メリーさんと口裂け女 その1
その日はいつもより仕事が長引いたせいで帰るのが遅くなった。いつもなら帰り道に適当なところによって食事を済ませたりメリーさんのいる弁当屋によって帰るが、今日はそのどちらもやっていなかった。定休日だったり時間の都合だったりタイミングが悪い。
近くのコンビニで適当な弁当でも買って帰るかと諦めに似たため息を吐きながら俺はマンションを目指した。
にしても今日はやけに寒い。俺は着ていたスーツの襟元を寄せる。天気予報では確かに今晩は少し寒くなると言っていたが、夏が終わって秋の訪れを感じる毎日とはいえ、それでもこれほど寒くなるとは思っていなかった。そのせいもあるのか、いつもならこんな時間でもそれなりに人がいるはずなのに、今日に限って人の姿がなかった。
薄気味悪い。
引き寄せた襟元から隙間風が吹き込む。寒気がした。
ふと、街灯の下に人が立っているのが見えた。女性のようだった。トレンチコートに身を包んだ女性は俯いて立っていた。
こんな時間に待ち合わせか?
といってもすっかり日が落ちたどころか、月が頭上で煌々と輝いているくらいの時間に女性が一人でこんなところに立っているのも中々不用心だと思う。まぁ向こうからしたら男の俺がいる方が怖いかもしれないが。
俺は女性に変な風に思われないようにさっさとその場を過ぎようとした。
けれど男の性かその女性がどんな人なのか気になった。なのでチラッとだけ見てみた。女性はベージュ色のトレンチコートに髪は長く、すらっとしていた。
一目でわかる美人だと思う。しかしそれ以上に目を惹いたのは口元の大きなマスクだ。このご時世マスクをしている女性はごまんといる。だからマスクをしていることがおかしいわけじゃない。気になったのはそのマスクが顔の半分近くを覆い隠すようなものだったからだ。
耳元近くまで顔を覆うマスクはその女性が身につけているものの中で唯一と言っていいほど不自然に見えた。
──これじゃあまるで口裂け女じゃないか。
そんな俺の心の声が聞こえたのか、うつむいていた女性がバッと顔を上げた。
その瞬間俺は金縛りにあったように動けなくなった。すると女がゆっくりとこちらに向かってくる。身の危険を感じた俺はなんとかそこから逃れようと体を動かそうと努力する。が、まるでロープで体を縛られたみたいにまるで動かない。
その間にも女は近づいてくる。女の顔の中で唯一見える目元は笑っているように見えた。
くそっ。くそっ! 俺は必死に頭の中で動け! 動け! と念じた。
女が俺の目の前に立つ。そしてゆったりとした動作で身につけていたマスクを外していく。その下に隠れていたのは……。
「わたし……キレイ……?」
体の緊張が解けた俺はそこからは無我夢中で走り出した。マンションに着いたときには外は寒かったはずなのに着ていたワイシャツは汗でびっしょりと
なっていた。
俺はついさっき見たものを思い出す。あれは間違いない。口裂け女だった……と。
「というのがこの間あった出来事だ」
誰が決めたわけでもなく集まるいつもの週末。俺はメリーさん達につい最近あった恐怖体験を話していた。
「それは災難だったわね」とは全身黒ずくめのメリーさんことアンジェリカ。アンジェは紅茶片手に微塵も乱れることなく平然としていた。
「そ、そうね。で、でもでもそんないるかいないのかわかんないものを怖がってるなんて木内もまだまだね!」
「そうですそうです! 口裂け女なんてあんなの噂話ですよ!」
そう言いながらお互い体を支え合いながら震えているのは銀髪碧眼のメリーさん、ユキちゃんことクオーレと、つい最近現世に蘇って(?)きたレイ子さん(仮名)もといレイだった。その都市伝説に近い存在二人がガタガタと震えているのを見ていると、都市伝説ってなんだっけ? と思ってしまう。
「しかしながら木内様に何事もなくて安心しました」
アンジェとはまた違った澄まし顔、いや無表情で言うのはヴィクトリアスタイルのメイド服に身を包んだお姉さん、ノワールだった。一見するとクールな美女に見えるが、
「どうせまたろくなこと考えていないんだろ?」
「そんなことはございません」
「本心は?」
「木内様が動けないことをいいことにわたくしの持てる全ての技術を使ってご奉仕させていただきます。そしてゆくゆくはわたくし無しでは生きていけない体へと──」
「何事もなくて良かったよ本当に!」
このように中身は男性の俺ですら軽々と引くレベルの発言をかましてくる。……本当に何事もなくて良かった。
そんな中やけに静かなのがひとり。いつもの通り深紅のドレスに身を包んだ金髪少女ことメリーさんだった。メリーさんはこの手の話が苦手でクオーレのように震えてると思っていたが、今日に限って妙に大人しかった。
「メリーさん?」
俺が声をかけるとハッとしたように顔を上げた。
