メリーさんとシエル(10)
次第に目が慣れ辺りが見えてくるようになると、そこは元いた公園だと気づいた。
「どうやら本当に戻ってきたみたいだな」
「な、なんで……なんで出てこられるのよ!? お姉様たちですら出てこられないように使えるだけの力を使ったのにどうして!?」
俺たちが小部屋から抜け出してきたことでシエルが唇を震わせていた。
「ふっふっふ、わたしたちをあの程度の力で抑えようなんて百年早いんですよ!」
「嘘つけ。出る方法が見つからなくて一番焦ってたじゃねーか」
「うぐ……木内さんてば余計なことばかり覚えてるんですから。まぁ確かにもう少しで丸焼きになるところでしたよ……」
「でも丸焼きにならないで良かったじゃない。貴女、煮ても焼いてもきっと美味しくなさそうだもの」
「そんなことありませんよ! もしかしたらジューシーかもしれないじゃないですか!」
「……いや、お前は丸焼きになりたいのかなりたくないのかどっちなんだよ」
きっと条件反射で答えてるんだろうメリーさんにゲンナリした。
それより、
「シエル、俺たちをいくら閉じ込め「──シエル、これで貴女の悪行もこれまでです! いい加減お縄についてもらいましょうか!」お前はちょっと黙ってろ!」
ここぞとばかりに自分の存在を主張し出すメリーさん。というより、その縄どこから用意したんだよ!
「……貴方たちちょっと黙ってなさい」
「はい……」
「すいませんでした……」
不毛なやりとりを繰り広げる俺たちをアンジェがピシャリと黙らせる。
「さて、小芝居はこの辺りにして。シエル、わたしたちが戻って来たということはこれからどうなるかわかってるのかしら? 貴女には散々煮湯を飲まされたのだから、これからどうなるかぐらいは想像は出来るはずよね?」
「え……あ……」
アンジェが冷たく言い放つ。絶対零度の冷たさがそこにはあった。
「さてどうしようかしら?」
「アンジェ、ここはわたしに任せてもらえませんか?」
「あら、メリーさんてば美味しいところを独り占めする気?」
「いやいや、煮湯を飲まされたということならアンジェよりわたしのほうがひどい目に遭ってますからね。なのでその役目はわたしに任せてもらいたいんですよ」
「なるほど。それもそうね。本来ならわたしが手を下したいところだけど、わかったわ。今回はメリーさんにその役目を譲るわ」
「ありがたき幸せ」
まるで悪役幹部同士のやり取りのようなものを繰り広げたメリーさんがシエルを見据える。さっきまであたふたと騒いでいたはずなのに、シエルより大きく見える。
ふふふ、と妙な笑い方で距離を詰めるメリーさん。メリーさんが一歩前に出ればシエルが一歩下がる。さっきまでとはすっかり立場が逆転していた。恐怖からか顔がひきつっていた。シエルが逃げ出そうとする。
「アンジェ!」
メリーさんが叫ぶとそれを読んでいたかのようにアンジェが指をパチンッと鳴らした。それに合わせるようにシエルの行く手を阻むように透明な壁が現れる。
「な、なによこれ……」
脇目も振らず壁を叩くシエル。その後ろにメリーさんが迫っていた。
「こ、来ないで!」
シエルが力を使ってこの場から逃れようとする。しかし、
「どこへ行こうというんですかシエル。 力を使い切った貴女がここから抜けられるわけないじゃないですか」
メリーさんがいやらしい笑みを浮かべながらまた一歩踏み出す。俺はアンジェに声をかけた。
「……なぁちょっとやりすぎじゃないのか?」
「あら、だったら貴方が止めてくる?」
「……いやじっと見守ろう」
俺の決断は早かった。
「もう少しで追い詰めますよ。もう逃げなくていいんですか?」
「い、いや……助けて……」
シエルは顔面蒼白になっていた。見ているこっちの胸が痛みそうだった。
「さぁシエル。覚悟してください」
メリーさんが大きく手を振りかぶった。叩かれる! そう覚悟したシエルはギュッと目をつぶった。
しかし、いつまでたっても自分が叩かれることはなかった。代わりにそっと抱きしめられていた。まさか自分が抱きしめられるなんて思ってもいなかったのだろう。シエルが目を丸くしていた。
「お、お姉様……?」
「ごめんなさい」
メリーさんが謝る。自分がなぜ謝られたのかわからず、シエルはただ「は、はい」とだけ答えた。
「あの中でルシエラに会ったんです。ルシエラが話してくれました。あの時屋敷に火を放ったのが自分だということ、貴女に嫌になるまで生きろと助けられたこと、最期に貴女の姿を見たこと、それと貴女の孤独に気づけなかったこと」
「…………」
「でも貴女の孤独に気づけなかったのはわたしも同じです。だからごめんなさい」
「お姉様……」
メリーさんがシエルを強く抱きしめる。同じようにシエルも抱きしめる力を強める。
「それはそうと、わたしを姉と慕うならちゃんとケジメは大事ですよね?」
「ほえ?」
にっこりと微笑むメリーさんはまるで慈愛に満ちた女神のようにも見えた。だが、俺はその笑顔の奥に若干の悪意が潜んでいるのに気づいた。
「ご、ごべんなざいおねえさま……」
「誰に謝っているんですか? 本当に謝るのはわたしではないはずですよ」
