第2話

瞬きをする。息を吸う。生きている。


のっそりと半身を起こし、しょぼしょぼとする眼を擦り、辺りを観察する。

無機質な広い一室、リビングだろうか?

ソファが一つ、テーブルが一つ。

目立つ家具はその程度で、剥き出しの床や壁は石材のようにつるりとしているが、固い。

祖父や母と暮らした部屋が三つは入りそうな広さだが、随分と寂しい雰囲気である。


そう、祖父と母。

二人の遺体の扱いも気になるが、まずは生きている自分と兄の置かれた状況を整理しなければ。

すぐ側で毛布に簀巻き状態にされている兄の口元に掌を翳し、一応生存を確認する。

温かい吐息にほっとしながら、苦労して身体をきっちり包んでいた毛布から抜け出した。


毛布に包まれていたとはいえ、固い床に寝かされていたようで身体が痛い。

せめて、ソファに寝かせておいてくれれば、多少は違ったのだが。


眠りに落ちる前のアインスの様子を思い出して、首を横に振る。

曖昧な記憶ではあるが、彼は決して自らの意志で祖父と母を殺したわけではなかったはずだ。

自信はないが、そもそも殺すつもりもなかったが、結果としてそうなってしまった。

その罪悪感に駆られているという描写は、ゲーム進行中にも見掛けた。


つまり、彼はこれから先ずっと負い目を抱いて生きていく。

今は特に不安定な時期だろうし、小さな子供の扱いも心得ていないに違いない。


とはいえ、このままの扱いでは非常に困る。

早急にベッド。この際、布団だけでも良いので用意してもらえるようにしたい。

身体に負担がかかればストレスになり、ストレスが溜まれば精神が弱る。

精神が弱れば、それがまた身体に影響していくので、良くない。

しかも、私も兄も幼いのだ。

成長過程で良い睡眠が取れないのは、今後に差し障る。


さて、どうしようか。

今後の方針はまず寝床の改善。状況把握。

現状出来ることは、せいぜい前世の記憶を掻き集める程度だが、一先ずアインスと兄・ツヴァイについて思い出してみよう。


アインスとツヴァイは腹違いの兄弟である。

この事実は今の時点ではどうか分からないが、アインスとゲーム開始後、ルートによっては主人公が知ることになる。


アインス、ツヴァイ、主人公は今後表向きは兄妹として暮らす。

情報操作はアインスによって行われ、物心もつかないような幼子である主人公はアインスとツヴァイを実の兄と疑わずに育つのだが、主人公のみが彼等と血の繋がりを持たない義妹という関係。

