メリーさんとシエル(3)

 仕事が終わってから今日のご飯何にしようかと考えていた。今日の昼は牛丼だったから夜は少しさっぱりしたものでもと思いながら会社を出ようとする。その際、柴田に久しぶりに飲みに行かないか? と誘われたけど、昼の一件のせいで財布がすっかり軽くなった今その誘いに乗ることもできず悪い、また今度なと苦笑いで返した。


 自分のデスク周りを片付けて社員証をカードリーダーに通したところで「キューちゃん」と声をかけられた。声をかけてきたのは花村課長だった。


 課長は普段会社では俺のことを『木内君』と呼ぶが、誰もいないとはこうして『キューちゃん』と呼ぶことがある。そう呼ぶときは仕事に関係ないプライベートな話をするときで、親しみを込めてのことなんだろうと勝手に思っている。


「なんすか?」


 まさかこんな時間に声をかけられると思っていなかったのできっとキョトンとした顔をしていたと思う。


「ううん、なんでもない。気をつけて帰ってね」


 バハハーイ、と右手だけ挙げて颯爽と去っていく課長。……今といい朝といいなんなんだ? てっきり課長のことだから昨日のことを根掘り葉掘り聞いてくるもんだと思って身構えていたけどそうでもないみたいだし、そのわりいに何か意味ありげな感じだし。……ま、いっか。


 会社を出てそのまま駅へと向かう。週初めの月曜日だというのにどこの店も人でいっぱいだった。にぎやかに談笑する彼らを横目に見ながら、少し後ろ髪を引かれつつ家路を急いだ。電車の規則正しい揺れに身を任せながら、今日はメリーさんのところにするかと考えていた。メニューはいつもの唐揚げ弁当にしたいところだけど、さっぱりしたものということで大根おろしののったおろしカツ弁当もいいかもしれない。食べ物のことを考えていると体は正直なもので腹の虫がぐうぅと鳴った。


 駅に着いてから真っ先に弁当屋に向かうといつもの通りメリーさんが働いていた。相変わらず繁盛しているようでそれなりの時間だったのに何人かの人がいた。忙しい中邪魔するのも悪いと思ったので別のところにしようかと思ったらメリーさんと目があった。そしてお客さんに一言二言話すと、何故か俺のところにやってきた。


「こ、こんばんわ木内さん!」

「こ、こんばんわ……メリーさん」


 昨日の格好から一転して、はらぺこ弁当のTシャツにデニムのパンツ。バンダナを巻いたポニーテール姿はどこからどう見ても彼女が都市伝説のメリーさんだとは思わないだろう。そんなメリーさんはよほど忙しいのか少しだけ疲れた顔をしていた。


「今お仕事終わりですか?」

「あ、うん。今帰るところ。晩飯にメリーさんとこ寄ってこうと思ったんだけど忙しそうだな」

「あー、ちょっとだけ待っててもらえますか? もう少ししたらお客さんも落ち着くと思うので」


 それだけ言い残すとまたトテトテと走って店の中へ戻って行った。店の中のお客さんとにこやかに談笑しているが何を話しているのかまでは聞こえない。


 スマホを眺めながら少ししていると「ごめんなさい。お待たせしました」とメリーさんが声をかけてきた。


「お疲れ。相変わらず忙しそうだな」

「大変ですけど、お客さんがあってのお店なので嬉しい悲鳴ですよ」


 すっかり弁当屋の看板娘になったメリーさん。そういやメリーさんがバイトするようになってから以前よりお客さんの数が増えて売り上げが跳ね上がったと弁当屋のお姉さんが嬉しそうに話していたっけ。確かにどんなに疲れていてもメリーさんの顔見ると自然と元気になる気がするからまた弁当を買いに行きたくなる。まったく、そんなつもりないんだろうけどいいようにしてやられてる気がしてたまらない。


「木内さん今日は何にしますか? いつものからあげ弁当にします?」

「今日のお昼は牛丼だったから少しさっぱりしたものでおろしカツにするよ。あ、そういや今日シエルに会った」

「え? どこでですか?」

「朝会社に行く途中と昼飯食いに行く時にバッタリと。まさか一日に二回も会うなんて思ってもなかったからお互いビックリしてた」

「そうなんですね。あの子木内さんいご迷惑おかけしていませんでしたか?」

「迷惑はかかってないけど、ちょうど昼だった俺の奢りでご飯食べに牛丼屋に連れて行ったらものすごい量食べてた。人は見た目によらないっていうけど、あれは引くを通り越してすげぇ……と尊敬したくなったよ」

