柴田さんとメリーさん(1)
俺は絶賛ピンチの真っ只中にいた。どこがどうピンチなのかというと、
「ねぇキューちゃん」
「なんですか花村課長。あと会社ではその呼び方やめてください」
俺はパソコンの画面から視線を外すことなく、キーボードを操作する手は緩めず一応上司への受け答えはする。
「アタシもう疲れた……。メリーちゃんに会いたーい! お酒飲みたーい!」
「始まったよ……」
俺はやれやれとため息を吐いた。たった今この身に降りかかったピンチその1は、上司である花村課長だった。
花村課長は俺が所属する営業企画課の課長で、見た目はバリバリのキャリアウーマンといった風で、少し厳しいところもあるが、美人で部下思いなところがあり、面倒見がいいため、男性社員だけではなく、女性社員からの人望も厚い。
だが、その中身は美少女好きの酒乱で、最近ではお気に入りの金髪美少女を侍らせて酒を飲むのが生きがいになっている。そのためならどんな手段も厭わないところがあり、それがまた俺の悩みのタネになっている。
最近は週末にお気に入りの金髪美少女ことメリーさん(本名メリー・ゴメス)を眺めながらお酒を飲むのが彼女のストレス発散になっていたが、ここしばらく仕事が忙しいせいでメリーさんどころか、お酒も飲めない状況が続き、ついに張り詰めていた糸がプツンと切れてしまった。こうなると普段は有能な上司である課長がたちまちのうちにだだをこねる厄介な大人に変わってしまう。
「もう仕事したくなーい! お酒飲みたいよぅ……メリーちゃんに会いたいよぅ……」
自分のデスクでだだをこねる花村課長。それををなだめるために俺は面倒くさそうにしながらも動かしていた仕事の手を止める。
「課長、あと少しだけ頑張れませんか?」
「……もう頑張りたくない」
課長はすっかりぐったり溶けていた。なんかふにゃふにゃしていていつもの威厳はもどこへやらだ。
「……分かりました。あと少し頑張って頂ければ、俺がメリーさんを好き放題できる権利あげますから、思う存分なでまわしてください」
「……お酒もつけてくれる?」
「出来るだけご期待に添えるよう努力します」
「じゃあ頑張る! よーし、待っててねメリーちゃん!」
「頑張ってくださーい」
俺は第一のピンチを退けると自分のデスクへと戻る。すると今度は、
「キューちゃんお腹すいたー!」
第二のピンチが現れた。
今度はなんだ。視線を巡らせる。だが声の主が誰かなんてすでにわかっていた。せめてもの抵抗とばかりに気づかないふりをしていたが、俺のことをキューちゃんなんて呼ぶ人間はこの世に二人くらいしかいない。その内の一人はさっき片付けた。となると残りの一人は、
「どうした横尾さん」
「キューちゃん。わたしね、お腹が空いて空いて空きすぎて、もうお腹と背中がくっついちゃったんだよ……」
みんなのたまちゃんこと横尾珠緒が見るからに(´・ω・`)とした顔をしていた。
「大丈夫。まだくっついてないから安心していいよ」
「なんかキューちゃんわたしには冷たくない? 課長はちゃんと相手してたのにー」
横尾さんがむーと頬を膨らませる。中身はこんなのだが、これでも俺が所属する営業企画課では常にトップの実績を上げており、その能力は俺がここへ入社する以前からなんとなくは知っていたが、一緒に働くようになってからより一層思い知らされることになった。
それでも俺にとっていい刺激になっていて、前に勤めていた会社での言われた業務を淡々とこなす物と比べ、自分で考えて動くようになったのは大きな成果だった。それ以外にも色々とフォローしてくれたりと、入社以来助けられてばかりだった。いずれその恩返しもしたいと思っていたが、まさかこんな形でその機会が訪れるとは、さすがに夢にも思っていなかった。
「横尾さん、もうちょっと頑張ってみようか」
「たまちゃん」
「はい?」
「キューちゃん、わたし前にも言ったよね? わたしのことは横尾さんじゃなくてたまちゃんと呼ぶようにって。わたしキューちゃんと同い年だけど、この会社じゃわたしの方が先輩なんだからね!」
先輩としての威厳を示すために大きく胸を張る横尾さん。俺はつい視線をそらしてしまう。なぜならさっき横尾さんはお腹が空きすぎてお腹と背中がくっついたと言ってたが、実際横尾さんはスタイルがいい。ウエストは締まってるくせに出るところは出てる。それなのに大きく胸を張るものだからボリューミーな胸元が強調されて目のやり場に困る。そのことにこの人は気づいてるのか気づいていないのか……。
「えーっと横尾「たまちゃん」……たまちゃんも課長と一緒でもう頑張れない感じ?」
「うん。わたしもうお腹が空いちゃってやる気が出ないんだよ。だからもう仕事しない」
「うん。それはわかった。だけどさ、お腹が空いたから仕事しないっていうのは社会人としてどうかなって思うんだ俺は」
「でもわたしお腹空いたよ?」
それが何か問題でも? と言いたげに可愛く小首を傾げる横尾さん。これ以上説明してもきっと出口なんて見つかりやしない。なので、
「たまちゃんがお腹空いたのはわかった。でもさ、もう少しだけ頑張ってくれないかな。もう少しだけ頑張ってくれたら俺の行きつけの弁当屋にものすごい美味いからあげ弁当があるから、それを腹いっぱい食べさせてあげる。もちろんたまちゃんの気が済むまでだ」
「いいの? そんな約束しちゃって。わたしに限界がないなんてキューちゃんも知ってるでしょ。どうなっても知らないよ?」
「んなもんかかってこいだ。そっちに限界がないならこっちも限界突破すりゃいいだけだ」
「なるほど。限界を超えた者同士の戦いってわけだね。だったら私、頑張っちゃうよ!」
どうやら横尾さんに謎のスイッチが入ったようだ。そのせいか一人称が『わたし』から『私』にランクアップした気がした。なんにせよやる気を出してくれたならなんでもいい。
どうにか二つ目のピンチを乗り切った俺は再びデスクに戻ろうとした。
その時だった。
「……せんぱ~い~」
どこからか第三のピンチの気配が……。まぁその気配の主が誰かもうわかってんだけどさ。休む暇もなく声のする方へ。そこにはすっかり干からびた若い男の姿があった。
「なにがあった川本?」
「せんぱ~い! 俺も慰めてくださーい!」
川本が俺の姿を認めるなりまとわりついてくる。えぇい気持ち悪い!
