メリーさんと名前
いつもの週末、いつもの時間。とあるマンションの五階の一番奥の部屋。そこは誰かが決めたわけじゃなく、なんとなくみんなが集まるそんな場所。その部屋の前で誰もが振り返るであろう見事な金髪をなびかせ、その肌は陶磁器のように白くなめらかで、サファイヤのようなどこまでも青く澄んだ瞳を持ち、それらを赤よりも紅い、真紅のドレスが優しく包み込む。そんな丹精込めて作られた精巧な人形のような姿をした少女がいた。……ただしこれでもかと頬を膨らませてだが。
「ぶっすー」
少女は声に出してぶすくれていた。
「なぁ」
「なんですか?」
「なんか機嫌悪いのか?」
「ぶぅえっつにー」
「…………」
なんかものすごく機嫌が悪いようだった。
「なんであいつあんなに機嫌悪いんだ?」
「さぁ。なんでかしらね」
俺は傍らにいた黒いドレスをまとった少女、アンジェリカ、略してアンジェに尋ねる。しかしアンジェは素知らぬ顔で自身が用意したハーブティーをすすっていた。
「クオーレ、何か知ってるか?」
「わたしも知らないわよ。またアンタがなにかしたんじゃない木内?」
「何もしてねーよユキちゃん」
「ゆ、ユキちゃんじゃないちゃよ!」
俺はアンジェとは反対側に座る水色のドレスをまとった少女、ユキちゃんことクオーレに尋ねた。しかしクオーレもわからない様子。あとユキちゃんと呼ばれると歯をむきだして怒る。
「じゃあノワール、アンタはわかるか?」
「いえ、わたくしも存じ上げません。しかしながら木内様がどのような女性が好みで、どのようなシチュエーションが燃え上がるのか、そのくらいは存じ上げております」
「余計な情報仕入れてんじゃねーよ! 削除だ削除!」
俺は対面に座るメイド服を身にまとったお姉さん、ノワールに尋ねることをひどく後悔した。見た目はものすごく美人でおしとやかそうに見えるくせに、中身がああだから油断も隙もない。
「あら、そのように思ってくださっていたのですか。困りました。そんな風に言われて思わず濡れちゃうところでした」
「もう黙ってろよ!」
……と、この人に限らずだがどういうわけか人の心を読む癖がある。ほんと油断も隙もない。
──それはそうと。
「ぶっすー」
ノワールの横に座る赤いドレスをまとった少女、メリーさんが相変わらず俺の方を睨みつけていた。
なんかしたかな俺……。
手に持ったハーブティーはすっかり冷めていた。
その日の一番乗りはメリーさんだった。
「おっはよーございます木内さん!」
「おはようって何時だと思ってんだ? もう夜の十一時だぞ」
「いやいや、我々メリーさんにとって夜の十一時など朝の始まりに過ぎません。そう。言うなればここからがわたしたちのエンペラータイム!」
ババーン! と効果音が付きそうなくらい胸を張って(それほど大きくない)自慢げにしていたが、相変わらず何言ってんのかよくわかんない。まぁ楽しうそうだから別にいいけど。
「それよりお前いつものでいいか?」
「あ、はい。そういえばわたしお土産持ってきたんですよ。ジャジャーン!」
そう言って取り出したのは最近テレビでよく特集されている有名店のバターサンドだった。
「お、これっていま話題のやつじゃん」
「はい! わたし今日のために並んじゃいました。今日はこれと一緒に宴を楽しみましょう!」
「宴って」
俺がやや呆れながら言う。
「ま、いいや。今カフェオレ用意するからちょっと待ってて。今日はアイス? ホット?」
「アイスで!」
「あいよー」
その元気な返事を背にキッチンに向かおうとすると、
「こんばんは。今宵も良い月ね」
「お、アンジェか。いらっしゃい」
メリーさんから少し遅れてアンジェリカがやってきた。鈴の音を転がしたような声を聞くと、顔を見なくてもアンジェだとわかる。
「あら、メリーさん。こんばんは。今日も良い月ね」
「こんばんは。なんだアンジェも来たんですね」
