのを見掛けるのは、夜だけだ。
多分、夜中に帰って来て、日が明ける前に出ているのだと予想しているのだけれど、睡魔に勝てる幼児は少なく、私も日中昼寝をして頑張って起きていようとしても、出迎えは出来ても見送りが出来ない。
それ以前に、あまり遅くまで起きているとツヴァイに寝かしつけられてしまうので、まず無理なのだ。
成長期にきちんと睡眠を取らなくて、大丈夫だろうか。
成長ホルモンが出る時間についての記憶を掘り出しながら、手遊びとしてパズルを組み立てる。
ピース数が極端に少ないので、考えなくても出来てしまう簡単な物だ。
パチ、パチと嵌めていけば、気付くと完成。
何度も見ているが、何かの生き物が寄り集まった絵だ。
この生き物が何かを、私はよく分からないし、ゲームのプレイ過程で見たような、見ていないような気もする。
じぃっと出来上がったパズルを見ていると、掃除の途中で通り掛かった家政婦さんが
「あら、ミルちゃん上手ね。もう出来たの」
「うん」
「それ、いつもやってるのね。面白い?」
「う、ん?」
面白いかどうかと聞かれたら、別に面白くはない。
黙って己の思考に没頭する幼児はおかしいだろうと、考えずに出来るものを選んだら本――考え事の際は、ページを開いたままにするか、ぺらぺらと捲っている――かパズルを手にしているだけ。
首を傾げていると、家政婦さんは何がおかしいのか。
笑いながら、掃除を再開してしまったので、邪魔にならない位置に移動する。
そうすると、近くで座っていたツヴァイも立ち上がってついて来る。
カルガモの子供のようで、実に愛らしい。
パズルを片付けようと手を伸ばせば、先にパズルを手に取って片付けてくれる。
我が兄ながら、優しい子である。
二人揃って掃除の済んでいる場所に移動し、今度はおままごとセットを持ち出す。
プラスチックのような軽い素材で出来た野菜。野菜と比較すると異様に小さい食器を並べ、ちらっとツヴァイの方を窺う。
ツヴァイはぼんやりと私の手元を見下ろしているので、それらしく見えるように食器に野菜を載せて、ツヴァイの前に差し出してみる。
「どうぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で受け取ってはくれたが、完全に固まっている。
思い返せば、母や祖父と暮らした部屋に玩具はなかった。
おままごとなどしたことがないに違いない。
これは私がお手本を見せるべきだろうか?
床に転がしていた玩具の野菜を手に取り、食べているふりをしてみせようと口元に持っていく。
そうすると、ぴしりと手を叩かれた。
驚いて顔を上げると、ツヴァイが手早く玩具を拾い集めて、心持ち眉尻を上げている。
「だめ」
「え」
「これはたべられないよ」
いや、知っています。
食べるふりをしたりするのが、おままごとなんです。
そう説明しようにも、どう言えば良いのかに悩む。
悩んでいる間に、ツヴァイは玩具を抱えたまま、珍しく私の側を離れた。
「あ」
小さな背中を見守っていると、彼は何を思ったのか。
玩具を仕舞っているボックスを引き摺って、ベッドルームに向かってしまった。
その姿を家政婦さんも気付いたらしく、目を丸くして私の前に屈む。
「ミルちゃん、どうしたの? 何かあった?」
「おもちゃ」
「玩具?」
「うん」
多分、私が玩具を誤飲する危険を感じたのだろう。
それにしたって、何も全部持って行かなくても良いと思うのだが。
手持無沙汰に手を握ったり開いたりしていると、ほんの少し。
僅かに赤くなった手に、家政婦さんが目敏く気付いた。
「もしかして、ツヴァイくんに叩かれたの?」
「う、ううん」
「じゃあ、そのおててはどうしたの?」
「・・・・・・おねつ、あるの」
「お熱?」
「うん、おねつ」
「本当に?」
「ほんと」
「痛くないの?」
「ないの」
こっくりと頷き、さりげなさを装って、手を背中に隠す。
ぷいっとそっぽを向くと溜息が聞こえたが、きっと気のせいだろう。
残されていた絵本を手に取って、私はいつも通りに読書をする。
今日もいつも通り。
今日も良い天気だ。
「ツヴァイ。ミルを叩いて玩具を取り上げたというのは、本当か?」
帰って来るなり、アインスは眉間に皺を刻んだ怖い顔をツヴァイに向けた。
ツヴァイは変わらぬ無表情で私だけを見ていて、何の反応もしない。
何度かアインスが厳しい言葉を発したが、それでも視線を合わせることすらしなかったので、今度は私の番。
しゃがみ込んだアインスが私の目を見つめて
「ミル、正直に言うんだ。今日、お前はツヴァイに叩かれたのか?」
「ううん」
「玩具を取り上げられてはいないのか?」
「うん」
「じゃあ、あの女は嘘を吐いたのか」
「う」
真っ直ぐな瞳を見ていられず、視線が泳ぐ。
ついでに身体が揺れ出すと、固定するように肩に手を置かれた。
「ミル、正直に言え。あの女が嘘を吐いているなら、解雇する。ツヴァイがお前を叩いたなら、ツヴァイを注意しなければならない」
どっちを選んでも後味が悪そうだし、前者については良かれとアインスに報告したであろう家政婦さんの生活に支障が出かねない。
かといって、正直にツヴァイに叩かれたというのも気が引ける。
大して痛くはなかったし、別にツヴァイは一人占めする為に玩具を私から取り上げたのではないだろうし、何よりアインスとツヴァイの関係が微妙な現段階での「注意」は良くない。
予想ではあるが、今後に差し障りそうだ。
どうにか誤魔化そうと口をもごもごとしていると、肩に置かれた手が頬に添えられる。
