メリーさんと男女7人夏物語(嵐の夜に編)

 翌日になっても雨は今もまだ降り続いていた。横殴りに降る雨はその勢いを弱めることはなく、天気が回復する兆しすら見えない。


 そんな中、俺の横でメリーさんが横たわっていた。昨日までの元気はすっかり影を潜め、額には玉のような汗が浮かんでいた。俺はTシャツを千切った布切れでメリーさんの額の汗を拭った。


「……やっぱり力の使いすぎが原因か」


 昨日まであれだけ元気だったメリーさんが調子を崩し始めたのは昨日の夜あたりからだった。なんだか頭がボーッとするという話から早めに寝かせたものの、夜もふけるとだんだんと苦しそうになっていった。そこから夜が明けるまでずっとメリーさんの様子を見ていたが、症状が緩和することはなく、今も時々苦しそうにしているのを見ると、胸が痛くなった。


 ……なんとかしないと。


 俺の中に焦りが生まれる。メリーさんがこうなったのはきっと力を使いすぎたことが原因だろう。それに加えて慣れない環境や満足のいく食事が取れないこともたぶん理由の一つとして考えられる。食料はまだ余裕がある。ただお腹は満たせても、疲れた体を回復させるには物足りないものばかりだ。特に今のメリーさんになにより必要なのはエネルギーとなるものだ。しかしこの島というよりこの世界には俺たち以外に生き物はいない。魚でも捕まえられたらまだ話は違ったんだろうけど、ここで手に入るのはヤシの実とバナナくらいだ。それでもないよりはマシだが。


 あとは……そうだな薬が欲しい。メリーさんに薬が効くのかどうかは知らない。でもメリーさんの苦しみを和らげることが出来るなら今はなんでも欲しかった。


 そんなことを考えていると「……木内さん」と弱々しい声で俺の名をメリーさんが呼んだ。


「起きたのか?」

「……ごめんなさい。わたしどれくらい眠っていましたか?」

「約半日ってところかな」

「……そうですか。今起きますね」

「おい、まだ寝てろって。動ける体じゃないだろ、だから無理するなって。それにこんな天気だ。外に出たくても出れないし、大人しくしてろ」

「でも……」

「いいから」


 無理に起きようとするメリーさんをなんとかなだめ、再び寝かせる。それでも申し訳なさそうにしているメリーさんを元気づけるために、出来る限り明るく振る舞う。とはいえこの中に留まって八日目、さすがに俺も疲れが出てきた。メリーさんにいつもの元気はなりを潜め、今では身動きどころか呼吸をすることも辛そうに見えた。


 メリーさんの額に貼りついた金糸のような髪をすくい、手を当てるとずいぶん熱っぽかった。目もなんだか潤んでいて、こんな状況じゃなかったら色っぽく感じてしまうほどだった。


 適当に濡らした布切れを額に乗せると、気持ちよかったのかメリーさんはいつのまにか眠ってしまっていた。


「……木内さぁん」

「ん? なんだ」

「…………」

「なんだ寝言か」


 夢の中でも俺のことを気にしてるのかもしれない。今は自分の心配をしろと思わず苦笑いを浮かべてしまった。


 …………。


「木内さーん」


 誰かが俺のことを呼んでいる。


「おーい、きーうちさーん」


 これはメリーさんか? にしてはなんかいつもと違うような。


「うーむ、なかなか起きませんね。……じゃ、じゃあ今なら大丈夫でしょうか。木内さんってばなかなか積極的になってくれませんからね。さすがにあの子と同じようなことをするのは気が引けますが、こ、これもぐずぐずしている木内さんが悪いんですからね!」


 なんだか異様な気配を感じ取りうっすら目を開けると、そこには目を閉じたメリーさんの顔があった。


 あまりのことに思わず飛び起きた。まさか起きるとは思っていなかったのか、エプロン姿のメリーさんが目をまん丸にしていた。


「……なにしようとしていた?」

「あ、おはよーございます木内さん。そんな怖い顔してどうしたんですか? あ、もしかしてまだねぼすけさんですか? もう朝なのでそろそろ起きてください」


 何食わぬ顔で振る舞うメリーさん。いや、今アイツ俺にキスしようとしてなかったか……?


 俺は辺りを見回す。そこは見慣れない場所だった。さっきまで無人島の洞穴の中にいたはずなのに、今いるのはまるっきり正反対のところだった。ふかふかのベッドにクリーム色のカーテンがかけられた窓。優しい色合いの壁紙にはシミひとつない。それより気になったのはメリーさんの格好だった。


「えと、その格好は?」

「なに言ってるんですか木内さん。わたしたちその……け、結婚したじゃないですか……!」


 結婚、結婚ということは今のメリーさんは新妻ということになる。ということは朝からエプロンを着けて朝ご飯の準備をしていたというわけで、それはつまり夫婦ということになる。だからエプロン姿なのか。なるほど確かに似合っていた。


「じゃなくて! お、俺とメリーさんが、け、けけけけっこんっ!? けっこんって結婚だよな!? あの事件現場に残されてるとかじゃないよな!?」

「それは血痕ですね。それはそうとどうしたんですか木内さん? さっきから様子が変ですよ。あ、もしかしてお熱でもあるのでしょうか?」


 そういうとメリーさんは自分の額と俺の額を合わせてきた。瞬間、俺の体温が三度くらい上昇した気がする。


「あれ、なんだか熱っぽい気がしますが大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫! 大丈夫だから! だいじょーぶ!」


