メリーさんとレイ子さん(仮名)
前回のあらすじ。
とある夏の夜に怪談話に興じていた木内とメリーさんたち。そんな暑い夜は木内の実体験と、メリーさんの語る身も凍る(?)怪談と続き、とうとうアンジェリカがその口を開いた。彼女から紡がれる怪談はその場にいた三人の背筋を凍らせるには十分だった。
「というわけです」
「お前の語りかよ!」
以上、前回のあらすじでした。
「言いにくいんだけどさ、それ」
俺が尋ねると謎の女性はビクッとしていた。ついでにアンジェリカの服の裾を掴んでいたメリーさんもビクッとしていた。
「えと……その……」
女性が喋ろうとする度に首から下がったロープが揺れる。あれはネクタイだと何度も何度も自分に言い聞かせていたがやっぱりロープだった。
「……それどうにかならない?」
「……ごめんなさい」
どうにもならないようでした。
なんでもこの女性は俺の部屋に居ついた地縛霊らしく、もう何年も前にこの部屋で首を吊って命を絶ったということだ。通りでこの部屋の家賃が安いわけだ。
「それよりアンタなんで今更出てきたんだ?」
「その……皆さんのお話が怖かったのでつい」
「幽霊が怪談を怖がってんじゃねーですよ!」
「ひいっ!」
「人の背後で吠える奴が言うことか! あと、アンタも幽霊なら幽霊らしくしろよ」
出会って数分でこの人(いや、元人間か)も目の前にいる都市伝説と同じくらい面倒な存在だと知った。
やれやれと肩を竦める。どうにもここしばらくこんなわけのわからない目に遭ってばかりだ。だからといって前のブラック企業に勤めていた頃が懐かしいかと聞かれれば全力で首を横に振ろう。
「それでアンタの事情はわかった。まぁ幽霊が怪談話を怖がるなんて話聞いたことないけど、ここであったのもなにかの縁だ。ゆっくりしていってくれよ。って、幽霊だからお茶飲めないか」
「あ、目の前にでも置いていただければ味わうことは出来なくてもお気持ちとしていただくことは出来るので。でも猫舌なので少し冷ましてもらえると助かります」
てへへと照れくさそうに頭をかいていた。その度にロープがぶらんぶらん揺れる。極力そっちに視線を向けないようにした。
「それにしても木内さんってばこんな方が部屋にいらっしゃったのに今まで気付かなかったんですか?」
「それはわたしも疑問に思っていたわ。もしかして霊感がないのかしら?」
メリーさんとアンジェリカが不思議そうに俺を見ていた。まぁこれだけインパクトの強い存在がいたなら普通気づいてもおかしくないはず。ただアンジェリカの言うとおり霊感がないならそもそもこの人は見えてないはずだ。しかし前に読んだ本ではこの世に対する未練が強かったり、怨みを持っていたりすると霊感がない人でもはっきりと見えるとかなんとか。
「これだけはっきりと見えるってことは悪霊かなにかの類か。それともアンタもこの世に未練とかあるのか?」
もしかしたらこの人も俺みたいにどうしようもない悩みを抱えてて、でも自分ひとりじゃどうしようもなくて命を絶ってしまった。俺は運良くメリーさんに出会ったからあのどうしようもない生活から抜け出すことが出来た。けれどこの人はそうじゃなかった。もし俺もメリーさんに出会えてなかったら……。いや、やめよう。
だから俺は望むならこの人がちゃんと成仏出来るようなにかしてあげたかった。
「えっと……実は、わたし死んだとき酔っ払っててふざけてたら死んじゃってたんですよね」
「なにやってんだよアンタ!」
さっきまで同情していた俺の心を返して欲しかった。
それよりもどうして俺がこの人の存在に今の今まで気付かなかったかだ。
「なんでだ?」
「木内さんはいつも朝早くに出て行って、夜遅くに帰ってきてそのまま眠りについてしまうことがほとんどだったので、わたしがいくらラップ音を鳴らしても、物の位置をずらしても、鏡に手形を残しても気づいてもらえなかったんですよ」
「結構いろいろやってんな!」
「ひぃっ!」
とうとうレイ子さん(仮名)までアンジェリカの背後に隠れてしまった。地縛霊が背後霊にクラスチェンジか。
「木内さん、それあまり面白くないですよ」
メリーさんにツッコまれた。うるせーやい。
ひぐひぐ泣いているレイ子さん(仮名)をアンジェリカがなだめていた。
「まあまあその辺にしておいてはいかがかしら? 死人とはいえ女性をいじめるものではないわ」
「……悪かったよ」
「これでいいかしら?」
「……ひぐ……ありがとう……ござます……」
