第29話 逃亡生活の終わり(暴力描写アリ)

真希は何が起こったのか、すぐには分からなかった。

それでも叫び声を上げそうになった自分の口を両手でおさえながら、蛇男の左手と、奴の小指と薬指の間に刺さっている赤いボールペンを、目を見開いて見ていた。


おそらく空手有段者の蛇男にも、理解できない速さで起こったのだろう。

「ぎゃーっ!痛い!血が・・・血が出てるじゃないか!」と蛇男は騒いでいる。

そんな奴の目をひたと見据えたまま、頼雅は「言いたいことはそれだけか」と冷静な口調で言った。


それだけに、余計怖さが増している。

でも頼雅さんは、私を傷つけるようなことは絶対にしないと分かっているから、安心している自分がいる。

真希の体の震えは、次第におさまってきた。


「じゃあ次は俺の番だな。俺が言いたいことは3つ」


蛇男の左手を抑えたまま頼雅は言うと、テーブルに刺さっていたボールペンを、いとも簡単に取り出して、今度は蛇男の薬指と中指の間にボールペンを刺した。

それでまた蛇男は、ギャーッと叫び声を上げた――。


頼雅さんは奴の目を見ながら、それをやっている。

すごいと思うけど、やっぱりハラハラしてしまうので、私もその瞬間は両目をギュッとつぶってしまうし、叫び声を上げないよう、両手で自分の口を抑えてしまう。


頼雅は、テーブルに刺したボールペンを持ったまま、蛇男の目を見て言い始めた。


「一つ。てめえの都合で他人の人生を狂わせてんじゃねえよ」


顔に冷や汗をかき、体をブルブル震わせている蛇男に、頼雅は少し大きな声で、「あ?聞こえねえぞ。返事は」と言った。

それだけで蛇男は、またビクッとする。


「返事!」

「は、はいぃ!」


「よし。二つめ」と頼雅は言うと、テーブルに刺さったボールペンを再び取り出し、次は蛇男の左手・中指と人差し指の間に刺した。


・・・すごい。

奴が開いている指の間って、せいぜい5ミリ程度なのに、頼雅さんは、奴の手やボールペンを全然見ていない。

よく正確に指の間を狙って刺せるものだ。

それに、奴は「血が出た」と騒いでるけど、あれはボールペンのインクだ。

そう見せるために、頼雅さんはわざと赤いボールペンを使ったのかしら・・・。


「5千万だが・・・あれはてめえの都合で借りた金だな?」

「はい」


蛇男は、頼雅に聞かれたらすぐ返事をするようになった。

条件反射というやつか。


「じゃあてめえが金を返済しろ!他人を巻き込むな!」


頼雅に怒鳴られた蛇男は、自由な右手で顔を庇いながら、「はいぃ!すみません!」と返事をした。


それからすぐに、頼雅さんはテーブルに刺さっているボールペンを取り出し、蛇男の人差し指と親指の間に刺した。

もう蛇男は叫び声をあげない。が、相変わらず体は条件反射でビクッとする。

感覚が麻痺しているようだ。


「三つ。これが一番重要だ。よく聞けや」

「は、はい」

「おまえは、こいつをたぶらかした挙句、強引に籍を入れたな?」

「は・・・はいっ」


奴はもう、完全に頼雅さんの言いなりだ。

それに条件反射がすっかり身についたのか、頼雅さんの問いかけに対して「はい」としか答えない。

でも、私をたぶらかしたことや強引に入籍したこと、これらはすべて真実だ。


「だと思った」と頼雅さんは言うと、ニコッと笑った。


あ・・・悪魔の微笑み。

と真希が思ったのもつかの間で、頼雅はすぐ冷静な顔に戻った。

そして、テーブルに刺さったボールペンを持ちながら奴の目を見ると、「だからさー俺、おまえらの結婚、無効にしたから」と言った。


「は?無効って・・・」

「おまえらが結婚していた事実そのものを消してやった」


頼雅さんの声に、静かな怒りを感じた。


「だから、おまえはこいつの夫じゃねえ。そして、こいつはおまえのもんでもねえ。。こいつのことは寝言でも二度と口にするな!」


あ。

頼雅さん、今初めて私を名前で呼んでくれた・・・。

しかも「俺の女」って、また・・・。


一瞬呆然とした真希だったが、蛇男のわめき声で現状に戻った。


「そ、そんなこと、できるとでも思ってるのか!警察!警察呼んでやるっ!」

「てめえの目の前にいるっての。呼ぶ手間省けたな」


それが合図のように、喫茶店のマスターと新聞を読んでいたお客が、いつの間にか蛇男を取り押さえていた。


赤いインクが飛び散り、穴だらけになったテーブルを、マスターをしていた男が指さして「あぁあぁ頼雅ちゃん、また派手にやらかしちゃってぇ。このテーブル、もう使いものにならないよ」と嘆く口調で言った。


「あ、すいません。ちょっと怒ってたもんで」

全然すまないとは思ってない口調で、頼雅は言った。


「まあ、女が絡めば仕方ないっすね。じゃあこいつ、しょっ引きます」

「ああ。後頼むな、八尋」

「頼雅ちゃん、ひとつねー」

「ぐ・・・れんじさん、後はお願いします」

「はいよ」

「夏乃さんによろしく言っといてください」

「おう」


「れんじさん」と「やひろ」と呼ばれた二人は、頼雅たちが先に喫茶店を出るとき、真希に微笑みかけた。

「よかったね、もう大丈夫だよ」と言われたような気がした真希は、心から安堵した。


そして真希は、最後にチラッと蛇男を見た。

蛇男は頼雅に与えられた恐怖で、すっかり萎縮している。

目の前にいるこの男をあれほど恐れていたのに、今、真希にある蛇男への気持ちは「可哀そう」という憐れみの気持ちだけだ。


「行こう」と頼雅に言われ、手をつないだまま、二人は喫茶店を出た。



頼雅さんが運転をはじめて少し経つまで、私たちは無言だった。

車に乗るときまで、彼は私の手を離そうとしなかった。

悪夢の逃亡生活はもう終わった。

これからどうなるのかしら・・違う。

これから私は、どこに行こうか・・・。


そんな気をそらすように、真希は、「さっきの、れんじさんと、やひろさんって・・・」と頼雅に聞いていた。


「”れんじさん”こと、連城真之介れんじょうしんのすけさんは、俺をこの仕事に引き入れた先輩で、八尋匠やひろたくみは俺の後輩。二人とも同じチームで仕事してる。ついでに、鬼塚夏乃きづかなつのさんは、チームのまとめ役で、俺たちの上司だ」

「じゃあみなさん、霊力を持っている人たちなの?」

「チームの中じゃあ俺と八尋だけ。夏乃さんはで、このチームの設立者でもある」

「女性・・・だよね?」

「ああ。すっげー美人で変わり者。そしてチームの中で夏乃さんにかなうヤツは、誰もいない。ついでに言っとくと、れんじさんの女でもある。だから妬く必要ないぞ」

「そっ、そんなこと言ってません!」


また頼雅といつもどおりのやりとりができて、真希は少しホッとした。

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