メリーさんとシエル(9)
「ふふ……ふふふ、誰も逃がしませんの。みんなこの中で燃え尽きてしまえばいいですの!」
シエルが顔を醜く歪めて笑う。
「おい待て!」
俺が炎の中に消えようとするシエルを追いかけようとする。しかし、
「待って!」
アンジェが俺を制した。そうしている間にシエルの姿は炎の中に消えた。
「……くそっ」
俺は歯噛みする。そして側にいたアンジェに大人気もなく食ってかかる。
「どうして止めたんだ? アイツを放っておいたらまた何をしでかすかわからないぞ」
「わかってる。でも見て」
アンジェがどこからか一枚の紙を取り出した。それをそっと風に乗せて飛ばす。すると、紙はたちどころに燃えてなくなった。
「これでわかったかしら。わたしが貴方を止めた理由が。普通ならここまでのことはわたしたちには出来ない。せいぜい屋敷を形創れる程度ね。でもあの子は自分の持っている力を全て使ってこの小部屋を創り出した。それは屋敷の中に存在する全てが本物ということ。今はわたしたちがバリア代わりに張った小部屋の力でなんとか危害が及ばないようにしているけど、これもいつまでも保つわけじゃない。となるといつまでもここに留まってるとわたしたちはどうなるかわかるわよね?」
「……そりゃ想像するだけで怖いな」
確かにシエルから決して俺たちを逃しはしないという強い意志を感じた。そんな彼女に俺は狂気のようなものを感じていた。
改めて周囲を見渡す。見たことのない屋敷の中、轟々と燃え盛る炎。アンジェの話である程度のことは聞いていたが、まさか俺が身をもって体験することになるとはつゆほども思ってなかった。
「じゃあさっきみたいにここから抜け出すための扉って出せないのか?」
するとアンジェがそっと手のひらを空中にかざす。が、さっきは現れたはずの扉が現れることはなかった。
「やっぱりダメね。あの子の力の方が強いみたい」
悔しそうにアンジェが唇を噛んだ。いつも冷静なアンジェがどことなく焦っているように見える。つまりそれだけヤバい状況ってわけか。
そういえばこんな状況になったら真っ先に落ち着きを無くしてるような奴がずいぶんと静かだった。気になって視線を下に向ける。メリーさんが腕を組んで考え事しているようだった。
「木内さん」
「ん、なんだ?」
「ど」
「ど?」
「どどど、どうしましょう! わたしたち閉じ込められてしまいました! え、えーと、えい! あれ!? なんで扉がでないんですか! さっきまで出せてたのに! ああああアンジェ! アンジェは扉は出せませんか!? え? 出せないって……、じゃ、じゃあどうしましょどうしましょ!? このままじゃまっ黒焦げになってしまいます! 上手に焼けましたー♪ って言ってる場合じゃないんですよ! ええ!?」
……全然大丈夫じゃなかった。
「つーか、さっきから静かだと思ってたらパニクってただけかよ! それにこれはなんの真似だ! と勢いよく叫んでたのにさっきまでの勢いはどこいった!?」
「だ、だだだって仕方ないじゃないですか! まさかシエルがこれほどの力を持ってるなんて思ってなかったんですから!」
「落ち着きなさい二人とも」
アンジェがピシャリと言う。こんな状況下であってもアンジェはアンジェ。冷静でいられるとはさすがだ。
「こんなところで言い争っていてもなにも始まらないは。ほら紅茶でも飲んで落ち着きましょう」
いつの間に出したのかアンジェがティーカップを手にしていた。しかしその手はものすごく震えていて、ティーカップがカチャカチャ鳴りっぱなしだった。……どうやらアンジェもパニクっているようだった。
「き、木内さん! どうしましょう! このままじゃメリーさんの丸焼きいっちょ上がりーですよー!? ウェルダンは嫌です! どうせならミディアムレアで!」
「……お前本当は楽しんでないか?」
俺はジト目でメリーさんを冷ややかに見下ろしていた。
と、そんな馬鹿なやりとりをしている場合じゃない。一刻も早くここから抜け出す糸口を見つけ出さなきゃ。
「貴方の言う通りね。それにしてもあの子の力を見誤っていたわ」
メリーさんだけでなくアンジェまで肩を落としていた。メリーさんはともかく頼みの綱のアンジェまでこんな調子だとますます焦りを感じてしまう。
……いや、二人にばかり頼ってたってダメだ。こういう時だからこそ俺もなにかいい考えを出さなきゃいけない。といっても、メリーさんについて知ってることなんて限られる。でもなにかあるはずだ。
小部屋、扉、開かない、鍵……。
「なぁこの部屋に鍵とかないのか?」
「鍵ですか?」
「ああ。部屋っていうくらいだからもしかしたら鍵みたいなのがあって、それで鍵かけられてるから扉も出てこないんじゃないかって思ってさ」
「そういえば鍵とは違うけど、わたしたちが創る小部屋にはその部屋を形造るための核となるものがあるわ」