「ええ。ちょうど月光浴をしながら歩いていたら貴女の姿を見つけてね。ここに来るまでずいぶん軽い足取りだったけど、もしかしてお邪魔だったかしら?」
「そ、そういうわけじゃないんですが……。あ! アンジェもこれ食べますか?」
「これっていま話題になっているバターサンドね。並ばないと買えないとか」
「ふっふっふ、その通りなのですよ。これを買うためだけにずいぶんと並んだのです」
「ほれアイスカフェオレ」
「あ、ありがとうございます木内さん」
「何の話してたんだ?」
「わたしがこのバターサンドを買うためにどれほど苦労したか、アンジェにお話してたんですよ」
自慢げに胸を張るメリーさん。それでもアンジェのほうが少し背が高いため、妹が姉に自慢しているように見える。
「ところでまたハーブティーを持ってきたの。よかったらこれも一緒に召し上がらない?」
「いいのか? これ美味しかったからまた飲みたかったんだよ」
「また? 木内さんこのハーブティー飲んだことあるんですか?」
「この間アンジェが一人でウチに来たとき飲ませてくれたんだよ。俺ハーブティーって実はあまり得意じゃなかったんだけど、このハーブティーは飲みやすくてさ、次の日お店のハーブティー買って飲んでみたんだけどやっぱりダメだった。結局ハーブティーが飲めるようになったんじゃなくて、アンジェのハーブティーが飲みやすかっただけだったんだよな」
「あら、ずいぶんお世辞が上手くなったわね」
「お世辞じゃないって」
「まぁそういうことにしておくわね。はいこれ。今回はカモミールにしてみたの。冷めないうちにどうぞ」
そう興味のない風に言いながらもアンジェはなんか嬉しそうに見えた。
「あの」
「なんだ?」
「木内さんアンジェのことアンジェって呼んでるんですね」
「ん? ああ、そういやこの間なんとなく呼んだら成り行きでそうなった。もしかしてなんかまずかったか?」
「いえ、別にそういうわけじゃないのですが」
「わたしがお願いしたの。アンジェって呼んで欲しいって」
「へ、へぇー、そうだったんですね。あーそうですかー。へー」
何とも言えない顔をしながら持っていたカフェオレをズビーっとすすっていた。
「こんばんはみなさん。ご機嫌いかがかしら?」
威勢のいい声ととも歩いてきたのはクオーレと、その少し後ろにノワールがいた。
「来てあげたわよ木内!」
「来てあげたって俺は来てくれって頼んじゃいないぞ」
「そう言いながらこのわたしが来るのを今か今かと待ち望んでいたんじゃないの?」
「だーれが待ち望むかよユキちゃん」
「ちょ、誰がユキちゃんよ! わたしの名前はクオーレ、メリー・クオーレっていつも言ってるでしょ!」
「わかってるって。それとノワールもよく来たな」
「こんばんは木内様。夜分遅くに失礼いたします」
「気にすんなって。今に始まったことじゃないし、さすがにもう慣れた」
「それはそうと、見慣れた顔がいると思ったらメリーさんじゃない。ご機嫌ようメリーさん」
「ああいたんですかユキちゃん。ちみっちゃいからよく見ないと気づきませんでしたよ」
「だ、誰がユキちゃんよ!」
顔を合わせるなりいつもどおり口喧嘩を始める二人。それよりクオーレよ、ちみっちゃいって言われてんのに突っ込むところそこなんだ……。
「ふん、まぁ別にいいわ。それより木内、これを受け取りなさい」
「なんだこれ」
クオーレから受け取ったのは小さめの紙袋だった。中を覗くと可愛い袋に入ったクッキーが姿を見せた。
「へぇ、クッキーか」
袋から取り出してまじまじと見ていると、なんだかクオーレが照れくさそうにしていた。
「もしかしてこれ作ったのお前か?」
「そ、そんなわけな──「お嬢様が木内様からカレーをご馳走になったので、そのお礼にとご自身で作られたものです。まさかあのお嬢様が自分からそのようなことを言い出すとは思ってもみなかったので少し驚きましたが」い……って、なに捏造してんのよ!」
