メリーさんとにらめっこ

「最近思うのですが」


 メリーさんが水滴の浮かぶグラス(今日はアイスココア)を片手にそう切り出した。


「おう。どうした」


 俺が部屋の前の廊下に座りながら二本目の缶ビールに手を伸ばす。


「わたしたち最近馴れ合いが過ぎるような気がしてるんですよ」

「馴れ合いとは?」


 缶ビールのプルタブを開けながら聞き返す。メリーさんは決意のこもった目で続ける。


「わたしの当初の目的は木内さんのお部屋に入ることでした。それが気づけばこうして毎週末やってきてはお茶をしながらおしゃべりして、時に遊んだりもして、時間が来たら帰る」

「楽しくていいじゃないか。それじゃいかんのか?」

「いかんもなにも、わたしはメリーさん。そして貴方は人間です。この意味がわかりますか?」

「まぁなんとなくは」


 そばに置いてあったチーズ鱈をひとつまみ。うん、うまい。


「つまりわたしたちは本来なら相容れる関係ではないということです。本来ならわたしはメリーさんとしての職務を果たさないといけないのに、こうして人間である木内さんと馴れ合ってしまいました。しかし今日からは違います! 今日こそは木内さんのお部屋に突撃訪問させてもらいますから!」


 ババーン! と効果音が聞こえてきそうに腰に手を当てて高らかに宣言するメリーさん。そういやメリーさんの当初の目的って俺の部屋に入ることだったよな。すっかり忘れてたけど。


「というわけで木内さん。早速ですが部屋のなかに入れて「だが断る」──ですよねー、といつもならここで諦めるところですが、今日の私は違います。ひと味もふた味も違うんです!」


 確かにいつもなら「なんでですかー!?」とプンスカするのが常になっていたのに、そうならなかった。なるほどこれがひと味もふた味も違うわけか。


「いいじゃん部屋に入れるくらい別に」


 横で俺たちのやり取りを聞いていた花村課長が缶ビールをぐびり。……全くこの人は他人事だと思って。


「そうは言いますけど、こいつを部屋に入れたらなにかされんすよ俺」

「え? なにかされんの!?」

「なんでちょっと期待した目してんだよ!」


 俺の言葉に目を輝かせて反応する課長。


「メリーちゃん。メリーちゃんをお部屋にお迎えしたらなにかされるのー?」

「は、はい……一応、なにかします。それがメリーさんなので」


 戸惑いながらもちゃんと真面目に答えるメリーさん。さすがひと味もふた味も違うだけある。


「木内さんちょっと馬鹿にしてません?」

「そ、ソンナコトナイヨ」


 まさか心を読まれているとは。思わずカタコトになってしまったぜ。


「じゃーあー、いまからおねーさんとこ行こっか♪ おねーさんのお部屋ならいくらでも入り放題だし、──なんなら朝までじっくりしっぽり……」

「木内さん! 警察! 警察呼んでください!」


 さっきまでの威勢の良さは何処へやら。いつものメリーさんにすっかり元通りになってしまった。


「あーはいはい。課長もその辺にしといてください。あんまりやりすぎるとこいつに相手してもらえなくなりますよ」


 俺の背後に隠れて小さく震えるメリーさんをかばいながら、課長を優しく諭す。シュン、とうなだれる課長に昼と夜でどうしてこうも違うんだと思った。


「ま、でも部屋に入れるくらいしてあげたら? あたしだってキューちゃんのお部屋入ったことあるし」

「なんですと!?」


 メリーさんが某ネルフ本部を見つけた使徒のごとくギュンッと目を光らせて振り向いた。その姿に思わず俺の方が爆発しそうだったぜ!


「入ったっていってもトイレ借りただけじゃないっすか。それも飲みすぎて気持ち悪くなったから」

「そうだったっけ?」

「……覚えてないのかよ」


 やれやれと肩をすくめてみせる。とはいえ、肉親以外で異性がこの部屋に入ったのは課長しかいないのは事実だ。……うん悲しい。


「でも部屋の中は思ったよりちゃんと片付いてたし、綺麗にしてたわね。あ、でもインスタントとかレトルト食品ばかり食べてちゃダメよ。たまには自炊してみたら?」

「善処します」


 急にこうやって課長モードになるからたちが悪い。ずっとこうやって課長モードならまだいいんだけどな。


「何か言ったかしら?」

「いえ、なんでも」


 だからどうしてどいつもこいつも人の考えてることを読むんだろう。


「それよりもです。当初の目的ですよ」

「あー、なんだっけ?」

「木内さんのお部屋に入ることです!」


 回り回ってようやく本題に戻ってこれた。そうだ。メリーさんは俺の部屋に入ろうとしてたんだった。んで俺はそれを阻止している、と。……いつもの光景と何が違うんだろう。


「わたしに提案があります。きっとこの先何をやっても木内さんはわたしを部屋のなかに入れることはないでしょう」

「まぁ今のところは」

「そこでです。わたしが木内さんと勝負をして勝ったら部屋のなかに入れるというのはどうでしょうか?」

「つまり勝ち負けで部屋に入れるか入れないか決めようというわけか」


 まぁなにをしても部屋に入れてくれない俺を相手に勝敗による取引というのは悪くない考えだと思う。──しかし、だ。


「それって俺にメリットある?」

「め、メリット……。シャンプーですか?」

「そのメリットじゃねーよ。いやそれもメリットだけどさ。俺が言いたいのは勝ち負けを決めるのは構わない。メリーさんが勝ったら俺の部屋に入るってのも構わない。じゃあ俺が勝ったら?」