「そんなことが……。あの、シエルに変わって謝ります。申し訳ありません」

「気にすんなって。俺だってシエルと話せて楽しかったし、それにそれで日本を気に入ってくれるんだったら安いもんだ」


 こうでも言っておかないとメリーさんはいつまでも気に病む性格をしているから、嘘も方便。暗い顔してるメリーさんなんてメリーさんらしくない。


「牛丼を気に入ってくれたみたいだからまた食べに連れて行ってやってくれよ」

「ええそうします」


 そうこうしているうちに俺の分の弁当が出来上がった。


「お待たせしました。シエルのことで申し訳なかったので少しサービスしておきました」

「逆に気を使わせたみたいで悪いな」

「いいんですよ。これもわたしと木内さんの仲じゃないですか。人間、持ちつ持たれつですよ」


 立てた人差し指を口元に当てて、ウインクするメリーさん。その悪戯っぽい笑みにドキッとしてしまうが「いやいやお前は人間じゃないだろうが」と悟られないように軽口で誤魔化した。


 その後二言、三言話をして俺は店を出た。急に辺りが静かになった気がした。メリーさんと話しているとつい時間を忘れそうになる。そしてそれを名残惜しいと思うようになっていた。


「疲れてんな俺も」


 んなわけないないと首を振ると弁当が冷めなように足早にマンションへ急いだ。──のだが、


「こんばんわ木内様」


 思ってもみなかったシエルの姿に二度あることは三度あるという言葉が脳裏をよぎる。いや、いくらなんでもまさかこんなところで会うとは思ってなかったので本当に驚いた。


「こんな夜更けまで散歩か?」

「いいえ。この辺りでお姉様が働いているとお聞きしましたのでご挨拶にと伺いましたの。それにしても一日に三回もこうしてお会いできるなんて、これは偶然や奇遇なんて安易な言葉では表せませんの。これは必然、もはや運命としか思えませんの」

「んな大袈裟な……」


 と言いつつ、シエルの言うように運命だとかそんな風には思わないが、確かに偶然にしては出来すぎてるくらい出くわす。まるで誰かにそう導かれてるかのようだ。


「木内様はお帰りですの?」

「うん。ここからちょっと行ったところに住んでる。んで俺も今しがたメリーさんとこ寄ってきたばかりだ」


 メリーさんが作ってくれたまだ温かみの残る弁当を掲げてみせる。


「そうですの。きっとお姉様のお作りになられるお弁当はさぞかし美味しいのでしょうね」

「ああ美味いぞ。中でもアイツの作るからあげ弁当は絶品だ」


 と言いつつ今日はおろしカツだが。


「ではわたくしもそのからあげ弁当というものをいただいてみますの。あわよくばお姉様も……」


 じゅるりと舌なめずりするシエルに若干引きつつ、じゃあまたなと挨拶を交わして別れた。


 それにしても今日はよく会う一日だったな。珍しいこともあるもんだと思いながらその日は終わった。


 ──その日は。


 それからというものシエルと出くわすことが多くなった。同じ街にいるのだから歩いていればどこかで出会うことはなにも珍しいことじゃない。ただその頻度が毎日とはいかないまでもそれに近い割合で出会う。シエルの言うようにいっそ運命かもしれないと思ってしまうくらいだった。そのせいかシエルと一緒にいるところをいろんな人に目撃されるようで、会社でも木内が知らない美少女と一緒にいた、仲良さげに話をしていた、美少女を取っ替え引っ替えのクソ野郎と一部濡れ衣どころか冤罪に近い噂がそこかしこからささやかれていた。


 そんな状況なので俺の耳にも入らないわけもなく、柴田や横尾さんたちが出来る限りのフォローを入れてくれた。けれど単なる噂話ならともかく、尾ひれだけでなく、背びれや胸びれまでついてしまった噂は、一度火が着いてしまったらおさまる気配はしばらくなさそうだった。


 そんな周りからの目も気になって俺はすっかりまいっていた。そんな様子を気遣ってか、柴田が俺を飲みに誘った。


「ずいぶんお疲れだな」

「……気にしないようにしてたけどこれだけ広まるとさすがにな」


 遠慮すんなと言う柴田のおごりということもあって、それこそ本当に遠慮なくご馳走になろうとしていたのに箸が進まない。代わりに普段は頼まないようなお酒を頼んでおいた。若干柴田の顔が引きつっていた気もしたけど、気がしただけでやっぱり気のせいだろう。


 意識が遠のきそうになるのをなんとか堪え、なんとかマンションの近くまで帰ってきた。ただそこまでやってきて体が限界を迎えたのか、すぐ側の公園のベンチで横になることにした。


「……飲みすぎた」


 頭がグルングルン回る。ここまで酷い目にあったのは柴田にいくらか飲まされたのもあったけど、そのほとんどは俺が考えなしに飲んだからだ。


 頭痛と倦怠感と吐き気に耐えながらそれらが治るのをじっと待つ。少しでも動いたらいろんなものが込み上げてきそうになる。そうやってじっとしていると俺を覗き込む人影があった。酔っ払いの様子を見にきたパトロール中の警官かなにかかと思ったが、月明かりに照らされたシルエットを見てああ、やっぱりな、と心の中でため息を吐いた。


