メリーさんとシエル(7)
「これでわたしの話は終わりよ」
アンジェが話を終えると喉が渇いていたのか、自分の前に置かれていたティーカップを手に取って──顔をしかめた。
「……すっかり冷めちゃってるわねこれ」
淹れなおしてくる、とアンジェがティーポットを手にキッチンへ行ってしまった。
俺と柴田はうなだれていた。
「……なんつーか、思った以上に重い話だったな。つまり、メリーさんがシエルという女を生み出すきっかけになったというわけか」
柴田が重々しく口を開く。あくまでアンジェの話だけだから、どこまでが真実で、なにが真相なのかは知ることが出来ない。それでもシエルがどうしてメリーさんに固執するのか、それは理解できた。
「にしても、話だけ聞いてると結構ツンデレだよなアイツ」
柴田が愉快そうに笑うと、キッチンの方からかなり大きめのクッションが飛んできて柴田めがけてそのままクリーンヒット。
「……ったく、地獄耳が」
「大丈夫か?」
「ん、ああ。これが空き瓶とかだったらさすがに危なかったかもしれん」
「いや、まぁ……うん」
そういう問題か? と思ったが言い返さないでおいた。
「でもそのシエルって女がどうしてお前らに執着するのかこれでよくわかったな」
メリーさんを自分のものにするためには人を危険に晒すことすらなんとも思っていない。その理由がただ純粋にメリーさんに対する好意のみで動いていることがなにより恐ろしかった。
「そういや一つ気になったんだけど、どうしてあの子だけメリーさんって呼んでるんだ? ウチのもアンジェリカなんて大層な名前ついてるし、お前らをつけ狙ってるのもシエルって呼ばれてるんだろ?」
そういえばそうだ。アンジェの話の中でメリーさんはゴメスと呼ばれていた。それが今ではメリーさんと呼ばれている。確かメリーさんというのは俺たちでいう日本人といった一つのくくりのようなだと前に聞いた気がする。
「それに関して説明してあげるわ」
新しく淹れなおした紅茶を運んできたアンジェが得意げに言う。
「あの子がメリーさんと呼んで欲しいって言ってきたのよ」
「なんでまた?」
「あれはわたしたちがパリにいた頃……」
「その話長くなるか?」
俺が聞くとアンジェはちょっとムッとしていた。どうやら長くなる予定だったらしい。さすがにそれはご遠慮いただいて、簡潔に話してもらうことにした。
「要はゴメスって呼ばれることが嫌だったのよ」
至極もっともな理由に俺と柴田はだろうなと頷いていた。
「でもルシエラにつけてもらった名前なんだろ? 勝手に変えたりしていいのか?」
「別に名前そのものを変えてるわけじゃないから問題ないもの。それにゴメスという名前だってメリーさんの本当の名前じゃないのだし」
「アイツに本当の名前があるのか?」
「ええ。わたしたちメリーさんはこの姿になる前に付けられた名前が自身の名前になるの。それは絶対に変えることは出来ないし変わることもない」
「じゃあクオーレはどうなんだ?」
「あれはあの子が勝手に名乗ってるだけ。あの見た目で日本名なのが気に入らないみたいよ。わたしはいい名前だと思うけどね」
メリーさんの本名か。アンジェの話だと出会う前のことはなにも覚えていないようだから、きっと本当の名前も知らないのだろう。
「じゃあメリーさんってのはなんなんだ?」
「さぁ? 知らないわ。わたしがこの姿になってから貴女はメリーさんなのよと教えられただけだからどうしてわたしたちがメリーさんと呼ばれるのかなんて考えたこともなかったもの。貴方たちだって日本人なのよと言われてそれを不思議に思ったことなんてないでしょう」
納得出来るような出来ないような返答に、俺はともかく、柴田はそれ以上考えるのをやめたようだ。
それからしばらく三人で雑談をしたあと俺は自分のマンションへと帰った。昨日の出来事のはずなのにずいぶん久しぶりに帰ってきたような気分だった。