するとシエルは俺たちの方に向き直って頭を下げる「ごべんなさい……」しゃくり上げながら謝る声はもはや声にすらなっていなくて、そこにはあれほど威圧的だった少女の姿はなく、ただ幼い女の子が泣いているようだった。
あの後メリーさんは特大のゲンコツをシエルに食らわせていた。というのもこれはここへ戻ってくる間に話していたことだが、きっとお互い素直に向き合おうとしても上手くいかないだろうということで一芝居うつことにした。それがあの三流ともいえない小芝居だったわけだが。それでもシエルの心をへし折るには十分だったようだ。……ただ思った以上に効果がばつぐんだったらしく、あれだけ尊大不遜だったシエルはさっきからずっとメリーさんの服の裾を握って離さなかった。
まぁなんにせよ、これで一件落着ってところかな。
「それはそうとこれからどうするんだ?」
「どうするってなにがですか?」
「シエルのことだよ。お前アイツにこの街から出て行ってもらうって言ってただろ」
「…………はっ!」
「はっ! じゃねーよ」
さてはなにも考えてなかったなコイツ。
「まぁでも別にこの街から出て行く必要ってのはないんだろ?」
「いいえ。わたしたちメリーさんは一度でも人間に危害を加えようとした場合その街に居られなくなるのよ」
苦い顔でアンジェが告げる。
「いや、その理屈ならお前らだって俺と初対面の時に色々しようとしてきただろ」
「でも貴方の身に危険は起こらなかった。でも今回の場合は違う。あの子は明らかな悪意を持って貴方に危害を加えようとした。それだけで十分な理由になるのよ」
「じゃあ俺が被害を受けていないと主張したら? それならいいだろ」
俺はアンジェに食ってかかる。アンジェは首を横に振った。結局のところ彼女たちがどうなるかの判断基準は俺がどう思うかではないようだった。
「……じゃあシエルはどうなるんだ?」
「……良くて追放、最悪の場合メリーさんじゃなくなる。特に今回の場合わたしたちはともかく、貴方に対しては命の危険すらあった。そうなるともしかしたら」
「──え」
その言葉にシエルの瞳が揺れる。服の裾を掴む指が白くなる。
「ね、姉様、それは本当ですの……?」
「ええ。本当の話よ」
「もうどうにもならないのか? ほら、メリーさん同士ならどうにか出来るとか何か方法があるとか」
「残念だけど」
「嫌よ! せっかくお姉様と一緒になれたのにこんなことでまた離れ離れになるなんて……」
「それはわたしだって同じですがこればかりは」
「いや! 絶対にいや! わたくしはお姉様とずっと一緒にいますの!」
その場に重い空気が流れる。俺たちはルシエラにシエルを独りにしないと約束した。それなのにその約束を果たすことすら許されない。俺たちは無力だった。
「何かお困りのようですね」
うつむき項垂れるそんな俺の耳元にそっと息が吹きかけられた。思わずその場から飛び退く。不意に俺がそんな風にするものだから三人も驚いていた。
「の、ノワール……!?」
「はい。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン。わたくしでございます」
そこにいたのはいつものとおりメイド服をまとった無表情お姉さんことノワールだった。それにしてもジャジャジャジャーンて……。
「木内様、何かお困りのようですね」
「こんなところでなにしてんのアンタ」
「木内様、何かお困りのようですね」
「それ以前に呼んだ覚えがないのですが」
「木内様、何かお困りのようですね」
「あとジャジャジャジャーンてガラじゃないでしょうに」
「木内様、何かお困りのようですね」
「アンタが人の話を聞いてくれないから絶賛困ってますけどね!」
どうやらこのまま押し切るつもりのようだ。……仕方ない。
「……ええ。今大変困ってます。よろしければお話だけでも聞いていただけませんでしょうか」
「かしこまりました。お話を伺いましょう」
無限ループに突入する前に俺の方から折れることにした。無性に負けた気分でたまらないが、あのまま戦っていてもこちらの心がへし折られるのは明白だった。
ノワールにこれまでのことを話すと「なるほど、わかりました」と、眉ひとつ動かさず頷いていた。
「つまり木内様たちはシエル様の処遇について悩んでおられるということですね」
「ああ。なんとかなるのか? 俺たちにはどうしようもないみたいだけど」
「ええ、主人の願いを聞き叶えるのがメイドの仕事と自負しておりますのでご安心ください」
表情筋を一切動かさないからその自信がどれほどなのかはわからないが、今までにも力を貸してくれていることからなにかしらの方法を知っているみたいだった。
「それはそうと木内様」
「なんだ?」
「メイドであるわたくしが主人のために働くのは自明の理ではございますが、それでもなにかしらの対価というものをつい求めてしまいます。いけませんねこれではメイド失格です」
やれやれと肩をすくめてみせる割にチラチラと視線を送ってくるあたりわかっててやってるんだろうなぁ。
「……わかった。なんとかしてくれたならこっちもアンタの言うことをなんでもひとつ聞く。それでいいか?」
「Marvelous。素晴らしいご提案です木内様」
