メリーさんと男女7人夏物語(祭りのあと編)
夜が明けると昨日までの嵐が嘘だったかのように晴れ渡っていた。そんな嵐に閉ざされていた島の誰も知らない洞穴の奥、その中で一人の少女が眠っていた。
その金糸にも似た髪は少しくたびれているものの、暗い洞穴の中でも決して輝きを失うことはなかった。肌は白磁を思わせるように白く、しかし決して病的ではない。そんな彼女の瞳は青く澄んだ空のようでもあり、遥かな海のようでもあった。まるで人形のような誰もが羨むようなそんな容姿を持つ少女。だったが、
グゴゴゴゴ、シュゴゴゴゴ、
……ものすごい寝息を立てて眠っていた。それもあられもない寝姿で。もうなんていうか人形のような容姿とかそんなことが吹き飛んでしまうくらい残念なことになっていた。ヨダレまで垂らしてるし。
俺はやれやれと首を振りながら、バナナの木から取ってきた布団がわりの葉っぱをメリーさんの上にかけ直す。
あれからメリーさんはずっと眠ったままだ。ただ昨日と違って少し熱っぽさは残っていたが、苦しそうにしていなかったのを見て少し安心した。きっと眠ることで体を休めているんだろう。起きる様子も今のところはないようで、無理に起こすこともない。なにより状況が変わらない今は無闇に動き回られるより大人しくしてもらっているほうが都合がよかった。
洞穴から出ると何日かぶりの太陽がとても眩しく感じられた。この不思議な世界でも昼と夜がちゃんと入れ替わることでなんとか時間の概念だけは保てていた。
今日俺がやることはメリーさんのために栄養のある食べ物を見つけることと、あとはここから出るための手がかりを探すことだ。昨日までの嵐のせいで何も進まなかったが、今動けないメリーさんのためにもやれることをやっておきたい。
とりあえず昨日行けなかった滝の上の方に行ってみるか。他にもなにか見つかるかもしれない。なによりそろそろ違うものが食べたいという欲もあった。
俺は今一度自分の装備と寝息を立てるメリーさん見る。
……俺がメリーさんを守るんだ。
そう胸に誓うと光の差し込む外へと出ていった。
…………。
「アンジェ! それはわたしのパンケーキですよ!」
静かな洞穴に少女の叫び声が大きく木霊した。
「……ゆ、夢でしたか」
ホッとする気持ちと目の前の大量のパンケーキが実は夢だったことに少女はガッカリしていた。
「ふわぁ〜あ」
と、大あくびを一つ。
少しボサボサになってしまった髪を振りながらゆっくりと起き上がる。久しぶりに目を覚ましたような感覚に思わず目眩がした。まだ寝ぼけているのか、目は半開きになって今にも閉じそうになっていた。しかしそれもしばらくすると、朝日が水平線から登るように瞼が開いていくと、その真っ青な瞳が露わになった。
「……あれ、ここはどこでしょうか? それにこの格好は?」
はて? とどうして自分がこんな状況になっているのかまだ回っていない頭を回転させながら思い起こしてみる。
パンケーキ、パンケーキ、パンケーキ……頭の中はそれでいっぱいだった。
もう一度首を振って頭の中からパンケーキの山を追いだす。するとようやく思い出してきた。そういえばこの世界を創ったのは自分で、夏を堪能したいという理由から木内を誘った(という名の拉致)それから創ったはずのない島に辿り着いて、乗ってきたボートが流されて、それでここから出られなくなった……。
「って、寝てる場合じゃないですよわたし! と、木内さん! 木内さーん!」
慌てて立ちあがろうとしてくらっと立ちくらみ。昨日調子が悪くてずっと寝ていたことをようやく思い出した。
「ううぅ……。まだ本調子じゃないみたいですね。でもそれより木内さんはどこに行かれたのでしょうか」
キョロキョロと身の回りを探してみるが肝心の木内はどこにもいない。急に不安になる。が、それもすぐに立ち消えた。
「……それにしてもひどい格好ですねわたし」