ベッドに寝転ぶと慣れ親しんだ硬いマットレスの感触が伝わってきた。天井を見上げてみる。はたしてどうしたものか。メリーさんとシエルにある確執のようなものは理解できた。しかしそれと俺とメリーさんの仲が拗れたことはまた別の話だ。少なくとも俺がやらないといけないことはメリーさんとの仲を元に戻すことだ。その上でシエルをどうにかする。……考えてみるだけでもなかなか難しい話だった。
それから二日。会社からは季節外れのインフルエンザに感染したという適当な理由で一週間の休みをもらっていた。とはいえ、本当に体調を崩して休んでいるわけじゃないからすることがない。事情が事情なのであまり外に出歩くのもなんだかなぁと感じていたから、普段は見ることのできないお昼のテレビ番組を見ていた。
ソファーに寝転びながらこれからのことをぼんやりと考えていた。
とりあえずメリーさんと話をしなけりゃ先には進まない。その話をする段階でかなり難易度が高いわけなんだけど。スマホを手に取って連絡先を開く。メリーさんの連絡先は知ってるけど、かける勇気が出ない。画面をワンタップするだけでメリーさんにつながる。たったそれだけのはずなのに、その一歩が踏み出せない自分に情けなさを感じていた。
メリーさんなにしてんだろうな。
そこへピンポーンと部屋のインターホンが鳴った。まさか! と思って慌てて部屋のドアを開ける。そこにいたのは──メイドさんだった。
俺は瞬時にドアを閉めた。
ピンポーン。またインターホンが鳴る。
ガチャ、
「お帰りなさいませご主人様」
「いえ、違います」
ドアを閉める。
ピンポーン。ガチャ、
「宅配便です」
「メイドを注文した覚えはありません」
ドアを閉める。
ピンポーン、ピンポンピンポン、ピンポーン。
鳴らないどころか、鳴り止まないインターホン。さすがに鬱陶しかったので渋々ドアを開けた。
「来ちゃった」
「お引き取りください」
俺は相変わらず無表情なメイドさんに間髪いれず言い放つ。ドアを閉めようとするが、案の定、足をドアの間に挟み込むことでそれを防いでいた。
「……なにか用ですか?」
「用という用はないのですが、噂に聞くと木内様がメリーさんとギクシャクしているらしいので、そんな落ち込んでいるであろう木内様の様子を伺いにまいりました」
「ホント、なにしに来たんだよアンタ!?」
「というのは冗談でして」
「……今のが冗談じゃなかったら俺泣いちゃうよ?」
「それは失礼いたしました。しかし木内様が落ち込んでいると聞きましたのでご様子を確認するためにお伺いしたのは事実でございます」
「なんでまた」
「落ち込んでいる状態の木内様に少しでも優しくすればコロッと堕ちてくれるのではないかと思いまして」
「帰れ!」
……なんかもうね、叫び疲れたよ俺。たった数分で残っていた俺のメンタルが粉々になるのを感じた。
「それはそうと木内様、思っていたよりお元気そうでなによりです」
「……おかげ様でね」
俺はぐったりしながら答えた。
「でも、本当にお元気そうで安心しました」
ノワールがふっと表情を緩めた。いや、無表情なのは相変わらずなんだけど、なんていうか、雰囲気が違うというかなんというか。本当に俺のことを心配してくれて来てくれたんだなって思った。俺はノワールのそんな姿に強く当たって悪かったなと後悔した。
が、
「これならばあちらの方も」
ノワールの視線が下に向いていた。視線の先には……、
「どこ見てんだよ!」
「いえ。これだけ元気ならばあちらの方もご健在なのかと思いまして」
「思いましてじゃねぇよ!」
……さっきまでの感動を返してほしかった。
本当に何しにしたのか、あの後すぐにノワールは帰ってしまった。冗談(?)は言うけど嘘は言わない。てことは本当に俺の様子を見に来ただけだったようだ。
さっきまで騒がしくしていたせいで、一人になるとやっぱり静かだ。
時刻は昼過ぎ。体を動かしていないから気にしていなかったけど、お腹空いたな。
…………。
気づけばメリーさんがバイトしている弁当屋の近くに来ていた。物陰に隠れるようにしてお店の方を窺う。
って何してんだ俺!? これじゃただのストーカーだ。でもこっそり覗いてみる。お昼時ということもあってみえの方はとても忙しそうにしていた。しかし店の外にも中の方にも今会いたい人の姿はない。
