第29話:バルドとローベンの思惑
「獣人族と一緒に儀式を行うだと?馬鹿げたことを!」
テツヤが帰った後もバルドの苛立ちは収まらなかった。
今のままでは駄目だということくらいバルドにもわかっている。
しかしこちらから折れることはエルフとしての矜持が許さなかった。
「しかし埒が明かぬのも確かだ」
バルドは一人歯噛みをした。
このまま水源問題を解決できないでいるとせっかく手に入れた族長の座が危うくなってしまう。
「やむを得んか」
バルドは立ち上がると部屋の片隅にある通信用水晶球に手を伸ばした。
詠唱を始めると水晶球が光を放ち、やがてそれが収束して映像を結んだ。
それは一人のエルフだった。
「どうしたのだ、バルド殿。こんな夜更けに」
「夜分に申し訳ありませんドミウム殿。どうしても相談したき懸念がございまして」
バルドはさっきとは打って変わってへりくだった態度で相手に話しかけた。
それも当然だ。相手は一帯のエルフを統べる森エルフ族の総代なのだ。
「その様子だと獣人族との件だな?」
ドミウムの言葉にバルドが頷いた。
「まことに情けないことにどうにもあの獣どもには手を焼いておりまして。このままでは我が氏族は早晩干上がってしまう懸念が出ているのです。我々も手をこまねくつもりはないのですが、きゃつらは卑怯にも用心棒を雇っておりまして」
「ふむ、それは由々しき事態だな」
ドミウムが顎をつまんだ。
「同じ森エルフ族として其方たちの苦境は見過ごしてはおけぬ。急ぎ援軍をそちらへ向かわせることにしよう」
「ありがとうございます!ドミウム殿の応援があれば千人力、いや万人力でございます」
「なに、困った時はお互い様だ。バルド殿は安心して構えているがよい。それでは後程また連絡しよう」
通信が切れた水晶球にバルドの不敵な笑みが映っていた。
これでいい。おそらくドミウムの援軍は数千名を下らないはず。
これならばあの小癪な獣人族など一捻りだ。
ドミウムに借りを作るのは心が進まなかったが今は仕方がない。目の前の問題を片付けるのが先だ。
「テツヤなどというヒト族になど頼らず最初からこうすればよかったのだ」
せっかくだからドミウムが軍を送るこんでくるまでせいぜい獣人どもを邪魔してやることにしよう。
バルドは一人部屋で高笑いをした。
その足下、屋敷の床下でモグラ族が聞き耳を立てていることにも気づかずに。
◆
一方パンシーラ氏族ではローベンが怒りに足を踏み鳴らしながら歩き回っていた。
「親父の奴、こんな時期に水乞いをしろだと?何を考えているんだ!」
テツヤとかいうヒト族と共に帰ってくるなり蛇頭窟で水乞いの儀式を行うと宣言をしてきたのだ。
「今までに何度やってきたと思ってるんだ!全く効果がなかったじゃねえか!」
しかし今回のリオイはいつもと違っていた。
どうもあのヒト族がリオイに何かを吹き込んだらしく、本当に
「親父の奴、いよいよ耄碌してきやがったのか?」
しかしパンシーラ氏族の有力者たちは今でもリオイの意見に従っている。
おそらく今回も頭領であるローベンが駄目だと言っても儀式を執り行ってしまうだろう。
それがローベンには癪だった。
「クソ!頭領は俺なんだぞ!」
「よお、ずいぶんとご機嫌斜めじゃねえか」
扉が開く音がしたかと思うと声が聞こえてきた。
「スマトーかよ」
振り返ったローベンは露骨に嫌な顔をした。
それは虎人族ティゴリス氏族の頭領、スマトーだった。
スマトーとは同じ獣人族であり隣り合う氏族の頭領ということで何かと顔を合わせることが多かったが、正直ローベンはこのスマトーという男が嫌いだった。
草原獣人族をまとめていることを鼻にかけてローベンにも何かと上から見下ろす態度をとってくるからだ。
「相変わらずエルフに奴らに手を焼いてるみてえだな」
「ほっとけ。こっちの問題だ」
「なんだよ、冷てえな。お隣ってことでこれでも心配してやってるんだぜ」
「だからその心配が余計って…」
「大変です!」
その時、隠密を任せていた鼠人族の部下が飛び込んできた。
「エルフ族の奴ら、援軍を呼ぶつもりらしいですぜ!」
「なにぃっ!?」
ローベンはその報告に牙を剥いた。
「バルドの屋敷で偵察してたモーラがはっきり聞いたそうっす!あいつら上にいる森エルフが援軍をよこすつもりだとか!」
「クソ!あいつら本気でやりあうつもりかよ!」
ローベンが力任せに拳を叩きつけた机がバラバラに弾け飛んだ。
「頭領、どうしやすか?援軍なんか呼ばれちまったら俺らやばいですぜっ」
「うるせえ!それを考えてる所だ!ちっとは黙ってろ!」
クソ、どうする?ローベンは歯ぎしりをした。
リオイが助けに呼んだグランは確かに腕が立つが、それでもエルフ族の援軍相手にどこまでやれるか。
それに父親の力を借りるのはどうにも癪だった。
「おいおい、ローベンよ。一人で悩むなんて水臭いじゃねえか」
スマトーが馴れ馴れしく肩に手を置いてきた。
「奴らが援軍を呼ぶってんならお前さんも呼んだらいいじゃねえか。ちょうどここにお前さんを手助けしてやりてえ心優しい男がいるんだぜ?」
チッとローベンは心の中で舌打ちした。
こいつの魂胆はわかっている、貸しを作ってパンシーラ氏族を自分たちの手勢にする気なのだ。
そうすれば獣人族の中での地位がより安泰になる。ようするに自分たちはスマトーにとっての踏み台でしかない。
それでも今は選択する余地がないのも事実だった。
「毛皮じゃたてがみの代わりにはなれねえ、か…」
ローベンはため息をつくと右手を差し出した。
「スマトー、すまねえけど助けてくれねえか?」
スマトーが口を薄く開けた。
「もちろんだともよ。でも頼む時にはそれなりの作法ってもんがあるよな?」
ギリ…とローベンは歯を噛み締めた。
「スマトー…さん、よろしくお願いします」
「そう来なくちゃな。これでもう安心だぜ。エルフどもなんざ何人こようが蹴散らしてやるよ」
スマトーはにやりと笑うとローベンの手を握り返した。
ローベンはと言うと、まるで悪魔と取引をしたような気分だった。
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