改めて見回すと着ているTシャツは泥と汗で多分雑巾といったほうがピッタリで、自分の髪もひどいことになっていた。メリーさんという存在は人間のように老廃物が出るわけではない。でもこんな穴ぐらの中に何日もいたらボロ雑巾のような見た目にだってなる。とはいえこんな姿寝ている最中に散々見られていたわけだが、これでもわたしはメリーさん。人間相手に──それも木内の前でならなおさらちゃんとしていたい。でもあーんな姿やこーんな姿もぜーんぶ見られちゃっていた。
「でもわたしがこうしていられるってことは木内さんが看病してくださったわけですよね。……木内さんが」
木内が自分のことを看病してくれた。それも寝ずに付きっきりで。自然と口元がニヤけてしまう。でもこんな姿も見せてしまっている。嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な乙女心だった。
もう一度自分の姿を確認する。うん、やっぱりひどい格好だった。
「……とりあえずシャワーでも浴びてきましょうか」
そう言うとメリーさんも洞穴から外に出ていった。
「……思ったより収穫がなかったな」
俺はいつも食糧を確保している森へとやってきた。前日までの嵐のせいか目ぼしいものはほとんど見当たらなかった。少しでもなにか変わったものでも手に入ればと淡い期待を抱いていたものの、現実というのはやはりそれほど甘くはなかったみたいだ。
とりあえず道中で見つけた謎のキノコをいくつか持って帰ることにした。果たしてこれが食べられるシロモノなのかちょっと怪しいが、メリーさんの創った世界の中のものならよほどではない限り変なものはないと信じたい。
「ただいまー。メリーさん起きてるかー?」
さすがにもう起きてるかもしれないと思いながら中に入る。が、そこにメリーさんの姿はなかった。
「……どこ行ったアイツ?」
まだ病み上がりだろうメリーさんが一人でどこかに行ってしまったにしても、それほど遠くに行っていないはずだ。それほど広くない島だから少し探せば見つかると思う。でもメリーさんはまだ病み上がりだし、前日までの嵐のせいで何か起こる可能性もある。メリーさんの創った世界だったとしても危険な目に遭う可能性だってある。
それにしたって一人でどこか行くか?
その時奥の方で何か動く気配があった。
「メリーさん、そこにいるのか?」
奥の方を覗いてみる。
「な、なにやってんだ……!?」
そこで見た光景に俺は言葉を失った。
「ふう。これで綺麗になりましたね」
メリーさんは着ていたTシャツを少し大きな水場で洗濯していた。
彼女が今いるのはこの島にやってきた時に訪れたあの丘の上だった。この島にある滝で体を洗おうとやってきたが前日までの嵐の影響で川の水が増水したことによって、滝というよりダムの放水のようになっていた。さすがにその勢いをシャワー代わりにしようものなら滝行どころか首がもげてしまうだろう。
「ここはやめておきましょう」
ここでシャワーを浴びるのを断念すると丘の上にある水場へと向かった。そこは湧水が湧き出しているのか、ちょっとしたプールのようになっていた。幸いにもそこはあまり嵐の影響は受けていないらしく、ちょっとばかり水かさが増していた程度で体を洗うくらいなら全然問題なかった。
「これで良し、と。じゃあ次はわたしの洗濯といきましょうか」
洗ったばかりのTシャツを近くにあった手頃な木の枝に引っ掛けると今度は自分がその中に飛び込む。大きな水飛沫が眩い陽の光に照らされ輝いていた。
誰もいないことを確認してその中で泳いでみる。ここしばらく体を動かしていなかったからか、いつもより体の動きが鈍く感じられた。それも少し動けば気にならなくなったが。
「ふいー、極楽極楽ですねー」
一通り体を動かすと、全身の力を抜いて体を水面に浮かべていた。
「それにしても散々な目に遭っちゃいましたね。買ったこの水着もお披露目する機会を失ってしまいましたし」
