メリーさんとシエル(5)
わたしがあの子と出会ったのはもう何年も前のこと。その頃わたしはフランスのある地方にいたの。そこは自然豊かなところで今住んでる街とは正反対なところだった。それでもある程度道なんか整備はされていたから何もないってわけじゃなかったけど、時折、行商の馬車や旅人が通るくらいで、特になにもないやっぱり静かなところだった。
その頃のわたしは村外れに住んでいて、占いや簡単な薬を作って生計を立てていた。もちろん薬っていってもハーブや薬草をブレンドした程度のちょっとしたものだから気休めくらいの効果しかなかったけど、それでも村人たちからは重宝されていて、見た目がほとんど変わらなかったり、着ている服のこともあったから村人からは魔女様って呼ばれていた。
その村には一軒の大きな屋敷があって、村を取り仕切る地主の家だった。村を取り仕切るだけあってそれなりの大きさの家にはルシエラという女の子がいた。ルシエラは地主の家の一人娘でとても大切にされていた。その子はいつも一体の着せ替え人形を持っていた。人形は亜麻色の髪と瞳をしたとても綺麗な人形だった。
その当時人形といえば陶器で作られたものや布で作られたものしかなかった。服を着せ替え出来る人形というのはあるにはあったけれど、木製で出来たそれも等身大のマネキンのようなものしかなかった。だからルシエラの持っていた、それも海外製という着せ替え人形はかなり珍しいものだった。どうやら娘可愛さに地主の主人がかなりのお金を払って商人から買ったもので、小さな土地くらいなら買えるくらいのお金を払ったとか。
ただルシエラの両親は地主という立場のせいもあって、いつも忙しくしていた。父親の方は家の当主ということもあって、村だけでなく周辺の土地の管理だったり、近くの村長や領主との謁見によく出ていた。母親の方も夫に付き添って謁見に出ていたり、貴族女性との付き合いでこちらも家を空けていることが多かった。そのこともあったのでしょうね。ルシエラが寂しくないようにと考えたんだと思う。
でもルシエラはいつも一人だった。
屋敷には使用人が住んでるとはいえ、ルシエラにとっての家族ではない。両親が不在の中、唯一心を許せるのが彼女の持つ人形だけだった。
ルシエラはその人形をとても大切にしていた。どこに行くにもその人形と一緒でわたしの店に来る時もその人形を大事そうに抱えていた。片時も離そうとせず、ルシエラにとってその人形は家族で自分の妹みたいなものだったのかもしれない。
そんなある日のこと。使用人と一緒にわたしの店にやってきたルシエラの持っていた人形の服が変わっていた。わたしがその服どうしたのかと尋ねると、使用人の一人が作ってくれたと嬉しそうに話してくれたわ。
ルシエラはとても人見知りする子で、話しかけても逃げてしまったり、ましてや笑顔を見せることなんてほとんどなかった。それが以前とは打って変わってよく笑うようになって、人見知りもすっかりなくなった。話しかければ前ならすぐ人の影に隠れるような少女だったのに、今では自分から話しかけてくるようになり、人形の洋服を作ったとわたしに見せびらかせに来ることもあった。
わたしは何がルシエラをここまで変えたのか不思議だった。ルシエラに変化があったのはいつからだろう、着せ替え人形を買ってもらってそれからだ。確か人形の洋服が変わった頃からルシエラも変わったように感じる。それより気になったのは人形から感じた“わたし”と同じ気配だった。
それからしばらくして地主の家に用があったので訪ねると、木の上に登ったものの降りられなくなったらしい子猫と、それを下から「降りてきてくださーい!」と精一杯背伸びしながら手を伸ばす女の子がいた。一見すると使用人の誰かなんだろうが、わたしはどうしても彼女から目が離せなかった。シニョンにした金髪とサファイアのような蒼い瞳。他の使用人と同じ格好をしているのに、彼女の持つ雰囲気がむしろそれをむしろ違和感に変えていた。
