メリーさんと視線(3)

 長かった一日もようやく終わりを迎えて、終業時刻。俺が大きく伸びをすると体中の関節がパキパキなった。


 だが俺の仕事はまだ終わりじゃない。むしろここからが本番と言ってもいい。


「それじゃ行くか」

「よ、よろしくお願いします!」


 そう。これからメリーさんを家に送り届けなければいけなかった。俺の本来の目的はメリーさんのボディガード。そのために俺の働く会社に社会見学という建前まで用意して呼び込んだ。となるとその彼女を家まで送っていくのも当然の仕事だ。


「いい? キューちゃん。今は君にわたしのかわいいかわいいメリーちゃんを預けるけど、もしメリーちゃんになにかあったら、その命だけじゃ足りないということをよく覚えておきなさい!」


 とは花村課長の言だ。


 正直なところ課長はああ言っていたが、むしろ怖いのは課長よりもあそこにいた人全員だと思う。全員が俺がメリーさんと一緒に帰ると知るやいなや目の色を変えて睨んできた。そもそも俺とメリーさんの関係を知らない人ばかりだから、ぽっと出のどこの馬の骨かも知らないような男にカワイイ娘をかっさらわれたようなそんな気分なんだろう。


 なにより恐ろしいのはたった一日でメリーさんがウチの課の人間全てを味方につけてしまったことかもしれない。最初は知らない人ばかりで緊張していた彼女も、時間が経てばすっかり打ち解けていた。これがメリーさんの能力と言われても誰も疑わないだろう。だけどそれは能力でもなんでもなくてメリーさんの姿を見てみんなが心を開いた、だからこそ余計にメリーさんになにかあったら俺の命が危険で危ないわけだし、明日から俺のデスクがなくなっていてもなんにもおかしくない。


 ……なんかとんでもないこと引き受けてないか俺?


「木内さん大丈夫ですか? 顔色がなんだかすぐれないようですが」

「え、あ、だ、大丈夫だ! お前は俺がちゃんと家まで送り届けるからなんにも心配しなくていいからな!」


 元気いっぱいに答えると、メリーさんは目を見開いたかと思ったら頬を赤らめていた。顔色がどうかしているのはメリーさんのほうじゃなかろうか。


「木内さんの会社の方たちいい人ばかりですね」


 俺が頭二つ分ほど低いメリーさんの頭のつむじを眺めていると、そんなことを言われた。思わぬ言葉に「お、おう。左様か」なぜか武士みたいな口調になってしまう。


「なんですかその変な言葉」

「い、いや、なんかお前が変なこと言い出すから」

「変なとはなんですか変なとは!」


 メリーさんがいつものようにプンスカしていた。これこそいつものメリーさんだ。その姿に安心した。


「悪かったよ。ただ思ってもなかったこと言われたからさ」

「そうでしょうか? んー、まぁそうかもしれませんね。でも笑うなんて酷いです」


 道端の小石を蹴りながら口を尖らせるメリーさん。彼女の長い金髪が街灯に照らされて輝いていた。


「でも安心しました」

「安心?」

「ええ。ほらわたしと木内さんが初めて出会った頃のこと覚えてますか?」

「……覚えてるよ。思い出したくないけど。そう簡単に忘れられるようなことじゃないからな」


 あの頃の俺は毎日が辛くて苦しくて、でもそこから逃げる術なんて知らなかった。いっそ死んでしまえば楽になったのかもしれないけど、そんなことすら思いつかないほど疲弊していた。そんな俺を救ってくれたのがメリーさんだった。


 初めて会った時は迷惑だとしか思ってなかったのに、毎週のように懲りずにやってきてギャースカ喚いたり、くだらないことで盛り上がったり。なんか気づいたらこんな風に一緒に帰ったりと、あの頃の俺にはとても想像も出来ない日々だった。


「サンキューな」

「何かおっしゃいましたか?」

「なんでもねーよ」

「隠し事はよくないんですよ。こういうのはパーっと話してしまうのが一番です」

「やだよ。お前に喋ったら次の日にはいろんな人に広まってそうだし」

「誰がおしゃべりスピーカーですかー! わたしほど口の硬いメリーさんはいないと評判なんですよ!」


 フガー! と両手を思いっきりあげて抗議してくる。なんだかその姿が面白くて思わず笑ってしまった。


 ほんと、色々あったよなこの数ヶ月。


 思い返すと中身が濃すぎて別の意味で時間が経つのが早かった。でもそれは以前のように早くすぎてほしいものじゃなくて、もう少しこのままで……なんて柄にもないことを思うようなそんな時間だった。


