第87話 昭和40年代後半~50年代の地方の公衆浴場の記憶。
自転車で共同浴場に行かなくてはならないー、ということで。
ちょっと細かく。
共同浴場…… と呼んでましたが、正確には「公衆浴場」ですね。
ただウチの町ではそう呼んでました。もしくは「ふろ」。
そもそも昭和40年代には自宅に風呂がある家庭が少なかったんですよ。新しく家を作るひとはともかく、昔から住んでいるひととか、下水道の関係とか色々理由はあったのですが。
糸へん景気だった昭和30年代とかには九州から出稼ぎの女の子とか沢山来ていた、という父親の証言からして、下宿している工員がさくっと入ることができる場所だったんでしょう。
そうじゃなければ一つの町内に三軒も共同浴場がある理由が説明できません。
町営だった関係で、まあ実に料金は安く。20枚の「けん(券)」と家では呼んでましたが、更に割安な入浴券が売られてました。お金で入ると120円くらいだったかな。最後に幾らだったか忘れましたが、大学の時に東京の友人のところに遊びに行って、一緒に銭湯に行ったらまあ高い! と思ったものです。たぶん最高でも200円程度だったんじゃないでしょうか。
ただそれを忘れても「また後で**が持ってきます~」とかで入れましたからねえ…… その辺りは町というより「村」的ゆるゆる感がありました。
一応「朝日」「東」「浪花」という名前がそれぞれあったんですが、皆その地区の名前で呼んでましたね。ワタシは「朝日」が一番近かったんで、そこが閉鎖されるまでは通ってました。
そう、ちょうど過渡期だったんです。この浴場が閉鎖される期間の。
だからそれぞれ全部通っていました。
まあ週1で休みもあったから、その時は別の風呂に行くということもありましたが。……当時の人々は一日入らなくても別に何ってことはなかったですし。
……そのせいもあってか、ウチの父親は基本的に入浴が面倒と思っているフシがあって、施設でちょいと面倒かけているようです……
とは言え、当時は当時なりに皆寛容というか事情もあり。
たとえば生理の時などは母親に「行かない方がいい」と言われてましたからね。
ワタシは初潮がこの小学校中学年という、当時としては早すぎるガキでしたので、そういう時は母親の言いつけ通り一週間近く風呂に入らない日が続いたりしました。
いやまあ汚いのは汚いんですよ! 大体この頃は肩くらいまで髪があったんですが、当初は内巻きだったのが次第に外はねになっていくとか(笑)。
だからガキすぎる時代を過ぎたら酷い日以外は行きましたがね。ワタシは生理痛とかあっても初めっから苦しくない類いだったし。
要するに、性病的な感染予防+血を振りまくのはまずいというマナーもあったんでしょう。
まだこの当時は客も多かったですし、――何と言っても当時の共同浴場には椅子が無かったですから。皆タイルに直座りです。なので正座はさすがに苦しいので、半分立て膝状態をよくやってました。後になって…… まあそのポーズに思うことは色々ありますが、確かに直接陰部を当てないで済むというのはあるんですよね。
そう、実際昭和40年代は本当に皆行ったんですよ。だから結構混む時はまじで混みました。当たり前に全部場所が埋まっていたり。そういう時にはもう浴槽の湯を汲んで使うというのもありでした。ともかく入らなくてはならないですからね。それぞれの距離を取りつつ、待ってる暇はないですからそれなりに洗う訳です。
ちなみにワタシが一番長く通っていた「朝日」は、一定の温度の湯しか出ない「押す」カランでした。他の二つは滅茶苦茶熱い湯と水の両方がついたもので、自分で調整するタイプでしたので、「あー面倒だなー」と思ってました。まあ設備としては後者の方が新しかったのですがね。
「朝日」湯はその屋上にその地区の「会館」と呼ばれていたちょっとした畳ばりの部屋がついてました。地区の自治会館だったのかな。さすがにこの時代は、その上に行くざらざらのコンクリの階段と鉄製の手すりと門? で遊ぶくらいでしたね。
ただその屋上に行くと、何かしらあちこち天井につながる部分がありまして、金属の箱みたいなそこの隙間から浴室をのぞくことができたということがありました(笑)。階段でじゃんけんして「グリコ・チョコレート・パイナップル」とかやったり。これは低学年くらいまでですね。大人が出るのは遅いですから、母親を待つ時にやってたんじゃないかと。
まあ正直当時は見る見られるも大らかなもので、暑い時期は脱ぎ着もトタンを頭だけ出るあたりまでにしか巡らせていない露台? かご持ち込んでしたものですよ。で、出てからも暑いからしばらく風に吹かれているという。当時は夏と言ってもうだる様な暑さではなかったですし、風呂に入るのは夕方からでしたから。
入り口は重い厚いガラスの入った戸でした。ガキの時分には開けるのに苦労する時もありましたわ。で、女湯の場合は左側にありましたので、右斜め上にある番をしているお婆さんか小母さんに券を渡して、履き物は適当に置いたり棚に置いたり。
衣服を入れる棚には一応戸はありましたが、無論このゆるゆる時代に鍵なんぞありません。なのでかごを使う人も多かったです。
でかい鏡、壁の斜め上からの扇風機、そしてゴザの敷いてある赤ちゃん用ベッド。ガキの頃はそれが何のためにあるのかもさっぱり理解できませんでした。