普通の人間と違う。貴族とか高貴な身分とかそんなのじゃない。人間とは根本から違う存在。彼女からはわたしと同じものを感じていた。
もしかして彼女が? 洋服から感じた気配はわずかなものだったからそうだと言い切れないところもあったが、多分間違い無いだろう。
じっと見ていたからか、使用人の子がわたしに気づいた。それから木の上にいる子猫とわたしとを交互に見ていた。とてもアワアワしていた。きっとお客様をお出迎えしないといけない。でも子猫も気になるといったところだろう。それを見かねてわたしは彼女の側まで歩いて行った。それから子猫に向かって「降りてらっしゃい」と言うと、それまでそこから動こうとしなかった子猫がスルスルと降りてきた。そのまま子猫はたたたーとどこかへ行ってしまった。
一瞬の出来事に少女は口を開けて呆けていたけど、思い出したように「あ、あのありがとうございました!」と本当にペコリという効果音がつくんじゃないかというぐらい勢いよく頭を下げた。
「あの、貴女は村外れの……魔女様ですよね?」
「ええ。皆からはそう呼ばれているわ。アンジェリカよ」
「アンジェリカ……天使様ですね」
「と言いながら魔女と呼ばれてるけどね」
わたしが冗談めかして言うと、使用人の子は失言だと思ったようでまたアワアワと取り乱していた。
「落ち着きなさい。わたしは魔女と呼ばれることについて別に嫌がっていないの。むしろわたしのイメージにぴったりで気に入ってるわ」
得意げに言いながら長い黒髪を払う。その言葉に安心したのか、使用人の少女はようやく体の強張りを解いた。
それにしても本当に綺麗な子だと思う。遠目からでも綺麗な子だとは思っていたけれど、金糸のような髪は太陽の光で眩いほどに輝き、透き通ったサファイヤのような蒼い瞳は思わず吸い込まれてしまいそうになる。間近で見ると綺麗って言葉そのものが陳腐に感じてしまうほど彼女は美しかった。
「あ! まじょさまだー!」
少女の声にハッとなった。思わず目の前の彼女に見惚れていたようだった。どうやらルシエラがわたしを見つけたらしく、屋敷のほうから駆けてくるのが見えた。わたしは見惚れていたことを気取られないよういつものように振る舞う。
「こんにちわルシエラ」
「こんにちわーまじょさまー! 今日はなんのごよー?」
「今日は貴女のお父様に呼ばれてきたのよ。あら、またお人形さんの服が変わってるのね」
「うんー! ゴメスに作ってもらったー」
「ゴメス?」
急に聞き慣れない名前が出てきて頭にハテナマークを浮かべていると、側にいた使用人の女の子が俯いていた。
「ねー、ゴメスー!」
ルシエラが使用人の手を握ってぶんすかと振っていた。女の子の方は俯いたままされるがままといった様子で、どうやらこの子の名前がゴメスということらしい。
「もしかして貴女がゴメス?」
「……はい」
使用人の女の子──ゴメスは静かにというか、消えいってしまいそうな声で頷いていた。
それからというもの、わたしは度々彼女に会いに行くようになった。彼女がわたしと同じ、もしくはそれに近い存在だということが気になったのもあったけれど、なによりゴメスがとても働き者だったからというのが一番の理由だ。ゴメスは人のために働くのが好きみたいで、それこそ朝から晩までそれこそ休みなく働いていたんじゃないかと思う。なにも周りの人達が嫌がらせで働かせているわけじゃない。休めと言っても聞かず、いつも誰かのために働こうとしていた。そこでわたしが話し相手になってほしいと頼んだのだ。さすがに魔女様の頼みということならということでどうにか落ち着かせることが出来たわけだけれど、油断するとまた動こうとするので、こうして話し相手になってもらってるというわけだ。
ただ最初は彼女のためにということで始めたことだったけれど、そのうちわたしの方が彼女と会話するのを楽しみにしていた。村人たちからは魔女様と敬われているせいで彼らとは距離があった。それでもいいやと思っていたけれど、本音を言うと寂しいと言う気持ちがなかったわけじゃない。そこへ降って湧いたかのように現れた彼女に気づけばわたしまで心を開いていた。
