第3話
乙女ゲームにも種類がある。
パラメータが重要な育成系や、基本はテキストを読み込み要所で選択肢が提示されるものなど。
ミニゲームがあったり、ゲーム内で所持するアイテムが有利に働くものもある。
この世界、タイトルが思い出せないゲームについては、テキストタイプ。
要所で選択肢を選び、攻略対象の好感度を上げ、ルートを確定させるゲームだった。
が、それは物語が始まる以前。
現段階ではどうなのだろうか。
未だ反応らしい反応をしない兄・ツヴァイの顔を覗き込む。
目がどろりと濁り、以前のような煌めきがない。
整った容姿の為、等身大の人形のようだが、呼吸はしているし瞬きだってする。
何を考えているのか、又は何も考えられないのか。
食事を差し出されると、ほんの少し。
最低限の食事は摂るし、身の回りのことも時間になると一人でこなす。
手はかからないが、流石にこれは第三者が見れば不気味かもしれない。
私はただ心配だし、痛ましく思うのだけれど、手がかからない兄に手がかかる私が何をしてあげられるわけでもない。
側に居ても何も解決しないのだが、出来る限りは側に居る。
家政婦さんもやることがあるので、邪魔をしたくない。
ベッドの上で半身を起こし、ただ虚空を見つめる兄の隣で、私は本を開く。
母や祖父と共に暮らした家にあった擦り切れた本とは違って、立派な装丁の新品だ。
これはアインスが与えてくれたもの。
何か欲しいものがあるかと聞かれた際、衣食住に困っていないので反応が遅れた私が遠慮をしていると勘違いしたらしい。
家政婦さんに私や兄の年頃の子供が欲しがるものを聞いたらしく、翌日には聞いたままの物を買ってきて、私と兄に渡してくれた。
その際、兄の瞳が僅かに揺れたような気がしたが、アインスは気付いた様子もなく、心持ち肩を落としてベッドルームから出て行った。
アインスが買ってきてくれたのは、玩具と絵本。
それもちょっとした山になるほど積み上げていったので、過剰に与えるのは子供に良くないと思ったものだが、私は玩具で無邪気に遊ぶことは出来そうもないし、兄は安定の無反応。
お絵かきセットなんかもあったのだが、前世で美術の評価はいつも平均より悪かった。
子供なんだから好きに描けば良いのかもしれないが、前世+現世の年齢=絵の出来栄えを周りは気にしなくても、私は気にする。
必然、選ぶ範囲は狭まる。
全く玩具で遊ばないと、せっかく買って来てくれたアインスに悪いし、子供らしくないと思われそうなので、たまにはおままごとをして見せることもあるが、よく手に取るのは絵本だ。
絵本を開いていると、気のせいかもしれないが兄の視線が絵本に向いているように感じるのもあり。
また、口に出して読み上げていないせいだろう。
家政婦さんは読めていないと判断したらしく、暇を見つけては絵本を読み聞かせてくれるし、アインスも夜の短い交流の中で稀に絵本を開いてくれる。
家政婦さんは感情を込めて臨場感を出しながら読んでくれるのだが、アインスの読み聞かせは棒読みである。
疲れているだろうに、それでも気遣ってくれているアインスに無理に読み聞かせてくれなくても文字が読める、とは言い出せない。
大人しく聞いていると、その内にいつかの兄のように絵本の文字。
それも単語を指差して、ゆっくりと繰り返してくれるようになった。
「道に迷った。道」
「みち」
「そうだ。これが、道」
「みち」
こっくりと頷くと、頭を撫でられる。
年相応と言えばそうなのだが、完全に幼児扱いである。
恥ずかしいような、嬉しいような気持ちを持て余し、床につかない足をぷらぷらさせ、アインスが口を開く前に、犬を意味する文字を指差す。
「いぬ」
「・・・・・・そうだ、犬だ」
「みちに、まよった、いぬ」
「! もう覚えたのか?」
感心したような響きに、とっくの昔に習得しているなんて言えやしない。
また、こっくりと頷くとアインスが開いた本を横に置き、私と向き合った。
「お前は賢いな」
分かっているが、分からないふりをして首を傾ぐ。
そうすると、アインスは私に手を伸ばす。
頭を撫でるのかと待っていたが、どうやら今回は違ったらしい。
いつもより慎重に。というより、恐る恐るという手付きで私の脇に手を差し入れ、持ち上げる。
何がしたいのかと思えば、ゆっくりと自分の膝に私を座らせ、私の膝の上に開いた本を乗せた。
二人が見えるようにするならこうするとより読みやすい。
なるほど、と内心頷いていると
「俺と会った日のことを、覚えているか」
膝に乗せられているので、顔が見えない。
淡々とした質問に答えないでいると、アインスは本から手を離して、私の腰の辺りに腕を回した。