「どうかされましたか?」
「どうかされてるのはそっちの方だろ」
「あ、ああそうですね。ちょっとぼーっとしていました」
へへへ、と照れ笑いを浮かべながら傍らに置いてある皿に盛られたクッキーに手を伸ばす。これはレイが作ったクッキーだとかで、生前はよくお菓子作りをしていたのだとか。妙にスペックが高い。
「これ美味しいでふねー」
「マジですか!? お気にめしていただいたなら良かったですー♪」
メリーさんが喋りながらクッキーをぱくつくものだから途中から喋り方がおかしくなっていた。お菓子だけにいとおかしなんてな。
「…………」
「…………」
「…………」
メリーさんとレイの二人以外、俺のことを冷めた目で見ている気がするがそれは気のせいということにしておこう。
それから二日後、俺は家の最寄り駅で人を待っていた。
「遅いな……」
もうこうやってスマホの画面を確認するのも何度目になるか。要はソワソワしていた。
その日の待ち合わせの相手はメリーさんだった。というのも、昨日の夜突然電話がかかってきて明日の夜予定を空けておいて欲しいと連絡があったのだ。予定を空けるもなにも仕事が終われば家に帰るだけの毎日なのだ。そもそも予定なんて未定どころか埋まることすらない。
そこに降って湧いたかのようなメリーさんからの電話。残念ながら明日も仕事だから早起きしなくていいというわけじゃないが、気持ちはワクワクしていた。
……ってなんでワクワクしてんだ俺。
それをかき消すようにまたスーツのポケットからスマホを取り出す。さっき見た時から1分しか経っていなかった。それを何度か繰り返したところでふと「すいません」と声をかけられた。
振り返るとそこにいたのは顔の半分を覆うマスクと長い髪が特徴的なベージュ色のトレンチコートを身に纏ったあの女性だった。
俺は体の芯が冷えるのを感じていた。
誰かに助けを求めようとするが、さっきまで人で賑わっていたはずの駅前はすっかり静まりかえっていた。それどころか人の姿すら見当たらない。
どうなってんだ……?
戸惑う俺をよそに、コートの女性が近づいてくる。その場から逃げ出そうにも前と同じように動くことができない。俺ここで死ぬのかな。だったらせめて最後にアイツに──。色々諦めようとした俺に女性は「あの、もしかして木内さん……でよろしかったですか?」なぜか俺の名を呼んだ。不思議なことに名前を呼ばれるとさっきまで身動き出来なかった体が動くようになった。
「……アンタは?」
「あ、あの……わたしメリーさんに呼ばれてこの時間にここに来るように言われたんですけど……」
オドオドした様子で女性が答える。俺の名前だけでなくメリーさんのことも知っていると言うことは……また面倒なことに巻き込まれたか俺。
「すいませーんお待たせしましたー」
と、そこへ見慣れた金髪がおさげを揺らしながらトテトテとやってきた。
「いやー、ちょっとバイトが長引いてしまってすいません」
テヘヘとメリーさんが相変わらず美味しそうな匂いを漂わせながら遅れてきた理由を話していた。
「おい、これはどういうことだ」
俺がメリーさんに向かって凄むとメリーさんじゃなくてコートの女性の方が「ひいっ!」と叫んでいた。
「ちょっと木内さん! マコさんを怖がらせたらダメじゃないですか。マコさんは極度の人見知りなんですから」
メッ! と人差し指を立ててメリーさんが怒る。いやいや、それよりこの状況を説明してくれ。
「そうでした。この方はわたしと同じメリーさんの一人、メリー・マキアージュ、略してマコさんです。見ての通り極度の人見知りで恥ずかしがり屋さんです」
「……め、メリー・マキアージュです……初めまして……」
メリー・マキアージュことマコさんがおすおずと頭を下げる。たしかに人見知りなのかこちらと目を合わせることは一切ない。
にしても、だ。
「なんかアンタの見た目口裂け女みたいだな」
「そりゃそうですよ。だって口裂け女のモデルはマコさんなんですから」
「マジで!?」
長年都市伝説として語り継がれていたその張本人を前にして俺はただ驚くことしか出来なかった。
「でも思ってた感じと全然違うな。確か口裂け女ってわたしキレイ? って聞いてくるはずだけど」
そこまで言って思い出した。そういやこの間この人に会った時に同じこと聞かれたことを。……あとでサインでももらっておくかな。
「ところでこの人が口裂け女でメリーさんだってのはわかったんだが、俺が呼び出された理由って?」
「そうでしたそうでした。あのですね、木内さんにお願いしたいことがありまして」
「お願い?」
俺はそのお願いとやらがまた面倒なことにならないかと心配していた。
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