「核?」
「ええ。核という言い方が正しいのか適切ではないのかもしれないけど、分かりやすく言えばその部屋の心臓とでもいうべきかしら。わたしたちは小部屋を創り上げる際にその小部屋のイメージとなるものを思い浮かべるの。そうするとそこからイメージにあった部屋が生み出される。そしてそのイメージとなるものに対する想いが強ければ強いほど、その小部屋は大きくまた複雑になる。さっきも言ったけどシエルはわたしたちを閉じ込めるためだけにこれだけのものを生み出した。それだけシエルのこの部屋に対する想いは強い」
「でもこの小部屋の心臓とやらを見つけ出せれば」
「なんとかなるかもですね!」
さすがです木内さん! とメリーさんがはしゃいでいた。何気ないことだったけど役にたてたようでよかった。だが、浮き足立つ俺たちとは対照的に、アンジェは浮かない様子だった。
「まだ問題でもあるのか?」
俺が尋ねるとアンジェは静かに首を横に振った。
「浮かれるのはまだ早いわ。仮にその心臓を探し出してここから抜け出せるかどうかはあくまで可能性の話。それにこの小部屋を形創っているものの正体もわからない。火の勢いから見てもそれほど長くは保たない。そんな状況でどうする気!?」
アンジェが語気を強める。確かにアンジェの言う通りだ。ここから抜け出すための鍵となる核を見つけることが出来ればそれに越したことはない。けれど俺はその核が一体なんなのかわかっていない。……せっかく糸口を見つけたと思ったのにまたふりだしだ。
「大丈夫です」
俺は最初何を言われたのかわからなかった。だから自然とそちらに体が向いていた。
メリーさんは笑っていた。いつものように。
「大丈夫ですよ。わたし信じてます。木内さんならきっと鍵を見つけてくれる、見つけられると」
メリーさんが俺の手を優しく握る。その小さな手から暖かさと一緒にメリーさんの感情が伝わってくるようだった。
「大丈夫。木内さんなら大丈夫」
辺りを包む炎の揺らぎにメリーさんの蒼い瞳が揺れていた。
そうだ。この瞳だ。メリーさんのこの瞳に見つめられるとなんでも出来そうな気がしてくる。
そういや俺とメリーさんが初めて会った時も大丈夫って励まされたっけ。根拠も何ないのに、どうしてかきっと大丈夫だって思ってしまう。
「……全く、そこまで言って鍵を見つけれられなかったらどうすんだよ」
「そこは見つかるまで探してみせる! って言うところですよ木内さん」
「ものすごい期待されてんな俺」
「当たり前じゃないですか。なんたってこのわたし、メリーさんが太鼓判を押すんですから」
「三文判の間違いじゃないのか?」
「誰が三文判ですか!」
メリーさんが腕をブンブン振り回しながらプンスカしていた。
「さて、話が決まったならさっさとこの部屋の心臓とやらを探さなきゃな」
「ですね」
「貴方たちわたしの話を聞いてた!? この広い屋敷の中にどんな形をしているかもわからない核を、ましてや炎の中を掻い潜って見つけるのがどれだけ大変なことか!」
「大丈夫だろ。要は俺たちが美味しく焼かれる前にここから脱出するための鍵を見つけ出せばいいだけだろ? きっと俺だけだったら諦めてたかもしれないけど、俺にはお前らがいる。だったら大丈夫だ」
俺はキッパリと言い切る。アンジェが反論する。
「でももし見つからなかったら──」
「見つかる。いや、この場合は見つけるが正解なんだっけ?」
「はいです。わたしたちなら見つけられます」
俺の言葉にメリーさんが大きく頷く。やがてそんな俺たちにとうとう根負けしたのかアンジェが肩を苦笑いでため息を吐いた。
「……ホント、貴方たちには負けるわ。わかった。だったらわたしも貴方の言葉を信じる。必ず見つけ出してここから抜け出しましょう」
「それで三人でお弁当食べましょう!」
「お前そればっかりだな!」
「いいじゃないですか。さっきからわたしお腹がグーグーなんですよ。早くしなきゃお腹と背中が入れ替わっちゃいます」
なんかとてつもなくよくわからない例えだった。ま、それくらい軽い気持ちの方がいいのか。今はそう思うことにした。
さて、鍵を探すとなったわけだけど、いざ探すとなったらそのなかなか骨が折れそうだ。例えるならヒントも何も無い状態で宝のありかを見つけ出せと言われているようなものだ。
俺たちをも焼き尽くさんとばかりに炎の勢いも強まっている。今はかろうじてメリーさんたちがバリア代わりの小部屋を展開しているらしいが、それも果たしてどれくらいも保たないらしい。ぐずぐずしている場合じゃないってのは重々わかってるつもりだが、ここで冷静さを失ったらそれこそシエルの思う壺だ。絶対に何か手がかりがあるはずだ。
……。
…………。
………………ダメだー! 何も思いつかない!