「俺はお前と・・・・・・ツヴァイから家族を奪った」
「まま、じいじ?」
「・・・・・・そうだ」
「おにいちゃん」
「ああ。そうして、俺はお前からツヴァイまでも奪ってしまうかもしれない」
どういう意味だろうか。
抱きかかえられるような形のままで悩んでいると、回された腕にぎゅっと力がこもる。
「あんなのは、生きていると言わない」
そこで理解する。
今の兄の状態を、アインスはそのように思っていたのか。
生きてはいるけれど、感情が死んだようになっている兄。
確かに、そういう見方も出来るのかもしれない。
「殺すつもりなんて、なかったんだ。ただ、話をするだけのつもりだった、なのに」
私には分からない、とアインスは信じている。
だからこその吐露だったのだろう。
後悔の色が濃く、口調こそ常のままであっても響きが違う。
気の利いた台詞が思い浮かばず、回された腕をぽんぽんと叩く。
「おにいちゃん」
「違う」
「おにいちゃん?」
「違う。俺はお前の兄には・・・・・・家族にはなれない。なる資格が、ない」
「しかく?」
「俺はお前たちに償いがしたい。出来ることは何だってする、どんなことだって、するから」
許してくれとは言われなかった。
音として、言葉として発せられることはなかったけれど、懇願が聞こえていた。
「おにいちゃん」
ぐっと身を捩り、背中を反らせる。
無理矢理見上げたアインスの目に涙はない。
なのに、泣いているみたいに見えて、短い腕を伸ばし、掌を乾いた頬に添える。
「だいじょうぶ」
「お前・・・・・・」
「おにいちゃん、だいじょうぶ」
兄もそうだが、アインスだって誰かに頼って甘えるべき年頃だ。
随分と若く、自分も被保護対象であってもおかしくないのに、二人の子供を養っている。
それだけで十分に責任を負っているのに、こんな風に自分で自分を追い詰めなくたって良いはず。
意識して、上手く出来たかは別として、にこっと笑ってみた。
アインスの眉間に深い、深い皺が刻まれ、くぐもった音が幾度か漏れる。
それから、見上げていた顔が近付き、頬と頬が触れた。
「ありがとう、ミル」
この日、私は初めてアインスに名前を呼ばれた。
あれから、アインスは前より少しだけ早く帰宅するようになった。
用事が無ければ寄り付かなかったベッドルームに足を運び、私に絵本の読み聞かせをしつつ、ツヴァイの様子を窺う。
ツヴァイは相変わらず反応らしい反応をしないが、やはり絵本に視線は向いていた。
ぎくしゃくとした交流を繰り返していく内に、何かしらの進展があるかといえば無い。
強いて言うなら、ツヴァイは痩せた。
活動らしい活動をしていないとはいえ、最低限の食事しかしていないのだから、当たり前だ。
骨と皮とまではいかなくとも、それに近しいツヴァイの姿にアインスの顔は分かりにくいが曇っていく。
良くない兆候だ。
しかし、ゲーム上でのアインスとツヴァイはとても仲が良かった。
どうしたら、あの関係に至ったのか。
そこを思い出せれば良いのだが、アインスとツヴァイの関係性はどのルートでも必ず目にする。
周回プレイをしていると同じテキストを読むのが億劫で、スキップ機能を多用していたのが此処で仇になった。
どうしても、覚えているのは印象深かったスチル付きのイベントや思い入れのあるルートになる。
攻略出来ないキャラクターより、攻略対象に関心がいってしまうのも、どうしようもない心理である。
プレイしていた頃も、義兄達に好感はあった。
身を呈して家族を守ろうとする彼らは恰好が良かったし、その死を悼んだものだ。
だが、感動も繰り返されると薄くなる。
義兄達の死はどのルートでも必ずと言って良いほどについて回る。
そうなると、どうしても「またか」という気持ちが出てしまい、自分の中で彼らの存在が少しずつ軽くなってしまった。
そして、現在。
何より彼等を重く見る現状に至って、前世の自分を責めたくなる。
自分を守ってくれた義兄のことぐらい、しっかり覚えておきなさいよ、と。
今更な話で、どうしようもないと理解している。
理解はしても納得が出来ないというのが悩みどころで、何度もプレイしているのだから、どうにかその辺りの記憶をサルベージしたい。
知っているはず、なのに覚えていないというのが悔しい。
喉元に小骨が引っかかるようなかんじがする。
もどかしさに苛まれ、ころころとベッドの上を転がる。
「危ないぞ、ミル」
アインスに注意をされたが、起き上がる気にならない。
ころころとアインスを避けるように転がっていき、今度はアインスに近寄るように転がる。
ころころ、ころころ。
すっかり集中が切れている私を、無理に座らせることはしないアインスが溜息を漏らす。