メリーさんが身につけているのは白色のビキニだっった。これはメリーさんが木内と一緒に海を楽しもうと思い買ったものだった。だが、買ったはいいものの、それを木内の前で着る勇気までは用意できなかった。その為、ここに来てから今日に至るまで着る機会を失っていた。それがこんな形で実現出来るとは思わず、着れて嬉しい反面、自分の度胸のなさに呆れてすらいた。
「そんなんなら最初から買わなきゃいいんですよ。まったく……」
水に顔半分埋めて改めて自分の不甲斐なさというものにゲンナリする。そもそも今回この世界を創り上げたのだってこの水着を木内の前で着て見せるためだった。そのためにわざわざこれだけの舞台装置を用意したのに、結局見せれていないまま現在に至る。
自分のこんな姿を見たら木内は何て言うだろうか。似合ってると言ってくれるのかそれともイメージと違うと言われてしまうのか。どちらにしてもこの姿で木内の前に立つことが恥ずかしいと思っている時点でそのどちらの言葉も聞くことなんて出来ないわけなんだが。
「あー、考えるのはヤメヤメです! それより今はここから出る方法をなんとかしないとですから」
パーンと顔を叩いて自分を奮い立たせる。この水着を見せるかどうかはここを出てから考えればいい。
でもその前に服を着ないと。さすがに木内と二人しかこの島にいないとはいえ水着で歩き回れるほどメリーさんはアグレッシブではなかった。
と、
「あ、あれ? わたしのTシャツは何処へ……」
さっきまで木にひっかけておいたはずのTシャツがなくなっていた。すると、メリーさんの視界に飛び込んできたのは風に飛ばされていたTシャツそのものだった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てて水場から飛び出すメリーさん。もう自分の格好なんて気にしている場合じゃなかった。
風に乗って気持ちよさそうに飛んでいくTシャツ。それを追いかける水着姿の金髪少女。側から見ればこれほど滑稽な光景もないだろう。
「はぁ、はぁ、もうどこまで飛んでいくんですかー! それが、それがないとわたしはこの姿のままなんですよー!?」
袖はあっても聞く耳なんて持ってないTシャツにいくら呼びかけても止まってくれるわけもなく、さらに高く舞い上がろうとする。しかしメリーさんの執念も大したものでなんとかTシャツに手が届こうとしていた。その時だった。
「あ、あと少し──!」
メリーさんが手を伸ばしたその先は……崖だった。
「え」
気がついた時にはもう足を踏み外していた。それまであった足場が急になくなりその勢いのまま落ちていく。
「そんな」
足掻こうとするが、こうなったらもうどうしようもない。いくら下が砂浜だとしてもいくら自分がメリーさんだとしてもこの高さから落ちればまず助からないだろう。
こんなことならもっと木内とお話ししておけばよかった。こんなことなら水着姿も恥ずかしがらずに見せておけばよかった。こんなことならちゃんと──。
色々な気持ちがメリーさんの中で駆け巡る。こんな時でも思い出すのは木内のことばかりだった。でもそれももう叶わない。
「……木内さんとの約束果たせなかったぁ」
さよなら木内さん。メリーさんが覚悟を決めた。だが、いつまで経ってもその時は訪れなかった。
あれ、と思いうっすらと目を開ける。視界に飛び込んできたのはさっきまで自分が考えていた木内の顔だった。
「木内……さん?」
「良かった。間に合って」
見慣れたはずの木内の笑顔がそこにあった。
わたし落ちたはずじゃ。そう思い改めて自分の置かれている状況を見る。木内にお姫様抱っこされる形で宙に浮いていた。というよりなんでこの人宙に浮いてるんだろうという疑問が浮かび上がる。
「ナイスキャッチでございます木内様」
横から聞き慣れた声がする。少し首を動かして見ると自分と同じくメリーさんの一人、ノワールが同じように宙に浮いていた。
