メリーさんとシエル(8)

 道ゆく人を眺めながら、俺はポケットの中に入れていたスマホを取り出す。時間を確認してまた戻す。もう何度目になるかわからないこの行動。数えてはないけど、少なくとも十回はスマホの画面を眺めた気がする。


 ここは最寄りの駅の近くの公園。ということはメリーさんの働く弁当屋が近くにある公園というわけだ。


 俺がここにいる理由はただ一つ。もう一度メリーさんにあってちゃんと話をするためだ。


 ……とカッコつけてる割に内心震えていた。実際、あの一件以来メリーさんんとは会ってないし、連絡もできていない。まぁそもそも連絡先を知らないってこともあるけど。


 そのため、クオーレと会ったあと、すぐに柴田とアンジェのいる部屋に向かった(なんかマリカーで熱戦を繰り広げていた)恥も承知でアンジェにメリーさんと会う機会を作ってもらった。何かしら言われるかと思ったけど、アンジェは相変わらずの素っ気なさで「そう。わかったわ」とだけ答えた。これはあとで柴田が教えてくれたが、俺が帰った後ずっとメリーさんと俺がどうやったら仲直り出来るか考えていたそうで、俺が連絡を取ってもらうよう頼みに来たことでホッと胸を撫で下ろしていたそうだ。今度アンジェにもちゃんと礼をしよう。


 と、そこへ遠くの方で見慣れた姿が見えた。彼女の姿を捉えた瞬間、心臓が早鐘を打つのを感じた。


 いつものトテトテした動きとは対照的にゆっくりと歩いてくる。まだ俺の方には気づいていないようだった。その歩みが一歩一歩近づいてくるたびに俺は思わず逃げ出してしまいたい衝動に駆られてしまう。もちろんそんなことはしない。けど、それくらい緊張していた。こんなに緊張したことなんて取引先で企画のプレゼンをする時以来だった。


 いやその前に何話せばいいんだ? よくよく考えたらそれすら考えていなかった。いい天気ですね? お元気したか? ……いくらなんでも白々しすぎるだろ。俺がそんなことをつらつらと考えていると「なに一人でブツブツ言ってるんですか?」彼女──メリーさんの姿があった。メリーさんは久しぶりにというかいつもの真っ赤なドレスで現れた。考え事していたせいで、突然目の前に現れたメリーさんに思わずたじろいでしまう。


 ……やばい、なに話せばいい? 俺の背筋にじっとりと汗が滲む。さっきから何か言わないといけないと思ってるくせに、言葉が何も浮かばない。それどころか、普段なら頭二つ分小さいメリーさんを俺が見下ろす形になるはずなのに、目の前にいるメリーさんは俺の何倍も大きく見えた。逃げ出したい逃げ出したい逃げ出したい。俺の中にどうしようもなく弱気な自分がいた。


「あの、木内さん」

「ひ、久しぶりだなメリーさん! き、き、今日はいい天気だな!」

「えっと、午後から天気が崩れるそうですよ?」

「そ、そうだったな! 今日は午後から天気が崩れるんだった。と、ところで元気だったか?」

「ええわたしは元気ですが、むしろ木内さんの方が元気だったのか心配でした」

「俺は……元気だったぞ!」


 わずかな沈黙の中に俺も色々あったけどなと言いそうになるのをグッと押し込める。


「…………」

「…………」


 か、会話が続かない……。前までだったらこうもっとなんていうかフランクに話していたはずだ。それがどういうわけか、全くと言っていいほど話が弾まない。メリーさんがじっとこちらを見ている。その瞳は他になにか言うことはないのか? と訴えかけているようだった。


 なにかってなにを話せばいいんだよ……。しっかりしろ俺。あーダメだ! すっかり頭は真っ白になっていた。


「あ、あの、木内さん」

「からあげ弁当美味かった!」

「……はい?」

「だから弁当美味かった!」

「えっと……それはどうも」


 でもなんで今? と言いたげなメリーさん。俺は有無を言わせないよう言葉を続ける。


「お前の作ってくれる弁当はいつも美味い! 中でもからあげ弁当は絶品だ! 毎日どころか毎食食べたいくらいだ!」

「毎食って、そんなに食べたら牛になっちゃいますよ……」

「でも美味かった。柴田たちも美味しいって言ってた」

「は、はぁ……」

「それにお前がアンジェに連絡してくれたおかげでこうやって何事もなく過ごすことが出来てる。……って、俺お前に迷惑かけてばっかだな」


 そういやこうやって助けられたのって今に始まったことじゃないんだよな。自分で言ってて悲しくなってきた。


「正直今日来てくれるか心配だった。来てくれないとずっと思ってた。でもお前はこうやって俺の前に来てくれた。本当はさ、俺ずっと心臓が破裂しそうなくらいで今も震えてるんだよ。笑っちゃうよな」