お疲れなのだろう、毎日大変そうだ。
ころころ、ころころ。
転がる距離を伸ばしていると、アインスが「あ」と呟いた。
それと同時にずるりとベッドの端から身体が滑っていく。
落ちる。
反射で身を固くし、目を瞑る。
痛みを覚悟したが、ツン、と服が引っ張られる感覚と腕を掴む強い力にきょとんと瞬く。
はて、と首を傾ぎそうになっていると、ずるずるとシーツの上に引き上げられ、二人の兄達と目が合う。
そして、兄達は互いに顔を見合わせる。
「っツヴァイ」
「ミル」
アインスの言葉を無視したのか、聞こえていないのか。
ツヴァイは私の服を掴んでいた手で、私の手を握り直した。
「ミル」
「おにいちゃん?」
思わず、瞳を覗き込む。
少しだけ光の戻った瞳は、私をしっかりと映していた。
「ミル」
繋いだ手は、骨が浮いているし、力がとても弱い。
それでも、ツヴァイの意志が感じられた。
「あぶないよ」
久しぶりに聞くツヴァイの言葉に、頷く。
うん、もうしないと答えた私に、ツヴァイは目を細めた。
見ようによっては笑っているようにも見えるが、彼のとろけるような笑顔を知っている私には、それがただ目を細めているだけにしか見えない。
が、アインスにとっては違ったらしい。
ばっと立ち上がったかと思うと、猛然とした勢いでベッドルームから立ち去ってしまう。
きっと、思う所があるのだろう。
心配なので追いかけたいところだが、ツヴァイはしっかり私の手を握っている。
それを振り払うことが出来ず、困りながらツヴァイの顔を見つめた。
以前の通りにはいかないが、ツヴァイと少しずつ意志疎通が出来るようになってきた。
今日もつんつんと頬を突いてくるツヴァイの指を握り、彼の膝に頭を乗せる。
最近では側を離れると、ちょこちょこと後ろを付いて来るのが不謹慎かもしれないが可愛らしい。
私が食事をしていれば一緒に食事をしようとするし。
私が絵本を開くと、読み上げたりはしないけれど、一緒に眺めている。
ちゃんと食事をし出したので、げっそりとこけていた頬は子供らしい丸みを取り戻した。
歩くようになったので、少し力も戻ってきたはずだ。
目に見えた変化に一番驚いたのは家政婦さんだろう。
前日まで人形のようだった子供が、急に動き回りだしたのだから。
それでも、私を呼ぶ以外殆ど声を出さないのは変わらない。
自主的にすることも限られているので、完全に回復はしていないが、一歩前進したのは大きい。
この調子でちょっとずつ色んなものを取り戻して欲しい。
そう願いながら、硝子玉じみたツヴァイの瞳を見つめる。
私の手を逃れて頬を突く指は、綺麗に爪が切り揃えられているし、力も加減されていて痛くはない。
なので、したいようにさせていると、今度は頬を抓まれる。
これも痛くないので、好きにさせる。
むにむにと弄られるのは勘弁して欲しいのだけれど、ツヴァイが自主的に何かをすることは少ない。
やりたいことはやらせてあげた方が良いだろう。
何が楽しいのか知らないが、飽きないのだろうか。
弄られている間は身動きが取れないので、私は退屈だ。
ぱたぱたと足を動かすと、ツヴァイの瞳が揺れる。
「ミル」
「うん」
どうしたいのか分からないので、一先ず返事をする。
「ミル」
「なあに」
分からないので、尋ねてみる。
「ミル」
「どうしたの、おにいちゃん」
もう一度尋ねると、満足したのか頬から手が離れる。
よし、リビングに行こうと身体を起こそうとしたら、今度は頭を撫で始めたので、やる気が空回った。
「ねないと、おおきくならない」
母がいつも言っていたことだ。
母を真似た動きで撫でる手つきに、ああ寝かしつけようとしているのかと思いつく。
「ミル」
「うん」
「おやすみ」
眠くはないし、真昼間なのだけど。
ツヴァイが満足するのなら、と瞼を閉じる。
すると、すぐに布を引き摺る音がして、身体に何かが被せられる。
重み的に毛布だろうか?
予想が当たっているか確認する為、微かに瞼を開くと掛けられた毛布の中に、ツヴァイも潜り込んでいた。
いつかのように二人でお昼寝をする。
いつかと同じなのに、あの時とは違う。
いつも私達に毛布を掛けてくれた母の姿。
お腹を冷やさないようにと耳にタコが出来そうなほど言って聞かせていた祖父の声。
まだ鮮明に思い出せて、物悲しい気持ちで胸がいっぱいになる。
そっとツヴァイの方に身を寄せれば、細い腕が抱き締めてくれた。
「おやすみ、おにいちゃん」
「おやすみ、ミル」
変わらないのは、二人の距離だけだった。
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