「ああ。間一髪だったもう少し遅れてたらまずかったな」
「え、と、あの、これは一体どういう状況でしょうか?」
メリーさんの頭の中は?マークで一杯だった。
「まぁ話せば長くなるんだけど、その前に……なにか着てくれないか」
木内が顔を赤らめて目を逸らす。なんのことだろうと自分の今の姿を思い出した。
「──www!」
「ちょっと! あまり動くな!」
言葉にならない言葉が出てきて体を隠そうと木内の腕の中でもがく。そのせいで不安定になりながらもなんとか砂浜へと降りることができた。
慌てて木内の腕の中から逃れると、すぐそばの岩陰に隠れる。
「……ノワール」
「かしこまりました」
ノワールがどこからか一着のパーカーを取り出しメリーさんのいる岩陰へと向かう。やや時間があってから岩陰からメリーさんが出てきた。
「あ、あの……もう大丈夫です」
「お、おう。ならよかった」
どことなくよそよそしい二人。それを見るノワールは相変わらず無表情だった。
遠く離れていく無人島を背に俺たちは、ノワールの用意してくれたボートに乗って海の家がある砂浜に向かっていた。
「本当に帰ることが出来るんですねわたしたち」
メリーさんがどことなく寂しそうに呟く。
大変な遭難生活だったけど、いざ終わってみると確かに寂しさがないわけでもなかった。
「ところでどうしてノワールがここにいるんですか?」
ノワールの用意してくれた冷たい麦茶を口にしながら不思議そうに言う。当然の疑問だろう。俺だって最初彼女の姿を見つけた時何かの間違いかと思ったくらいだったから。
「んー、どこから話せばいいかな」
チラリとノワールの方を見るが、彼女は今ボートの操作をしていて説明している余裕はないみたいだ。となると説明するのは俺の役目らしい。
「俺がノワールと会ったのは俺たちがいた洞穴の中だったんだ」
俺が森の探索から帰ってきて目にしたのは洞穴の中でバナナを食べているノワールの姿だった。
「もしかしてノワール……か?」
「お久しぶりでございます木内様」
彼女も俺の姿を見つけると食べていたバナナの皮を手に持ちながら丁寧にお辞儀をする。
「なんでアンタがここにいるんだ!?」
「はい。それはわたくしがお二人の救助に遣わされたからでございます」
「救助……。まさか助けに来てくれたのか」
「その通りでございます。しかしこちらには木内様しかいらっしゃらないようですが」
「ああ。ここでメリーさんが寝てたはずなんだけど、どうやらいないみたいだ。ノワールも見てないのか?」
ノワールが静かに頷く。
「ところでこの島に来たのはアンタだけか? 他の奴らは?」
「お嬢様もアンジェリカ様もこちらの世界にいらっしゃいます。ですがお二人は海の家で休んでいらっしゃいます。この世界はとても頑丈なセキュリティーが施されていたため、この中に入ることはわたくしたちでも容易ではありませんでした。そのためわたくしを含めた三人がかりでこちらの世界に入るための穴をむりやりこじ開けました。そのためにお二人は力を使い切ってしまったので今ここにいるのは動けるわたくしだけでございます」
「……そうか。無理させたな」
話だけ聞いているとずいぶんとんでもないことを言ってる気がするけど、目の前のメイドさん涼しい顔をしていた。……いや、よく見ると少しだけだが疲労の色が見える。なるほど確かにずいぶん無理をしてくれたみたいだ。
「それはそうとよく俺たちがここにいるってわかったな」
「はい。そちらに関してはわたくしが木内様のお部屋に忍び込もう──いえ、木内様のご様子を伺おうと訪ねた際、メリーさんが力を使った気配がありましたのでもしかしてと思い感知してみるとお二人が遭難していることに気がつきました」
「……なんかさらっと嫌なこと言わなかったか?」
「いいえ気のせいでございます」
コイツ、キッパリ言い切りやがった!