「兄と妹」「だが、実は血が繋がっていなかった」という、乙女ゲームでそれなりに見掛けるやつだ。


つまり、アインスとツヴァイは攻略対象。

に見せかけて、攻略対象ではないというプレイヤー泣かせのキャラクターだ。


光が当たると黒にも紫にも見える髪、宝石のような瑠璃色の瞳を持つ優しげな面立ちのツヴァイ。

遠目で見ても目立つ白銀の髪、晴れ渡る青空のような色の瞳を持つ精悍な容姿のアインス。


見た目と設定からして攻略対象であると思い込み、彼らのルートを探したプレイヤーは数知れず。

かくいう私も、何度も挑戦して挫折し、慣れてはいないネットで攻略サイトを探してみたり、攻略本を購入した結果、彼らが攻略出来ないと知って愕然とした。


嘘でしょう、と嘆いたファンは多かったはずだ。

続編が出るなら、彼等を攻略対象にして欲しいという声もゲーム雑誌のコーナーに多く寄せられていた。

それなりに売れているタイトルだったはずなので、数年もすれば続編が出たかもしれないが、この際それはそれ。


問題はここからだ。


今後、私は義兄二人と共に暮らす。

この間に、私達が暮らす国の資源は枯渇していき、隣国へ攻め入る準備が水面下で行われているはず。

そして、ゲームのストーリーが始まる頃。

主人公。つまりは私が十六歳になる年に、隣国との戦争が勃発する。

戦争に介入する、隣国へ逃げ込むなど、ルートによって様々ではあるが、主人公は大なり小なりこの戦争に巻き込まれる。


そして、そのルート次第で義兄は死ぬ。

細かく覚えてはいないが、殆どのルートでアインスは私かツヴァイを庇う形で死に、ツヴァイもまたルートによっては攻略対象やアインス、私の為に犠牲になる。

ものによっては二人共死んでしまうし、最悪なルート。

バッドエンドになると主人公含め、三人共死ぬ。


それに反して、義兄達の生存ルートは少ない。

戦争の悲惨さを出す為なのか、家族の死は切り離せない物語なのだ。

義兄の死を乗り越え、攻略対象に支えられて主人公が生きていくルートが全体の9割程度。

残る一割しか、義兄二人が揃って生存出来るルートがない。

はっきり言えば、幸せに暮らせる生存ルートは大団円ルートだけ、だったはず。


今生は本当に家族との縁がないのではないか。

大団円ルートはぼんやりとしか覚えていないが、辿り着くのに相当な労力を要した。

一つ選択肢を間違えるだけで、攻略ルートに逸れるか。

最悪、バッドエンド直行なのだ。


ゲームであれば、何度でもやり直せば良い。

でも、私は生きている。

前世ではゲームだったこの世界は、今生においては現実。

人生は一度きりで、やり直しが利かない。


では、私はどうするか。

血の繋がりはない。アインスに至っては母と祖父を、兄と私から奪った。


二度目の人生、まだ歩き出したばかり。

きちんと覚えていれば、間違えずに進めたかもしれない。

だが、私の記憶は穴だらけ。

きっと、苦労をたくさんしなければいけないだろう。


しかし、それが人生だ。

苦労が全くない人生の方が珍しい。

苦労を乗り越え、幸せを掴む。

前世の記憶や経験がある分、私は随分と恵まれている方だろう。


そう思えば、家族の縁については設定というのもあるけれど、恵まれている分のハンデなのかもしれない。

今からなら、いくらでも思い出す時間も努力する時間もある。成長だって出来る。


深く考えなくても、私は前世もそうだったが、今も家族が好きだ。

まだちゃんと家族になれていないアインスだって、きっと家族として大事に想うようになると確信している。


私には孫が居た。

ちょうど、今のアインスと同じ年頃だろうか。

おばあちゃん、おばあちゃんと慕ってくれたあの子を思い出して、少しの寂しさと愛しさが胸を締める。

あの子は元気にしているだろうか。

出来ることなら、あの子が結婚するまで見守っていたかった。


その代わりにしたいわけではないが、私は見守りたい。

私の孫くらいの兄達が幸せに暮らすのを、見守ってあげたい。


だから、頑張ろう。


私は彼等より幼いが、彼等よりも人生経験は数倍ある。

上手くやれるかは分からないし、完璧に出来るとも思わない。

だって、おばあちゃんだったし、今は幼子。


無理のないように、悔いを残さないように。

今生も懸命に生きようと、小さな掌を握り締めた。










忘れていることはたくさんあるが、瞳を濁らせている兄・ツヴァイを前にして、私は困っていた。

テキストとして読んだだけだが、主人公より数歳年上のツヴァイは物心つく年頃。

幼い彼は母と祖父が殺された事実を受け入れきれず、心を壊しかけていた。



「おにいちゃん」



声を掛けても、何の反応もない。

抜け殻のような幼子である兄の姿は、痛ましくて仕方ない。

まだまだ親に甘えたい盛りだというのに、現実は厳しかった。


頼れる相手が誰もいないツヴァイは一日の大半を、最近与えられたばかりのベッドの上で過ごす。

少年ながら働いているアインスの手配で家政婦さんが来てくれて、お世話をしてはもらえるのだが、メンタルケアは業務対象外だ。

家事を済ませていく家政婦さんをこっそり覗いていると、気付いて笑顔を向けてくれる。



「ミルちゃん、どうしたの? お腹が空いた?」



別にそこまでではないが、こっくりと頷く。

そうするとにこにことお菓子とジュースを出してくれたので、今度は兄の居る部屋を振り返り



「おにいちゃんの」



食事を小鳥の餌程も食べない兄だが、少しでも食べる機会。

食べようと思える物を用意しないと、余計に食べなくなってしまう。

そう思って、兄の分も用意して欲しいとねだる私に、家政婦さんは眉尻を下げた。