「わたしが部屋に入れない……?」

「それメリットじゃなくていつものことだろうが。要は俺が勝っても何も旨みがないんだよ」


 取引というのはお互いに条件を提示しあい、それに妥協点を見つけお互いが得する形で納得するようにするのが常だ。しかし、メリーさんとの取引はメリーさんにだけ旨みがあり、俺にはない。だからこの取引は上手くいかない。


「俺としては負けたらメリーさんが俺の部屋に入ってしまうからそれを阻止するのは当然なんだけど、それにしたってそれを防いだところでなにもない。せっかく勝負するんだったら何か欲しいよ」


 簡潔に言えば俺にもなんかくれということだ。


「……思ったより浅ましい人ですね」

「お前が言うな!」


 浅ましいと言われようが勝負に賞品は付きもの。それにそっちの方がやる気も出るってもんだ。


「うーん、賞品ですか。急に言われても難しいですね」

「まぁ今すぐじゃなくてもいいぞ。なんだったらからあげ弁当一年分でもいいし」

「どれだけからあげ弁当好きなんですか。まぁ……悪い気はしないですけど」


 すぐに思いついたものを挙げてみただけだが、なぜかメリーさんが頬を赤らめていた。


「じゃあさ、勝負に勝ったら勝った方が負けた方を好きにできる権利ってのはどう?」


 一向にまとまらないことに業を煮やしたのか、花村課長がとんでもないことを提案してきた。


「なんかとんでもない爆弾放り込んできたなこの人」

「でもさほら、それならメリーちゃんはキューちゃんの部屋に入れてって命令すれば入れるし、キューちゃんもメリーちゃんに好きなことお願い出来るんだからWIN-WINじゃない?」


 言ってる内容は確かに理にかなってるといえば理にかなっているが、それはある意味ではとんでもない条件だともいえる。まさにハイリスク・ハイリターン。いよいよ負けられなくなってきた。


「それで勝敗って何で決めんだ? またババ抜きでもやるか?」

「さすがに二人でババ抜きってのもどうかと思います。なので──」


 メリーさんがスカートの中から一枚のパネルを取り出した(まるで四次元なんとかみたいだがあえてツッコまない)


「ジャーン! 勝負の内容はこれです」


 そう言ったパネルに書いてあった文字は『にらめっこ』だった。


「これで木内さんと勝負です」

「あー、と。なんでにらめっこなんだ?」


 当然の疑問だった。


「ふっふっふ、これは古来より日本人が勝敗を決める際に用いられてきたといわれている伝統的な競技なんですよ。これなら誰も傷つかず、ましてそこに技術の差もない。ただ武器となるのは己の顔と負けたくないという闘志だけです!」


 なんかいかにもなこと言ってるが、要は特になにも考えてなかったか、バラエティ番組でも見て決めたんだろうと思った。にしても、にらめっこか。これを選んだことを後悔しなけりゃいいけどな。


「それじゃあいきますよ」


 俺が一度部屋の中に戻り、「にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ」の掛け声でドアを開ける。そこでメリーさんが俺を笑わせたらメリーさんの勝ち。俺が耐え切ったら俺の勝ちということだ。


 さぁどんな風に俺を笑わせようとしてくるのか。


「に~らめっこし~ましょ~、笑うと負けよ~、あっぷっぷ!」


 それを合図にドアを開く。そこには──、


 両手で自分の顔を引っ張り、おもちのように頬を伸ばしたメリーさんの姿があった。


「…………」


 さすがに声を失った。笑うとか笑わないとかの次元じゃない。むしろこれをどう笑ったらいいのか。そっちのほうが問題だった。


 とりあえず閉めとこう。俺はそっとドアを閉めた。


「ちょっとー! なんで閉めるんですかー!?」


 案の定、プンスカした怒声が返ってきた。


「いや、あれを笑えってほうが難しいって」

「な、なんだってー!?」

「それはもういい」

「くっ……このわたしの最強にして最大の技が通用しないとは……」


 メリーさんががっくりと項垂れる。それが最強にして最大の技なのであればメリーさんは果たしてどれだけ弱いんだろう。


「まぁ面白い顔ってより、一生懸命頑張ってる姿はかわいいって思ったかな」

「か、かわいい……」


 急にメリーさんが自身の着ている真っ赤なドレスと同じくらい赤くなった。


「どうした? 熱でもあるのか?」

「ふぇ!? ひ、いや、そんなわけじゃ……。あ! わたし用事思い出したんでこれで帰りまひゅ!」


 そう言うと脱兎のようにメリーさんは帰っていった。なんだよ。せっかく俺のとびっきりのにらめっこ技を披露してやろうと思ったのに。ま、勝敗は次回に持ち越しか。


 俺が軽く息を吐く。と、


「キューちゃんってさ、案外女たらしなのかもね」


 課長がビールを片手に一言。なんかひどい言われようだった。


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