「まぁいい。それで?」
「すぐに状況を確認し、お二人を救出しようと考えました。しかし先ほどもお話しした通りこちらの世界に入るのは容易なことではなく、そのためこれほどの時間がかかってしまいました」
申し訳ございませんと深く頭を下げるノワール。
「いやいや、こちらとしては助けに来てもらっただけでもかなりありがたいことなんだ。頭を上げてくれ」
「しかしながらそのせいでお二人にはずいぶんなご迷惑をおかけしてしまいました」
「ご迷惑って?」
「こちらの世界に穴を開けるためにわたくしたちもたくさんの力を使ったため、この世界がとても不安定になってしまいました。そのためメリーさんにも負担をおかけすることに」
「もしかして昨日までの嵐やメリーさんが体調を崩したのって」
「はいわたくしたちに原因がございます」
まさかそれらの原因がノワールたちにあるだなんて誰も想像なんて出来ないだろう。それにそうだったとしてもそれを責めることなんて絶対に出来るわけない。
「そっか。でもさ、そのおかげでこうやって助けに来てくれたわけだ。メリーさんだってきっと俺と同じことを言うよ。だからさ気にするなよ。な?」
「木内様。木内様はお優しい方ですね」
「優しいか? 俺が?」
「ええ。この外にいる間もお二人の様子は伺っていましたが、どんな時でも木内様はメリーさんのことを一番に考えてくれていらっしゃいました。もしこんな状況に置かれたなら大抵の人は自分のことを中心に考えてしまうものです。まず自分の身を守ることが最優先ですから。ですが、木内様は違います。木内様は必ずメリーさんのことを考え行動されていました。今、彼女がこうしていられるのも全て木内様のおかげだと思っております。ですが」
「ですが?」
「一人の殿方にそこまでしてもらえるメリーさんに、このわたくし少し妬けてしまいそうです」
珍しいものを見た気がした。それはノワールの優しい笑みだった。不覚にも彼女のそんな微笑みにちょっと惑わされそうになる。
「ま、まあそんなことよりもメリーさんを探しに行かないとだな。なにか分からないか?」
「申し訳ありません。わたくしの方も探ってはいたのですが、まだ力が完全ではないためはっきりとしたことを申し上げることができません」
「仕方ないな。となると地道に探すしかないか」
俺がどうやって探そうかと考えていると、それには及びませんとノワールが言う。
「どうぞこちらをお使いください」
そう言ってメイド服のどこにそんなものが隠れていたのか一足の靴だった。ただし一見してもまともな靴ではないことは確かで、こうスキーを滑る際のスキー靴をさらに豪華にした感じの靴というよりブーツだった。
「……なにこれ」
「はい。こちらは今回の探索のために用意いたしましたマシン、名付けて『空もとべーるはず』です」
「名前ダサッ!」
あまりのネーミングセンスに真顔でツッコむとノワールは無表情で落ち込んでいた。どうやら名前には結構な自信があったみたいだ。
「名前はともかくこれがあれば俺も空を飛べるってわけか」
「Exactlyその通りでございます。では早速着用の儀式の方を」
そう言うとなぜかメイド服を脱ごうとしだした。
「おいちょっと待て。一応確認だがなぜ服を脱ぐ?」
「この靴を装着するためにはまず一度服を脱いでありのままの姿になる必要がございます。そしてありのままの姿になった二人はその姿のままありのままの行動をし、その後ありのまま空を飛ぶことになります。これが空もとべーるはずの真髄」
「絶対嘘だ!」
少しでも真面目に聞こうとした俺が完全に馬鹿だった。この人はたまにというかどんな状況下でもこう言ったことを言い出すから油断ならない。
「と、冗談はそこまでしておきましょう。それでは木内様、時間がございませんのでサクッといかせていただきます」
それからノワールから空を飛ぶためのレクチャーを軽く受ける。軽くと言っても内容はまぁまぁスパルタだった。
しかし飛び方さえ覚えてしまえばあとは簡単だった。
「うわ、本当に空飛んでる」
「初めてにしてはお上手でございます。さすが木内様。よ、大統領」
ノワールが俺を褒めようとしてくれるのは嬉しいんだが、ワードのチョイスがいちいち古い。
