メリーさんとダイエット
「ねえ、貴方ちょっと太ったんじゃないかしら?」
きっかけはこの一言だった。
誰かが呼んだわけでもないのに自然と集まるいつもの週末。アンジェの言葉に一同の目が俺に向けられる。
「そ、そうかな?」
そういやズボンがキツく感じるようになったこと気もするし、会社に行くと横尾さんだけじゃなく、川本や課長にも「なんか太った?」と言われることがあった。さすがにそんなわけないだろと笑って誤魔化していたが、こうやって現実を目の当たりにすると、その事実を受け入れる以外選択肢はなかった。
「どうりでアンタ最近ふっくらしてきたと思ってたのよ」
「揉み応えがありそうです。ちょっとだけつまんでみてもよろしいでしょうか? いえ、悪いようにはしませんので」
と、なにやら物騒な意見もあったが、いずれも俺の自業自得なので返す言葉もない。
「でも俺はお前がウチに入ってきたときより健康的になって良かったと思うぞ」
柴田がアンジェの淹れた紅茶を片手に言う。そう今回は珍しく柴田が参加していた。柴田とアンジェが一緒に暮らしているということが発覚してからというもの、この謎の集まりに課長だけでなく柴田まで加わるようになった。柴田曰く「うちのノラネコが毎週末どこに行ってるのかこれでやっとわかった」とのことだ。もちろん言った後で「誰がノラネコよ!」と、脛に世界を狙えそうなをローキック食らっていた。
「でも健康的になったとはいえ痩せた方がいいのは事実よね」
振り返っているのも束の間、アンジェが俺の腹に視線を向けながら言う。彼女の言葉に合わせるように再びみんなの視線が集まった。俺の腹に向けて。
「……そんなにヤバい?」
俺が尋ねると、「うん、ヤバい」と異口同音で返ってきた。
「でもでも木内さんが前より健康になったならいいことじゃないですか! ね? 木内さん」
四面楚歌になっていた俺に唯一味方してくれたのはメリーさんだけだった。いつも俺の味方をしてくれるのはメリーさんくらいなものだ。
「でも急にこうなったのって何が原因なのかしら? 前までは健康体ではあったけどスリムだったじゃない」
「確かに。なにか思いつくようなことってあるか?」
「強いて言うなら無人島から帰ってきてからかな」
思いつくのはそのぐらいだろうか。無人島での一件以来よく食べるようになった気がする。無人島にいた時はちゃんとしたものを食べることが出来なかったからご飯がより一層美味しく感じた。それが一番の理由かもしれない。
「あの時は大変でしたからね。そうだ! 今日は木内さんのためにワッフルを作ってきたんですよ。これ食べたらどんな気分でもわっふるわっふるですよ! プレーン、チョコ、メイプル、変わり種で抹茶味なんてものも作ってみたのでどれでも好きなの食べてください」
相変わらずどこから取り出したのか大きめのバスケットの中にいろんな味付けのワッフルがギッシリと詰められていた。
「お、いつも悪いな」
そう言うとメリーさんの用意してくれたワッフルをさっそく口にする。相変わらずメリーさんの作るものは美味い。ここ最近以前にも増して料理の腕が上がった気がする。それも俺の好みの味付けでどれを食べても俺好みに仕上がっていた。なのでついつい毎日にのようにメリーさんの弁当を買って帰っている。それも前より多めに。それに俺を危険な目に遭わせてしまったことを気にしてなのか、ちょくちょくこうやって差し入れなんかを持ってきてくれるようになった。今回がワッフルだったのは前にワッフルが食べたいと話したからだろう。
それにしても手が止まらなくなる。一つ食べ終わる頃には次のものに手を伸ばしていた。つまりそれくらい美味かった。
「木内さんがいつもいっぱい食べてくれるから作りがいがあります」
メリーさんが頬を緩ませる。その顔を見るとますますワッフルに伸びる手のペースが早くなる。
「木内さんどの味が好みですか?」
「そうだな。俺的にはメイプルが結構好みだけど、変わり種の抹茶もなかなか。でも甘いかと思ったらほろ苦いチョコも捨てがたいし、定番のプレーンも当然外せない。ってことでどれも好みだな」
「くふふ。嬉しいこと言ってくれますねぇ。ささ、まだまだありますから食べてください。ほらアンジェたちも食べてください」
そんなワッフルのように甘い空気を漂わせる俺たちをアンジェたちは冷めた目で見ていた。
「……そりゃ太るわけだ」
柴田が呆れたように言う。「そうね」とアンジェも頷いていた。
それから数日後……。
「……さすがにこれはまずいよな」
久しぶりに乗った体重計に表示された数字を見て俺は愕然とした。