さっきまであれだけカッコつけて必ず見つける! とか言い切ったのにいざとなったらさっぱり思いつかない! それに二人とも期待の眼差しを向けてくるし……どうすりゃいい俺!?
「どこから探します木内さん!」
「一階からかしら、それとも二階? それなら二手に分かれる? でも安全のことを考えたら三人で行動したほうがいいかしら」
……うん。どこから探した方がいいんだろうね。俺は考えるのを諦めようとしていた。
こっち。
「え?」
「どうしました木内さん?」
「今なにか言ったか?」
「いいえなにも」
「わたしもなにも言ってないわ」
「そっか。そうだよな」
なにか聞こえたような気がしたんだけど、気のせいだったかな。
こっち。
まただ──! 今度ははっきりと聞こえた。
「誰だ!」
「木内さん?」
突然叫んだ俺を心配してか、メリーさんが俺の手をギュッと握る。
「聞こえたか今の!?」
「聞こえたってなにがですか?」
「今女の子の声で『こっち』って聞こえたんだ。お前らは聞こえてないのか?」
「いいえ。わたしにはなにも」
アンジェの返答にメリーさんも頷いていた。もしかしてあの声が聞こえていたのは俺だけなのか?
それにしてもこっちとは一体……。
こっちに来て。
「お前は誰なんだ! こっちってどこに行けばいい!? 答えてくれ!」
すると、視界の片隅に人影が見えた。
「待ってくれ!」
「ちょっと木内さん!」
俺は弾かれたように走り出す。後に続くように二人もついてくる。人影は音もなく廊下を進んでいく。しかし廊下には俺たちの行く手を阻むように炎が渦巻いていた。その火の勢いに思わずたたらを踏んでいると、その渦巻いていたはずの炎はどういうわけか俺たちに道を譲るかのように左右へと広がった。
「……まさかここを通ろうとした瞬間に元に戻るとかないよな」
「もしそうだったら一瞬でウェルダンね」
いつの間にか追いついていたらしいアンジェとメリーさんが俺の両腕にしがみついていた。……ちょっと動きにくい。
とにかく先に進まないと。そう決心すると静かに一歩を踏み出す。周囲を警戒しながら進む。メラメラとした炎が今にも襲いかかってきそうだった。
「まるで焼き魚になった気分ですね」
メリーさんがぎゅっとしがみつきながら言う。どうにもこいつは余裕があるのかないのかよくわからない。でも言いたいことはよくわかる。
どうにか炎の道を抜けると、一つの扉が俺たちを迎え入れるように開いた見えない誰かに手のひらで踊らされている気がしてならないけど、先に進む以外の選択肢がない今それに従うしかなかった。
部屋の中には三つ並んだ椅子と大きなスクリーン、映写機があった。
「こんな部屋あったかしら……」
アンジェが信じられないと言った様子で呟く。同調するようにメリーさんが「あの時代にこんなものはなかったはずです」と否定した。
「お待ちしていました木内様」
スクリーンの影から姿を現したのは俺たちよりかなり年の離れた老婆だった。しかし白く輝く銀髪はきっちりと束ねられ、背筋もしっかりと伸びていた。凛々しい。そんな言葉が脳裏を掠める。キリッとこちらを見据える目元にはいくつか皺があったが、それすら老婆の凛々しさを現しているかのようだった。それにしてもこの老婆、どこかで見たことがある気がする。
彼女の姿を見てアンジェが叫ぶ。
「まさか、そんなこと……貴女は……ルシエラなの!?」
「ええ。久しぶりねアンジェ。貴女たちは今もあの頃と変わらない姿をしているのね。わたしの記憶のままだわ」
「久しぶりね。どれくらいぶりかしら。でもなぜ貴女がここに? 貴女は随分前に亡くなっているはず。それなのにどうして」
「ここはシエルの生み出した世界。もちろん本物のわたしはとうの昔に亡くなってるわ。だからここにいるわたしはあくまでシエルの生み出した世界の一部に過ぎない」
「いや、でも……それならどうしてわたしたちの前に現れたのですか? シエルの生み出したものの一部であるならシエルの意にそぐわない行動は出来ないはず。シエルが貴女とわたしたちを会わせるわけがありません」
「ええ。貴女のいう通りよゴメス。いえ、今はメリーさんと名乗ってるのだったわね」
ルシエラは眉根を下げて、でも口元は笑ってみせた。それが俺にはどことなく寂しそうな印象だった。