休みか? それとも……。
また嫌なことを思ってしまう。どうにもあの一件以来変なふうに考えがちだ。
でもいないならいないでここにいる意味もない。いや、せっかくだし店員さんに聞いてみるのも、と、
「こんなところでなにをブツブツと呟いてんのよ」
口から心臓が飛び出るかと思ったという表現があるが、今の俺がまさにそうだった。
「な、なんだ……ユキちゃんか」
「ユキちゃん言うな!」
ユキちゃんことクオーレが肩を怒らせていた。クオーレは珍しくいつもの水色のドレスではなく、黒色のキャスケットに白黒のボーダーシャツに白のパーカー、デニム生地のショートパンツを身につけていて、いつも流している銀髪は二つに結えていた。パッと見だけでも今どきの女の子といった装いだった。
「アンタこんなところでなにやってんのよ。もしかして変質者?」
「違うわ! その……暇だったからぶらぶらしてた」
間違ってない。間違ってはないけど、確かにこんな平日の真っ昼間かっらこんなことしてたら変質者に間違われてもおかしくない。
「そ。ならいいけど。わたしてっきりメリーさんの様子でも見に来たんだと思ってた」
「…………」
思いっきり図星だった。しかし一番驚いていたのはなぜかクオーレのほうで、
「え、まさか本当に様子見に来てたの? うわ、なんかゴメン……」
すごく申し訳なさそうに謝られた。
それから俺とクオーレは近くの公園内にあるカフェに来ていた。このカフェから公園を一望する事ができ、平日の昼間なのに人の数はそれなりにあった。俺たちもそのテラス席に座って楽しく談笑と言いたいところだが、
「…………」
「そんなに落ち込まないでよ。……もう、ゴメンってば」
いい年をした大人が自分よりも明らかに年下の女の子に慰められていた。これこそ平日の真昼間になにやってんだと問い詰められても文句は言えない。
「ほ、ほら、あの子の様子が気になってんのアンタだけじゃないから! わたしだってこんな格好までして様子見に来てんだから。メリーさんの事が心配なのはアンタだけじゃないんだから──ってなに言わせんんのよ!」
クオーレがなんか一人で盛り上がっていた。
「そっか。お前もメリーさんのこと気にしてたんだな」
「そ、そそそ、そんなわけないじゃない! まさかメリーさんだけじゃなくてアンタのことも心配だったからわざわざノワールに様子見に行かせたとかそんなんじゃないから!」
「わかったわかった」
照れがひどすぎてもはや自分でもなにを言ってるのかわかってないんだろう。自分で自分の首を絞めていることにも気づいていないようだ。でも、クオーレを見てると一人で悩んでいたのがばかばかしく思えてきた。
「なにがおかしいのよ」
「いや別に」
「なんけよ! 言われよ!」
「ホントなんでもないんだって。それより方言」
俺が指摘するとハッとして口元を押さえていた。
「……もうほんとになんなんけアンタ」
ちょっと涙を浮かべながら俺を睨みつけてくるクオーレ。さっき驚かされた分ちょっと仕返ししたくなったりもしたけど、それは抑えた。
「お前俺のことも心配してくれたんだな。ありがとう」
「べ、別にそんなんじゃないちゃよ。ただアンタが元気ないとあの子も元気なくなるから仕方なく……よ」
多分途中で方言が混じっていたのに気づいたんだろう。最後の方は無理やりいつもの口調に戻していた。
「それはそうとなにがあったのよ。ノワールに聞いても、えっと、ちじょーのもつれ? とかなんとかよくわかんないこと言ってたし、アンジェに聞いてもさぁねとしか言わないし」
「……まぁ色々だ」
あの時のことをあまり思い出したくないってのもあったけど、クオーレのような純粋な子には余計な知識は吹き込みたくないってのが本音だった。むしろそんなこと話したらあとでアンジェたちから吊し上げを喰らうだろう。クオーレは頭にハテナマークを浮かべていた。
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