第2話 日常ー2
佳月達の家は周りを森に囲まれた山あいに建つ一軒家だった。
当然通学にも結構な時間がかかり、ホームルームの一時間以上前に家を出なければ、即遅刻になってしまうという有様だった。そんなスカスカなダイヤの田舎電車に乗るため、長い下り坂を佳月と陽香は歩いていた。特に話などはせず、付かず離れずの距離を、佳月は行先を真っ直ぐに見ながら時折陽香の方を気にして、陽香は周りの風景を眺めながら歩いていた。
そうしていつもの歩みを進める二人だったが、佳月が不意に足を止めた。
足を止めた佳月の視線の先には、長い石段があった。
石段は鬱蒼と杉が立ち並ぶ林の中へと続いていた。厳かな雰囲気を感じさせる程に巨大な杉の林は、すっかり太陽が昇った朝方にも関わらず暗く、外から見通すことが出来ない。登り口の傍らに『この先、
そんな石段の先をじっと見つめる佳月の目は獲物を狙う猛禽のように鋭く、まるでその先にある獲物を無理矢理にでも見透かそうとしているようだった。
「兄ちゃん? どうかしたの……」
佳月の雰囲気が変わり、戸惑いながら陽香も階段の先を見ると、二人の覗いていた階段の先から人影が現れた。
その人影が下りて来て二人に近づくにつれ、流れる水の様に艶やかな黒の長髪が見えてくる。少女は佳月たちの姿に気付くとニコリと笑い、下りる足を早めた。
「おはよう、陽香!」
「あずさ! おはよう!」
「佳月さんも、おはようございます」
「……おはよう」
朗らかに挨拶した陽香と同じデザインの制服を着た少女は新藤あずさと言い、陽香と同じ学年、学級の生徒だった。ひざ下までキチンと下ろされたスカートと皺なく整えられた夏服のワイシャツから几帳面さが見て取れる。佳月程ではないが背もそれなりにあり、丸く大きい目やスッと通った鼻など、顔立ちは端整そのもので、控えめに評しても美少女と言って差し支えなかった。
「こんな所で会うなんて珍しいわね。いつもは駅で会うのに?」
「兄ちゃん、あずさが来るのを待ってたの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
予想外のことが起こったようで佳月は、いくらか面食らっている様子だった。
「もう行かないと電車来るんじゃない?」
「あっ、本当だ」
あずさに促され陽香がスマートフォンで時間を確認すると、あまり余裕は残されてなかった。
「でもその前に。佳月さん」
そう言うとあずさは佳月の方を向き、ニコリと笑う。
「お誕生日、おめでとうございます」
「えっと、うん。ありがとう」
出し抜けに誕生日を祝われて、少し気恥ずかしくなった佳月はポリポリと頬をかいた。
陽香とあずさの二人が楽しげに話をしながら歩き出していた後ろで、佳月は未だ階段の方を気にしていた。林の奥の、闇の中を。
「兄ちゃん? どうかしたの?」
「……ううん。今行く」
先行く陽香の声に優しく答え、ようやく佳月は視線を外すのだった。
佳月たちが通学に使う地方鉄道・
じきに電車も来ようという時に、その過ごし方は様々だった。佳月は鞄から英単語カードを取り出して暗記をしており、その隣では陽香とあずさが楽しそうに話をしていた。
「そういえば、水着買った?」
「あ、ううん。実は、まだで……」
「じゃあ今度一緒に見に行く? 私も前買ったのが合わなくなってきてるから」
「じゃあ……、お願いします」
「はい、任されました。うーん……。ちょっと攻めてみる?」
「あ、あんまり、派手なのはちょっと……!」
「大丈夫、分かってるから」
戸惑う陽香に向けてあずさは清楚な雰囲気を少し悪戯っぽく崩して笑った。気の置けない様子の二人に、単語カードから視線を外して見ていた佳月の表情も無意識に緩んでいた。
「そういえば、孝太、大丈夫かな……? もう電車、来るけど……」
「……さあ。もうどうしようもないんじゃないかな」
ふっと湧き出した陽香の問いかけに、あずさは今までと打って変わって冷ややかな反応を示した、その直後だった。
「うおおおおおおっし、間に合ったぁ!」
穏やかな時間をぶち壊す大声が、駅の引き戸を壊してしまいそうな勢いで開いた者から発せられた。声のした方へと、佳月は眉根に皺を寄せながら単語カードを持ったままで視線だけを向ける。そこには焦げ茶色のボサボサな短髪をした少年が大げさに肩で息をしながら開けた扉に寄りかかり、うなだれるようにして立っていた。
「孝太っ、うるさいっ!」
早速あずさが駆け込んできた少年――孝太に食って掛かった。楽しいひと時を台無しにされたせいか、言葉に怒気がこもっている。あずさよりも小柄な孝太は、上から覆いかぶさるように迫られて、見た目以上に縮んでいるように見えた。
「わりー、わりー……。もう、ギリギリで、テンションぶち上がっちゃって、いやホントもうさぁ」
余程急いでいたのだろう、制服である白い半袖ワイシャツもだらしなくズボンからはみ出し放題になっていた。しかしそんなことお構いなしで、稲原孝太はタレ気味の目も口元も緩みきったまま、ヘラヘラと気の抜けた笑みを浮かべていた。
「どうしていっつもそうなの!? 終業式くらいしっかりしてよ! わざわざ電話しても出なかったし!」
「それ。マジ鬼電でビビったわ、全然気付かなかったけど」
