最高の結末へ

やまたけのもっさん

第1話

今まで歩んで来た人生は幸福なものだったと思う。


生まれ育った家庭は円満で、多くはないが気の知れた友人が居て、学校の成績はそこそこ。

大きな怪我も病気もせず、苦労はしたけれど希望の職種に就職。

結婚も出来た。子供にも恵まれた。

叶えるのに努力が必要だったが、平凡で幸せな生活。


夫に先立たれ、子供の面倒になるのは気が引けて、一人暮らし。

広くなった家で過ごした日々も、寂しさがあっても穏やかだった。


そうして、気付くと人生は終わった。

終わった、はずだった。


閉じた瞼は、もう二度と開くはずがなかった。

なのに、私は瞬いた。

世界が滲んで見えた。

側には温かい何かが居ることだけが分かって、堪え切れずに泣いた。


その泣き声は嗄れた老婆の声ではなく、瑞々しい産声だった。










二度目の人生である、と認識した誕生の日から暫く。

赤子。それも新生児である私には出来ることが何もなかった。


私の置かれた状況を把握しようにも、目が見えない。


正確に言えば、見えてはいるのだけれどぼんやりとしていて、白黒。

明暗くらいは分かるが、新生児は焦点を定める為の目の周りの筋肉が未発達。

焦点が絞れないのではっきりと物が見えないし、色も見分けられない。

注視を続けていれば、三ヶ月程度で物の輪郭や形が分かってくるはずなので、頑張るしかない。


聞くことに関しては、小さな音から大きな音までよく聞こえている。

聞こえているけれど、聞こえ方に違和感がある。

音の聞き分けが出来るようになるのは五ヶ月程度必要になると言うけれど、私はもう少し早く何とか出来ないものだろうか。


何も出来ないけれど、お世話はしてもらえている。


お腹が空けば、授乳。排泄をすれば、清潔にしてもらえる。

沐浴もちょくちょく行われているようだし、定期的にころころ転がされている。

なかなかまめな保護者が居るのだと思うのだけれど、誰も私に話し掛けて来ない。


私は子供が赤ん坊の頃はしょっちゅう話し掛けたものなのだけど。

粗雑に扱われていないのに、愛情が感じられない。

私が生まれてきたのは、どういうところなのだろう。


ぼんやりと考えては眠り、起きてはお世話をされて、また考えて。

繰り返し繰り返し、その内に目が見えてくるようになり、音を聞き分けられるようになり、私は成長していく。


そうして、何か月か経った頃にようやく私のお世話をしてくれる人の顔を見ることが叶った。



「だぁ」



声を出し、首から下をすっぽり覆うタオルケットから手を出す。

短い腕、小さな手を目一杯伸ばしていると、その人は慎重な手付きで私に触れた。



「良い子だから、もう少し眠っていて」



とても困ったような響きに、育児疲れかしらと心配になる。

なるべく煩わせないように気を遣っているつもりだが、出来ることの方が圧倒的に少ない新生児である。

仕方がないとはいえ、やはりどうしても苦労を掛けてしまう。


色の見分けがつくようになった目で、じっと見上げた先の顔は柔らかく微笑んでいた。

愛しい、と思ってくれているのだろうか。

中身がこれで申し訳ないと思いながら、声を出す。


意味のある単語は話せないが、その人はくすくすと笑って私の頭を撫でてくれた。



「ごめんね」



何故、謝るのだろうか。

微睡みながら疑問に思い、覚醒してその疑問を思い返す前に事は起きた。



「ごめんね」



何度も謝らないで欲しい。

バスケットの中から、その人を見上げる。


きっと、これが最後なのだろう。

その人は私の入ったバスケットを下ろした。



「頑張って」



何に対してかは分からないけれど、今の私に頑張れるだろうか。

不安が身体を支配して、生まれてからそう多くなかった大泣きをする。

響き渡る泣き声に、じりじりと後退る音。


これで、さよならなのか。

二度目の人生の、初めての家族にとって、私は邪魔だったのだろうか。

どれだけ泣いても、私のお母さんであろう人は私の元に帰って来てくれなかった。











あれから、幾何かの月日が流れた。


私は捨てられてから直ぐ、近くを通り掛かった老人に拾われた。

拾ったのは老人だが、育ててくれたのはその娘さん。