「ツヴァイくんはベッドで寝ているからね。ベッドでお菓子を零したらいけないから、こっちに来た時に一緒に食べましょう?」



兄が来ないと知っていて、そう言う。

このやりとりも一体何度目になるか。

家政婦さんは私には分からないと思っているのかもしれないが、兄を厄介に思っているのだろう。

決して、兄と目を合わせようとしないし、必要がなければ近寄りもしない。


下手に何か行動して問題になることを恐れているのかもしれない。

この人にも家族が居るのだから、仕方がないことだ。

納得して、いつものようにソファによじ登った私の膝に、お菓子とジュースが載ったトレイが置かれる。



「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ。ミルちゃんは良い子ね」



褒めてくれるのは嬉しいけれど、複雑な心境だ。

中身が中身なので、同世代の子供より手は掛からないのと兄への対応が後ろめたいのもあってか、私は随分可愛がられている。

それがまた心苦しい。


食べ零さないように気を付けて、用意された焼き菓子を食べ、ジュースを口にする。

食べ終わると、家政婦さんがトレイごと食器を持って行ってくれるので、私は一人で手を洗う。

まだまだ小さいので一人、とは言っても洗面台の近くまで歩いて行って、家政婦さんにだっこしてもらうか。

そうでなければ、踏み台を置いてもらわないといけない。

こんなことまで他人様の手を借りなければいけないのは情けない気もするが、どうしたって身長が足りていない。


早く大きくなりたいものだと、液体石鹸を泡立てながら願う。

小さすぎて、色んな場面で人の手を借りる必要がある私はトイレに行くのも一苦労だ。

つい先頃まで、おむつをしていたので一から十まで下のお世話をしてもらっていたことを考えればましだとしても、腕の長さが足りなくてお尻を拭いてもらわないといけないのは早めにどうにかしたい。

お風呂も一人では入れないので、家政婦さんにはお世話になりっぱなしだ。


その点で言えば、兄は私より手がかからない。

殆ど動かないが、排泄と風呂は定時になると一人で済ませる。

なので、家政婦さんは私をお風呂に入れてから、布団に入るまでを見守ってから帰宅する。


今日もいつも通り、家政婦さんに手を引かれて、兄の居るベッドに入る。

私も兄も身体が小さく、私が兄の側に居たがるので同じベッドを使っているのだが、家政婦さんは私の頭だけを撫で、私にだけおやすみを言って部屋から出ていく。


後は眠るだけ。

なのだが、私はいつものように兄に寄り添う。



「おにいちゃん、おやすみなさい」



そう言うと、兄は瞼を閉じる。

兄が唯一反応してくれるのは、この時だけ。

幼子には重い掛け布団からどうにか抜け出し、兄の首元まで引っ張り上げる。

すっかり身体を覆うと、ぽんぽんと肩の辺りを緩く叩いた。

こんなことをしなくたって、兄はその内に眠ってくれるのだけれど、気持ちだけ。


それから、時間をかけて慎重にベッドから下り、部屋の照明を消す。

すぐに兄の居るベッドには戻らず、目一杯背伸びをしてベッドルームのドアを開け、リビングに向かった。












「何をしている」



肩を揺さぶられ、とろとろと瞼を開くとアインスの顔が近くにあった。



「何度言わせれば分かる。大人しくベッドで寝ていろ」

「おかえりなさい」

「・・・・・・・・・・・・ただいま」

「おにいちゃん、ごはん」

「食事がなんだ」

「たべた?」



この時のお兄ちゃん、はアインスのことだ。

アインスもそれを承知しているので、肩を落としながら首を横に振り、ついでに時計を確かめている。

時計の針を見る限り、深夜と言って差し支えない時間。

こんなに遅くまで少年を働かせるなど、前世であれば大問題なのだが、此処は前世で生きていたのとは全く異なる世界。

多分、それでも問題な気はするのだが、今の私にはどうしようもない。



「俺はいい。お前と・・・・・・ツヴァイは今日、食事をしたか?」



アインスにとって重要なのは、きっと後者だ。

私やツヴァイの様子は家政婦さんからある程度伝わっているらしい。

いつも帰りの遅い彼は、こうしてベッドを抜け出して接してくる私より全く顔を見る機会のないツヴァイを気に掛けている。

それもそうだ、元気と分かっている妹より元気でないと知っている弟が心配に決まっている。



「パン、たべてた」

「パンだけか」

「ぎゅうにゅう」

「・・・・・・それだけか」

「うん」



頷くと、雑に頭を撫でられる。

疲れたように息を吐き出すアインスを見上げれば、眉間に深い皺が刻まれていた。



「お前は、ちゃんと食べたか?」

「うん。パンとサラダとたまごと」



つらつらと今日のメニューを上げれば、少しだけアインスの眉間の皺が薄くなる。

美味しかったよ、と感想を述べれば、ほんの少しだけ口角が上がった。



「良かったな」

「うん」

「さあ、もう寝ろ」

「おにいちゃん」

「なんだ」

「ごはん」



リビングのテーブルの上。

食卓カバーに覆われた食事を指差すと、また頭を撫でられる。

今度は少し、さっきよりも優しい手付きだった。



「分かった」

「おいしいよ、ハンバーグ」

「そうか」

「うん」



ソファから下りようとするとアインスが手を貸してくれる。

そのまま部屋の前まで送られ、ドアを開けてもらって、もう一人の兄を見上げる。



「おにいちゃん、おやすみなさい」

「・・・・・・おやすみ」



ぽん、と最後に頭に置かれた手は、私に比べればうんと大きいが、それでもやっぱり少年の手だった。

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