クオーレがノワールに食ってかかる。が、ノワールとクオーレじゃ頭二つ分も身長差があるからどんなに飛びかかってもノワールには届かないし聞こえない。その証拠にノワールがガッチリとクオーレの頭を右手で押さえつけていた。……自分の主人に容赦ねぇなこの人。
「離しなさい! ちょっとノワール! 頭に指が食い込んでイタタタタ!」
「お嬢様はこう申してますが、クッキーを作っている間もずっと木内様が喜んでくれるかどうかばかり考えておられて、それはそれは涙ぐましい努力をなさっておられました。もちろんたくさんの失敗もなさいました。けれどそれらを乗り越えて出来たのがこちらになります。見た目は不格好なものもありますが、味の方はわたくしが確認しましたので問題ないかと」
「もう離されま! いつまでこうしとんがけ! えぇ!?」
「これはこれは失礼いたしました。わたくしとしたことがうっかりさんでした」
そう言うとノワールはようやくクオーレの頭から手を話した。ついでにその手で自分の頭をコツンと小突く。可愛らしく振舞っているが、クオーレの反応を見る限り、そんな可愛いものじゃなかったのは見るからに明らかだった。
「ま、まぁせっかくだしいただくよ。サンキューなクオーレ」
「べ、べつにアンタに感謝されるために作ったんだじゃないから……」
「これがツンデレというものですかお嬢様」
「アンタはもう黙っとられ!」
と、ワイワイとやっている横で、
「木内さん、なんだか知らない間にみなさんと仲良くなったんですね」
「え、あ、うん。おいちょっとお前ら静かにしろ! ああもう、なにやってんだよ」
とこんな感じでバタバタしていた。最初から順を追って思い出してみるが、メリーさんが起こっている理由がさっぱりわからない。
「なぁ、どうしたんだよ急に」」
「…………」
「なぁ」
「…………」
「何か言ってくれよ」
「……なんですか」
「なんか怒ってるよなお前」
「怒ってなんかないですよ。わたしを怒らせたら大したもんですよ」
「なにわけのわからないこと言ってんだよ。お前やっぱり怒ってるよな」
「怒ってなんかないって言ってるじゃないですか!」
メリーさんが突然叫んだせいで、それまでワイワイとしていた空気が一気に冷えるのを感じた。直後、決まりが悪そうにそっぽ向いていた。
「あのさ、もし俺がお前になにかしたんだったら謝るよ。ごめん。だからってわけじゃないんだけど、お前が怒ってるんだったらその理由を教えて欲しいんだ」
「…………」
じっとメリーさんを見つめる。メリーさんは俺の視線から逃れようと俯いていた。
沈黙が続く。
「もういいんじゃないかしらメリーさん?」
その沈黙を打ち破ったのはアンジェだった。
「アンジェ、やっぱり知ってたんだな。メリーさんが何に対して怒ってるか」
「まぁね。ただメリーさんは怒ってるわけじゃないわ。拗ねてるだけなのよ」
ね? メリーさん? と付け加えて。
「拗ねてる?」
ますますわからなくなった。怒ってるわけじゃなくて拗ねているだけ。怒ってるならまだわからないでもないけど、拗ねているとなると何に対して拗ねることがあるのか。首をかしげて考えていると、横にいたノワールが何かに気づいたようだった。
「木内様」
「ん、なんだ?」
「多分ですが、メリーさんは自身の名前を呼んでくださらないことに拗ねているのではないでしょうか?」
「名前? メリーさんが名前じゃないのか?」
「んなわけないじゃないですか!」
ノワールとこそこそ話していると、どうやら聞き耳を立てていたらしく激しく反応してきた。
「な、なんだよ……」
俺が戸惑っていると、傍らにいたクオーレがため息をついていた。
「アンタねぇ、メリーさんって名前が本名なわけないじゃない。わたしたちのことメリーさんって呼んでないんだからそれくらい気づきなさいよ」
「そういえば……」