俺はゆっくりと体重計から降りて深呼吸。そしてもう一度乗ってみる。やはり結果は同じだった。
あれから色々考えて気づいた。俺がここまでになったのは間違いなくメリーさんが原因だと。人のせいにするのは良くないと思う。自分の体重が増えたのは自分の不摂生が原因だと言うことは一番わかっている。でもそれ以外に考えられることといったらあとはこれしかない。
さてどうしたものか……。そんなことを考えていると、
ピンポーン。インターホンが鳴った。
いそいそと玄関に向かうと、そこにはやっぱりメリーさんがいた。どうやらバイト帰りのようで、いつもの真っ赤なドレス姿とは違うラフな格好にポニーテールという出立ちだった
「今晩は木内さん。もうご飯済まされましたか? まだでしたら一緒にいかがですか?」
そう言って嬉しそうに手に持っていた二人分にしては量の多い袋を掲げる。
「今日はですねーなんとデザート付きなんですよー♪ ジャーン、あの行列がなくならないと有名な林輪屋のバームクーヘンですよ! お客さんからもらったんで一緒に食べましょ!」
天にも登らん勢いでご機嫌そうなメリーさん。林輪屋のバームクーヘンというのは創業五十年、バームクーヘン一筋でやってきたお店で、お土産でもらいたいランキングで常に一位を獲得し続けついには殿堂入りを果たしてしまったそんな有名店だった。なお二位は海風堂のカステラだ。
並んでも買えるかどうか怪しいとまで言われるそんなお店のバームクーヘン。……見るからに美味そうだった。しかしこの誘惑に負けてしまうとデブまっしぐらだ。ここは心を鬼にして踏みとどまらなければ。
「メリーさん。悪いんだけど最近体重が増えてきたみたいだからこれ以上は……」
と、出来るだけ申し訳なさそうに言う。するとさっきまでご機嫌だったメリーさんの目が見るからに曇る。
「……いただこう!」
「すぐに準備しますね!」
俺は俺の意志の弱さを呪いたくなった。
そんな日々がしばらく続き……、
「……ねぇ貴方また体重増えたんじゃない?」
アンジェが俺を心配してか尋ねてきてくれた。どうやら柴田が俺の様子を話したらしい。気になって見に来てくれたようだった。
「健康なのは良いことだけど食べ過ぎは良くないわ」
「……仰る通りです」
アンジェが用意してくれた肥満に効くというハーブティーを飲みながら俺は項垂れていた。
「まぁ、貴方のことだから大方メリーさんのことを気にして食べていたんでしょうけど」
「うぐっ……」
痛いところを遠慮なく突いてくるのはさすがアンジェといったところだろうか。何度も量を控えようと努力はしてみたものの、どうしてもメリーさんのことを考えると断りにくい気持ちになっていた。
「それはわかるけれど、それで貴方が体を壊してしまってはそれこそメリーさんが気にすると思うわ」
もっともな意見だった。メリーさんは俺のことを思って毎日食事を用意してくれている。そのはずなのにそれが原因で俺の健康を害してしまったと知ったら誰よりも気にするのはメリーさん本人だ。
「なぁなんとかする方法ってないかな」
「そうね。きっと真正面から話したらわかってくれると思うけどこの先も気にすると思うの。だから──」
そう言ってアンジェがニヤッと口角を上げる。その姿はさながら迷いの森に住む魔女そのものだった。
そして次の日。
「木内さん! 今日もたっくさん食べてくださいね!」
メリーさんはそんなものどこから用意したのか三段重ねのお重に、レジカゴくらいの大きさのバスケットを持って現れた。部屋に来るたびに量が増えていってるとは思っていたけど、その量はフードファイターじゃないと食べられないレベルだった。
「さぁさどれも頑張って作ったものですからしっかり食べてくださいね!」
にっこり笑顔のメリーさん。そこへ、
「今晩はメリーさん」
「あ、アンジェ!? なぜ貴女がいるんですか!?」
「今日は同居人が用事でいないからご相伴に預かることにしたのよ。ね?」
「あ、ああ」
アンジェがひょっこりと俺の背から現れた。まさかアンジェがいるとは予想すらしてなかったのだろう。呑気に寝ていた猫が突然のことで飛び上がるように驚いていた。しかしそこはメリーさん。すぐに気持ちを落ち着かせるといつもの笑みを顔に貼り付けていた。ところどころぐぬぬ……という文字が見え隠れしているが気にしないでおこう。
「それにしても相変わらずすごい量ねこれ。これ全部貴女一人で作っているのでしょう?」
「もちのろんですよ! 一から十までぜーんぶわたし一人で作ってます」
「ということはこれだけの量を一人で作ってるということは、貴女、これ全部味見してるってことよね?」