 出来る限りメリーさんから距離を取ろうとする。じゃないと本当に熱でまいってしまう。


「それならいいんですが。ところでさっきから気になってたんですけど……なんでわたしのこと『メリーさん』って呼ぶんですか? いつもだったらその……ハニーって呼んでくれるじゃないですか」

「……マジですか?」

「マジですよー」


 メリーさんの目が笑っていなかった。絶対ウソだろうなぁ……。


 とりあえずメリーさんの戯言は無視して俺はベッドから出た。ダイニングにはきっとメリーさんが用意したんだろう、まるでホテルのバイキングのような朝食が並んでいた。


「ささ、ご飯にしましょう。なんでも好きなもの食べてくださいね。あ・な・た♪」


 思わず口にしていたポタージュスープを噴き出しそうになった。


「朝から驚かせるな!」

「えー、いいじゃないですか。だってわたしたち夫婦なんですから」


 ほらほらーと左薬指につけた指輪を見せつけてくる。もしかしてと自分の左手を見ると同じデザインの指輪がはまっていた。どうやら俺たちは本当に結婚したらしい。


「木内さんはどうかわかりませんが、わたしは木内さんと結婚出来て嬉しいのですよ? ま、木内さんはどうかわかりませんが」


 同じことを二回言うあたり本心から思っていないんだろうけど、メリーさんと結婚出来て嬉しいっていう気持ちは俺も同じだ。


「きょ、今日もご飯が美味いな。は、ハニー……」


 自分で言ってものすごーく恥ずかしかった。


 だって俺とメリーさんが結婚。そんなわけない。そんなわけないはずなのに、頭のどこかでそうだったら良いなって思っている自分がいた。


 メリーさんがキラキラと目を輝かせていた。でも小バカにした感じじゃなくて、照れているように見えた。


 そう思ってくれるんならたまになら言ってもいいかな。俺は焼き上がったトーストをかじりつきながら嬉しそうにしているメリーさんを眺めていた。


 …………。


 ……夢か。


 いつのまにか俺まで寝てしまったようだ。変な体勢とゴツゴツした地面で寝ていたせいで体が固まっていた。だよな。俺とメリーさんが結婚だなんて。ハハッと鼻で笑いながらふとメリーさんの方を見る。メリーさんはハァハァと苦しそうに呼吸をしていた。


「メリーさん!」


 俺は慌ててメリーさんに駆け寄ろうとするが、体が固まっていたせいで上手く動かなかった。それでも這いずるようにメリーさん元にたどり着くとすぐに額に手を当てた。熱い! 額に乗せてあったタオル代わりの布切れもすっかり温くなっていた。


「メリーさん大丈夫か!?」


 俺が呼びかけるがメリーさんは相変わらず苦しそうに息をしていた。くそっ、こんな時に寝てる場合か俺!


 後悔したところでこのメリーさんの体調が良くなるわけじゃない。だからといってこのまま眺めてるだけでも事態が好転することはない。


「と、とりあえず水だ!」


 奥の方にあるバケツに入っている飲み水を取りに行く。が、この嵐のせいで水を汲みに行くことが出来ず、蓄えていた水は底をついていた。


 振り返るとメリーさんは大きく胸で呼吸をしていた。早くしないと最悪のことも考えられる。こうなったら──。


 俺はまだ雨風が吹き荒ぶ外へと出た。洞穴から出た瞬間、勢いのついた風に吹かれて体ごと吹き飛ばされそのまますぐそばの岩壁に体を強くぶつけてしまった。


「……いってぇ」


 あまりの衝撃に頭の中がグワングワンして目の中に星が舞った。背中全体からぶつかったせいで鼻の奥が鉄の匂いでいっぱいになった。持っていたバケツも風で飛ばされて地面を転がっていた。海と岩山から吹く風が俺に覆いかぶさるように吹き込んで、油断しているとまた体ごと飛ばされそうになる。


 周囲には岩山をえぐり取ろうとするように波飛沫がぶつかって消える。その度に潮の香りの混じった雨が顔に打ちつける。


 予想以上の悪天候に思わず目眩がしそうになる。これが本当にメリーさんが創った世界なのか?


 でも、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。ぬかるむ砂浜に足をとられながら滝つぼを目指した。


 森の中へ入ると、風の影響か木の枝が折れていたり、酷いものでは木そのものが根から倒れていた。木々の合間から吹く風に乗って俺た枝や濡れた葉っぱが襲いかかってくる。それらをはねのけながらやっとのことで滝つぼにたどり着いた。


 それほど大きな滝じゃなかったはずなのに、この大雨のせいで滝というよりダムの放流のように水が降り注いでいた。うかつに近づこうものならその勢いにのまれて流されてしまいそうになる。けれどここ以外に水を調達できそうなところはない。


 ギリギリまで近づいてバケツを滝つぼの中に入れようとするが、やはり勢いが強すぎてバケツごと体が持っていかれそうになる。それでもなんとか水を汲み終えるとまた来た道を引き返す。バケツの中の水が重い。でも今も苦しんでるメリーさんの方がもっと辛いはずだ。そう思うとこの程度の重み苦ではなかった。


 どうにかメリーさんのいる洞穴へ戻ってきた。帰ってくるなりすぐにメリーさんに水を与え、濡れた布切れで顔の周りを拭いた。すると少しだが効果があったのか、さっきより呼吸も落ち着いていた。


 外はまた日が落ちてきたのか、薄暗かった空はさらにその闇を増していた。俺は備蓄していたバナナを一本口にする。


 天気が回復さえしてくれればメリーさんを快復させる何かを探しに行ける。今俺に出来ることはそれくらいなものだ。


 俺がなんとかしないと。


 俺が。


 雨はまだその勢いを弱めることはなかった。

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