第4話 ただいまと居場所
長らく「ただいま」と言っていなかったので少し気恥ずかしいと思いつつも、「ただいま」というあいさつで我が家に帰ってきたのだと実感してどこかほっとしていた。
誠が靴を脱いでいると、パタパタとスリッパの音を鳴らしながら女性が近づいてきた。大人の女性とは言い難い童顔で背の低いその女性は、ピンクのエプロンを着けていた。
「おかーえり!」
にこりと笑うその女性は愛らしく、誠は凝視せざるを得なかった。
誠はもう一度「ただいま」と言って、用意してあったスリッパを履いた。
「鈴奈さん、何か、子供っぽさが増してきましたね」
「え!?」
どうゆうこと!? と声を出すが、スルーされてしまう。だからといって怒るとかいじけるとかはない。ぷくぅ、と頬を膨らませるだけだ。
鈴奈は、家を出てから誠の家に住んでいる。
誠は別に善意でそうしたわけではない──幼馴染みがいなくなり、寂しくなったからだと。そう彼は言う。まあ、それだけが理由ではないだろう。
家事は鈴奈がほとんどする。そうすると、何故か誠は落ち着きがなくなった。やることがなくなったからだ。一人で家事をやっていた誠は、手持ち無沙汰になり、自由な時間が増えた。自由な時間ほど暇な時間などない。
学校に行けば暇は免れるけれど、家にいるときはテレビを見たりゲームをしたりする。とはいえ、暇な時間が少し減るだけで、家事をやりたそうな目をしている。
──だがまあ、それでいいのかもしれない。
誠はそう思う。暇な時間ができたということは、余裕ができたということ。それを喜ばずしてどうする。
そんなことを思いながら、ひょこひょこと歩く鈴奈の後ろを歩く。
制服からラフな格好に着替えると、リビングでテレビを見る。その間、鈴奈は料理を作っている。
「・・・・・・なあ、鈴奈さん。向こうには戻らないんですか」
鈴奈がこの家に住み着いてはや1ヶ月。手紙を置いてきたとはいえ、夫は心配するだろう。・・・・・・多分。そう誠は思ったけれど、鈴奈は違うようだ。
「だいじょーぶだと思うよー」
他人事のようである。
「ほんとですか? 誘拐犯にされちゃあ、たまったもんじゃないですが」
「誘拐犯が誘拐してきた人を監禁しないでおくかな」
「それもそうですね・・・・・・」
「・・・・・・追い出そうとしてるような気がするのは、気のせいかな」
気のせい気のせい。誠はそう言うけれど、嘘である。事情は聞いているからそう強くは言えないけれど、不倫かどうかは確定したわけではないし──ほぼそうなのではないかと思うけれど──不倫というか、他にも好きな人ができた、みたいなことなのかもしれない。いろいろな可能性がある、ということを誠は言いたいのだ。
まあ、鈴奈自身がもうそれでいいというのであれば、誠には関係がないし構わないのだけれど。
「鈴奈さん、離婚したいんですか?」
「さあ、わからない」
「わからないなら尚更、一度帰ってみてはどうですか」
「む、しつこい」
「じゃあ、今日の晩御飯は何ですか」
「どんな話の転換なの・・・・・・今日は、唐揚げです」
「お、唐揚げ。うれしいですね。鉱物です」
「鉱物?」
「失礼、好物です」
「そこ間違わない」
「間違えますよ、タイピングミスならば」
「今は言葉だよ」
そんな他愛もない会話が鈴奈をこの家に留まらせてしまうのだろう。仕事や不倫で家にいなかった夫より、こうして話せる誠のほうが彼女にとって大切なものになっているのだ。
鈴奈はそうは思ってはいない。ただ、何となく居続けていると思っているのだ。
「はーい、できましたよー」
彼女にとってここは、憩いの場所と言ってもいいのかもしれない。
さよならからはじまる物語 羽九入 燈 @katuragawa
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