第14話 自分を誇りに思うこと

「真希さんって小学校の先生だったんだ」

「あ・・・うん」

「だから俺、言ったんだ。ジャージ姿が萌えポイントだって・・・」

「バカ栄二」

「アホ栄二」

「いや。でもそれ、萌えだって。たとえば武ちゃんのメガネ姿に、まこっちゃんの制服ブレザー姿。それに俺の白衣姿とか・・・」

「誰か新をだまらせて」

「じゃあ僕が・・・」

「何するっての、武ちゃんっ!」


みんな表面上はいつもどおりふるまってくれているけど、実際は、私に気を使ってくれている。

すごく。

それが嬉しくて、情けなく思ってる自分がいる。


今日の午後、みんなのいとこの頼友さんが来た。

そこで頼友さんが料理上手という話になり、頼友さんが作ったという梅酒をいただいた。

それはすごくおいしくて、一瞬気が緩んだそのとき、いきなり頼友さんが私に手を伸ばしてきた。


それは、私の肩あたりに糸くずがついていたのを、取り除くためだったのに・・・。


気づけば私は両手と腕で顔と上半身を覆い、身を縮めていた。

右手に持っていたグラスは当然落として割れてしまい、中に入っていた梅酒もムダにしてしまった。


ほんと、バカだ。私って。

頼友さんが私を殴るわけないのに。

2年の間に染み付いてしまった悪癖は、条件反射として私の潜在意識にこびりついてしまっているのかしら。

栄二くんと頼友さんは、ガタガタ震えて怯えきってる私をなだめるのが大変だったに違いない。


真希は唐突に「ごちそうさまでした」と言うと、席を立ち、自分の皿を下げにキッチンへ行った。


「こんな厄介な女と一緒に暮らすのはもうごめんだ」って、きっとみんなは思ってるはず。

せっかく自分の部屋の布団の中で眠れるようになったのに・・・。


真希は無意識に、自分の眉間の上あたりの額に手を触れていた。

それを見た5人は、お互い目配せをする。


「やっぱり頼雅だな」

「もうすぐ帰ってくるんだろ?」

「ああ。俺が伝えたら仕事早く切り上げて帰るって。2時間以内には帰ってくるよ」

「じゃあ俺たち、それまでにここ退散しとこうよ」

「えー、見ないの?」

「見ない!」

「新。テレパシーで聞こうなんて、野暮なマネをしちゃダメだよ」

「バレてた?」

「おまえ、ホントにするつもりだったのか?!ある意味度胸あるよな。あの頼雅相手に」

「だってえ。気になるじゃん」


5人はコソコソ話し合いながら、サッサと食事を済ませてダイニングを後にした。






それから2時間後。

「ただいまー」という声が玄関から聞こえてきた。

誰かが頼雅さんに、清めの塩をかけてくれているようだ。

よかった。今の私は弱すぎて、”清め”にはならないだろうから。


だったらなんで私は、頼雅さんの帰りをソファに座って待っていたんだろう。

自分の部屋でフテ寝してればよかったのに。

いや。たぶんそんなことをしていても頼雅さんのことだ、きっと部屋まで押しかけてくるに違いない。

きっと彼は、今日の午後のことをすでに知ってるはずだから。

こっぴどく叱られるなら、自分の部屋よりリビングのほうがいい。

何となくだけど、逃げ場がある気がするから。


頼雅さんがダイニングに入ってきた。

彼は、その続きにあるリビングのソファに座っている私をじっと見ている。


「よ。ただいま」

「おかえり・・・なさい。ごはんのしたくします」と言って立ち上がった真希は、キッチンへ行った。


その姿を、頼雅は、ただ見ていた。


そんなに見ないでほしい。視線が痛い・・・。

この人は、本当に視線で射殺すことができるのかもしれない。

と、一瞬だけど本気で思ってしまった。





「どうぞ」

「ありがとな」


いつもどおりの会話で始まる。

頼雅さんは、みんなより帰りが遅くなることが多くて、結果、一人で食事をすることになる。そういうとき私は、食事の準備を済ませた後、頼雅さんの向かいに座ることにしている。


