第90話 昭和40年代後半~50年代前半の地方の電話事情。
ワタシにとって電話とは、生まれてから小学生の間しばらくまで、番号が4ケタしか存在しないものだと思っていました。
大人が「ゆうせん」電話と「こうしゃ」電話の二つがある、ということを何となく聞いていても、兄が高校に行くまでは実感として判っていなかった節があります。
公衆電話と(電電)公社の違いもよくわかっていなかったかもしれません。
というのも、当時のウチの地域は農業有線だけで大概のことがこと足りたからです。
範囲は中学校区と同一です。正直、相当広いです。
2000番台から5000番台まであったと記憶しています。うちの辺りは端で、後で加わったのか何なのか、5000番台でした。
固定料金です。
そしてその電話のある場所には、農協からの放送を自動的に放送するスピーカーがありました。
そこから毎日定時数回、地域内の出来事や音楽を流していました。
ワタシが覚えている一番古い記憶では、朝6時、12時、午後3時、6時だか7時、9時と案外頻繁でした。母親から聞いた記憶では、朝10時からもあったそうです。
つまりは農家の食事と休憩時間に合わせているんですね。10時と3時はおやつの時間だったそうです。
有線の機材が変わったのか、スピーカーが変わるまで音量をゼロにすることができない(笑)強制的に聞かせる類いでした(笑)。
おかげで火事の緊急放送には相当怖いものがありました。
6音で上がっていくやや早めのチャイムが、当時の決してクリアではない音で響き、その後のアナウンスがまた放送には慣れない堅い男性の声なんですね。それで話す内容は「火災発生、消防**分団は集合」という内容。
緊急でない臨時放送というものもあり、それは最初の音がそこまで怖くは感じられませんでした。オルゴール音だったからでしょう。大概やはり消防団の非常呼集でした。
ちなみにこの当時、昼にはサイレンが鳴ってました。
今年北海道の内陸部に行った時、やはりサイレンが鳴っていたり、町役場からの放送が響き渡っていたあたり、ちょいと昔のそれを思い出しました。やはり農業やっている場合、皆外に出ている前提なんでこういうものを響かせるんですね。
ただこれが火事とか他の場合、鳴る長さとかが違ってきて、なかなかぞっとするものがあります。あー火事が起こってるんだなー、というのが露骨に判りましたね。何処だったか、そのサイレンの何秒鳴らして何秒休み、というのが塗料で書かれた鉄板? も見たことがあるんですが。
つか、当時は「枯れ草火災」多かったんですよ!
農家でなくとも、皆普通にたき火してました。禁止されていなかったし、ゴミ回収も格別今の様にびしびし決まっていた訳でもないので。
ある程度の土地がある―― というか大概庭、ないしは適当に使っている土地の面積は広かったんですよ。うちは家の隣に「使い道のない土地」をやすーく借りていたので、そこで畑を作ったり、柿の木梅の木には不自由しませんでした。
生ゴミは掘った穴に入れるし、何かしらの時にたき火してたと思います。そう簡単に燃え移るものもないようなところでしたし。
まあそんな時代ですから、枯れ草火災は割と冬になるとありました。
そしてそんな火事が真夜中におきるともう大変。隣の部屋から聞こえる放送の音に目を覚まして怖くて泣き叫んだこともあります。もうその後はないよね? とばかりに耳を塞いでまた寝るのに苦労したり。
何というか、睡眠が浅い子だったのかもなというのはあるんですよ。枕してると眠れないとか、アリス症候群の様な夢見て悲鳴上げたり、二階で眠る様になった頃でも「何で座布団を敷いて寝てるんだ自分?」と思って聞くと「階段降りてきて何だか訳わからないこと喋って座布団もっていった」という記憶にございません案件があったり。
話がずれました(笑)。
まあそんな放送ですが。
朝6時になると、まずNHKのニュース(テレビ)をそのまま流し。15分くらいで地元のものに切り替わりました。
その時だいたい音楽がかかるんですが、これがまた昭和30年代に買ったレコードを延々使っているんですよ! 50年代になっても!
昼にはそんな歌謡曲を使ってましたが、朝は何と言っても「静岡県歌」とか「農協の共済」の歌とか(これはメロディーラインからして40年代と思われる)そんなのが繰り返し流されるんで、未だに頭から消えません(笑)。
「ふるさとのうた」を合唱部で歌っていた中で県歌もあったんですが、まーもう頭の中にメロディーは刷り込み済みで。
10時は知りませんが、お昼。
これも最初は何故かNHK。というかそれに合わせてた節はありますね。この時は古い歌謡曲がかかっていたことが多いです。お知らせとかも。
3時は「あったなー」という記憶だけです。そのくらい昔で、気がついたらなくなってました。
その次が確か7時くらいなんですが、これもニュース合わせだったのかな。この時に一番、地区内でのインタビューとか「**の様子」とか流れましたね。
で、最後が9時だか10時だか。たぶん9時ではないかと思うのですが、この時の最後の言葉が「これで今日の放送は終わります。それでは皆さんどうぞお元気でお過ごしください。担当は**でした」という言葉で〆るんですね。この時の言葉のイントネーションがまー耳に焼き付いております。毎日毎日人が変わっても全く同じ抑揚なんですから。
で、この有線放送と電話が配線一緒だったんですが、「対になる家」があって、このスピーカーからその家の会話が聞こえてくることが時々ありました(笑)。
電話そのものは正直、用事がなければかけない、というのがウチの親でしたね。ワタシはその後長電話魔になるのですが。
定額なので、幾らかけてもいい、というのは大きかったです。
さてそれが、兄が高校に行き出す様になると、さすがに中学校区だけを網羅する有線では無理になったので、「公社電話」が必要になってきます。電話の権利を買って引きました。
形は黒電話と一緒ですが、色はやや渋めの薄い緑でした。パステルグリーンだったのかな?
何というか、有線より音がぼーっとしてましたね。当時は。
さすがにこっちの電話は有線と違って固定料金ではなかったので使うのに気を遣いましたねー。
ちなみに長電話の癖は、その後大学の寮でずいぶんと金を使う羽目になったことを記しておきます。
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