「そんなこと」

「本当なら俺からお前に連絡しないといけないのに、それをアンジェに任せっきりにしちゃうし、お前の連絡先知らなかったってのもあるけど、それならアンジェに聞けば良かったんだし、やっぱり俺から連絡するべきだったんだよな」


 俺は静かに首を振る。ここに至ってそんなことすら思いつかなかったことに自分の不甲斐なさを恨みたくなる。


「えと、あの、木内さん……」

「大丈夫だ。わかってる。今日お前がこうしてここに来てくれたのだって最後くらいは顔見ておいてやるかぐらいの気持ちで来てくれたんだって思ってるから」

「いや、そうじゃなくてですね……」

「でも俺も最後にメリーさんの顔を見れて良かったって思ってる。……お前の作った弁当を食べられなくなるのは勿体無い気もするけど、仕方ないよな」


 あはは、と笑って悲しい気持ちを出来るだけ押し殺す。


「最後にもう一度でいいからお前の作った弁当食べたかったな」

「そ、それならここに──」

「でもそれももう叶わない。……なんでこうなってしまったんだろうな」


 俺が落胆する様子を隠すこともなく、それじゃあとその場を離れようとする。


 が、


「……ちょっと待ってください木内さん」


 どういうわけかメリーさんは大変怒っていらっしゃるようだった。そのあまりの剣幕に思わずたじろいでしまう。


「……貴方って人はいつもそうですが、どうしてこうも人の話を聞かないのでしょうか」

「え、と、メリーさん?」

「わたしがいつ今日でお別れだなんて言いましたか!? なんでこういつもいつも一人で勝手に突っ走っちゃうんですか!? それで一人で悩んで苦しんで、勝手に結論付けて落ち込んで、挙句の果てには弁当が美味しかっただなんてよくわからないこと言い出すし、もうなんなんですか!?」

「ごめんなさい……」

「ごめんなさいって言えばなんでも解決するって思ってませんか!? そりゃあわたしだって木内さんがシエルと……その、き、キスしてるところ目撃しちゃって、正直、驚くどころか落ち込みましたよ。でも、木内さんとわたしは別になんでもない関係ですし、それこそ木内さんが誰とキスしていたってわたしがどうこう言える立場じゃないってこともわかってます。……でも嫌だったんです」

「…………」

「木内さんがシエルと一緒にいるってだけでも嫌だなって思っていたのに、キスまでしてて……。大事な話があるって言われたからなに言われるんだろうってちょっと変な期待もしてたから余計に」

「いやあれは──」

「わかってます。全部アンジェから聞きました。あの時のことも木内さんがここしばらく大変だったということも。でもわたしはそんなことがあったなんて一つも知らなくて、一番傷ついてるのは木内さんだったのにそれすらもわかっていなくて、わたしまで木内さんを苦しめる原因になっていました」