 でもそんなときこそ終わるのはいつも唐突で──。


 駅からほど近い住宅街の近くまで来ると、


「あ、ここまでで大丈夫です。今日はありがとうございました」


 メリーさんがぺこりと行儀よく頭を下げると、トテトテと小走りで夕日に照らされた家々の中に消えていった


 俺は走り去っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、なぜか名残惜しさを感じていた。



 それからというものメリーさんは俺の働く職場で社会見学という名の保護活動を受けながら、なんだかんだで課の連中とも仲良くやっているようだった。最初は緊張しているのか、普段とは違ったよそよそしい雰囲気も、みんなと打ち解けたおかげが普段通りに笑うようになっていた。あいつはああ見えて人に好かれやすいところがあるからあまり心配していなかったが、こうもあっさりと打ち解けてしまうと俺の心配はいったいなんだったんだ? と首をかしげたくなる。


「と、こんな感じかい?」

「何勝手に人の心情を捏造してんだよアンタは」


 俺が呆れながら言うと、


「アンタとは何よアンタとは。これでもあたしはキューちゃんより偉いんだよ? 分かってんの?」


 花村課長がふふん、と得意げにお嬢様が愚民をあざ笑うかのようにしていた。まぁこんなのは日常茶飯事なので俺もまともに相手にすることはせず「へいへい」と軽く受け流していた。


 課長はしばらく俺のデスクにあるボールペンを掴むと、それを器用に回していたが、俺が相手してくれないと諦めたのか、それともからかうことに飽きたのか「ま、頑張りなよ」とねぎらいの言葉を置いていくといつものキャリアウーマンな課長に戻っていた。


 ……気づかれてたかな。


 俺は誰も見ていないことを確認してから自分の両頬をパチンと叩いた。


「それじゃあここで。今日もお疲れ様でした」

「あ、ああ。メリーさんも気をつけてな」


 仕事が終わっていつものようにメリーさんを家の近くまで送る。礼儀正しく去っていくメリーさんの背を見送り、俺もマンションに帰る。メリーさんのボディーガードを初めて数日、俺の部屋に珍しい客が来た。


「お久しぶりね木内」


 その日インターホンを鳴らしたのはユキちゃんことクオーレとアンジェだった。


「ようアンジェ。と、誰かと思ったらユキちゃんか。なんかずいぶん久しぶりに会った気がするな」

「ええ本当にね。どうしてかわたしも出番が少ないなーって思ってたところよ」


 前にクオーレに会ったのは何週間か前のはずなのに、どういうわけか何ヶ月も会ってないそんな気がした。まぁ気のせいだろう。


「それより今日は珍しい組み合わせだな。どうしたんだ?」

「アンタがメリーさんのボディーガードをやってるって聞いたからどんなものかと思って見に来てあげたのよ。感謝しなさい!」

「そんな偉ぶって言われるようなことじゃないけど、つまりお前もメリーさんが心配だってことか」

「そ、そんなわけないにか! あ、アンタなんかと一緒にせんでよ!」


 図星だったのか、例のお国言葉でクオーレが猛抗議していた。


「それはそうと、メリーさんの様子はどうなのかしら?」

「メリーさん自身は妙な視線は相変わらず感じるって話してたけど、今のところは幸か不幸か何も起きてない」

「ということはこれから何か起こるかも知れないってことね!」


 名探偵気取りのクオーレがズビシ! と俺を指さして声高らかに言う。俺は犯沢でも半沢でもない。そもそも倍返しされるいわれなんてないのだ。


「たださ、メリーさんをストーカーする奴ってどんなやつだろうな。メリーさんに聞いてもなんとなくの気配はわかるそうだけど、ハッキリとしたことはわからないみたいだし」

「例えばだけど、アンタのところの課長さんとかは?」

「お前俺と同じこと言ってるぞ」


 クオーレにまで指摘される花村課長って……。


「でもわたしたちメリーさんは相手が人間であれば、たとえ顔や姿が見えなくてもだいたいの認識は出来るの。メリーさんもそう言ってなかったかしら?」

「そういやなんかそんな感じのこと言ってた。課長とは雰囲気がどうとか。でもその理屈だと相手は人間じゃないってことになるぞ」

「もしかしたらそうなのかもね」


 アンジェが口元だけで笑う。これはアンジェの癖だ。すっかり見慣れた今でもこの癖に背筋がゾクッとさせられる。本人は意識してやってるのかどうかまではわかりかねるが、アンジェがやると妙な迫力が出る。


 人間じゃない……。だとしたら相手の正体はなんなんだ?