それにしてもこの靴は本当にすごい。一体どういう構造になってるのかさっぱりだけど、この靴を履いて俺がやることといえばどう言うふうに飛びたいかをイメージするだけ。そうするとこの靴が勝手に動きたいように動いてくれる。少しバランスをとる必要はあるが、コツさえ掴んでしまえばあとは簡単だった。
「本当にすごいなこれ。現実世界でも売り出したら大金持ちになれるんじゃないか?」
「木内様。これはそのようには出来ておりません。この靴はこの世界の中でのみ使用できるもの。いわば夢の中だからこそ自由に出来るのと同じことでございます。それに仮にこの靴が現実世界に出てしまったらどうなるかご想像がつきますでしょうか? 目先のよくに囚われるのは誰でもあることではございますが、決してそれだけで判断なさいませんようお考えください」
珍しくノワールに怒られた気がした。いつもは変なことも言うが大抵は俺のことを肯定してくれる人だ。でも今は違った。厳しくも優しく諭してくれるまるで母親が子供を叱るときのようだった。
「そうか。そうだよな。ちょっと調子に乗りすぎた。ゴメン」
「いえ。わたくしも木内様に対して言葉が過ぎました。メイドとしてあるまじき行為。償いが必要です。しかしわたくしには償おうにもどう償っていいかが想像つきません。こうなればあとは体で償うほかございません。さぁ木内様、その内に熱くたぎる欲望をこの身に全てぶつけて下さいませ」
「貴様それが目的か!」
もうさっきまでの感動を返して欲しかった。
そこからはあとは俺がメリーさんを助けた通りだ。崖から落ちようとしていたメリーさんを俺たちが見つけて無事間に合ったというわけだ。
砂浜に到着するとそこには見慣れた顔があった。
「遅かったわね。あまりにも遅いから先に始めてたわ」
アンジェが焼きとうもろこし片手に言う。俺たちのいない間にどうやらバーベキューを始めていたようだ。彼女たちからすれば数分の出来事なのかもしれないが、俺たちからすればもう何日ものことだ。久しぶりのまともな食糧とやっと戻ってこれたことにそれまで張っていた緊張が一気に解けた。疲れから砂浜に寝転ぶと、額に冷えた缶ビールを乗せられた。
「お疲れ。無事で良かった」
「柴田……。お前も来てたのか」
「ああ。ウチの野良猫がお前んところ遊びに行くっていうから俺も着いてきたらこれだ。なんつーかすごい体験だったな。九死に一生ってやつか?」
「全くな。もう二度とゴメンだ」
ゆっくり起きあがろうとすると柴田が手を貸してくれた。お互い持っていた缶ビールで乾杯すると、久しぶりののどごしに生きている実感を感じた。
メリーさんだって疲れているはずなのに、気がついたらクオーレとバーベキューの肉の取り合いをしていた。その横でアンジェがマイペースに肉を取り、ノワールは淡々と焼きそばをつくっていた。
いつもの見慣れた光景を眺めていると柴田が言う。
「にしてもあの子たちはすごいな。こんなものまで創り上げることが出来るなんて」
「だろ? 俺も初めて見た時すごい驚いた」
「もしかしてウチのも同じようなことが出来るってことか?」
「ああ。誰でも出来るみたいだけど、今度アンジェに入れてもらえよ」
「で、今度は俺が無人島行きか。その時は助けに来てくれるんだろうな?」
「しばらくは二人っきりにさせておくよ。お前がどんな反応するか見てみたいし」
「そいつはゴメンだ」
そう言うと柴田は肩をすくめていた。
「んで、どうだった?」
「どうだったって?」
「ほらあの子と一週間近く二人っきりでサバイバル生活してたんだろ? なにか進展とかなかったのか」
「あのなぁ、俺たちはそれどころじゃなかったんだよ。それこそ生きるか死ぬかで……」
「そんなことわかってる。俺だってお前らのこと外で見てたんだ。でもだからこそ芽生えるものもあるだろう。それに死んだら言いたいことも言えなくなってしまうぞ」
いいのかそれで? と問われているそんな気がした。
「木内さーん! こっちに来て焼きそば食べましょー! 早くしないとなくなっちゃいますよー」
「ほれ、お姫様がお呼びだ。行ってこいよ王子様」
