メリーさんと視線(5)
どうにか今日一日を乗り切ることが出来たわけだが、問題はまだ残っている。
「それじゃあ帰りましょうか木内さん」
先に帰り支度を済ませていたメリーさんが俺のデスクのそばで待ってくれていた。
今日のメリーさんの姿は青と白のストライプ柄のワンピースでその服に合わせたように青いリボンでその眩い金髪をサイドテールにまとめていた。
「ん、じゃあ行くか」
俺も自分の荷物をまとめるとメリーさんと連れ立って自分の部署から出る。出る際に背後からいろんな妬みや殺意の視線を感じたけど、それは気づかないことにしておこう。
「今日も一日お疲れ様でした」
メリーさんがにこやかに言う。不意に見せる優しさに思わずドキッとしてしまう。普段は出来るだけ意識しないようにしているけど、こんな美少女と四六時中一緒にいられること自体、普通ならありえないことだ。極力相手はメリーさんだからと意識を抑えているが、たまに普通の女の子の顔を見せられると、こっちの調子も狂う。
いかんいかん。ちゃんとしなければ。ある意味ここからが本番なのだから。
いつものように警戒しながら帰り道を歩く。ここ数日一緒に過ごしている中でおかしな様子はなかった。けれどそれが今日もそうだとは限らない。もしかしたらその相手は今日こそメリーさんに危害を加えてくるかもしれないのだ。
「──木内さん」
「は、はい!」
「何ですか急にそんな声出して」
「……すいません」
「なんだか朝から気になっていましたが様子が変ですよ。やっぱりどこかお体の調子が悪いんじゃ──」
「だいじょうぶです!」
俺は全てを悟られる前に心の中を『だいじょうぶ』のワードで埋め尽くした。こうしてさえおけばメリーさんに悟られることもないだろう。
「まぁ木内さんがそうおっしゃるならこれ以上追求はしませんが」
そう言いながらもメリーさんは俺の様子をうかがっていた。心配してくれる気持ちがとても痛い。……ノワールに今度会ったら絶対に文句言ってやる。
さて……。
俺は大きく息を吸った。
「あ、あのさメリーさん」
「なんでしょう?」
俺の横を歩くメリーさんが目をまん丸にしながら見上げてくる。夕日に照らされ俺たち二人の影が大きく伸びていた。
今からお前の部屋に行っていいか? たったこれだけのことを言うためだけに俺はものすごい緊張していた。
大丈夫。これは演技なんだ。言ったところで本当に行くわけじゃないし、もし断られても演技なんだと誤魔化せばいい。
なのにその一言が出てこなかった。
「どうしたんですか木内さん」
「……」
い、言えねぇ……。こんなに緊張したのは会社のプレゼンでもなかったことだ。とはいえ、ここでつっ立ってるわけにもいかない。
「今からさ……お、お前の部屋に……」
そこまで言った時だった。
メリーさんが俺の腕に自分の体ごと絡ませてきた。突然の彼女の行動に俺は口から心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。
「な、何やってんだお前!」
「しっ。静かにしてください」
慌てる俺とは対照的にメリーさんはいたって冷静だった。その姿に俺自身も落ち着きを取り戻す。
「なにかあったのか?」
「誰かにつけられています」
メリーさんが視線を別の方向に向けながら小声で言う。
俺もメリーさんと同じ方向へと視線を移そうとしたが、それを止められた。
「二人とも同じ方向を向いたらわたしたちが相手の存在に気づいたと悟られてしまいます。どうやら相手はまだこちらが気づいたと思っていないみたいですから、歩きにくいでしょうがこのままで歩いてください」
「……わかった」
なんだかさっきまでメリーさんの部屋に行くことばかり考えていた俺がバカみたいだ。そうだ。俺の本来の目的はメリーさんを守ることなんだ。やましい気持ちなんてない。気を引き締めなおすと何事もないフリを装った。
「まだついてきてるか?」
「はい。向こうもこちらを伺ってるようです」
「これからどうする?」
「このまま相手をおびき出しましょう」
「おびき出すってどうやって?」
「もちろん──走るんですよ!」
メリーさんの合図で一緒に走り出す。
「ついてきてるか!?」
息切らせながら尋ねるとメリーさんはこくんと頷いた。
まさかこの年で鬼ごっこをやるなんて思わなかった。そんな冗談もとりあえず逃げ切ってからだ。