 悩んだところで答えが出る訳もなく、結局わからないままだ。それでもとりあえず俺に出来ることはメリーさんに危害が及ばないようにする。それだけだ。


 ただこのままというわけにもいかない。メリーさんだって弁当屋のバイトがあるし、俺だっていつまでもメリーさんのボディーガードをしているわけにはいかないし、早くメリーさんを付け狙うストーカーを捕まえないとメリーさんは不安を抱えたままになる。それがどうしても許せなかった。


「……なんだ。ちゃんと考えてくれてるのね」

「何か言ったか?」

「いいえ。なにも。それより貴方はこれからどうするつもりなのかしら?」

「それなんだけどなにかいい案ないか? 相手がいる気配は感じるらしいんだけど、上手く隠れてるのか姿が見えないんだ」

「相手がどんな人かわからないとちょっと怖いわね」


 クオーレが自分自身を抱きしめるようにしながら眉をひそめていた。


「俺的にはお前らのほうこそ人の心配するより自分の心配したほうがいいと思うけどな」

「あら、それはどうしてかしら?」

「だってさ、お前らだってメリーさんに負けず劣らず可愛い見た目してるんだから、メリーさんみたいに誰かに付きまとわれたりとかするんじゃないかってさ」

「…………」

「…………」


 二人がお互いの顔を見合わせて目をパチクリさせていた。そしてなぜか心なしか顔が赤い。


「……おいなんで何も言ってくれないんだ?」

「な、なんでってそんなこと言えるわけないにか! ウチラんことダラにしとんがけ!」

「……貴方こそいつか刺されないように気をつけなさい」

「なんだよそれ!?」


 若干キレ気味の二人にまた俺なにかしたのか? と首をひねった。


「ま、まぁ木内の言うことを間に受けるわけじゃないけど、もしかしたらわたしたちにとっても他人事じゃないことだし、考えられる手は打っておきたいわね」

「せっかくならノワールの意見も聞いてみたいな。そういや今日はどうしたんだ? いつもなら呼んでもないのにひょっこり現れるはずだけど」

「お呼びでしょうか?」

「うわっ! な、なんだ……急に現れるなよ」


 予想もしていなかった出現に本当に口から心臓が飛び出るかと思った。


「今晩は木内様。わたくし呼ばれて飛び出てノワールちゃんです」


 両頬を人差し指で突き刺し首をかしげるポーズで可愛くしているつもりだろうが、いつもの無表情のせいで逆に怖い。


「あ、アンタ今日仕事のはずじゃ──」

「そんなもの木内様がわたくしをお求めになられることに比べたら瑣末なことです。主の求めには四六時中、どこでなにをしていても、例えお風呂に入っていようが、人に言えない状態になっていようがすぐに馳せ参じるのがメイドの勤めというものです」

「お前も久々に登場していうことがそれか!?」


 なんていうかこのやりとりもしばらくぶりな気がする。……っていうかいっそない方が俺の心のためでもある。


「それでわたくしを召喚したということは、さっそく夜伽の準備に取り掛かれというわけですねわかりました。いえ、わたくしにそれを拒否する権利などございません。むしろ木内様が望むなら今すぐにでもご奉仕することは可能ですが」

「せんでいいせんで!」


 ……ノワールが現れてたった数分で俺のライフはゼロになりかかっていた。


 とにかく俺のライフが完全消滅してしまう前に、ノワールにここまであったことを話した。


「なるほど。そういうことでしたか。それならそうと早くおっしゃっていただければわたくしも変な勘違いをせずに済んだかもしれません」


 その割にはなぜ残念そうな顔をする? なぜ俺を責めるような視線を送ってくる!?


「それはそうとノワールの意見も聞きたい。この中で一番頼りになりそうなのはアンタだ。何かいい知恵があれば貸してほしい」


 俺がまっすぐにノワールを見つめて言うと、何故か目をそらされた。


「ノワール?」

「こ、これはこれでなかなか良いものですね。思わずわたくしの秘めたる部分がキュンと──」

「頼りにした俺が馬鹿だった!」


 これを見ている誰か……。もしアンタが時を戻せるなら頼むからこの人と出会う前、いや、出会わないようにしてください!


「木内様、人間時には素直になるものですよ」

「アンタもう黙ってろよ!」


 俺は自分のライフがゼロになる前に渾身の力を込めて抵抗した。まぁ無駄だろうけど。


「冗談はこのくらいにして。木内様がわたくしに知恵を貸して欲しいとのことでしたね」

「アンタに借りつくるとそのあとが怖いけどな」

「まるで悪徳業者のような言い方が気になりますが、それはそれで良しとしましょう」

「いいのかよ」

「いいから続けなさい」


 アンジェがまた脱線しそうになった会話を強引に引き戻した。


「皆様からお聞きした話をまとめると、メリーさんを付け狙う何者かの正体を暴き、その身柄を陽の光の下に引きずり出し、処すということでよろしいでしょうか?」

「よろしくねぇよ! あと発想がずいぶん物騒だな!」

「言い方は問題だらけだけど、正体を暴くというところと、わたしたちの前に姿を見せるってのは間違ってないわね」

「で、その方法が思いつかなくて困ってるんだ。どうだ? なにかいい案ないか」


 俺が尋ねると「そうですね」と少し考え込み、ある提案をしてきた。


 その提案はああなるほど、ノワールだから出てくる発想だと俺たちは珍しく感心していた。


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