「離れろ! まとわりつくな!」
「先輩、なんかいい匂いするっスね」
「ひぃっ!」
川本は俺の一つ下の、中途入社した俺からしたら先輩にあたるはずなのに、俺のほうが年上なのと、根っからの後輩気質というのか、なんでか知らないが俺を先輩と呼んで慕ってくる。見た目はかなりのイケメンで、彼のことをよく知らない女子が街中で二度見するくらいにはイケメンだ。だからといって男にまとわりつかれて喜ぶ奴もそういない……はずだ。
なんとか川本を引き剥がす。川本が何故か名残惜しそうな視線を向けてきている気がするが、気のせいだということにしよう。……気のせいだと言って。
「それでお前はなにが望みだ。金か? 地位か? 名声か?」
「なんで俺の時だけそんな風に決め付けるんすか! 俺はそんな物欲の塊じゃないんすよ」
川本が珍しく真面目な顔で反論してきた。普段の言動を見ていると、どうもそう決めつけてしまいたくなる。だが悪い奴じゃない。人は見た目じゃない。そう昔の偉い人も言ってたじゃないか。とりあえず聞くだけ聞いてみよう。聞いた上でそれが無駄かそうじゃないか決めればいい。
「じゃあ今何したい?」
「可愛い女の子とキャッキャウフフしたいっす!」
「物欲の塊じゃねーか!」
やっぱり聞くだけ無駄だった。
「せんぱーい、俺のお願いも聞いてくださいよー」
「うるせぇ! お前はさっさと仕事しろ」
「えー、なんすか、課長やたまちゃんさんの言うことはちゃんと聞いてあげてんのに、俺だけ言うこと聞いてくんないなんて不公平っすよー」
なにが不公平なのか知らないけど、頼むから俺を仕事に戻して欲しかった。
「だって俺が言うこと聞いたってお前ちゃんと仕事しないだろ。だからこの話は最初からナシだ」
「冷たっ! ちょっとくらい俺に優しくしてもバチは当たらないっスよ」
「そんなんで当たるようなバチだったら俺は喜んで受け入れるよ」
できる限りバチなんて当たりたくないが、この際仕事が進むならどんとこいだ。
「んじゃ俺仕事に戻るから」
「横暴っす! 断固抗議するっすよ!」
川本がいつになくやる気のない方へとやる気を見せていた。頼むからその情熱を少しでいいから仕事の方に向けてほしかった。
「あーわかったわかった。んじゃ、頑張ったら俺の知り合いの金髪少女紹介してやるから」
「金髪!? マジっすか!? その子可愛いっすか?」
「ん? 可愛いかどうかと言われたら可愛いかな。まるで人形のような美少女だ」
人形のようなというか、元人形なんだけどなあいつ。
「でもそんなうまい話が……。先輩、もしかして俺をはめようとしてませんか?」
「一分一秒惜しいこの状況でそんな嘘つく余裕が俺にあると思うか? ま、お前が信じないっていうならこの話はなかったことに」
「嘘っす! 俺頑張るっす! でもマジっすか?」
「ああマジマジ。大マジだ。だからやる気出してくれ」
「任せるっすよ!
川本のやる気が10上がった。といっても元々のやる気があまり高くないから期待はしていない。それでも仕事に目を向けてくれるだけまだマシか。
どうにかこうにか全てのピンチを乗り切り俺はようやく自分の仕事に取り掛かることが出来た。周囲からは「あの扱いにくい三人を見事にあしらうなんて木内さんすげーな」とか「柴田さんに代わる新たな猛獣使いか」とかなんか色んな声が聞こえてきた。……あの三人この課でどう思われてんだよ。
んなことよりも、
「早く帰ってきてくれ柴田……。俺もう疲れたよ……」
俺はこの課唯一の常識人である、不在の札が下がった柴田の名前を恨めしく見つめながらこの日何度目かのため息を吐いた。
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