メリーさんとシエル(4)
目を覚ますとそこは見知らぬ天井だった。体を動かそうとすると頭がズキズキ痛む。……あれは夢じゃなかったってわけか。少しばかりあれが夢だったことを期待する自分がいる一方で、シエルに対する怒りが込み上げてきた。
それよりもここどこだ?
見た感じ俺の部屋じゃないことは確かだ。かといって俺がいた公園のベンチってわけでもない。俺が寝ているのは明らかに俺が普段使っている物よりツーランクぐらい上等なベッドで、かけられている布団もどこぞのホテルで使われているようなものだった。
「…………」
暫し考えてみる。当然わからない。
「あら、起きたのね」
そこへずいぶん聞き慣れた声が降ってきた。
「アンジェ……か?」
アンジェは読んでいた本を閉じると俺の顔を覗きこんできた。
「体調はどうかしら? うん、熱はないみたいね」
アンジェは口元だけで優しく微笑む。そこへもう一人部屋に入ってきた。
「お、起きたか」
「柴田……!?」
なんでここに柴田が!? いやそれよりここどこだ? 取り乱す俺をなだめるように柴田が「これでも飲めよ」とペットボトルの水を渡してきた。
「ありがとう……」
「調子はどうだ?」
「……おかげさまで元気いっぱいだよ」
「そうか。それだけ冗談が言えるんならそれほど心配しなくても良さそうだな。一応、会社には俺から連絡しといた。課長に話したら後は任せておけって話してたぞ」
「……悪いな」
「いいって。そのおかげで俺も有給取れたし、ま、課長からお前が何か変なことしないか監視しておけって名目だけどな」
「大袈裟だな」
柴田の言いたいこともわかる。俺はあの後のことをほとんど覚えちゃいないが、柴田がそう言うってことは俺が本当自殺しかねないくらい取り乱していたんだろうと容易に想像がつく。
というより一番疑問なことをすっかり忘れていた。
「なぁ、ここどこだ?」
「ここか? 俺ん家だよ。コイツが急に血相変えて俺に助けてほしいって言うから何事かと思ったら、公園でお前が紙袋抱きしめたまま寝てるから、とりあえず俺の部屋まで連れてきた」
「……そうか。何から何まで迷惑かけっぱなしだな俺。それよりどうしてアンジェがいるんだ?」
「コイツか? コイツは道端で転がっていたのを俺が拾った」
柴田がアンジェの頭をわしゃわしゃしながら言うとアンジェが柴田の脛を蹴った。
「──っ、いったー……」
痛がり脛を抑える柴田にアンジェは何かあったかしら? とそしらぬご様子。
「……コイツとは数ヶ月前に会ったんだよ。街で変なのに絡まれてたから助けたらなぜか知らんが俺の部屋の前にいた。んで気づいたら居座ってる」
「あら迎え入れてくれたのは貴方の方じゃない。わたしたちメリーさんは相手が迎え入れてくれないと部屋の中に入れないもの」
「だそうだ。最初の頃は電波なこと言い出す変なやつだと思ってたが、今は俺の家に勝手に住み着いてる変なやつだ」
柴田が苦々しげに言うと今度はふくらはぎに一発のローキックが。あまりにも綺麗なフォームなので世界獲れるんじゃないかと想像してしまう。
「それにしても柴田がまさかアンジェと一緒に住んでるとは思わなかった。でもどうして俺が公園にいるってわかったんだ?」
俺の質問にどう言うわけか二人が顔を見合わせて困ったように視線を伏せた。
「なんだよ……」
「貴方を助けてってわたしに連絡してきたのはメリーさんなのよ」
「メリーさんが!?」
思わぬことに俺は唖然とした。それと同時に今一番聞きたくない名前に胸が痛んだ。
「夜遅くに突然わたしのところに連絡してきてただ一言『木内さんを……よろしくお願いします』とだけ話して切ってしまったから何かあったんだと思って貴方のマンションまで行ったというわけ。そこからはさっき話した通りよ」
「……そっか」
俺は目頭が熱くなるのを感じた。メリーさんにあの時の光景を見られてしまった恐怖と、メリーさんをまた泣かせてしまった自分に対する失望、そしてこのような現状を招いたシエルに対する怒り。それらがごちゃ混ぜになって吐き出したいのに吐き出せずにいた。
「……でもお前らのおかげで助かったよ。もし見つけてもらってなかったら多分まだ公園のベンチで寝てたかもしれないから」
「事情は大体想像つくから聞かないでおくけど、もし言いたいことがあったら遠慮なく言えよ」
柴田の心遣いが今はただ嬉しかった。
「そういやお前飯どうする? お前が抱きしめてた紙袋の中に弁当入ってたけど」
「……中身何?」
「からあげ弁当だったぞ。それもてんこ盛りになってた」
「……あとで食うよ」
「わかった。俺たちは別の部屋にいるから落ち着いたら出てくればいい。もし必要なものがあったら言ってくれ」