柴田に小突かれて促される。なんかコイツも楽しんでやがるな……。
ここで動くと柴田の思惑通りな気がして抵抗があった。でもお腹が空いていたのは事実だったので素直に従うことにした。ちなみに焼きそばは美味かった。
それから夏にやり残した最後のイベント、花火大会をすることになった。どういう仕掛けになっているのかわからないが、海の向こう側から打ち上げ花火が上がっていた。
ここまでほとんど出番のなかったクオーレがここぞとばかりに元気いっぱいにはしゃぎ回っていたが、すぐに電池切れを起こしてノワールに担がれて海の家へと戻っていった。アンジェと柴田もアンジェが力を使い過ぎて疲れたということで帰っていった。
気がついたらメリーさんと二人っきりになっていた。あれ? また思惑通りに動かされてない俺。最初に口を開いたのはメリーさんだった。
「静かですね」
「ああ。そうだな」
「誰もいなくなっちゃいましたね」
「また無人島に戻ったみたいだな」
「大変でしたよねあれ」
「だな」
ドーンという花火の音と波の音だけが響く。
「ところで色々あったけどどうだった?」
「最初はわたしのわがままから始まったことでしたが、今となったらいい思い出だったかな、と。夏を満喫できた気がします。本当にありがとうございました」
「いや、礼を言うならこっちの方だ。俺だってメリーさんがいなかったら一生こんな体験することなかったと思う。ありがとう」
そこからはそんな、いやいや、でも、だって、と謙遜の繰り返しだった。
「でもさ、こうして一緒に花火を見られて良かったと思ってるよ」
「本当ですか? ここに来たこと後悔してません?」
「まさか。今俺がここにいるのはメリーさんと一緒に花火が見たいからいるわけで、後悔するくらいならもうとっくに帰ってるよ」
こんな時に限って柴田の顔が浮かんでくる。なんか無駄にいい笑みで頑張れよって言ってくるのがまたウザイ。
「あの、木内さん」
一人そんな風にしていると少し反応が遅れた。
「ん、なんだ?」
「あのですね、木内さんさえ、木内さんさえ良ければですが……」
「どうした。言いたいことあるなら言ってくれ」
「また来年もこうして一緒に花火を見てくれますか? 今度は本物の花火を」
メリーさんの頬が赤く染まっていたのはもしかしたら花火に照らされたからかもしれない。そしてそれは俺も。
「いや……ですか?」
メリーさんが俺を見上げる。そんな風に見つめられたらもう答えなんて一つしかないだろう。
「今から来年の話をしてどうすんだよ。どうせなら再来年もその先も見に来りゃいいだろ。それより今年はまだまだ長いんだこれからどんな楽しいことして過ごすか考えるぞ」
照れを隠すためについぶっきらぼうに言ってしまう。それでもメリーさんにはちゃんと伝わったらしく、目を輝かせていた。
「言いましたね! 言っちゃいましたね木内さん! 今の一言わたしの脳内ハードディスクにバッチリ記憶しちゃいましたからね! もうあれは間違いだって言っても取り消すことは出来ませんからね!」
「はいはい。わかってるって」
「ふふふ、今から楽しみですね」
なにかとんでもないことを言ってしまった気がしないでもないが、こうしてメリーさんが笑ってくれるならまぁそれも悪くないかととりあえず思うことにしたのだった。
次の日。
朝、俺の部屋の前に麦わら帽子にサングラス、アロハシャツに浮き輪まで装備した花村課長がいた。
「……なにやってんすか課長」
「え、あれ!? ここに来たらメリーちゃんの水着イベントが見れるって聞いてやってきたんだけど、もしかしてもう終わったの?」
「あ、えーっと、それはもう終わりました」
「な、なんで誘ってくれなかったのよー!? だってこの話のタイトル男女7人夏物語でしょ!? まだわたしの夏物語は始まってすらないのよ!? もうこうなったら今からでも海行くわよ海! ほらキューちゃん! 今すぐメンバーを集めて! これは課長命令よー!」
無人島の嵐よりも凄まじい台風が俺の部屋の周りに吹き荒れていたが、それはまた別の話。
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