娘さんはシングルマザーらしく、まだ小さな男の子が居たのだが、分け隔てなく私を愛してくれた。


この人達が、後の祖父、母、兄である。

祖父は腰が曲がった禿頭の老人で、母は細身で儚げな色白美人。

兄は母によく似た面立ちの男の子で、よく私の頬を突いてくる。


こじんまりした一室で、家族4人の生活。

生まれてから捨てられるまで暮らした場所では感じなかったが、此処は狭い空間である。


祖父は前世の私が死んだ年と同じくらいに見えるが、働いているらしく一日の大半、外に出ている。

一方で、母と兄は殆ど家を出ない。

一日、家事をしたり兄や私の世話をしてくれる母と、体力を持て余しているのか。

家中をちょろちょろと動き回る兄。


たまには外で遊ばせた方が良いのでは、と兄が不憫に思える。

しかし、出生不明の赤子を連れて外に出られる程、治安が良くないのかもしれない。


何となく不安だが、兄は今日も私の頬を突く。

手加減をあまりしてくれないので、痛い。

突いてくる指をぎゅっと握ると、ぱっちりとした瑠璃色の瞳でじぃっと私を見つめて指をゆらゆらとさせる。



「ミル」



兄の口から飛び出た単語はミールでも見るでもなく、私の名前だ。

私が入っていたバスケットに入っていた物品の一部に、この名前に関係のある何かがあったそうだが、詳しくはまだ分からない。

ミル、ミルと飽きずに話し掛ける兄に、母が困った顔で笑う。



「ツヴァイはミルが大好きなのね」

「うん。ミルもぼくがすきだよ」



ね? と聞かれても、うんともすんとも言えない。

無難に「あー」と返すと、とろけるような笑顔を向けてくれる。



「ほら、すきっていったよ!」

「そうねぇ」



我が兄ながら、可愛い子供である。

将来が楽しみな兄ごしに母を見上げれば、私の手から兄の指を離し、緩くお腹を撫でられた。



「ほら、ツヴァイ。ミルはお昼寝の時間だから」

「まだねむくないってかおしてる」

「たくさん眠らないと、ミル、大きくならないわよ? 大きくならないと一緒におでかけも、遊んだりも出来ないわ」

「・・・・・・じゃあ、ぼくもおひるねする」



我が兄ながら、素直な良い子である。


母に見守られながら兄妹揃ってお昼寝をするような、穏やかな生活。

前世とはまた違うが幸せに包まれて、暮らす内に私は自力で寝返りを打てるようになり、這って移動出来るようになり・・・・・・出来ることが増えると家族は皆喜んでくれた。


よく出来た、凄いと褒められると単純に嬉しい。

もっと頑張ろうと毎日を過ごしていると、直に歯が生え、舌が回るようになった。

その頃は、一番に呼ばれるのは誰かと兄が毎日「おにいちゃん」と私に言って聞かせるのだが、幼子には難しい。


お茶を濁すように「まんま」と食事を要求すると、兄はママと呼んだと勘違いして拗ねたし、母は誇らしげで嬉しそうだったので、良かったのか悪かったのか。

拗ねた後は前にも増して「おにいちゃん」を繰り返されたので「にー」と呼んだら、とても喜ばれた。

天使のような可愛らしい笑顔を浮かべて、私の頭を撫でる兄に「じい」と自分を呼んだのでは、と主張する祖父は無視された。


狭い家である。

にー、と呼べば兄は飛んできてくれたし、よく私に構ってくれた。

擦り切れた本を捲って読み聞かせてくれるようになった段階で、私はいくらかの状況を把握した。


私が生まれて来たのは、どうやら日本ではないらしい。

見覚えのない文字の羅列に戸惑う私は、兄の指先を視線で懸命に追う。



「これがりんご、これがねこ・・・・・・」



ゆっくりと文字をなぞる指も、私よりは大きいと言っても子供なので長くはない。

一体、いくつなのかと今更気になったが、まだそれを聞ける程成長していない。


育てば育つほど、周りが見える。分かってくる。

うちは、きっと貧乏なのだ。


兄は本を何冊か持っているが、それだけ。

玩具の類は一切持っていないし、少なくとも私が知る範囲で室内から出たことがない。

買い物は何日かに一度、祖父か母が短い時間で済ませて戻って来る。それだけ。


嗜好品が殆どない一室に4人。

今は私も兄も小さいから良いかもしれないが、大きくなったらどうするのだろう。



「ミル、きいてる?」



声を掛けられて、思考を中断する。

ぱちぱちと瞬く長い睫毛、丸い頬のライン。