そう言うと柴田はアンジェと一緒に部屋を出て行った。二人が出ていくと俺一人になった。賑やかだったせいもあって、とても静かだ。
もう一度ベッドに体を預ける。ほんと俺の使ってるベッドとは比べ物にならない寝心地だ。包まれるような感触に身を任せていると自然とまぶたが落ちてくる。そして俺はそのまま眠りの中に全てを預けることにした。
「……なるほどな。そういうわけだったのか」
アンジェリカからメリーさんたちについて大まかな話を聞いた柴田は未だ信じられないといった様子だった。
「ということは課長もあの娘のことを知ってるってわけか」
これでいろいろ合点がいったとばかりに大きく天を仰ぐ。なるほどそれなら二つ返事で有給を寄越してくれたのも理解できた。なにより初めてあの娘を見た瞬間に感じた既視感の謎もやっと解けた。ウチにいる黒いのが最初は変な事を言う奴だと思っていたが、メリーさんと名乗るあの金髪の少女と同じ存在だということがわかった今、少し見方が変わった。きっとまだ会ったことがないだけで他にも何人かいるんだろう。そう柴田は感じていた。
「でもなんでまた木内はあんなことになってたんだ?」
「さあ? そこまではわからないわ。それこそメリーさんに聞いてみないと」
「木内もあんな調子だし、どっちに話聞くにしても難しいだろうな」
そういえばと柴田はある事を思い出した。
「そういや、関係あるかわからんが木内に関する噂が会社内で広まってて、木内が謎の少女と一緒にいたって話なんだが、お前何か知らないか?」
「残念ながらわたしに思い当たる節はないわ」アンジェリカが肩をすくめる「でもその噂がなにか関係しているかもしれないわね」
「とりあえずしばらく様子を見るしかないな」
柴田はそう言うとリビングのソファーに寝転んだ。
「じゃ俺はせっかくの有休だし寝るわ。木内が出てきたら起こしてくれ」
「……わかったわ」
アンジェリカはもう一度肩をすくめていた。
俺が再び目を覚ますと昼を少し過ぎたくらいだった。平日のこんな時間にそれも同僚の部屋で寝ていることなんて普段なら経験できないことだから妙な気分だった。
リビングに向かうとアンジェがいた。そして俺は二度見した。
「アンジェ……だよな?」
柴田の家にアンジェがいるのは知っていた。知っていてなぜこんな質問をしたかというと、そこにいたのは俺が知っているアンジェではなかったからだ。いつものアンジェは自身の黒髪と同じ黒のドレスに黒のヘッドドレスを身につけていた。それがどういうわけか、えんじ色のいかにもジャージ! それも学校で着るような体操服のジャージ! を着ていたからだ。アンジェは読んでいたファッション雑誌から顔を上げて話しかけてくる。
「起きたのね。ゆっくり休めたかしら」
「あ……ああ……おかげさまでゆっくりできた」
「そう。それなら良かった」
いつも通りの素っ気なさはアンジェらしかったが、どうしても違和感の塊と化しているその姿に俺は戸惑いを隠せなかった。まぁメリーさんだって年がら年中あの格好しているわけじゃないし、アンジェだってラフな格好をすることもあるだろう。そう思うことにしてそれ以上考えるのをやめた。
メリーさんからもらった(置いていった)弁当が冷蔵庫に入っていると聞いて、何も食べていなかった俺は途端にお腹が空いてきた。
冷蔵庫を開けると確かに二人分のお弁当があった。ただしそのうちの一つはこんもりと唐揚げが詰まっていたが……。レンジで弁当を温めていると、さっきまで姿が見えなかった柴田が眠そうな目元でソファーに座っていた。
「……おう。起きたかきうち」
こちらもこちらで普段のクールな印象から程遠く、なんだかぽやんとしていた。気のせいか俺の呼び方もいつもと違う気がした。
「悪いなベッド使わせてもらって」
「……あー、だいじょうぶだ。きにすんな」
まだ上手く頭が働いていないのか、若干呂律が回っていない感じがする。
「おまえいまから飯か?」
「起きたらお腹空いちゃってさ。弁当二人分なんだけど、さすがに俺だけじゃこれだけの量食えないから良かったら一緒にどうだ? アンジェも一緒に」
「いいのか? お前のためにあの娘が作ってくれたんだろ?」
「いいじゃない。メリーさんにはわたしから美味しくいただいたって伝えておくわ」
そういうことならと言うことで柴田も納得してくれた。俺と柴田とアンジェの三人でメリーさんの作ってくれたお弁当を口にする。流石に一度冷めて時間が経っていることもあってやや味は落ちているが、いつものからあげ弁当だった。
「これが噂のからあげ弁当ってやつか。……なるほど、たしかに美味いな。今度俺も作ってみるか」
「柴田料理なんてするのか? ちょっと意外だな」
「こう見えても結構上手なのよ。いろんなところに食べ歩いて自分で作ったりしてるんだから」
