第16話 女子の変身

「行ってらっしゃい」

「ああ。行ってくる」

「あの、頼雅さん!」


玄関から出ようとした彼を、思わず呼び止めてしまった。


「なんだよ」

「何時ごろ帰ってきますか」


こんなこと聞くのは、小姑か、ワガママな彼女そのものだと思うから、なるべく聞かないようにしてるんだけど・・・。

でもこんなことを聞いても、頼雅さんは全然嫌な顔をしないで、ちゃんと答えてくれる。


「たぶん昼過ぎくらいだろうな。書類けっこう溜まってるし。俺が家に帰って来るころ、おまえはもう武臣と出かけてんじゃねえの?」

「あ、そう・・・ですか」

「そんな顔すんなって。あいつ、Sだけどいいやつだから」

「不安を煽るような一言、つけ加えないでくださいっ!」


フォローになってないですよとブツブツ言ってる私に、「武臣も頼りになる。だから心配すんな。今日は楽しんでこいよ」と彼は言った。

この場を楽しんでいるような笑顔を私に向けて。


「あ、頼雅さん!晩ごはんは・・・」

「てきとーに食っとく。じゃーな」


行ってしまった・・・。




別に武臣さんがSだからとか、そういうことは全然関係ない。

私が武臣さんと出かけることになっても、頼雅さんは目つき顔つき全然変えずに平然としていた。


そのことが、私は少し、ほんの少しだけ、胸がチクッと痛んだ・・・気がした。


確かに、武臣さんは温厚で優しくて、頼れるもんね。

友だちとして一緒に花火を見に行ってくれるには、とてもステキな男の人だと思う。

私は気持ちを切りかえて、これからの外出に向けて、家事を済ませることにした。


神谷邸に住み込んで以来、スーパー以外で外出をするのは、これが2度目だ。

はじめは、来て2日目に私の生活必需品を買い揃えるため、頼雅さんに大型ショッピングモールに連れて行ってもらったんだよね。

ずいぶん前のことのような気がするけど、まだ1ヶ月も経ってない。

あのとき頼雅さんは、大量の紅しょうがを、バクバク食べていたっけ。

明日はお魚のしょうが煮でも作ろうかな。


「真希さんが笑顔になってくれて嬉しいよ」


運転席の武臣さんが、前を見ながら真希に言った。


「え?あ、はあ・・・」

「また不安そうな顔をする」

「だって武臣さん、行き先教えてくれないから・・・」

「それは着いてからのお楽しみ」


この状況を楽しむあの笑顔・・・やっぱり武臣さんはSだ。

でも武臣さんのことだから、絶対ヘンな場所へ、私を連れて行かないことは分かってる。

だったら不安がることはないよね?


私も楽しもう。








「ここ・・・」


武臣さんが連れて来てくれたのは、美容院だった。


「まずは、髪キレイにしてもらって。それから浴衣着せてもらいに、別のところ行くから」

「え?ええっ!」

「花火といえば、やっぱり浴衣でしょ?」


ただ唖然としている私は、ニコニコしている武臣さんに手を取られ、一緒に美容院の中に入っていった。


どうやら美容院のオーナー兼美容師さんと武臣さんは、知りあいらしい。

事前に私のことを話してくれていたらしく、着いた途端に「じゃ、シャンプーしますね」と言われて、シャンプー台に連れて行かれた。


そして武臣さんはと言うと、美容院の中で待っていてくれるのか、椅子に座って雑誌をパラパラめくり始めた。

こうなったらもう、完全に武臣さんのペースだ。

でも、美容師さんにシャンプーしてもらうのは気持ちいい。

つかの間の贅沢気分を味わうことに、私は決めた。


「どのような髪型にしたいですか?」と美容師さんに聞かれて、真希は返答に困ってしまった。

答えられずにいる真希に、「じゃあ、私に任せてもらってもいいかしら?あなたの輪郭と髪質から、これ絶対似合うっていう髪型が視えたの!」と、美容師さんが出した助け舟に乗るように、真希は美容師さんに全てを任せることにした。


「あの、武臣さんとはお知り合いなんですか?」

「ええ。私が独立する前に勤めていた美容院と、武臣が仕事をしているホテルが提携してて・・・」

「武臣さんって、ホテル勤務だったの?」


全然知らなかった。


「そうよ。シェリダンホテル」


うわ!そこ、外資系でもかなり名高い高級ホテルじゃないの!


「前は彼、広報部にいたけど、今は役員秘書に変わったんじゃなかったかなあ」と言いながら、美容師さんは私の髪をどんどん切っていく。


「ちょっと髪が傷んでいるっていうのもあるから、20センチくらいバサッと切らせてもらっているけど、いいわよね?」

「はい!全然構いません!」

「あなたの輪郭と、少しほんわりとした柔らかいイメージを引き立てる髪型にするから。任せてね!」

「はい。お願いします」


髪を切るときのドキドキワクワク感は、女子の特権の気がする。

どんな髪型に変わるのか、とても楽しみだ。





そして約1時間後。


「どうかしら?」


ブローと簡単なセットまで終えた私は、別人になっていた。

今まで私は、肩より少し長めのストレートヘア一辺倒だった。

逃亡生活中は、自分で適当に髪を切っていたから、下のほうはきっと、長さがバラバラだったに違いない。

そして今の髪型は、今まで私がしたことがない髪の長さ。

とは言っても、肩につくかつかないかくらいの長さはある。

そこに段差がついて、立体感が生まれた。

でも全体的にふんわりとまとまっている、ショートに近いセミロングと言ったところか。


「あなたは割りと目鼻立ちがはっきりしているし、パッと見、可愛いお嬢様っていうイメージがあったの。それでフワフワ感を出して、柔らかさを引き出すような感じで仕上げてみたんだけど。どうかな」

「こういう髪型にしたの、生まれて初めてなんですけどすごく好きです。ありがとうございました」


前髪作ったのも久しぶりだ。

そのせいか、余計童顔に見える気がするけど、この髪型には似合ってる。


「よかった」

「ステキな髪型になると、なんだかウキウキしますね。これも女子の特権かな」

「そうそう。もっと武臣に甘えなさいよー!」

「いや!武臣さんとはそういう仲じゃないんです!」

「あらそうなの?いい雰囲気なのにね」

「たぶん、兄と妹って感じでしょ?真希さん、その髪すごくいいよ」

「あ、ありがとうございます」


お互い恋愛感情を持っていないことに、私は安堵した。

武臣さんが支払いを済ませてくれた後、彼の運転で、私は次の場所へ連れて行かれた。

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