不思議そうな兄は窮屈に思っている風ではないので、良いのだろうか。


本に視線を落とすと、少し間を置いてから兄がまた読み聞かせを再開してくれる。

今から心配していても、出来ることはないのだと意識を切り替えて、幼い声に耳を傾ける。

繰り返し繰り返し、読み聞かせてもらう内に一通りの文字を覚え、私は立つことが出来るようになった。


食べ零しはあるが、スプーンを使って自分で食事も取れる。

上手上手と私を褒める母と祖父は、私が覚束ない足取りで掴まり立ちする姿を眺めては、何かしら話し合っていた。


あまり、良くない雰囲気だ。

肌で感じて、掴まっていた兄の服の裾を握る。



「どうしたの?」



気付いた兄に顔を覗き込まれ、意味もなく抱き付く。

人生を一度終えているとはいえ、今は幼子である。多少、甘えても良いと思いたい。



「おにいちゃん」



上手にそう呼べるようになってから、そう時間は経っていない。

大人と子供では体感時間が違うというけれど、一日が終わるのが早い。

私はまだ成長する。昨日より今日、今日より明日の方が出来ることが増える。

少しずつ変わっていく、でもきっと、まだ何かを自分で変えられるほどではない。


縋りつく私に、兄はだいじょうぶだよといつもの愛らしい笑みをくれた。

私も笑い返せた、と思う。


ずっと笑っていたかった。

前世のように平凡でも良いから、家族みんなで笑って暮らしたい。

それ以上は望んでいなかった。











今生の私は家族に恵まれていないのだろうか。


雨の中、ぎゅっと私の手を握る兄の手が震えている。

寒くて震えているわけでは、決してない。


足下に横たわる母と、母を庇うように覆い被さっている祖父。

二人から命が、たくさんの血が流れていく。



「子供が、居たのか」



そう言ったその人物も、大人には程遠い若さで。

祖父と母を切り裂いた武器を手に提げた少年が、生きている私と兄。死んでしまった祖父と母を交互に見遣る。



「来い。人に見られるとまずい」



当然のように手を差し伸べられ、兄が激しく首を横に振る。

私の手を引きながら母と祖父の遺体に向かって行こうするのを、少年は止めた。

武器の切っ先が兄の首元に突き付けられ、兄は泣いているのか憤っているのか。

きつく握られた手が痛い。

それよりも、胸が痛くて苦しい。



「まま、じぃじ」



呼び掛けても、もう応えてくれない。

何でこうなったのだろう。


私が歩けるようになったから、皆でおでかけをしようと。

ほんの少し、近くの店で買い物をするだけの予定だった。

大きくなってきた私と兄の服、当座の食糧と消耗品。

初めての外出で、どうして。


上手く言葉が出てこない私に、視線が刺さる。

それを辿ると曇天の下、より鮮やかに映える空色と出会う。


突き付けられた武器が、やや下げられると兄が弾かれたように駆け出し、私は引き摺られないようについて行こうとする。

だが、兄は幼く、私はそれより更に幼く。

外に出ることが無かった私達はどちらも足が遅く、手を繋いでいたので余計にもたついた。


どん、と音がした。

繋いでいた手が離れて、兄の身体が傾ぐ。



「おにいちゃん」



呼んだら、いつだって兄は応えてくれたのに。

地面に伏して動かない兄を前に、足が竦む。

雨が冷たく、濡れた服も顔に張りつく髪も気持ちが悪く、涙が零れたが落ちていく雫は涙か雨か判断が付かない。



「お前の兄は死んでいない。殺されたくなければ、大人しくついて来い」



幼子にそんなことを言ったって、普通は分からない。

でも、私は分かってしまって、疑いながら少年を見上げる。

私の返事も待たずに此方に背を向け、携帯に似た機械を取り出すと小声で何事かを話し出す。


その間に兄に近寄り、そっと口の前に掌を翳す。

吐息が触れて、僅かにほっとする。

家族、それも保護者は死んでしまった。いや、殺された。

唯一残った兄は私を守る力どころか、自分を守る力も持っていない。

安心は出来ないが、少年に従わないと二度目の生が早々に終わってしまう。

なにより、目の前で幼い子供が死ぬのは見たくない。


話が済んだのか。

荷物のように兄を肩に担ぎ出した少年は、ちらっと此方に視線を寄越し



「・・・・・・おいで」