 ごめんなさい。メリーさんが頭を下げる。さっきまで大きく見えていたはずの彼女はすっかり小さくなっていた。


 いや俺の方こそ、いいえわたしの方こそなんて二人で頭を下げあうものだから、それがおかしくてつい二人して笑ってしまった。


「もうなんなんですか」

「そっちこそ」

「ふふ……なんか悩んでいたのがバカみたいでした。でもわたしも木内さんと同じでずっと緊張してたんですよ?」

「お前もかよ。でもきっと俺の方がずっと緊張してたぞ」

「いやいや、わたしの方がもっと緊張してましたよ。それこそ朝ご飯がいつもなら五杯は食べられるのに今日は三杯しか食べられなかったんですから」

「食い過ぎだろそれ……」


 でもまあ、最初から悩む必要なんてなかったんだ。結局俺たちはこうやってまた笑い合うことができる。

 だからなんにも気にする必要なんてなかったんだ。


「でもこんなことならもっと早く連絡しておけばよかったな」

「そうですよ。わたしずっと木内さんから連絡来ないかなーってスマホの前で正座して待ってたんですから」

「いやいや、だって俺お前の連絡先知らないし」

「あれ? そうでしたっけ?」

「そうだよ。お前からいつもかかってくるけど、なぜか番号が表示されないからこっちからかけたくてもかけられないし」


 あれどうなってんだ? と尋ねるも「ふっふっふ、乙女の秘密です♪」とかなんとかイラっとすることを言われた。


「でも〜、木内さんがどうしてもっていうならわたしの連絡先教えてもいいですよ〜?」

「いえ結構です」

「はぁ!? ここまでの流れならぜひ貴女様の番号をこのわたくしにお教えください! って言うところじゃないですか!」

「んなこと言うか!」


 気がつけばいつものペースに巻き込まれていた。


「あ、木内さんお腹空きません? わたしお弁当作ってきたんですよ」


 ほら、とメリーさんがバスケットからお弁当を取り出す。サンドイッチやらおにぎりやら、中には俺の好きなからあげも入っていた。


「そこで座って食べませんか?」

「そうだな。せっかくだし頂くよ。にしても結構な量だな」

「久しぶりに木内さんに会えるのでちょっと頑張っちゃいました」


 えへへ、といつものように笑って見せるメリーさん。もし仲直り出来なかったらどうするつもりだったんだろうと思うものの、そんな無粋なことはさすがに言わない。今こうやって二人笑い合えるだけで十分だろ。


「あ、お弁当に気を配りすぎて飲み物まで気が回りませんでした……」

「じゃあ俺飲み物買ってくる。メリーさんはなにがいい?」

「いいんですか?」

「弁当用意してもらっておいて飲み物しか用意できないけど、せめてそれくらいさせてくれよ」

「それじゃあお言葉に甘えて。わたしは緑茶でお願いします」


 その間に準備しておきますね、とメリーさんがベンチに座ってバスケットの中身を広げていた。


 ……今日来てよかったな。


 俺は歩きながら自然と顔がにやけそうになるのを必死に堪えていた。


 メリーさんと会えないことがこんなにも辛くて、メリーさんと話せることがこんなにも嬉しいなんて。顔を突き合わせればケンカばかりして、でもたまに外に出かけたり、夕飯をご馳走になったり、変なことに巻きこまれたり、大変なことも多々あった。でもそんなこと全部ひっくるめて今こうしていられることがとても嬉しいと思う。ちょっと前の俺なら絶対に思わなかった感情だ。


「えっと、緑茶は……っと」


 自販機の前で目的の品を選ぶ。俺も緑茶にしておくか。自販機から取り出したペットボトルは水滴が付いていた。


 ペットボトルを二つ抱えてメリーさんのいるベンチに戻る。遠くに彼女の姿が見えると、なぜか早く戻りたいとつい足早になってしまう。


 ……ああそうか。俺はきっとメリーさんのことが── 。


「そこまでですの」


 俺のさっきまで高鳴っていた俺の心臓が急激に冷えていくのがわかる。それまで騒がしくさえあった周囲が一時停止したかのように音もなく止まっていた。


「やっぱり来たか」


 俺が振り向くと、今一番見たくない奴の姿がそこにあった。


「こんにちはですの」

「……よう。久しぶりだなシエル。相変わらず元気そうで何よりだ」

「それはこちらのセリフですの。あれだけのことをされればいくらなんでも諦めてくれると思っていたのですけれど、なかなか図太い神経をなさっていますですのね」


 懲りずにお姉様と一緒にいるなんて。シエルがギリっと歯を食いしばって顔を歪めた。


「いや、お前が思っている以上にダメージは大きかったぞ。この数週間で体重が五キロも減った」

「あら、それなら健康になってよかったですの。でもどうせならもう少しお痩せになってはいかがですの? それこそ干からびて身動きがとれなくなってしまうほどに」

「少し会わない間にずいぶんと口が悪くなったんじゃないか? お前の持ち主のルシエラとは大違いだな」

「どうしてその名を!? ……なるほど、姉様ですのね。でもそれを知ったからといってなにかが変わるわけでもありませんの。むしろ、だからどうかしたのですの」

「まぁ確かにな」

 

 こればかりはシエルの言う通りだ。アンジェからメリーさんとシエルの過去を聞いたところで俺がシエルより優位に立てるわけじゃない。なんとなく言い返したかっただけだ。


「それよりなにか用か? 俺は今からメリーさん特製のお弁当に舌鼓を打たなきゃいけないから早く戻りたいんだけど」

「そうはさせませんですの。今ままでならお姉様のことを思って見逃してあげていましたが、貴方は調子に乗りすぎましたの。だからわたしがこれ以上お姉様に近づけないように最後の忠告、いえ警告に来ましたの。木内様、どうかお姉様から離れていただけませんの?」