「教えてくれルシエラさん。貴女は一体何者なんだ?」
「わたしが何者か。それを教える前にわたしからも一ついいかしら?」
「なんだ?」
「シエルは貴方たちに対して迷惑をかけただけでなく、危害を加えようとした。でもそのことでシエルを恨まないであげてほしいの」
「どういうことだ」
「……シエルがあの子があんな風になってしまったのは、わたしが原因だから」
「貴女が原因?」
アンジェが首を傾げていた。ルシエラが頷く。
「わたしは貴女たちが思っているような人間じゃない。そんな立派な人間なんかじゃない」
だってこの屋敷に火を放ったのはわたしなのだから。
ルシエラの告白に俺たちは返す言葉を見つけられなかった。
「ルシエラ、それはどういう」
「言葉通りの意味よアンジェ。あの時屋敷に火を放ったのはこのわたし。シエルじゃない」
「でもシエルが火を放ったのはわたしだと──」
そこでアンジェは言葉を詰まらせた。何かに気づいたようだ。そしてそれはルシエラも同じだったようだ。
「……違う。あの子はそんなこと一言も言ってなかった。もしかしてシエルは貴女のことをかばって」
「それってどういうことですかルシエラ!?」
「言葉どおりの意味よ。わたしはあの子に全ての罪を押しつけた。全てをあの子のせいにすることでわたしはわたしとして生きてきた。そう。わたしはあの子に全ての罪を押しつけてしまった」
ルシエラがそっと映写機に手を触れる。
「少し昔話をしてもいいかしら? 大丈夫。ここなら火の手は来ないから安心してくれていいわ」
俺たちは側にあった椅子に座る。それに反応するように彼女の側にあった映写機がガララと音を立てて動き出す。スクリーンに映し出されたのはずいぶん幼いルシエラの姿だった。大きな屋敷の前でルシエラが不機嫌そうにしながらもその手には古いデザインの着せ替え人形が握られていた。
「わたしの両親は小さな頃から仕事ばかりでちっとも家にいない人たちだった。今だったら地主としてそこで暮らす人たちのために家族を犠牲にしてまで働いていたってことがわかる。でも幼かったわたしにはそんなことわからなかった。いつもいない父や母を恨んでいた。それと同じくらい寂しくもあった。屋敷には両親の他に使用人たちがいたけど、彼女たちはわたしが雇い主の娘っていうこともあって、関わろうとしなかった。もしわたしに何かあれば大変なことになるってわかっていたからでしょうね。そんなわたしに父がくれたのがこの人形だった。わたしはこの人形にシエルと名づけてとても可愛がった。朝も昼も夜もそれこそ眠る時もずっと一緒だった。でもわたしの孤独感がなくなることはなかった」
ガラララと大きな音とともにスクリーンの中の写真が切り替わる。次に映し出されたのは少し大きくなったルシエラと今と大して変わらない姿のアンジェ、それとメイド服姿のメリーさんの姿だった。
「懐かしい写真ね」
「覚えているかしら。これはわたしたちが出会った頃のものね。この頃からわたしは変わったと思う。ゴメスが家にやって来て、アンジェともお友達になった。毎日がとても楽しかった。こんな日がいつまでも続いてほしいと思ってたわ」
再び写真が切り替わった。今度はメリーさんたちと同じくらいに成長した姿のルシエラだった。
「この頃になるとわたしは少しずつ周囲のことを理解できるようになった。それは大人になるということ。いつまでも子供のままではいられない、だから少しでも両親のためになることをすれば父も母もわたしを見てくれると思っていた。でもそれは叶わない願いだった。あの時代は産業の発展が目覚ましく、今までのような農業だけでは村はたちまちに無くなってしまうと考えた父は新しい産業を始めようと躍起になっていた。だから今まで以上に家に帰ってくることはなくなったし、母もそんな父を支えるために付きっきりだった。だからわたしも必死に勉強した。本当は都会の学校なんて行きたくなかった。ずっとこの村で父と母と貴女たちと楽しく暮らしていたかった。でも、この家に産まれてしまった以上そんな些細なわがままさえわたしには許されなかった。朝から晩まで勉強させられた。最初の頃はこれが両親のため、わたしのためだと思っていた。だけど月日が経つにつれてわたしは疲弊していった。両親どころかアンジェたちにも会うことが出来なくなった。知らない間にわたしは追い詰められていた」