武器を仕舞って、空いた片手を私に差し向ける。

素直にその手に自分の手を重ねようとした瞬間、ふと既視感が私を襲った。


見覚えがないか。

疑問が浮かんだと同時に、一気に前世の記憶が逆再生で蘇る。

そうだ、これは覚えがある。


一人で時間を持て余していた時、私はゲームをやり込んでいた。

それも、乙女ゲームなるものを。


おばあさんにもなって、と少し恥ずかしい気持ちがあったが、ゲームの中で甘い夢に浸る間は孤独を感じずに済んだ。

その分、現実に目を向けると空しかったものだが、今はそんなことはどうでもいい。


私が生まれたこの世界は、ゲームの世界。

正直色々なタイトルに手を出していたので、このゲームのタイトルは曖昧だが、大体の設定は覚えている。


此処は技術が発展した国、名前は覚えていない。

隣接する国は魔法で栄えていて、自然が豊か。

こちらは技術があっても資源が無く、衰退し始めていて隣国の資源を狙い、戦争を仕掛ける。


その争いに巻き込まれるのが、このゲームの主人公。

立ち位置的に、恐らく私なのだろう。

主人公名のデフォルトがなく、未入力だとランダムで設定されるので気付かなかった。


主人公は赤ん坊の頃に親に捨てられ、心優しい老人とその娘に育てられる。

しかし、まだ物心もつかない頃に二人は殺される、理由は忘れてしまった。

そして、何らかの事情で二人を殺害したこの少年はアインス。

私の兄のツヴァイとは腹違いの兄弟になるのだが、細かい事情はやはり忘却の彼方。


この二人が異母兄弟なのは置いておくとして、とにかくアインスは祖父と母の元に幼い兄妹が居るという事実を知らなかった。

目撃者であるがあまりに幼い二人を、アインスは連れ帰ることになる。


確か、回想エピソードのスチルの一枚でこの場面。

雨の降りしきる中、アインスが主人公に手を差し伸べるというものがあった。


穴だらけではあるものの引っ張り出した記憶から、既視感の正体に納得していると焦れたようにアインスが私の手を掴む。



「あ」

「なんだ」

「まま、じいじ」

「・・・・・・行くぞ」



強引に手を引かれながら、母と祖父を振り返る。

どうして、あの二人が殺されなければいけなかったのか。


理由はあったはずだ。

あったと思うのだけれど、晩年の私はそこまで記憶容量が多くなかった。

物忘れも多かったので、こうして思い出せただけ上出来なのだが、それでも悲しい。

ゲームの世界だろうと、私は生きているし、母も祖父も生きていた。家族だった。

家族を失うのは悲しいことだ。


名残惜しむことも許されず、また泣きそうになった。

その気配を感じ取ったのか、アインスは一瞥をくれることもなく



「泣くな」



幼子相手にどれだけの無茶を言うのか。

それでも、やはり人生二回目。

殺人現場で犯人が悠長にしているわけにもいかないという事情と、兄がその犯人であり異母兄であるアインスに担がれているという事実を飲み込んで、黙ってついて行く。


母も祖父も見えなくなり、手を引かれるままに歩いて行くと広い通りに出た。

開けたそこには車に似通った乗り物が停まっていて、アインスが近寄ると扉が開く。

押し込められるようにその中に私が入った後、続いて兄がシートに投げ出され、アインスが乗り込みながら扉を閉める。

途端、乗り物が動き出し、アインスは腰を落ち着けると



「名前は」



短く尋ねられ、僅かに考える。

どちらの名前を聞いているのだろうか。

このやりとりはゲームではなかったように思うのだが、自信はない。

恐る恐る、ミル、と名乗れば、そうかと返事があった。


話が終わった。


いくら幼子相手とはいえ、名乗らせて名乗り返さないのは、どうなんだろうか。

一体、親御さんは何を教えてきたのかとゲームでの記憶を辿る為に瞼を閉じる。

すると、急激に眠くなってきて、非常に困った。


こんな状況で、悠長に寝てしまって大丈夫だったか。

必死に記憶を辿ろうとするが、子供が睡魔に勝てるはずもない。

すぐに意識が朦朧とし、せめてとシートに投げ出されたままの兄に寄り添う。


諦めて意識を手放す直前



「すまなかった」



絞り出すような謝罪が聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る