アンジェがメリーさんの用意した唐揚げを一つつまみながら言う。
「ええ、そうですけど。ってアンジェなに勝手に食べてるんですか! これはわたしが木内さんのために作ったものですよ!」
「こんな量さすがに彼一人で食べ切るなんて無理よ」
アンジェが俺の気持ちを代弁してくれた。正直、三食に分けたとしてもまだ多いかもしれない。
「それより思っていたんだけど」
指についた唐揚げの油をしゃぶりながらアンジェが続ける。
「貴女、ちょっと太ったんじゃない?」
その瞬間、時が止まった気がした。
俺はなに言ってんのこの人!? と言いたげにアンジェの方を見る。しかしアンジェはなに一つ気にすることのない澄まし顔。メリーさんは一瞬自分がなにを言われているかわかっていない様子だったが、すぐにそれを否定した。
「そんなことあるわけないじゃないですか。わたしたちメリーさんは姿形が変わることなんてないことぐらいアンジェだって知っているはずですよね?」
「ええそうね。基本的にわたしたちメリーさんは歳をとることも姿形が変わることもないわね」
「だったら当然のごとく太ることもないはずですよね?」
「そうかもしれないわね。でもそれはあくまで普通に過ごしていたらの話。もし人間と同じように自堕落な生活を送っていたらどうなるかしら?」
「そ、それは……」
なにか思い当たる節があるのか、言葉を詰まらせる。しかしそれでもメリーさんは引かない。なので「じゃあ試してみる?」そう言うとアンジェはどこからか体重計を取り出した。……それも昔ながらの銭湯に置いてあるタイプのデカいやつを。
「これならなにも問題はないわよね?」
アンジェがメリーさんに確認をとる。メリーさんは少し迷っている様子だったがその提案を受け入れることにしたようだ。
恐る恐る体重計に乗る。そして表示された数字を見て思わず「ひっ」と声を上げた。
体重計を下りて俺のところへやってくると「……木内さん。わたしちょっと用事を思い出したのでこれで失礼します」そう力無く告げると肩を落としながら去っていった。
まさかアイツ本当に……。
「そんなわけないじゃない」
「え?」
「そんなわけないって言ったのよ」
アンジェが俺の心を見透かしたように言う。
「どういうことだ?」
「あの体重計にちょっと細工したのよ。本来の体重からプラス〇〇キロ多めに表示されるようにね。だからメリーさんは自分が本当に太ってしまったと誤解した。きっと今頃ダイエットするために努力しているんじゃないかしら」
フフン、と得意げに語りながらメリーさんの残していった弁当を食べていた。というよりご相伴に預かりにきたのは本当だったようだ。まぁこの量一人じゃ絶対食べきれなかったからちょうど良かったけど。
「でもこれであの子が毎日押しかけて来ることもなくなるわよ。昔から誰かのために尽くしすぎちゃうところがあったけど、それでも今回のはやり過ぎよね」
以前聞いたルシエラとのことからもメリーさんが人に尽くすタイプだというのはよくわかっていた。今回も無人島でのことがあったからメリーさんなりに俺に気を遣ってのことだろう。今度あったらなにかお礼しておかないといけないな。
「それにしても美味しいわねこれ」
もぐもぐと知らない間に弁当の半分がなくなっていた。おいちょっと待て! それ俺の唐揚げだ! アンジェに食い尽くされる前に俺もメリーさんの弁当に箸を伸ばすのだった。
次の週末、
「……なぁ」
「……なにかしら」
「……前にメリーさんは体型が変わらないって言ってたよな」
「……ええそうね」
「……じゃあこれはどういうことだ?」
俺たちの前にはムッキムキに仕上がったメリーさんがいた。どうやらよほど自分の体重がアレしてしまったことがショックだったのか、元の頭身が変わってしまうほどの肉体改造がなされていた。その姿はもはや某少年漫画に出てくるクッキーみたいな名前の人のようで……いや、原型どこだよ。
「さぁ木内さん! この鍛え上がった肉体をご覧ください! キレてますよね? キレてますでしょう! さぁ木内さんもご一緒にいかがですか? レッツバルク!」
これでもかと仕上がった体をお披露目してくる。ついでに持ってきたお弁当も鳥の胸肉やらササミやらそんなので埋め尽くされていた。
「……やり過ぎたかしら」
「……やり過ぎたみたいだな」
俺とアンジェはある意味振り切れてしまったメリーさんをこれからどうやって元に戻そうか今度はそれについて悩むこととなったのだった。
「さぁご一緒に! レェッッッツバルクゥ!」
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