「木内さんてばまた女の子を泣かせて……」
「ひどい言い草だ!」
もう散々だった。
「ところでアンタこれからどうすんだ?」
「どうするとは……?」
「言いにくいんだけど……成仏するのかなぁって」
「あ……」
レイ子さん(仮名)は今更そのことに思い至ったようで、顔はぽかーんと、ロープはぶらーんとしていた。
「そういえばわたしはどうなるんでしょうか?」
「どうなるんすかね」
死んだ人間がどうなるかなんて生きてる人間がわかるわけない。それこそ神どころか仏も知ってるかどうか。ただこのままってわけにもいかない。相手が女性っていうのもそうだけど、なにより住んでる部屋に幽霊がいるっていうことがわかってしまった以上、ちょっと居心地が悪い。
「いっそ塩でも撒いてみるか?」
「わたしはナメクジではないんですけど……」
「じゃあお経でも読みますか?」
「あ、お経はあまり効果ないですよ。でもあれ聞くとなんだかぐっすり眠れるんですよね」
「ヒーリングミュージックか!」
「お線香はどうでしょう。ちょうどここにいいのがありますし」
「……それ蚊取り線香」
さすがに幽霊相手でも蚊取り線香は可哀想だと思う。
あれやこれやと考えを巡らせてみるが、妙案ばかりで名案は出てこない。するとアンジェリカがポツリと一言。
「せっかくだし彼女にも怪談を語ってもらうのはどうかしら?」
気づけば時刻は午前二時。ちょうど丑三つ時だ。
「夏の夜に幽霊の語る怪談話なんてどんなジョークだよ」
「あら、面白いとは思わない? 幽霊の語る怪談っていうのもまた一興だと思うけれど」
ありえねーって思う反面、幽霊の話す怖い話に興味がないわけでもなかった。むしろ聞いてみたいとさえ思った。そう思っていたのは俺だけじゃないみたいで、怖がりのメリーさんでさえ興味があるのか、目をランランとさせていた。
「どうかしら?」
「……怖い話ですか。わたし怖い話って苦手なんですよね」
本末転倒だった。
「まぁでもさ、せっかくだからなにか話してくれよ。いくら幽霊って言ってもなんか一つくらいあるだろ」
「そうですね……。これが怖い話になるかわかりませんが。これはわたしがまだ生きていた頃の話です」
「いきなりハードだな」
いくらなんでも怖い話の語り手がすでに死んでるなんて初めて聞いた。むしろそっちのほうがオチのような気がする。
「ちょうどその日はこんな夏の暑い夜でした。わたしはいつものようにビールを何本か空け眠りについてて、暑かったのでほとんど服も着てなかったんです。すると、どこからかガサゴソと物音がしてたんです。わたしその物音で急に目が覚めて何の音だろって思ったんですよ」
「それで?」
「それで物音の原因ってなんだろって思ってたら窓が開けっぱなしになってて、風が強く吹いてたんです。あー、開けっ放しにしてたーって思って、まぁでもここ五階だから誰にも見られる心配もないかーって気にしてなかったんですね。窓を閉めて、暑いからエアコンをつけてまた眠りだしたんですけど、またガサゴソ、ガサゴソって聞こえるんですよ。さすがに気持ち悪くなってきて、音の正体を探ろうとしたら急に体が動かなくなって、あ、これ金縛りだってその時やっと気づいたんです」
「……嫌な展開ですね」
「音の正体を探ろうとしても体が動かない。でも部屋の中はガサゴソって音が響いてる。もしかして幽霊……? って思ったら急に背中のほうにゾクゾクッとした感触があったんです。うわっいま触られた!? って思ってそうしたら急に体の硬直が解けたんで慌てて感触のあった背中に手を回すと、ぐにっとなにか柔らかい感触が。恐る恐るそれを見てみると……なんと○キブリが背中にくっついてたんです。つまりガサゴソって物音はわたしの枕元にいた奴が動き回っていた音だったんですよ」
怖いでしょう? とレイ子さんが締める。
怖いっちゃ怖いがそれって怪談か……? 俺が首をひねる横でメリーさんはガタガタ震えていた。
「な、なんて話ですか! めちゃくちゃ怖いじゃないですかそれ!」
「ですよね! もうあの時の感触を思い出すとまた死んじゃいそうですよ」
「わかります。奴らに襲われるくらいならいっそ死んだほうがマシです!」
メリーさんとレイ子さんがガッシと固い握手を交わしていた。お前さっきまでその人見て怖がってただろうが。
「いくらなんでも大げさじゃ「なにいってんですか! 我々のようなか弱い人形の天敵なんですよ奴らは!」──なさそうですねはい」
