第88話 昭和50年代前半の地方の小学校高学年の記憶(前)。

 さて高学年です。

 五年六年となると、ワタシの通っていた小学校では最上階、四階になります。廊下もそれまでの四年まで居た三階より綺麗です。突き当たりにあるのが音楽室です。

 ちなみに三階が理科室で二階が図工室でした。そして一階が給食室です。

 その他空いた部屋はまた普段は使わない物置系でしたから、基本的に人の出入りが少なくて綺麗なんですよ。

 そーすると意識もちょっと大人になった気分と。

 

 ところが。

 ここで色々また四年生に加えて出てくるものがあります。

 授業では「家庭科」。そして「義務の様に駆り出される陸上部と水泳部」です。

 マラソンのコースとかが長くなった、というのはまあ当然の流れ。

 しかしこれは何というか、どん、とのしかかってくるものでした。

 

 とは言え、「家庭科」はまあ小学校の時点では鬼門ではありませんでした。ただ、裁縫箱がやっぱりお下がりであったことが微妙な感じでしたね。兄が使っていたものがそのまま回ってきました。黄緑色の透明な部分もあるプラスチック製の箱です。

 皆はワタシのものより一回り大きいクリーム色のがっちりしたプラスチックの箱で、上にはクロスステッチ的なイラストが印刷されていました。小学校の時点では、その箱を入れる袋を縫うとかボタンつけをするとか、その程度でしたのでまあ格別な問題はありませんでした。

 興味深いのは、六年の終わりに「謝恩会」をするんですが、その時自分達が作ったサンドイッチと紅茶でその席を作るんですね。

 図書室に家庭科専門の本のシリーズがやっぱり読まれずにあったのでよく読んだものでした(笑)。


 図書室と言えば。

 まあこの時期は利用しましたねえ。前述の「少年少女世界名作文学」シリーズは決して全部あった訳ではないんですが、その中で好きな本は何度でも借りました。

 子供向けということで翻訳後の再構成したものが大半でしたが、かなりそれでもそれ以前のものよりはカットが少なかったものです。例えば若草物語のカット部分は「P・CとP・O」という姉妹で同人誌みたいな家庭新聞を作っていたとか、お隣との間にポストを作る話で、これは当時の作家についての前提がないと訳の判らない部分でしょう。学校にはなかったんですが、ウチにこのシリーズの中で「ああ無情」が入っているものがありまして、これはまああのとんでもなく色々な雑情報がちりばめられている原作を思いっきり筋だけにしたようなものです。つか判りやすいですね、あれは。

 イソップとかギリシャ神話とかか何処を取ったか判らないんですが、そういうのもありました。

 ドイツの飛ぶ教室、英国のトム・ブラウンの学校生活、ソ連のビーチャと学校友達といった日本ではない場所の学校生活の話とか楽しく読みましたね。

 しかしこのシリーズ、どうしても訳の判らないというか、ちょっとそこまでいて入れるんかい、というのが二点ありました。

 一つは「椿説弓張月」。馬琴の原作を途中までで再構成したものですが…… これれですね、「側室」もしくは流罪先の「現地妻」ということを表現できないので、主人公為朝の奥方と現地妻の関係がごちゃまぜになってしまってます。いやそこまでして出すくらいだったら、というのが後に原作古典読んだ時の感想でしたねえ。

 もう一つはソ連の「若き親衛隊」。抜粋のはずです。そもそもこれは文庫本でも数巻ある話ですから。正直この時期には全部通しで読むことができませんでした。頭の中でうまくつながらなかったんですね。ロシア人の名前法則とかは面白いのでこの頃から興味がありました。だからそういうのはいいんですが。……この話、若い連中がドイツに加担している役人をつるし首にしたり、最後まで抵抗した結果生き埋めにされたりなんですよねえ…… しかもリアルペン画の挿絵ですよ。生きたまま穴に突き落とされて、しばらく声が聞こえていたとかそういうのです。

 まあこの時代ですから、と言ってしまえば終わりですがね。

 もう一つ、簡単な方の色んな世界の話を載せたちょっと古いシリーズがありました。装丁もその全集のように立派ではありません。文庫ではないけどそれに近い強度だったと思います。