お互い今日何をしたかとか、頼雅さんからのダメ出しとか、他愛のないことばかり話すけど、頼雅さんはいつも「うまいな、これ」と言って、バクバクごはんを食べてくれる。


そうだ。

彼は、料理で私にダメ出しをしたことがない。

味の好みは別だけど。


私は急に笑い出した。


「なんだよ」

これも頼雅さんがよく私に言う言葉だ。


「いえ、べつに・・・」


両手で顔を覆って笑っていた私は、気づくと泣いていた。

笑った反動か、全身震えて、声を殺して泣いた。

頼雅さんには泣いてる顔も姿も見られたくない。

いまさら、だけど。


「きいたんでしょ・・・今日のこと」

「ああ。そんなこと気にしてんのか?」

「そんなことって・・・」


真希は思わず頼雅の顔を見た。


「おまえなあ。今まで2年虐待されてたのに、その恐怖が急になくなるとでも思ってんのか?」

「え・・・」

「人っていうのは変化を好まない生き物なんだ。いくらひどい状況でも、望まない状況にいても、そこから変わるために行動を起こすことにどれだけの勇気を必要とするか、おまえ知ってんのか?そこから抜け出せずに一生を終えるやつだっているんだぞ」

「あ・・・」


何も言えない。言葉が出てこない。

私はただ、頼雅さんの顔を見ることしかできなかった。


「いくら浄化をしても、傷がついたという記憶までは消すことができない。魂は覚えてるんだよ。だから新たな一歩を踏み出すことが、なかなかできないんだ。だがおまえは違う。おまえはもう、すでに一歩以上踏み出してるんだ。そんな自分を誇りに思え」


叱られると思ったのに。

ダメ出しされると思ったのに・・・こんなに優しい言葉をかけてくれるなんて、ずるい。

その分、心に染み入ってしまうじゃない!


「私・・・私、ごめんなさい。みんなに気を使わせてしまって・・・」

「べつに。いつものことだろ。だからそんな風に思うな」

「うっ・・・」


うんって言いたいのに、しゃくりあげる声しか出てこない。


「これから何度もおまえの過去に足を引っぱられることはあるはずだ。それに屈するか、浸るか、その手を離すか。おまえには選択肢がたくさんある。どれを選ぶのもおまえの自由だ。まあおまえなら、その手を離せって噛みつくか、吠えるかするだろーな。おまえはそういうやつだ」


声が出なかったので、私は泣きながらうなずいた。


「2日前からおまえは自分の部屋で眠れるようになっただろ?」

「ど、どうしてそれを・・・」


知ってるの?頼雅さん。

なんて・・・愚問か。


「たぶんそれも関係してると思う」

「と言うと・・・?」

「だんだん変わっていくおまえの状況に、気持ちがついていってないのかもしれないな」

「あ。なるほど・・・」

「変化を好まない人間は、一度変化をし始めると、状況を元に戻そうとすることがある。おまえの場合は、足を引っぱるような状況を、自ら作り出しているってことだ。無意識にだがな」

「すごいですね」

「人は頭いいんだぞ。そして思い込みが激しい生き物でもある。だからこういうときは、その状況をどう捉えるかで、その先の行動が変わってくる。急な変化を受け入れられなかったら、今夜はソファで寝てもいい。2日間ソファで寝たら、次は自分の部屋で寝てみるとか。少しずつ変化を受け入れるのも一つの手だ」

「はい。今夜はソファで寝ます」


今夜はそのほうが落ち着く気がする。


「よし。そして悪いクセが出たと言って自分を責めるな。思い出した、エヘ。くらいに思っとけ」


その言い方がおかしくて、私はプッとふきだした。

頼雅さんとの会話は、いつも私の感情が豊かに揺れ動く。

さっきまで私は、おいおい泣いていたのに。


「頼雅さん、ありがとう」

「べつに」という頼雅の口癖のひとつを聞いた真希は、思わず笑顔になった。


それでいい。

おまえは笑っていればいい。

そして俺の前では泣いてもいい。

いろんなおまえを俺には見せていい。

どんなおまえも俺が受け止めてやるから。


「あの、頼雅さん」

「なんだよ」

「よく眠れるおまじない、してくれませんか?」

「・・・いいのか?」


頼雅さんの表情が、変わった気がするけど・・・気のせいよね。


「はい!お願いします」と私は言って、自分の顔を頼雅さんのほうに近づけた。

てっきり私は、彼の人差し指で額をチョンと突かれると思ったのに・・・。

彼は唇を、私の額にそっとつけた。

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