 シエルの言葉はとても丁寧で声色もいつも通りだ。しかしその中に含まれている感情はそれとは対極にあった。


 さっきまでメリーさんに抱いていた緊張感とはまた違った緊張感があった。はっきり言ってシエルの前に立っているのも辛いくらいのプレッシャーがあった。でも俺は引かない。


「お前の言う通りに従って俺がメリーさんの前から姿を消したとして、それでメリーさんが諦めると思うか?」

「どういうことですの?」

「これはあくまで憶測だけど、きっとアイツは俺が離れようとしても探しにくると思う。どこに行ってもそれこそ地の果てまでもな」

「それは貴方が勝手に思っていることではございませんの?」

「そうかもしれない。でもアイツならきっとそうするって思ってる。もし俺がアイツと同じ立場だったらそうするからだ」

「ずいぶんな自信ですのね」


 シエルが鼻で嘲笑う。


「でもそんな戯言もこれまでですの。だって貴方はこの中から出ることは出来ないのですから」


 シエルがパチンと指を鳴らすと、それまで公園の中にはたくさんの人が行き交っていたが、途端、人の気配の一切が消えてなくなった。


「まさか……秘密の小部屋か?」

「あらご存じでしたの? そう。ここはわたくしが作りあげた小部屋。ここからは誰も抜け出すことはおろか立ち入ることすら出来ない。すべてはわたくしの思うがまま。貴方はこの中で一人寂しく生きるしかないですの」


 ふふふ、とよほど俺をこの中に閉じ込めることが出来たことが嬉しかったのか、笑いを抑えきれないようだった。


 シエルのいう通りこの人が一人もいない空間に一人閉じ込められたらそりゃあ頭がどうにかなってしまうだろう。でもそれは言葉の通り出られない場合の話だ。


「……なにがおかしいんですの?」


 怪訝そうに俺を睨みつけるシエル。いかんいかん、知らない間に笑ってしまっていたようだ。「いや別に」と明らかになにかあるのになにもないフリを通す。俺が余裕そうにしているのが気に入らないのか、俺を睨む力を強くしていた。


「まぁいいですの。所詮、貴方の強がりなどわたくしにとっては瑣末なこと。気にするだけ時間の無駄ですの」

「時間の無駄ねぇ。こちらとしては少しくらいは気にしてくれてもいいと思ってるんだけどな」

「この後に及んでまだ戯言を吐ける余裕があるのですね。その図太さにある意味感心してしまいますの。それとも頭の方が残念なだけなのかしら?」


 悪意のこもったというより、敵意のこもったという方が正しいかもしれない、言葉のナイフを投げつけてくる。こちらとしては気にしていない風を装っているが、実際にはちょっと傷ついてたりする……。


「これ以上貴方と話すこともございませんことですし、そろそろわたくしは行きますの」

「なんだもう行くのか? もう少しくらいゆっくりしていってもいいんじゃないか?」

「ご冗談を。本来なら貴方の相手をする時間さえも惜しいくらいですのに、それでも相手して貰っていることを感謝してほしいくらいですの。貴方と話す時間があるなら一刻も早くお姉様の元に──」