軽く顔を持ち上げられて「ミル」と強い口調で呼ばれた。
「どうして、答えない」
「う」
「もしや、とは思うが」
ツヴァイの方に視線を投げたアインスの眉間の皺が更に深いものになっていく。
「叩かれたのは、今回が初めてではないのではないか?」
「え」
まさか、日常的に暴力を受けているとでもいうのか。
いやいや、そんなはずは
「いいか、ミル。何でも受け入れなくていい。嫌なことは嫌と言っていい」
あったようだ。
諭すような言い方に、どう返せば一番誤解が少なくて済むか。
悩んだ末に
「わからない」
きょとん、としているように見えるよう、全身全霊をかけて無邪気な幼児を演じる。
そうすると、アインスは瞠目し、私の肩から手を離した。
「やはり、閉鎖空間では想定以上にストレスを与えてしまうのか・・・・・・」
呟きに近いそれを耳が拾い、アインスの方を見る。
アインスは疲れた顔で、私を抱き上げた。
「今日は俺と一緒に寝よう。いいな?」
「?」
何故、と一瞬戸惑ったが一時的に距離を置かせるつもりなのだろう。
ベッドの上で大人しくしているツヴァイは真っ直ぐに私を見ており、このまま置いていっても大丈夫なものか心配になる。
とはいえ、殆ど身動きをしなかった間は一人で居る時間の方が多かったのだし、問題は起こりようもない気もする。
返事をしないでいると、アインスがいつも通りの顔で少し悲しげに「俺とでは嫌か」などと言うので、慌てて首を横に振った。
一晩くらいなら、まあいいか。
成長すれば、いずれは別々に眠ることになるのだから、その練習だということにしよう。
一人納得していると、アインスは私を抱き上げたまま、ベッドルームを出る。
その際に照明を消し、扉を閉じたのだが
「何故、ついて来る」
ツヴァイは特に反応はしなかったが、抱き上げられている私を見つめたまま、アインスについて来ていた。
結局、三人でベッドルームに戻り、私を真ん中にして三人で川の字になって眠ることになってしまった。
私とツヴァイは身体が小さいので良いが、アインスには結構窮屈そうだ。
それでも、私とツヴァイを二人にしておけないと、同じベッドで横になっている。
照明を落とし、すっかり暗くなった室内。
暫くすると細い寝息が聞こえてきて、ほっとしていると
「ミル」
「おにいちゃん」
「いたかった?」
瑠璃色の瞳が、闇の中できらきらと光っているように見えた。
「ううん」
「あのね」
「うん」
「おもちゃはたべられないよ」
「うん」
勿論、弁えているのだけれど。
ここで知っているなどと口を挟むのは大人げない。
素直に聞き入れる私に、ツヴァイはもそもそと布団の中で身動ぎしたかと思えば、私の手を自らの手で包む。
「たたいて、ごめんね」
「ううん」
「いたかったね」
「いたくないよ」
「ごめんね」
「だいじょうぶ」
優しく、素直な子だ。
気にしなくても良いのに、ちゃんと謝ってくれたツヴァイの瞼がとろとろと閉じていき、宝石のような瑠璃色の瞳が隠れていく。
「ミル」
「うん」
「だいすき」
「うん、わたしも」
「ありがと」
ぴたりと閉じられた瞼。
密やかな寝息に、肩の荷が下りたような気がする。
ツヴァイの手をそっと離して、ころっと寝返りを打つと、今度は空色の瞳がこっちを見ていた。
「夜更かしは感心しない」
寝ているとばかり思っていたアインスは、寝たふりをしていたらしい。
それもそうか。ツヴァイにいじめられているか何かと気にして残ったのだから、そんなにすぐ寝付くはずもない。
今度は此方が寝たふりをしようとしたが、説明を求める視線には逆らえなかった。
「おにいちゃん、わるくない」
「そうか。でも、叩かれたのには違いないだろう」
「う、ん」
「痛くはなかったのか?」
「うん」
「なんで叩かれたか、分かっているのか?」
「おままごと」
「ままごと?」
「うん」
「ままごと・・・・・・ああ、つまり、ままごとで食べるふりとしたら、叩かれたのか」
話を盗み聞きしていたのだろうが、よく分かるものだ。
ツヴァイを起こさないように声量を抑え
「ほんとうには、たべないよ」
「ああ、お前は食べるふりをしただけだったんだな」
「うん」
「それを、ツヴァイが玩具を食べてしまうと勘違いした」
「うん」
「だが、叩かれて玩具を取り上げられたのは事実だろう」
「う」
頷くに頷けないでいると、わしゃわしゃと荒く髪を撫でられる。
逆らわずにじっとしている私に、アインスは真剣な表情で向き合った。
「ツヴァイがお前を思って行動したのは分かった。分かったが、叩くのは良くないことだ。分かるな?」
「・・・・・・うん」
「お前は賢い。だから、ツヴァイが何で叩いたのか分かっている。俺にツヴァイが叩いたと言ったら、ツヴァイが怒られると思ったんだろう?」
「・・・・・・・・・・・・うん」
「だけど、嘘は良くない」
「うん」
ごめんなさい、と尻すぼみの謝罪をすれば、腕の中に抱き込まれた。
「次からは、気を付けろ」
「うん」
「今日は、もういいから寝ろ」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
緩く背中を叩かれる。
赤ん坊をあやすような優しい手付きが、ちょっとだけ母のようで安心した。
「何にしても、このまま閉じ込めておくのは精神衛生上良くはないのだろうな」
眠りに落ちる直前に聞こえた言葉が引っかかったが、睡魔には抗えない。
そのまま眠りに落ち、目が覚めるとアインスの姿がなかった。
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