メリーさんと視線(4)

 その日は朝から雲一つない澄み切った空だった。朝のニュース番組のお天気キャスターも今日は一日いいお天気で気持ちがいいですね! と太陽にも負けないキラキラ輝く笑顔を振りまいていた。実際、気温も暑すぎずけれど寒すぎずちょうどよい。もし今日が休みだったら思いっきり外に遊びに出かけたくなるようなそんな朝だった。


 だが、俺の心は曇っていた。それもどんよりとした雨雲に覆われている。一寸先だって薄暗く、きっと間違って洗濯物なんて干した日には一日中その洗濯物のことが気になって仕事も手につかないだろう。あくまでものの例えだが。


 つまりそのくらい今の俺は気が重かった。


「どしたのキューちゃん? なんだかご機嫌がななめ45°な感じだけど、お腹でも痛い?」


 俺の様子を心配してくれてるのだろう、横尾さんが眉を八の字にしていた。


「大丈夫だよ。別になんともない」

「ほんと? もしお腹痛いの我慢してるんだったらさすってあげようか?」

「大丈夫! 本当になんでもないから!」


 横尾さんが俺のワイシャツをめくりあげようとするのを必死に止める。心配してくれるのは大変にありがたいが、横尾さんは限度というものを知らない。もし俺が止めなかったら公衆の面前でお腹をさすりながら「いたいのいたいのとんでけ~」くらい平気でやりかねない。そんなことされたらいろんな意味で俺が死ぬ。


 とはいえ、横尾さんの指摘もあながち間違ってないわけで、実際のところお腹が痛い。ま、その原因はわかってるんだけど……。


 俺はちらりとその原因に視線を向ける。腹痛の原因──メリーさんは今日も元気に働いていた。


 ……本当にやらないとダメなのか俺。


 ノワールの提案はこうだった。


「メリーさんを監視している何者かは木内様がメリーさんと一緒にいるところを目撃しているはずです。ならば木内様がメリーさんのお住まいを訪ねればその相手とやらも自ずと姿を現すと考えられます」

「まさか俺がメリーさんの家に行くってことか?」

「イグザクトリー。その通りでございます」

「その通りでございますって簡単に言うけど、いくらなんでもそれは……」

「何故でございましょうか? 木内様とあろうお方が今更いたいけな少女の部屋に行くことになんの抵抗がありますか」

「お前の中の俺のイメージどうなってんの!?」

「良いではないですか。それで相手が出てくればひっ捕まえて一件落着。もし相手が出てこなければそのままあーんなことやこーんなことまで──」

「もう帰ってください!」


 ……なんかもう思い出すのも嫌になってきた。


 つまり簡潔にまとめると俺がメリーさんの家にお邪魔させてもらうということなんだが、そのことを俺の口から言わないといけないというのが……ね。


 間違ってもメリーさんからウチに来る? なんて言われるわけなんてないし、だったら俺から行動するしかないわけで、だからといって女の子の家に行くなんてそんなことは男としてどうかと思うし、いやいやメリーさんだから大丈夫でしょうって、あんなでも見た目はかなりの美少女だし、俺の部屋に来るって行っても玄関までだし、メリーさんの家に行くってなると部屋の中に入るかも知れないわけだし──。


「木内さん?」

「うおっ! な、なんだ……?」

「なんだとはこっちのセリフですよ。どうしたんですか? さっきから何度も呼んでるのにちっとも反応してくれないんで、どこか具合でも悪いんですか?」


 メリーさんが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。俺は無意識に顔を背けていた。するとメリーさんは俺の前に回り込んでまた覗き込んでくる。それを俺はまた背ける。そんなことを何度か繰り返していると、業を煮やしたらしいメリーさんが両手で俺の頬を挟み抑え込んだ。


「もう! どうしたんですか木内さん。ちゃんとわたしの目を見てください!」


 逃げ場を失った視線は自然とメリーさんを見つめることになる。こうして見るとやっぱり可愛いな。まつげ長い。瞳がサファイヤのような深い青色してる。あと今日もなんかいい匂いする。そんなことを考えてると、


「うーん、お熱はないようですね。もしかしてお腹のほうでしょうか。よかったらさすりましょうか?」

「お前もかよ! じゃなくてなにやってんだ!」


 俺のおでこに当てていたメリーさんの小さな手を慌てて剥ぎ取る。


「なにってなんだか朝から木内さんの様子がおかしいので熱でもあるのかと思って」

「俺はいたって健康だよ。それより女の子がぺたぺたと男の体に触っちゃいけません!」


 メッ! とキツく言うと思ったより効いたのか、メリーさんがシュン……としていた。なんか悪いことしたな……。


「ま、まぁなにかあったらいち早くメリーさんに言うよ。だからほら、今はメリーさんも自分の仕事やっててくれればいいからさ」

「わかりました。でもなにかあったらすぐに言ってくださいね。絶対ですよ!」

 俺に二、三度念を押すとようやく満足したのかメリーさんは俺の元から離れてくれた。なんかホッとしたようなちょっと残念なような。


 でも──、


 もしメリーさんを監視している奴の正体がわかったら俺がメリーさんのボディーガードをする必要も理由もなくなる。そうなったらメリーさんがここにいる理由もなくなる。


「このまま見つかんなきゃいいのにな」

「なにが見つかんなきゃいいんだ?」


 不意に口をついて出た言葉を拾い上げたのは近くを通りかかった柴田だった。


「盗み聞きなんて人が悪いぞ」

「たまたま通りかかったら聞こえたんだよ。んで、なにが見つからなきゃいいんだ? 大方あの子のこと絡みだろうが」


 資料のバインダーで肩を叩きながら柴田が口元を歪めた。


「わかってんなら聞くなよ」

「いいじゃねーかたまには。お前あの子と付き合ってんのか?」

「そんなわけ……ないだろ……」

「なんだえらく歯切れが悪いな。でもその様子だと遠からず少なからずってところか」

「勝手に想像してろ」


 ニヤつく柴田をあしらいながら俺は自分の仕事に取り掛かる。


 ったく、どいつもこいつも余計な詮索しやがって……。


 軽快なキーボード音とは対照的に、俺の気持ちは重くなるばかりだった。

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