 日本の童話で「ひろすけ童話」を入れていたことと、誰が書いたのか判らないんですが「白鳥姫」という話が妙に残ってるんですよね。……ありがたいことに、日本の古本屋で探したらありましたわ。作者はストリンドベリでした。

http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1711.html

 ここで内容が出ていたので「これだ!」と。今って凄い。けどこの文庫のものが昭和20年代だったとしたら、まあそのシリーズがぼろぼろだったとしてもおかしくはないわな……

 あと、当時宇宙戦艦ヤマトが大ブームでしたから、この小説版がまあ図書室の入ってすぐ、一番目立つところに置かれたら人気なこと! 皆そういうのに飢えてたんでしょうな。なかなか順番が回ってこなかったものですよ。


 ところで図書室で思い出したんですが。

 これらの教室は皆床が正方形の板にワックスかけてある状態だったんですね。

 この「ワックスがけ」を学期に一度か二度、どっかの土曜日にやったんですよ。

 当時校舎がまだワタシの入る一年前に建て替えられたばかり、ということで、ワックスがけも子供の教育の一環だったんでしょうね。

 まあこれは大仕事です。まず机と椅子、その他出せるものを全部廊下に出します。そして空っぽになった教室をともかく綺麗にします。すると先生がバケツにワックスを持ってきます。乾いた雑巾で奥から入り口に向かって後ろ向きに塗って染みこませるくらいに、という感じに作業します。

 担当するのは、その場所を常に担当している者と、廊下や運動場といったワックスとは関係ない所の者をそれぞれ適宜配置。

 終わると一応雑巾を流しで洗うんですが。……取れる訳ないですねえ。当時はそれでも石けん塗りたくって取ろうとしてましたが。ともかく手は大変なことになってました。

 この日ばかりは皆体操服で帰っていい、ということになっていました。


 そういえば全く話に出していませんでしたが、ワタシの通っていた小学校の制服は、「女子だけ紺色のスモックの上着」でした。

 男子は一年の頃はあってもすぐに着なくなり、別にそれはそれでいいことになってました。

 体操服は上は男女一緒で、当時は真っ白のハーフジップでした。ポイント色があったかどうかは記憶にないです。

 下は男子が白い短パン、女子は紺のブルマです。私服+スモックで行って、すぐに着替えるんですね。で、帰りにまた着替える。

 ブルマに関して言えば。……何かと下着が出ては「ねずみ」と指摘しあうことがありました。何でねずみなのかは不明です。内側に一つポケットがあって、その中にハンカチを入れる様になっていた訳ですが。

 前述の様にワタシは初潮が早かったので、……高学年の半分までは、如何にして隠すか、ということにずいぶん気を回しましたねー。

 その手の話に関しては高学年のどっちかの学年で女子集めてしたんですが、既にとっくの昔に始まっていてうんざりしていたワタシとしては、今更、ということで殆ど聞いてなかったと思います。

 下半身は、冬になると寒くて男子の中にはジャージの下を履く奴もたまーに居ました。が、基本的には冬は私服の上着を着るぶんです。窓からもの凄い日差しが入ってきて暖かかったのでさほど気にならなかったと思います。が、換気しなかったですねー。

 ジャージの上着は皆着てましたねー。まだ今の様に格好よいものではなく、「ださいジャージ」です。ちなみにワタシはサイズの関係で皆と同じものでは入らなかったので、オレンジに黒だったかその逆だったかの大人用ジャージを着てました。

 そう、既にこの時点で155センチくらいあったんですね……


 で、話をワックスがけに戻すのですが。

 ここでついでに「集団下校」するんですよ。全校児童体育館に集まって。

 それで地区ごとの班に分かれて集団下校するという。

 逆に言えば、それが一種の珍しいわくわく感のあるイベントだったんですね。つまり普段集団登校も下校もしない訳です。そーいう時代だし、道路で遊んでも全然危なくない時代でした。

 なおかつこういう日は日課が「B日課」と言われていた、一時限5分カットだったりします。特別感ありありです。

 そんでまあ、縦割りでしたので、高学年が下の子を連れてく構図だったんですが……

 そもそもワタシの方向に帰るのは当時もまだ殆ど無かったんで!


 とまあ(前)なのは、五年生の記憶があまりに少ないのと、六年には多いバランスの悪さと、やはり情報量の違いですかねえ。

 ワタシが一番学校時代にこっそりぐれてたのがこの六年生だったんですから。 

 

 

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