一瞬だけだがノワールが微笑んだ気がした。
「では早速ご期待に応えてみましょう。」
妙な気迫を纏いながらノワールがメリーさんの傍らで子犬のように縮こまっているシエルに近づく。
「な、なんですのこの女……」
思わずたじろぐシエル。そりゃあ突然メイド服着た知らない人が変なオーラ撒き散らしながら近づいてきたら誰だってそうなる。
「シエル様。貴女にはこれから二つの選択をしていただきます。一つはこの街から大人しく去っていただくこと、そしてもう一つはわたくしの元でメイドの修行をすることでございます」
「は、はぁ!? なんでこのわたくしがメイドなんてしないといけませんの!?」
それまで大人しくしていたシエルが勢いを取り戻したように食ってかかる。だがノワールに動じる気配は一切ない。
「そもそもどうしてその二択ですの? 他にも選択肢はあるはずですの」
「いえ。これが最適解と判断した上でのことでございます」
「そんなバカな話聞けるわけないですの! わたくしは誰にも従いませんの! ずっとお姉様と一緒にいますの!」
「そうですか。ではこういうのはいかがでしょうか。今から三分間時間を差し上げます。その間にわたくしから逃れることが出来れば街からの追放もメイドの修行も全て免除の上、いつでもメリーさんと一緒にいられる権利を差し上げましょう」
「それは本当ですの?」
「はい。メイドたるもの嘘はつきません」
「……いいですの。ならばその提案受け入れますの!」
「ちょ、と、ノワール待ってください! なにわたしの許可なく勝手に決めてんですか! こういったことは一度事務所を通してからですね──」
「貴女はこちらにいらっしゃいな」
その提案に目を怒らせていたシエルは落ち着きを取り戻し、代わりに横で話を聞いていたメリーさんが狼狽していた。が、アンジェに引きずられていった。
「ところで三分間逃げられたらという話ですが、どこまで行っても構いませんの?」
「ええ。どこへ逃げても構いません。それどころかどんな手を使っても問題ございません。わたくしから三分間逃げ切ることがたった一つの条件でございます」
「そうですの。それを聞いて安心しましたの。お姉様! 待っていてくださいですの。必ずこの女に勝ってお姉様とのトゥルーエンドを勝ち取ってみせますの!」
シエルが大きく手を振っていた。どうやらよほど自信があるようだ。
「それでいつスタートですの?」
「いつでも」
「そう」
そう言うとシエルは一瞬にして姿を消した。いつの間にいなくなったのか、俺が瞬きをしている間のことだった。
と、それはそうと。
「お前らはなにやってんだ?」
傍らではメリーさんとアンジェがどこから取り出したのかテーブルとイスを用意していて、さらにその上にはメリーさんが作ったお弁当まで広げられていた。
「なにってランチの準備ですよ。ほら木内さんも見てないで手伝ってください」
「いや、それより二人のことはいいのか?」
「ああそれならノワールに任せておけば大丈夫ですよ。先ほどは思わぬ提案に取り乱しましたが、よく考えたら相手はあのノワールですからね。むしろシエルの方を心配してあげてください」
あっけらかんと言い放つメリーさん。その様子は言葉通り微塵も心配していないようだった。
そこへノワールがこちらにやってきた。……なぜかベッタリと腕にくっついたシエルを連れて。
「木内様、約束通りミッションコンプリートでございます」
「お、おう……お疲れ様。って、シエルどうしたんだ?」
「木内様……わたくしようやく真実の愛に目覚めましたの。これからはシン・お姉様の元で本当の淑女となるための修行に励みますの。ですのでお姉様、今までご迷惑をおかけしましたの」
うっとりした様子でノワールにしなだれかかるシエル。さっきまでとまるっきり人が変わったみたいになったシエルに俺は恐怖すら感じた。一体なにやったんだあの人……。いやそれよりもシン・お姉様って。
「それではわたくしはこれで失礼いたします。それと木内様」
「は、はい」
「わたくしの願いを聞き入れていただける日を楽しみにしております」
では、と言い残すと二人は去っていった。……最後のあの含みのある言葉、なにやらされるのか想像するだけで背筋に冷たいものが走った。
「さて、これでようやく終わった感じですね」
「そうね。ずいぶん長く感じたわ」
メリーさんとアンジェがいつの間にか座って一息ついていた。
「ほら木内さん、早く席に着いてください。わたしもうお腹が空きすぎてバクハツしてしまいそうです」
バンバンと行儀悪くテーブルを叩くメリーさん。その横でアンジェが落ち着いた様子で紅茶をすすっていた。
「もう木内さんが来ないなら一足先に食べちゃいましょう」
「ええそうね。色々ありすぎたせいでわたしもお腹が空いたわ」
そう言うと二人揃って弁当を食べ始めていた。我先にとメリーさん特製のから揚げに手を伸ばしていた。おいちょっと待て、それは俺のから揚げだ!
俺はそんな二人に食い尽くされる前に山盛りのから揚げに手を伸ばすのだった。
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