「このっ……!」
「っと、ゴメンゴメン! いやもうホントこの通り!」
そう言って孝太は頭を下げ、下げた頭の前で合掌を作り、猛省の意を示す。
と、同時に。
グーッ。
不意に鳴った、腹の音。呆れるような、蔑むような。何とも言えない空気が流れる。
「……朝ご飯は?」
怒気も消え果て、ようやくあずさは言葉を絞り出した。孝太は先程の恰好のまま、ポツリポツリと消え入るように話し始めた。
「そりゃあ、無理、でしょ。時間、無かったし」
それを聞いたあずさは、これ見よがしに大きくため息をついた。
「本当に、もう……!」
あずさは自分の鞄から小さな花柄の可愛らしい布で包まれたものを出すと孝太に向かってぶっきらぼうに突き出した。
「お、おぉ……!」
金銀財宝を目の前にした時のように微かに手を震わせながら、壊れ物を細心の注意を払って触るように孝太はそれを受け取った。
「いつもいつもかたじけねぇ……!」
「二学期からはお金取ります」
「喜んで!」
「そうじゃないでしょ!?」
「おはよう。今日も元気だね、孝太」
「おう、おはよう陽香ちゃん! 今朝もかわいいねぇ! どっかの真面目君とは大違いだな!」
「……僕のこと?」
今まで静観していた佳月が、孝太に視線を向ける。
「ついこないだ期末やったばっかで、よく勉強する気なんて起きるよなぁ?」
軽口を叩きながら孝太は佳月の隣に空いていた席にドカッと腰を下ろす。
佳月が迷惑そうに眉を潜めたが、そんなことには気にしていないようだった。
「期末はもう『ついこないだ』じゃないよ。それに僕はやるべきことをやってるだけだから」
「いやでも、終業式当日にもう夏の課題やってるとかやっぱりありえねーって!」
「孝太は夏休み終わっても、なんにもやらないからねー!」
どうやら話を聞いていたらしいあずさが、離れた所からイヤミったらしく話しかけてきた。
「なんだぁ、あずさ! 俺だって終わる間際くらい宿題やってらぁ!」
椅子から腰を浮かして、孝太はあずさの売り言葉に応じた。
「それじゃあ毎年毎年佳月さんに宿題写させてもらってるのはどこの誰なんでしょうねぇ?」
「うっ、そ、それはだなぁ……」
「も、もう、あずさも孝太もその辺りにしておこう、ね?」
たまらず間に挟まれていた陽香が二人の間に割って入る。
何気なくそう言った陽香を見るなり、あずさの顔から先程までの無邪気な様子は消え、どこか神妙な、真剣に孝太を咎める表情が浮かんでいた。
「……陽香だって、すごく頑張ってるんだから、あんまりだらしないと格好つかないわよ。あんただってきっと、やれば出来るんだから」
「……っせえな。んなこと言われなくても分かってるっての」
勢いが削がれてしまった孝太は、再び佳月の隣に座り、あずさは乱れた居住まいを正すように座りなおした。気付けば待合室には静寂と共にどこか張り詰めた空気が漂っていた。
「……で、電車……!」
静まりかえった気まずい空気を破ったのは、陽香だった。
「電車! 来たよ!」
バネ仕掛けのようにピョンと勢いよく立ち上がり振り返ると、座る三人に向かってそう叫んだ。
「……? そう?」
「まだちっと早いだろ?」
あずさと孝太が口々に言っていると、近くで踏切の音が鳴り始める。
「嘘っ! ホントに!?」
「おいおい、今日早い日だったのかよ! 危ねぇーっ!」
「ほ、ほら! 早く行こう! 兄ちゃん!」
「うん」
陽香の声を合図に、佳月は読んでいた参考書を即座に閉じ速やかに鞄にしまうと、素早く立ち上がり先に行った二人を追う陽香について歩き出した。
小さく狭いホームに、総車両数わずか二両という古くこじんまりとした電車が静かに停まる。運転手以外にはまだ誰一人として乗っている人はいなかった。
発券機から吐き出される整理券を取りながら最初に佳月が乗り、続いて陽香が乗り込もうとする。
「……あっ!?」
乗車口に足を引っかけた陽香はつんのめってしまう。虹居駅のホームは乗車口よりも低く、時折こうしたことが起きてしまうのだ。
「っ!」
先に乗っていた佳月は即座に陽香に近づき身体を支え、なんとか彼女の転倒を防ぐ。
「大丈夫陽香っ!? 怪我してない!? い、今すぐ消毒してあげるからね!?」
後ろにいたあずさも慌てた様子で、すぐさま鞄の中を漁り始める。
「だ、大丈夫、だよ!? ケガとか、してないから!」
「本当に? ……そう、良かった」
本当に陽香にけががないことを確認したあずさは、ホッと胸をなでおろす。
「気をつけてね」
「ご、ごめん、なさい…… 兄ちゃん、あずさ……」
「陽香が無事ならそれで良いよ」
「そうよ、気にしないで」
「……うん」
佳月とあずさは陽香に微笑み、今度は転ばないようにと佳月が陽香の手を優しく引く。
「お前ら」
最後尾でそれを見ていた孝太は若干呆れた顔でそれを見ていた。
「ちょっとコケたくらいでオーバーすぎだろ」
「そんなこと無い」
「あんたが薄情者なのよ」
二人から白い目で見られて孝太は肩を竦める。
「はいはい、何も出来なくてすいませんねぇ……」
愚痴りながら最後尾の孝太が電車に乗り込むと、差し込んだ朝日に照らされる中、電車は緩やかに発車した。
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