「だから屋敷に火を放ったの?」
アンジェの静かな問いかけにルシエラは少女のように震えていた。
「あの日、屋敷に火を放った夜のこと。わたしはこの中で一人その人生を終えようとしていた。こうすればもしかしたらお父様やお母様が来てくれるかもしれない、こうすればわたしを失ったことを後悔するだろうって思いながら。でもそれをあの子は許してくれなかった」
「シエルか」
「そう。わたしが自身の死を受け入れたとき彼女はわたしの目の前に現れた。そしてこう言ったの」
『貴女がこれ以上生きるつもりはない。ここで死ぬつもりならそれでも構わない。でも貴女が死んでお姉様が悲しむのは許さない。だからわたくしが貴女を生かしてあげる。ずっと長く、嫌になるほど生きて生きて、それでもまだ死にたいと言うならわたくしがその命を奪ってあげる。だからそれまでせいぜい足掻いて生きてみなさい』
「そう言ってシエルはわたしの頭にそっと手の乗せたの。次にわたしが目を覚ました時には見知らぬ家のベッドの上だったわ。そこで話を聞いてあの子が全ての罪を引き受けてくれたことを知った。……あとは貴女たちの知る通りよ」
「そんなことが」
メリーさんが肩を落としていた。
「でもね、あの一言でわたしは目が覚めた気分だった。わたしはずっとわたしのことしか考えていなかった。お父様もお母様もゴメスもアンジェもみんな誰かのことを考えていた。この中でわたしだけが自分のことしか考えていなかった。それをあの子が気づかせてくれたの」
そういえば、とルシエラが何かを思い出したように顔を上げる。
「わたしが家族に見守られながら最期を迎える時あの子が来てくれた気がしたの。もしかしたらわたしの勘違いかもしれないけど」
「勘違いじゃないですよ」
メリーさんが真っ直ぐにルシエラを見据えて言う。
「シエルは口は悪いですが、きっと貴女のことを大事に想っていたはずです。ただその感情の伝え方が上手くないだけなんです。だからわたしたちもそのことに上手く気づいてあげられなかった。でも安心してください。これからはわたしたちがシエルの側にいます。もちろんあの娘が嫌って言うまで一緒にいます。もう一人ぼっちになんてしてあげません。だからルシエラ、もう貴女も一人ぼっちじゃありません」
メリーさんがルシエラをそっと抱きしめる。抱きしめられたルシエラはいつの間にか少女の姿へと変わっていた。
「……本当にもう一人ぼっちじゃないのね」
「はい。わたしが──わたしたちがいます」
重なるようにアンジェも二人を抱きしめた。そこで俺はようやく彼女が誰なのか思い出した。
マザー・ルシエラ。孤児や困っている人々に寄り添い続け、愛を説いて世界中を回った人物だ。その功績は彼女の死後何十年経った今も語り継がれていて、彼女と触れ合った人たちの中には国の指導者になった者や次代につながる働きをした人物などたくさんの偉人がいた。なるほど。その原点はここだったわけか。
「ところで貴方たちはここから出る方法を探しているのだったわね。それならこれを使いなさい」
ルシエラから手渡されたのはどこかの扉の鍵だった。
「そのスクリーンの後ろに扉があります。そこから元いた世界に帰ることが出来るでしょう。木内様、どうかわたしの大事な友人を、家族をよろしくお願いします」
「わかってる。あとは任せてくれ」
俺は鍵を握りしめる。鍵からじんわりと熱いものを感じた。スクリーンを退けると言われた通り古い扉があった。俺は扉に鍵を差し込む。カチャン、と音がした。
「ルシエラ、最後に貴女に会えてよかった」
「わたしもよアンジェ。ゴメス、いえメリーさん。貴女にもまた会えてよかった」
「わたしもですルシエラ。もう会えないと思っていました」
そう言うと三人は再び互いを抱きしめあった。
「それじゃ戻るか」
俺が確認すると二人とも大きく頷いた。
ゆっくり扉を開くと真っ白な光が飛び込んできた。あまりの眩しさに目がくらみそうになる。
振り返るとルシエラが手を振ってくれていた。
「さようならルシエラ」
メリーさんの頬に一筋の涙が流れた。やがて俺たちは暖かな光に包まれた。
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