「こんばんわですの」


 もう声だけで誰かわかるようになってしまった。月明かりと街灯のわずかな光しかないはずなのに、俺を覗き込むシエルの瞳は真っ赤に光り輝いていた。


「……こんなところで会うなんて奇遇だな」

「いいえ木内様。これは奇遇でも偶然でもございませんの。こうして二人が出会ったこと、それは運命ですの」


 いつか彼女自身がその口で語ったことだ。でもこれが奇遇でも偶然でもましてや運命でもないことを俺はすでに気づいている。


「……なんの用だ」


 俺はできるだけ不機嫌そうに言う。するとシエルにそれが伝わったのか「あら、ずいぶんご機嫌がよろしくないようですのね」と機嫌よさそうに言う。


 シエルと初めて会ってからの数日間おかしなことが多かった。行く先々でシエルの姿を目にする。朝も昼も夜も関係なくだ。そして大体の場合人の目につくようなところでばったりと出くわす。まるで俺とシエルが仲良く見えるように。そしてその目的は本人の思惑通り上手くいったようだ。そのせいで俺は無意味に苦しむ羽目になっていた。


「顔色が優れないようですけれど早くお部屋に戻られてはいかがですの?」


 シエルがしゃがみ込んで寝ている俺と目線を合わせる。両手で顎をのせてとても面白いものを見るようにしていた。


「……いつからだ?」

「なんのことですの?」

「いつから俺をつけ狙っていた」

「つけ狙っていたなんて心外ですの。わたくしが常日頃つけ狙っているのは貴方ではなくお姉様ですわ。誰が好き好んで人間などつけ狙わないといけませんの」

「……そうか。それ聞いて安心した。やっぱり偶然なんかじゃなかったんだな」

「ええ当然ですの。わたくしが貴方に近づいたのはお姉様との仲を悪くするためですの。将を射んと欲すれば先ずは馬を射よですの」

「なるほど……アイツが将で俺が馬か」


 体がまともなら嫌味の一つでも言ってやりたいところだが、ガンガン痛む頭じゃ言葉も思いつかない。


「それにしても無様ですの。どうしてお姉様はこんな人間なんかに執着するんですの?」

「……さぁな。俺が聞きたいくらいだ」


 投げやりに言ったつもりがそれがシエルの癇にさわったようでにこやかに微笑んでいた中に怒りの色が見えた。しかしそれも一瞬のことですぐにいつもの上品な顔立ちに戻った。


「まぁいいですの。貴方はいつまでもそこで無様に寝ているがいいですの。どうせ貴方がどうしようと最後にお姉様はわたくしの元へ戻ってくるのですから」


 そう言うとシエルは寝ている俺の唇にキスをした。


「──なんのつもりだ!」

「なんのつもり? ご自身でお考えくださいな」


 まぁすぐにわかるでしょうけど。そう付け加えて。どういうことかと考えようとすると、


「木内さん」


 俺は慌てて体を起こした。そこには肩で息をするメリーさんの姿があった。


「なんで……?」

「わたくしが呼んだのですわ。木内様が大事な話があるから来てほしいとお話したらあのように息切らして駆けてこられて。本当になぜお姉様は貴方なんかに──。けれどそれもお終いですの。ふふ、わたくしたちを見たお姉様はどう思うのでしょうね。お姉様の反応が見れないのは残念ですが、わたくしには関係ないことですの。あとはせいぜい頑張るですの」


 それだけ言い残すとメリーさんの横を駆けていく。メリーさんは一度シエルの方を振り返ったが、すぐに俺の方に向き直った。


「あの……木内さん。大事なお話があると聞いてきたのですが……」


 メリーさんの声が震えていたのはきっと走ってきたからだけじゃないだろう。


「あの……あの……あの子と、シエルと何していたんですか?」

「……何も」

「そんなわけありません! だって木内さんは今シエルと……き、キスを──」

「あれは! ……あれは違うんだ」

「なにがちがうんですか! もしかしてこれを見せるためにわたしを呼んだんですか?」

「そうじゃない! メリーさんを呼んだのは俺じゃない! 呼んだのはシエルで」

「もういいです。木内さんがそんな人だとは思いませんでした。それならそうと認めてくれればいいのに。それならわたしも……」


 さよなら。とメリーさんは持っていた紙袋を俺に手渡して走って行った。背を向ける時メリーさんは泣いていた。紙袋の中にはメリーさんが作ったと思われる二人分のお弁当が入っていた。きっと俺と二人で食べようと思ってわざわざ用意してくれたんだろう。


「なんでだよ……」


 俺はメリーさんから受け取った紙袋をギュッと抱きしめていた。そして静かに泣いた。

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