「わたしがなんですって?」


 突如、シエルの背後にメリーさんとなぜかアンジェが現れた。


「お邪魔しまーす。って、こんなところにいましたよ。もう! 木内さんったらどこまで飲み物買いに行かれていたんですか。おかげで探しましたよ」


 メリーさんが両手を腰に当ててご立腹なさっていた。まぁご立腹といっても本気で怒ってるわけじゃなくじゃれついてるようなものだった。


「悪い。ちょっとしたアクシデントに巻き込まれてな。それよりなんでアンジェがいるんだ?」

「たまたま散歩していたら偶然会ったのよ」

「たまたまねぇ。本当はメリーさんのことが心配で見に来たんじゃないのか?」

「そ、そんなわけないじゃない!」

「そうなんですかアンジェ?」

「……そんなことよりなんだか面白いことになってるわね」

「話すり替えやがった」

「ですね」

「うるさいわよそこ二人」


 名指しでアンジェに睨まれる。本気で怒ったアンジェはなるほどメリーさん並みに怖いみたいだ。


「それより早く戻らないとお弁当大丈夫なのか?」

「は! そうでした! 早く戻らないとわたしが早起きして作り上げた渾身のお弁当が悪くなってしまいます!」

「……まさかそのまま放置してきたのか」

「そんなわけないじゃないですか。ちゃーんと安全なところに隠してありますよ」


 安全なところってどこだ? ふと思い返してまさか……と、メリーさんのスカートに視線が移る。


「ちょ、そんなところに隠すわけないじゃないですか!」


 メリーさんがプンスカなさっていた。


「ちゃんと小部屋の中に置いてますよ。あの中なら冷暖房完備なんで、例え砂漠のど真ん中だろうが南極のど真ん中だろうがお弁当は安全です!」

「その前にそんなところで弁当食いたくねーよ!」

「それなら早く戻ってお弁当食べましょう。いくら小部屋の中が冷暖房完備とはいえあんまり放置しておくとお弁当も悪くなりそうですし」

「だな。せっかく買った飲み物も温くなっちまう。そうだ、せっかくだしアンジェもどうだ?」

「いいですね! お弁当はたくさん用意してあるのでアンジェもぜひ食べてください」

「ええ。それじゃあお言葉に甘えようかしら」


 メリーさんと連れ立って小部屋を出ようとする。が、当然のことながらシエルに止められた。


「ちょ、ちょっと待ちなさいですの!」

「なんですかシエル。早くしないとお弁当が悪くなってしまうのですが」

「お弁当なんてどうでもいいですの! それよりどうやってお姉様たちがここに!?」

「そんなの簡単なことですよ。普通に外から入って来ただけです」


 ほらこうやって、とメリーさんがなにもない空中に手を差し出すとそこにはさっきまでなかったはずのドアが現れた。まさかの展開にシエルは言葉と一緒にさっきまで纏っていた勢いも無くしていた。


「そ、そんなはずはありませんですの! だってこの能力は絶対に誰も入ることも出ることも出来ないはず! それがどうして!?」

「あのですね、この小部屋の能力は絶対に誰も出入り出来ないってわけじゃないんですよ。わたしたちメリーさんであれば基本的に出入りは自由なんです。強いて言うなら、人間に対してのみ有効な力といったところでしょうか。ま、それにしたってわたしが阻止しますけど」


 自信たっぷりに言い返すメリーさん。いつもと違った凛々しい姿に珍しく頼もしさを感じた。


「シエル。貴女が木内さんにしたことは許せません。ですが古いよしみです。このままこの街から去っていただけるならわたしはそれ以上なにも言いません」


 自分よりも背の高いはずのシエルを鋭い目つきで睨みつける。本気で怒っていた。俺のためにメリーさんが。


 だが、


「……どうして、どうしてそんな人間のためにお姉様がそこまでなさるんですか!?」

「どうして? そんなの決まってるじゃないですか。わたしがここまでするのは木内さんだからですよ」


 ふふんと自信たっぷりに胸を張る。その横ではアンジェが愉快そうに笑っていた。


「そうね。確かにメリーさんのいう通りだわ。わたしもただの人間相手ならここまでしない。そう思えるのはきっと彼だからなのよ」


 まさか二人にそこまで言ってもらえるとは思えず、言われた俺はちょっと照れくさかった。


「……そうですの。お姉様だけでなく姉様まで。ふふ……わかりましたの」


 シエルが俯いたまま肩を震わせる。


「シエル?」


 メリーさんがシエルに触れようとした瞬間だった。


 パチンっと何かが弾ける音がした。シエルがメリーさんの手を払った音だった。するとぐにゃりと周囲の景色が歪んでいく。そして歪んだ側から景色が段々と形造られていく。出来あがったそれは屋敷の中、だがその屋敷は燃え盛る炎に包まれていて、焼き付くような熱と息苦しさがあった。


「これは……」

「……もしかしてあの時の」


 メリーさんとアンジェがそれぞれ言葉を発する。


「もしかしてここが」

「ルシエラの屋敷です。それよりなんの真似ですかシエル!?」

「なんの真似? ふふふ、そんなのお姉様をここから逃さないための舞台ですの」

「舞台? これの何が舞台ですか! 今すぐ元に戻しなさい!」

「ご冗談を。わたくしが逃すわけないですの。お姉様はここでわたくしとずっと一緒にいますの!」


 シエルが高らかに笑う。 


「……ふふ、逃がしませんの。ここからは誰も。お姉様も姉様もそして……お前も!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る