#03 鏡と少年
半年前――。
とある病院の一室で、ベッドで眠る少年とそのそばで少年を見守るレンの姿があった。
ベッドで眠っているのはレンの弟のユーダイだ。一年ほど前に突然不治の病になり、それからずっとこの病室にいる。
「早くて二か月、か」
ユーダイは余命宣告を受けていた。もちろんその時にレンも同席していた。
レンとユーダイの両親は二年前に離婚。親権は母親に譲られ、以後二人の面倒を母親が見てきた。
しかし離婚後の家計を支えるために母親は毎晩遅くまで仕事に出ているため、あまりユーダイの見舞いに行けていないのが現実だった。
レンも高校から帰宅してバイトに明け暮れる日々だったが、母親の事情もあり、ユーダイが入院してからはほぼ毎日こうして見舞いに行っている。
そんなある日、レンはいつものように高校を終え帰宅していると、病院から一本の電話がかかってきた。
「ユーダイさんが――」
ユーダイが息を引き取った、との連絡だった。突然だった。
急いでレンは病室に駆けこんだ。当然、連絡があった後なので生きているわけもなくベッドに横たわるユーダイの顔をただ見つめることしかできなかった。
レンはこのとき、涙を流すことはなかった。代わりに、ある意志が生まれていた。
――僕は、生きてやるからな。
ユーダイの死から二か月が経った頃。
夕日が差し込む教室を後にして、レンはいつも通り高校から帰宅していると、一人でゆっくりとした足取りで歩く少女を見つけた。
「……?」
あまりにその歩くペースが遅く、レンは言い知れぬ何かを感じた。
反射的に声をかけようとするが、少女が交差点を通り過ぎたとき、一台のトラックが通る。トラックが通り過ぎたあと、レンは少女からハンカチが落ちるのを見ていた。レンはこれを
「あの、ハンカチ」
「えっ、あっ……ありがとう」
少女は寸前まで考え事をしているように見えた。そして胸元に据えられた手には懐中時計らしきものが握られてた。
その時計を見たとき、レンの脳に衝撃が走った。
「どうかしたのか?」と声をかけようとしていたのに、頭がぼーっとしてそれができなかった。レンは呼吸を整えて、またゆっくりと歩き出す少女の背中を無言で見つめていた。
「なんだ、今の……」
*
レンは少女との出会いを境に、変な夢を見るようになった。しかもその夢にはしっかりとした物語がある。
何度も見ているうちに、その世界はくっきりと、はっきりと見えてくるようになった。意識的に自分が発する言葉も覚えていたし、そこで見た景色をいつでも鮮明に覚えているようになった。
レンは既に気付いていた。これは夢じゃない、と。
そんな世界を見始めてから二か月が経った頃、レンは世界の中で奇妙な猫と出会うことになる。その猫こそがチェシャ猫だ。
出会いはその世界の暗い泉の中だった。
「やっと見つけた。キミは何者なんだい?」
それがチェシャ猫の第一声だった。こっちのセリフだ、とレンは言いたくなるがそれを抑えた。
話を聞くと、その猫は【魔法の鏡】とやらでレンがこの世界で出歩いていることを前から知っていたみたいだ。
そして、チェシャ猫は鏡に見覚えのある少女の顔を映し出し、「彼女を知っているかい?」とたずねてきた。
「この子は……二か月前に会ったよ」
「ふぅん、やっぱりね」
「なぜそれを?」
「彼女の名はユカリ。とある事情でこの世界に迷い込んでしまった少女さ」
「彼女と僕に何の関係があるんだ」
レンがたずねると、チェシャ猫は不敵な笑みを浮かべて言った。
「——キミは今、ユカリの幻想の中にいるのさ」
「……は?」
「ま、驚くのも無理はないね。どういうわけか、キミはこの世界に迷い込んでしまった」
レンがどういうことだと問い詰めると、陽気に笑いながらチェシャ猫は言った。
「悪いけど、それは自分で探ってほしいにゃ!ボクはしばらくキミのことを様子見させてもらうよ」
そうして奇妙な猫はにゃははと笑いながらどこかへ消えてしまった。
*
ある日――ユカリたち三人が森に入ってきた頃、レンはチェシャ猫から例の【魔法の鏡】を受け取っていた。
「どうやらキミにはユカリを救える術を持っているみたいだにゃ。これを使ってユカリを救ってほしい」
「ただの鏡にしか見えないけど」
「あー失礼だにゃ!ちゃんと使えるんだよ?たとえば……」
チェシャ猫は薄気味悪い笑みを浮かべながら「この世で一番バカでヘタレでハゲてるのはだぁれ?」と鏡に向かって言う。すると鏡に、兎の耳の生えた青年の姿が映った。
「にゃはは~!やっぱりこのウサギはハゲ確定だにゃ!」
「おちょくっているならやめてくれないかな、僕は早くこの幻想の真実を知る必要があるんだ」
「はぁ……わかったよ。とりあえず持ってて損はないさ。前にも言ったけど、キミにはユカリを救う手助けをしてもらうんだからね」
「それは君が勝手に言い出したことだろ」
「そうは言っても、キミが目指しているのはユカリだろう?」
「……」
レンがそっぽを向いて黙ると、チェシャ猫はニヤリと笑った。レンはその表情に気付いて軽く睨んだ。
「なんだ」
「なんでもないよ。それじゃ、またにゃ!」
と、チェシャ猫は一度走っていくがあるところで何か思い出したように振り向く。
「——それと、その鏡間違っても割っちゃダメだよ?」
*
森を駆け抜けるレンはただ前を見据えていた。
その手には鏡が握られている。
「待ってろよ、ユカリ」
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