アンジェリカとにらめっこ
「今晩は」
メリーさんとのにらめっこ対決から数日後。仕事が終わって部屋でくつろいでいると、そんな声が玄関の方から聞こえた。俺がドアの隙間から覗くと、そこにいたのは黒いほうのメリーさんことアンジェリカだった。
「なんだお前か。どうしたんだ? 今日は土曜日じゃないはずだけど」
はてと思って靴箱の上のカレンダーを見るとやっぱり違った。
ちらっとアンジェリカの背後を見るが、もう一人の騒がしいほうのメリーさんはいなかった。
「お前一人か?」
「あら、いけなかったかしら?」
「いけないことはないけど……」
アンジェリカが口元に手を当てて艶やかに微笑む。正直、俺はちょっとコイツのことが苦手だった。別に最初の印象が悪かったとかじゃない(実際命の危機を感じてはいたけど)……なんというかつかみどころがない。そのせいかアンジェリカがどんなやつなのか未だによくわかってない。その点赤いほうのメリーさんは大変わかりやすくてよろしかった。
「んで、何の用だ」
「つれない態度ね。メリーさんにはあんなに優しいのに」
「…………」
すぐこれだ。なにかあるとこういう言い回しをしてくる。これが俺は苦手だった。
俺はそっとドアを閉めようとした。が、案の定つま先でドアをガードされてしまった。そのあたりはどのメリーさんも変わりないようだった。俺はやれやれと諦めることを諦めると、そっとドアを開いた。
「さすがに泣き叫ばないんだな」
「ふふ。わたしが泣き叫ばなくて残念だったかしら?」
「別に」
「そう」
俺がそっぽ向いて言っても何がおかしいのかアンジェリカはずっと微笑んでいた。
「それで?」
「それで?」
「お前は質問に質問で返すのか?」
「さすがにそれで? だけでは何を聞きたいのかわからないわ」
「……そうだな。いや、それは悪かった」
あまりにもつっけんどんな態度だったことを詫びる。頭を下げるとアンジェリカは、さっきまでの小悪魔のような笑みから、その名の由来のとおり天使のような優しい笑みを見せた。
「──やはり貴方は違うのね」
「何か言ったか?」
「いいえ。それよりもここに来たらいいことがあると聞いて来たのだけれど、わたしはなにをしたらいいのかしら?」
「いいこと? なんだそりゃ?」
そこまで言ってはたと思い出す。
「あんにゃろー……」
大方メリーさんが余計なことを言い回ったんだろうなぁ。
「あー、あの赤いのからなにを吹き込まれたか知らないけど、ここに来てもなにもないぞ」
「そうなの?」
アンジェリカが小首をかしげる。たまに見せる妖艶な見た目とは裏腹な、らしくない仕草にちょっとかわいいと思う時がある。まぁ口にはせんけど。
「あら、ちゃんと口にしてくれてもいいのよ? 散々あの子には言ってるのにわたしには一言も口にしてくださらないんだから」
「…………」
忘れてた。こいつらはどういうわけか人の心を読む癖があるんだった。余計なことは言わないでおこう。くわばらくわばら。
「そ、そうだ。コーヒーでも飲むか? あ、メリーさんはカフェオレが好みだったっけ。お前はたしか紅茶が好みだったよな。今いれるよ」
「おかまいなく。今日はお茶を持参してきたの。よかったら飲んでくださらない?」
と、アンジェリカが持っていた今流行りのリラックスするくまの頭の形をしたバッグの中から、これまた可愛らしいリラックスしているくまのキャラクターがプリントされた水筒が出てきた。……うん。人は見かけによらないって本当だ。
「これはわたしが育てているハーブでいれたハーブティーなの。リラックス効果があるから飲んでみて」
「い、いただきます」
アンジェリカから手渡されたリラックスするくまがプリントされたマグカップを手にリラックスするハーブティーをすする。リラックスだらけで逆にクラっとしてくる。
「どうかしら?」
「あ、美味い。いいなこれ」
「やった」
俺が素直な感想を漏らすと、アンジェリカは心底驚いたような表情を浮かべて、年頃の女の子のように喜んでいた。
「お前もそんな風に笑うんだな」
「え、あ、……こほん。それでなにかしら?」
アンジェリカが長い黒髪を片手で振り払う。なんだか彼女の意外な一面を見たような気がした。
アンジェリカのハーブティーを飲み干すと、ようやく本題に入る。
「──というわけだ」
「なるほどね。そういうことだったの」
ことの顛末をアンジェリカに話すと、彼女は少し呆れているようだった。
「あの子らしいといえばらしいけど」
二杯目のハーブティーをすすりながらふぅとため息を漏らしていた。きっとアンジェリカもアンジェリカで俺の知らない苦労があるんだろうなぁ。
「でも面白そうね」
アンジェリカだけはこういうのに絶対にのってこないと思ってたから結構意外だった。もしかしたらメリーさんやクオーレの影に隠れているだけで、案外アンジェも子供っぽいやつなのかもしれない。
「愛称」
「ん?」
「いまわたしのこと“アンジェ”って呼んだでしょう?」
「そうか? あー、そうかもしれんな。何気なく言ってしまったみたいだけど、嫌だったか? 嫌だったら言ってくれ」
「そうじゃない。わたしのことをアンジェって呼ぶのは親しい間柄の人たちだけだから、ちょっと驚いただけ」
「そ、そうか……」
アンジェリカに親しい間柄の人と言われてなんだか俺まで気恥ずかしくなる。
愛称か。どれだけの人にそう呼ばれてるんだろう。俺はもう少しこのメリーさんのことを知りたくなった。
「……それはそのうち話してあげる」
「何か言ったか?」
「いいえ。そろそろ帰ることにするわ」
「ん、もうこんな時間か。俺もそろそろ寝るか。って、結局にらめっこ対決やらなかったな。今日はそれが目的で来たんだろ?」
「ええ。そのつもりだったけど、結果はわたしの負けだったわ」
「?」
俺は意味がわからず頭にハテナマークを浮かべていた。
「あ、そうだ。これからわたしのことはアンジェリカではなくて、アンジェって呼んでくださらないかしら?」
「別にいいけど。一体どんな風の吹き回しだ?」
「わたしももう少し貴方のことを知ってみたくなったからじゃダメかしら?」
再び小悪魔のような妖艶な微笑みを向けてくる。やっぱり一筋縄ではいかない相手のようだ。
アンジェがエレベーターに乗り込むのを見届けると、俺はそっとドアを閉めた。
ふっと玄関の中を見ると、一本の花が落ちていた。そっとそれを拾い上げてみると、それはアンジェリカの花だった。
「まったく……天使とは似ても似つかねーな」
俺はキッチンから適当なグラスを持ってくると、アンジェリカの花をそっと生けた。
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