言われてみたらそうだ。彼女たちは自らをメリー・○○と名乗っていた。だったらメリーさんという名前が本名じゃないということぐらいすぐにわかるはずだ。そりゃあ拗ねるのも仕方ないことだ。
「でもさ、お前らもメリーさんのことメリーさんって呼んでるだろ。それはどうなんだ?」
俺の指摘に四人が押し黙る。どうやらまだなにかしらの理由があるみたいだ。
「あ、もしかして本名が日本語で発音出来ないものなのか?」
「ふ、普通の名前ですよ!」
「じゃあ本名が長すぎて呼ぶのが面倒でメリーさんって呼んでるとか?」
「いえ、そうではないのですが……」
「じゃあなんなんだよ」
「…………」
わけがわからなすぎてついきつい口調になってしまった。そのせいかメリーさんはシュン、としてしまった。
「ごめん。問い詰めるつもりじゃなかったんだけど、なんかさ俺だけ知らないっていうのもちょっとモヤモヤするっていうかさ」
実際のところこれは建前でもなんでもなく本心だ。出会ってある程度の時間が経って相手のことが少しずつわかってきた中で生まれた新たな疑問。メリーさんの本名がなんなのか知りたいという好奇心と、それを知らないという若干の苛立ち。
俺はメリーさんのことをもっと知りたかった。
「名前教えてくれないか?」
「…………」
「頼むよ」
「……ご」
「ご?」
「……ごめ」
「ごめ?」
「ゴメスですよゴメス! わたしの本名はメリー・ゴメスなんですよ! なんなんですかゴメスって!? どこの助っ人外国人かって言うんですよ! わたしはこのあまりにもメリーさんらしくない名前が嫌で嫌で誰にも呼ばせないようにしてたのに、どうして貴方はわたしに本名を呼ばせようとするんですか!? わかってますわかってますとも。ただわたしがアンジェやノワール、ユキちゃんにやきもち焼いてるだけって! みんなはちゃんと本名で呼んでもらっているのにわたしだけメリーさんって呼ばれてて、あーなんでわたしだけ……て勝手に拗ねてむくれて木内さんにこうやって変な心配までかけて。でもですね、このわたしの知らない間になーんか仲良くなってるし、アンジェなんて親しい人にしか呼ばせない愛称で呼ばせてるし、ユキちゃんなんてユキちゃんなんて呼ばれてもまんざらでもない顔してるし、ノワールは……まぁいいです。とりあえず、わたしがずっとどんな気持ちでここにいたかわかりますか! ええ!?」
なんかものすごい早口でまくし立てられた。あまりの剣幕に「ご、ごめん……」としか言えなかった。
俺のそんな姿に三人のメリーさんもやるせない雰囲気を醸し出していた。なるほど、どうして彼女たちがメリーさんの本名を呼ばないかよくわかった。そりゃあ呼べないよな。
ふー、ふー、と早口でまくし立てたせいで肩で息をするメリーさんを落ち着かせる。そうだ。こういうとき彼女にかける言葉は一つしかない。
「お前がずっとそんな風に思ってたのに気づいてやれなくて悪かった。ごめんな、ゴメス」
「むきー! なんでその名で呼ぶんですかー!」
本名で呼んだらなぜかプンスカされた。
「だってこの流れだと本名で呼ぶのが当たり前だろ」
「当たり前じゃなくていいんですよ! なんでもかんでも当たり前じゃないからなこの状況ですよ!」
「まぁ落ち着きなさいなゴメス」
「そうよ。あ、クッキー食べるゴメス?」
「ゴメス様、少し落ち着きになられては」
「貴女たちもなに便乗してんですか!」
「あー、なんていうか、いい名前だと思うぞ。ゴメ……ス。ブフッ」
「笑ってんじゃないですよ! あーもう! わたしをその名で呼ぶなー!」
静かな夜にメリーさんの叫び声がいつまでも木霊していた。
「でもなんでゴメスなんだ?」
「それはね──」
「ちょ、それ以上はいいんですよアンジェ!」
どうやらまだまだメリーさんには俺の知らない秘密があるようだった。
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