なぜかアンジェが得意げに言う。……なんかもやっとした。でもまさかアンジェが柴田と暮らしてるなんて夢にも思わなかったが、それでも二人があーだこーだ言いながらも仲良くしているのを見て安心した。
たくさんあった唐揚げも三人で食べるとちょっと物足りなく感じた。場所を提供してもらっているお礼じゃないけど、後片付けは俺から申し出た。柴田は「こんな時間のテレビなんて久々だー」と休日のお父さんのようにまたソファーに寝転びならがら見ていた。
俺の部屋なんかとは比べものにならない広さのキッチンで洗い物していると、アンジェが横にやってきた。
「手伝うわ」
「悪い。助かる」
俺が食器を洗う横でアンジェは洗い上がった食器の水気を布巾で拭い取っていた。
「なぁ」
「なにかしら」
「聞かないのか? 俺とメリーさんになにがあったのかを」
「あら、聞いてほしいのかしら?」
「……だって気になるだろ。俺だったら気になる」
「そうね。気にならないと言えば嘘になるわ。でもあの人とも話したのだけれどわたしたちは貴方が話たいと思えば聞くし、話したくないと言うのなら聞かない。ただそれだけよ」
アンジェは俺の方を見ることなくいつものトーンで言う。きっとアンジェならメリーさんとしての能力でいとも簡単に俺の心の中を探ることが出来るだろう。でもそれをしないのは俺に対する気遣いであったり、フェアじゃないことがわかっているからだ。だからアンジェは待つと言ってくれた。俺から打ち明けることを。俺は二人にだったら打ち明けてもいいんじゃないかと思っていた。
一通り洗い物を終えると俺は柴田とアンジェに昨日あったことを話すことにした。
「実は……さ、メリーさんの妹のシエルっていうやつに会ったんだ」
「シエルが!? この街にいるの?」
「お前なにか知ってるのか?」
「……一応ね。ごめんなさい。話を続けてもらっていいかしら」
「ああ。まぁ正確にはそいつが妹って名乗ってるだけなんだけど、そいつにその……キスしているところをメリーさんに見られた」
きっと思ってもみなかったんだろう。柴田は苦々しく、アンジェにいたっては珍しく驚いたようで目を見開いていた。
「それで?」
「……キスしたっていっても俺が酔い潰れててそこにシエルが現れてキスされた。俺がなにがなんだかわからずにいるとそこにメリーさんが現れた。呼び出したのはシエルだった。シエルは
俺とメリーさんの仲を悪くするために俺に近づいたって話してた。そうすればメリーさんは自分のところに帰ってくるからって。……あとは二人が俺を見つけて今に至るってわけだ。会社に流れてる噂も全部シエルの仕業だった。俺はまんまとシエルの策略にはまったんだ」
「はまったってお前が悪いわけじゃないだろ」
「……わかってる。でもメリーさんを傷つけたのは事実だ」
俺がそっと呟く。柴田はそれ以上何も言い返してこなかった。
一息つくと俺はアンジェが淹れてくれた紅茶を口にする。少し冷めていた。
「とりあえずお前たちに何があったのかはわかった。それでお前はこれからどうしたい?」
「……どうすりゃいいんだろうな俺」
「弱気だな。あの娘と仲直りしたいんんじゃないのか?」
「出来ることならそうしたい。会ってあれは誤解だって説明したい。でも会うとまた傷つけてしまうんじゃないかって思うと怖いんだ……」
紛れもない本心だ。俺がいるからメリーさんを傷つけてしまう。俺がいるからシエルはメリーさんを傷つけて俺から引き離そうとする。俺がいなけりゃそもそもこんなことには。
「それは違うわ」
ハッとなった。アンジェが強い口調で言う。「それは違う」と。
「貴方は勘違いしている。自分がいるからメリーさんが傷つく。いいえそうじゃない。あの子を傷つけているのは貴方じゃない。シエルよ。シエルは貴方にそう思わせることで貴方をメリーさんから引き離そうとしている。それこそ彼女の策略にはまっているわ。決して貴方が悪いわけじゃない。そのことを忘れないで」
俺はその言葉で心がスッと落ち着くのを感じた。柴田は何が起こったのかわかっていない感じだったが、アンジェが何かしたんだろうということで彼女の頭に手を置いた。アンジェはそれを邪魔そうに払い除けていた。
「ただ気になるのはどうしてそのシエルという女はそこまで固執するんだ? 別に木内が何かしたってわけじゃないんだろ?」
「それについてはわたしの方が詳しいと思う。というよりどうしてそこまでメリーさんにこだわるのか、それを話しておいた方が良さそうね」
そう切り出すとアンジェはメリーさんとシエルになにがあったのかを話し始めた。
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