「なるほど。それでゴメスと名付けられたのね」
ゴメスが淹れてくれた紅茶を堪能しながら納得したように言う。なんでもゴメスと名付けられた女の子はたまたま屋敷の前で倒れていたところをルシエラが見つけたそうだ。普段ならあまり外に出たがらないルシエラが急に部屋を飛び出したので、使用人が慌てて後を追うと、屋敷の前で女の子が倒れていたということだった。倒れていた女の子はどこから来たのか、それ以前に名前すら覚えていなくて、行くところがないなら使用人としてこの屋敷いてはどうかということでこの屋敷に住むことになった。ちょうどルシエラの遊び相手が欲しかった両親にとっても、年が一番近かったからちょうど良かったのだと思う。それにしても男性名であるゴメスと名付けられた彼女には少しだけ同情した。
「ゴメスはすごいんだよー! この子のお洋服とかパパパーってすぐに作っちゃうの! まほーみたい!」
ルシエラが自慢げに人形を見せてくる。今回の洋服は真っ赤なドレスだった。それもかなり手が混んでいる。これを作るのもそう簡単じゃないだろう。けれど、きっとルシエラの笑顔のために頑張ったって思うとだったらそれはルシエラのための魔法と言えなくもない。
「あら、魔法が使えるならゴメスも魔女様になっちゃうわね」
わたしがゴメスの方を見ながら言うと、ルシエラは「まじょさまが二人だー!」と目を輝かせながらゴメスの方を見ていた。ゴメスはゴメスでとんでもないと謙遜していた。
「ねぇせっかくだしわたしにも洋服を作ってくれないかしら? もちろん報酬は弾むわ」
「と、とんでもないです! 魔女様のお召し物を作らせていただけるなんてそれだけで光栄すぎて、報酬なんて要りません!」
ゴメスが首が千切れちゃうんじゃないかというくらい首を横に振った。
「いいのよ。報酬は貴女の技術と時間に対する対価だもの。むしろ受け取ってくれない方が失礼に当たるわ」
「……しかし」
「わかったわ。それならこうしましょう。わたしが貴女の願いを一つ叶えてあげる。これならどうかしら?」
「願いですか?」
「もちろん今すぐにとは言わないわ。どうしても叶えたい願いがあるならその時に言ってくれればいい。なんでも叶えてあげられるってわけじゃないけど、簡単なお願いくらいなら聞くことは出来るわ」
これでも村外れの魔女様ですもの、と付け加えて。するとゴメスは少し考えたように間を空けて、
「だ、だったらわたしとお友達になっていただけませんか!?」
思わずわたしは面食らった。なんて言っていいか迷っていると、それを誤解したのか「わわわ、忘れてください! ……ごめんなさい」と小さくなってしまった。
……まさか自分が思っていたことを言われるとは思っていなかったので、こちらの方がドキドキしていた。
「……べ、別にいいわよ」
「ほえ?」
「だから! わたしが貴女の……その友人になってもいいと言ってるの!」
照れ隠しから少し怒ったようになってしまった。それでも彼女は嬉しかったのか「えへへ……」とその整った顔をぐしゃぐしゃに崩していた。
「ありがとうございます魔女様!」
「待ちなさい。貴女とわたしが友人になったのだからその魔女様というのはやめてくれないかしら」
「だったらなんとお呼びすれば」
「アンジェで構わないわ。様付けもいらない」
「よろしいのですか?」
「よろしいもなにも、わたしと貴女は友人なのでしょ? だったらそれくらいは当然よ」
つい緩みそうになる口元を隠すために紅茶を飲む。
「はい! はい! わかりましたアンジェ!」
「ルシエラもまじょさまとゴメスとお友達になるー!」
「ならお嬢様ともお友達ですね」
「わーい! おともだちー!」
「……全く。騒がしいわね」
そう言いながらもわたしはそれほど嫌な気持ちはしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます