第2章:知らない世界

第6話 凍てついた大地

 ほんの一瞬の浮遊感の後、佳月が次に目にしたのは、雲一つない鮮やかに澄んだ青空と、目に見えるどこまでもが白く染まった大地だった。


 全身が勝手に震え出し、口からは止めどなく白い息が溢れ出す。それがこの大地を凍てつかせ白く染め上げた凄烈な寒気のせいだと気付いた時には、佳月は無意識に身を縮めてうずくまっていた。

 日本で生きているうちには経験したことの無い寒さだった。なにせ、息を吸うだけで肺に痛みを感じるほど寒いのだから。口元を手で覆わなければ、息を吸うことすらままならなかった。

「っ……!」

 その上、ついさっきまで『夏』の日本にいた佳月は、半袖シャツと薄い長ズボンという耐寒性皆無の格好をしていた。余りの寒さに歯の根が合わず、全身を震わせる。まだほんの僅かな時間しか経っていないが、既に手足の感覚は失われつつあった。


「は、る……か!」

 光に包まれた時に傍にいたはずの妹の姿はどこにも無い。

 視線を動かし、首を回し、辺りを見ても、見当たらなかった。

 しかし、一つ、気付いたものがあった。


 必死に首を回して、背中側を見た時だった。

 佳月の背後からにあったのは、神社にあった御神木が植えたての苗木に見えてしまいそうなほどに巨大な樹だった。

 その高さは、比喩では無くまさに雲を衝くという言葉が似つかわしい程に高く、幹は見える範囲ではどれだけの太さがあるか見当がつかない程に大きい。根も幹の太さ相応に発達しているため、幹に辿り着くまでに小山が横たわっているように見えた。


 目に映る全てが、佳月の常識の埒外にあった。

 

 でも。

 そんなことは関係ない。


 例え自分が未知の領域にいようと、今やるべきことははっきりしていた。

 一刻でも早く、陽香を見つけ出さなければならない。

 佳月は寒さに凍えながらも、歯を食いしばり無理矢理立ち上がる。

 全身を震わせながら広大な氷漬けの大地を進むべく一歩を踏み出した。

 そんな時だった。


 ふと、頭上に漂う『光』が目に入った。

 ぼんやりと淡く光るそれは、ふわりふわりと漂いながらゆっくりと、しかし確実に、佳月の元へと舞い降りて来ていた。その様子は、蛍のような、綿雪のようなものであり、どこか愛嬌を感じさせた。

 それはほんの僅かな間だったが、その穏やかさは、佳月からこの地の極寒を忘れさせていた。

 眼前にまで降りてきた『光』を、佳月は口に当てていた両手を使って受け止める。光はほのかな暖かさを帯びており、少しの間佳月の手のひらの上で楽しそうにコロコロと転がると、やがて溶けるようにスッと消えてしまった。


「もう、だいじょうぶ」

 それは今までに聞いたことの無い、澄んだ鈴の音を思わせる穏やかな女性の声だった。

「誰!?」 

 口を塞ぐことも忘れ、佳月は声のした方、背後の大樹へと振りむく。

 先程と比べて、大樹の様子はどこかが変わったようには見えなかったが、それでも圧倒的な威容から受けていた圧迫感が少しだけ和らいだような、そんな何とも形容しがたい変化を佳月は感じていた。

「がんばって」

 再び声を掛けられる。やはりこの大樹が佳月に語り掛けていたのだ、そう佳月が理解した直後、佳月の眼前に再びあの黒い塊が現れた。

 黒い塊は先程と同様に佳月を呑み込んでしまい、再び光と浮遊感に包まれて佳月は落ちていった。

 佳月のいなくなった氷原には再び、耳が痛くなるような静寂が戻っていた。

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