「大丈夫か」
「はい! なんとか」
そう言うものの、俺より頭二つほど身長の低いメリーさんが俺と同じスピードに合わせるのももう限界だろう。
どこか隠れられる所は……。
周囲に目を配り撒けそうなところを探す。
「メリーさん! あの角で曲がるぞ!」
ビルとビルの路地。俺はメリーさんの手を引いてそこに飛び込む。
しかし──、
「マジか……」
曲がった先は行き止まりだった。慌てて引き返そうとするが、メリーさんにスーツの裾を引かれた。
「──っ!」
路地の入り口に追手が立っていた。相手の姿は逆光で見えないが、どうやら女性のようだ。
「木内さん……」
俺はメリーさんを背後に守ると、メリーさんがスーツの裾をギュッと握る感触が伝わってきた。
影がゆっくり近づいてくる。俺はどうなってもいい。せめてメリーさんだけでも逃がせれば。
「ダメです」
背後から声がした。メリーさんが目に力を込めて俺を見上げていた。
「また勝手に人の心読みやがって」
「読まなくても木内さんがなに考えているかくらいわかります。どうせ自分が囮になってわたしを逃がそうとしてるんでしょう。でもそれはダメです! わたしが無事でも木内さんになにかあったらその方がわたしは嫌です!」
強めの声でハッキリと告げられる。全く……相変わらず頑固な奴だ。
「わかった。でもどうしても危ないと思ったら構わずお前だけでも逃すからな」
「ではそうならないよう守ってくださいね」
「出来るだけ善処するよ」
影がすぐ側まで近づいてくる。
薄らと影が晴れてくると、相手の姿が見えてくる。若い女だ。でも見たことのない女だった。
緊張感が俺たちの間に走る。口を開こうとするが、さっきまで走ってきたせいで口の中が渇いてうまく開けない。
お互い見つめるようにしていると、先に口を開いたの相手の方だった。
「なんで……なんで逃げるんですか!」
女が叫ぶ。まさかそんなことを言われるとは思っていなくて驚いた。
「お二人が急に走り出すからこっちは追いかけるのに必死だったんですよ! 少しはこっちのことも考えてください!」
なぜか怒られた。
「いやいやいや。アンタが誰か知らないけど俺たちの後をつけてたのは間違い無いだろ?」
「それはお二人に声をかけようとしただけです。なのに急に逃げるように走り出すから……」
「そりゃあ誰かわからない人が後をつけてきたら警戒だってするだろ」
「ふぇ? もしかしてわたしが誰かわからないんですか木内さん」
謎の女性に自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったのでとても焦った。
「待ってくれ。俺はアンタとどこかで会ったか? 少なくとも俺はアンタのことを知らない」
「ひどい! いつも朝起きて夜眠るまでいつも一緒にいたのにそんなこと言うなんて」
わーっと今にも泣き出しそうな女性。あと俺の横にいるメリーさんがなんか汚いものを見るような目をしているがそれは気のせいだとしよう。
なんとか頭の中の引き出しを全てオープンにしてみるが、やっぱりこの女性の姿はどこにもない。このままじゃ女たらしのクズ野郎の烙印を押されてしまう。
「本当に誰かわからないんですか木内さん?」
「全く記憶にございません……」
政治家のような言い訳になってしまったがわからないものはわからない。
「じー」
「おいなんでそんな目で見るんだ!? 俺は本当にやましいことなんてしてないからな!」
「本当ですかー? こういうときの男の人って決まってそう言うんですよねー」
「俺はなにもしてない!」
一人あたふたしていると、
「やっぱりお二人は仲がいいですね。安心しました」
「もしかしてわたしのこともご存知なのですか?」
「ええ。お二人だけではなくアンジェリカさんのことも覚えていますよ」
「アンジェのことも知ってるのか?」
だとするとますますわからない。
うーん……どこで会った……?
もう一度考えてみよう。俺たちの名前を知っていて朝から晩まで一緒にいたことのある女性……。
「あ」
「あ」
異口同音。なにかに気づいたのはメリーさんも同じだった。
「もしかしてアンタ、レイ子さん(仮名)か!?」
「レイ子(仮名)って誰ぇ!?」
今度は相手が叫ぶ番だった。
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