そしてでっかい体重計。あれですよ。目の前に目盛りが出てくるやつです。まああれには一喜一憂したものです……
そして入り口の横に水道。常備されてるプラスチックのコップ。
入ると床タイルはシンプルな細かい正方形でした。浴槽がど真ん中にどん。それをぐるりとカランが並びます。浴槽の中には段差があり、奥に湯と水の出る蛇口、それにその上に水飲みがありました。
で、一番風呂で行くとまあ熱い! ので、ともかく水をがんがんに出すのが行った者の義務の様なものでした。ワタシはこの時代にしては妙なとこで潔癖症だったので
一人で行く様になってからはできるだけ早く行ける時には行ってました。のでそういうこともよく。
運がいいと、帰りに近くの駄菓子屋でアイスを買ってもらえることもありました。が、まあ当時は滅多にそういうことはありませんでした。駄菓子屋は近くに二軒ありまして、どっちも今では「遠州焼き」と言われる、タクアンとショウガと刻みねぎだけの薄いお好み焼きを作ってくれるスペースがありました。……残念ながら一度しか体験することなく、そこは閉店してしまいましたが。ちなみにそこにごくごく当時ありがちな雑種だか何だかの犬が飼われてまして、時々ぬっとやってくるのが怖くて仕方がなかった記憶が。……こういうのがですね、「今年になって生まれて初めて犬を撫でることができた! プードルありがとう!」につながる訳ですよ。まあお年玉とか、自分の懐が温かかった時には、ここかもう一軒か、文房具屋に菓子を買いに来たものです。
もう一軒は湯が閉鎖されてもしばらく続いてましたが、あった頃ほどではなかった様です。駄菓子屋ということではやはり子供がよく来ていましたが。こっちの方が籤ものが多く、大物はともかく小物にはよく挑戦したものです。
ですがこれが小学校卒業する辺りだったか、閉鎖になり。
下水道整備ができて行くにつれ、皆家風呂を付け出した訳です。ウチは地域的に遅かったので、ワタシが大学に行く頃ようやくつけたぐらいでした。
英語塾の帰りに浪花湯に寄って行く、とかそういう使い方になったものです。
高校までそれだったので、ワタシが夜遅く~ということはまずできませんでした。10時に閉じるので、それまでに余裕を持って帰らなくてはならない訳です。高校時代まで「遊ぶ」のに縁が無かった理由にこの習慣が焼き付いていたということもありましたね。余裕を持って風呂に入りたいから、家には早く帰る様な。
まあその辺りは中学高校の話のついでに。
ただ本当に最後の頃は来る人が少なくなってました。入る側は楽でしたが、経営側はそうでもなかったということでしょうね。
湯も使い回しする様になった感じがしました。そして管理する側もなかなか動かなくなったな、と本気で思ったのは、異臭が酷い時にもなかなかその事態を解決しようとしなかったことです。入った瞬間とんでもない臭いがして、それを言ってもまた翌日はそのまま。そういうことが続きました。
異臭の正体は猫の死骸だったようです。それからしばらく消毒とかで休みになりました。今だったら死骸の前に猫が居ることだけで何かしら動くでしょうが、何せ当時でしたから。
番をする人も高齢化していましたし、対応が遅れたのも仕方はないと思います。が、本当にあの臭いは酷かった……
そんな朝日湯が無くなった後はまず浪花湯に行ってました。
そこは位置的に英語塾が近かったので、帰り道に寄ることもありました。一番浴槽とかは小さかったですね。ただ洗い場は広かった。カラン数はともかく。そしてやっぱり椅子が無かった(笑)。
いやあったのかもしれません。だけど椅子を使う習慣が無かったんですね。
あ、無論この時代ですので、個々のシャワーなんてある訳がありません。せいぜい出口のところに一つあるだけです。
またそこが閉鎖になると東湯に。そろばん塾の近くにあり、椰子の木が何故か入り口の近くにありました。
ここも何かしらの会館があったのかもしれませんが、その時代はもう一人で行って帰って、という繰り返しだったのでさほど記憶にありません。
ここは真正面に駄菓子屋がありまし…… 今もあります。インベーダーゲームも入ってたようですから、一応当時はバージョンアップはかる類いの駄菓子屋だったようです。
ところで。
大らかな時代のエピとして。
朝日湯に通っていた頃、毎度毎度何故か女湯につかつか入ってきて、足だけ流してまた出て行くという謎のじいさんが居ました。
皆名前を知っていたし、その奇行もあーそんなものよね、という状態で。いや印象的でしたよ。着物に丸眼鏡、ごま塩のつんつんした短髪のじいさんが無言で入ってきて一杯だけ汲んで足にかけてまた出ていくんですから。
つか、小学校に常に害の無い奇行でふらふら入ってくる通称**さん、という明らかに常軌を逸した丸刈り青年がいつも笑顔で訳のわからないこと口の中でもごもご言いながら歩いていても、皆「あーまた**さん」という感じだけで特にそれ以上のことはしませんでしたから。
まあそういう大らかな時代だった訳ですよ。少なくとも子供のワタシにとっての共同浴場の時代は。
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