俺の反論に間髪入れずにかぶせてくる辺り本当に苦手なんだろう。
「まぁメリーさんはああ言ってるけど、お前はそうでもないんだろ?」
と、もう一人のメリーさんを見ると、
「……考えただけで恐ろしいわね」
こうかはばつぐんだった。
「それでそのあとはどうなったんですか?」
「もうそのあと眠れなくなっちゃったから朝までずっとビール飲んでたんです。飲まなきゃやってらんねーって感じですね」
「そうね。貴女の気持ち痛いほどよくわかるわ」
「わかっていただけるとわたしもお話した甲斐がありました」
「他にも怖い話ありますか?」
「あ、じゃあこんなのはどうでしょうか。題して、振り返り美人だと思ったらオッサンだった話!」
「うわ、タイトルからして怖そうですね」
「これは楽しみね」
なんか俺の知らない間に三人の間に妙な友情が生まれていた。
……夜遅いけどビールでも空けようかな。お酒を飲みたくなったのはなにも夏の暑さのせいだけじゃない気がした。
そんなこんなしているうちに次第に空が白んできた。と、そこであることに気づいた。
「アンタそれ」
俺がレイ子さん(仮名)を指差す。レイ子さん(仮名)の姿がさっきよりずいぶん薄くなっていた。
「これは」
「ああ、どうやらわたし成仏出来るみたいですね」
「成仏って俺たちなにもしてないぞ」
「きっと皆さんとたくさんお話して満足しちゃったんですよ。だからもう思い残すこともないってことで」
「そんな……せっかくいいお友達になれたと思ったのに」
メリーさんが涙ぐんでいた。それをアンジェリカが慰めていたが、アンジェリカの目元にもうっすら涙が浮かんでいた。
「最期の最期って言っても、もう死んじゃってるんで最期もなにもないんですけど、こんな姿になってからずっとこの世に彷徨っていましたけど、最後に皆さんに会えて良かったです」
「もう行くのか」
「そんな顔しないでください。それに幽霊が出る部屋なんて嫌でしょう」
「○キブリが出るよりはマシだと俺は思うぞ」
「それと一緒にされるのもちょっと気が引けますが、ありがとうございます。でもあまりそんな風に言われるとまたこの世に未練が残ってしまいます」
「それもそうね、だったらわたしたちは笑って見送ってあげましょう」
「そうだな」
ビル群の影から静かに陽の光が差し込んでくる。その光に照らされたレイ子さんの体が眩しく光輝く。
「木内さん」
「なんだ」
「あまり無理しないでくださいね。また前みたいになったら今度こそわたしと同じになってしまいますよ」
「気をつけるよ」
「メリーさん」
「は、はい!」
「もっと早くに貴女とお話したかったわ。きっとこれからも大変だと思うけど、頑張ってね。あ、あと──」
「……はい」
レイ子さん(仮名)がそっと耳打ちする。何話してるんだろう。
「時間ね」
アンジェリカが告げる。お別れの時だ。
「それじゃあ皆さん。そのうちまたどこかで」
さようなら。
そう言い残してレイ子さん(仮名)は姿を消した。
「さーて、わたしたちも帰るとしますか」
「そうね。ずっとしゃべり続けていたからさすがに疲れたわ」
メリーさんが大あくびをしていた。それにつられるようにアンジェリカも小さくあくびをしていた。
「それじゃ木内さんまた来週。あ、アンジェ、帰りにファミレス寄って行きません? わたしお腹すいちゃいました」
「ずいぶん元気ね。わかったわ」
「そうと決まったらさくっと行きましょう!」
「あ、メリーさん」
意気揚々とエレベーターに乗り込もうとするメリーさんを呼び止める。
「なんでしょう?」
「最後にレイ子さんに何言われたんだ?」
俺がさっきから気になっていたことを尋ねる。するとメリーさんは、
「教えません」
くふふ、と笑ってエレベーターの扉が閉まった。
なんだよそれ。なんだかもやもやする気持ちが残っていた。
エレベーターの中でメリーさんはずっとニヤニヤしていた。それをアンジェリカが
「何かいいことでもあったのかしら?」
「べっつにー。そんなことないですよ」
「レイ子さんかしら?」
「ま、そんなところです」
メリーさんはレイ子さん(仮名)に言われたことを思い出していた。
それは二人だけの秘密。
「またいつかどこかで」
メリーさんはもういなくなってしまった友人のことを想いながら、マンションのエントランスを出たのだった。
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