第85話 昭和50年代前半の地方の自転車事情。

 ちょっと話ずれますが。

 幼稚園の時に既に皆自転車に何となーく触れていたのが当時でした。


 というのも。

 ワタシの町内はまずまずの広さだったんですね。

 そんでその中で大体当時は完結してました。湖に橋がかかる前は、対岸から船でどっさり荷物を仕入れていたそうで。

 橋がかかったせいで皆外部に車で買い物に行くようになり、結果として人口流出につながったというのはウチの父の説。


 総合食料品店(小さなスーパーである場合もあるし、そんな綺麗な形でもない雑多な店のこともある)から、化粧品と薬局が一緒になったもの、本屋、靴屋、食堂、和菓子屋、電器屋、洋品店、化粧品と薬局が一緒になった雑貨屋、文房具屋、行ったことは無いですが農家用の肥料屋、金物屋、塗料屋、ほんの小さな頃には鶏屋(鶏肉専門店)もありました。駄菓子屋、そろばん塾に英語塾、そんで無論自転車屋も。毛糸/傘屋すらありましたし。

 そして町営の「酒専売所」と「共同浴場」。


 残ったものは殆ど無いです。無いと本当に困るものに後継者がいれば残った、という感じですか。「酒専売所」は残ってます。昭和30年代にはそこが一種の最盛期の工場(こうば)で働く男性達の飲み屋になっていたようです。現在またそれが復活しているとか何とかですが。

 だけど「共同浴場」は当初三つあったものもワタシが大学に行っているうちに消えました。高校時代まではあったんですね。

 その共同浴場に行くのに、ウチは確実に自転車が必要だったんですね。

 何せ暗いし! 当時は外灯少ないし! だから星は綺麗だったけど。

 ただ野犬がまだ居た頃なんですよねー。ワタシはあの予想のできない動きが怖くて仕方なかったので、逃げられる足が欲しかったんです。当人は遅いので。

 そしてやっぱり冬寒いんですよ! ささささっとまだ暖まっているうちに帰りたい。暗くなってからの営業だったので。

 一番近いところで1キロ弱だったと思います。


 ウチは小学校からは近いのですが、町内で外れも外れでした。今ではずいぶん家も増えましたが、当時は本当にぽつんと一軒二軒、と建っているだけで、夜になると照明は殆ど無く、色々と不便でした。

 で、ワタシが乗る様になったのは、一年生の時、腕が治ってからでしょうか。それまでは風呂に行く時も母親のミニサイクルの後ろに座布団を乗せて行っていました。

 記憶では当時全部で三台あったんではないかと思います。父親が乗ってる荷台のでかい渋い色のごついもの、母親のかごがでかい濃いピンクの22インチミニサイクル、それにブレーキがまだワイヤー式でなかった朱色の24インチです。革サドルだったから、軽快車としても過渡期のものですね。


 この24インチには当初兄貴が乗っていたはずです。ですがワタシが乗る練習の際に補助輪をつけていたので、彼はミニサイクルをその都度借りてたんではないかと思います。中学に入ると新車をどっちも買ってもらえる訳ですが、その前は何というか。

 で、一年のうちはその「ただの軽快車」に補助輪をつけていた訳ですよ。当時の自転車はそういうことができました。というか、24インチにつけられるというのは今はまず絶対無いですよね。


 この24インチは、タイヤが灰色だったという印象があります。今考えると、……タイヤの凸凹が無いくらいの状態で長い間乗ってました。

 パンクするとウチでは母親が直してました。

 普通はこういう時父親なんでしょうが、ウチはともかく機械関係が全く駄目でした。というか今もリモコン以上の機械は駄目です。農家生まれなのでそちらの作業はできました。それこそ肥担ぎも平気で。

 母親は鉄工所の娘だったせいか、そもそも自動二輪免許を持ってたようなひとだったからか不明ですが、機械に抵抗はないひとでした。最期までカブ乗ってたんですから、基本乗り物好きだったんだと思います。


 まあそれでワタシは一年の間補助輪をつけていたんですが、二年の時に取りました。で、取ったらすぐに乗れました。

 要はバランスですから、体勢が慣れればいい訳です。もっと早く上達する方法もあったかもしれませんが、まあ恐怖症が多いワタシでしたので(笑)。しかしあの補助輪は実に音がうるさかった!


 中学に入る時に兄貴は当時のライトが色々ついた自転車を皆と同じ様に買ってもらい、それを高校出るまで乗ってました。

 ワタシも中学に入る時に26インチの通学用買ってもらったんですが、いやーこの時、皆内装三段階切り替え買うんですよ。ちょっと高い。で、こっちの方が安いなー、どうせ使いこなせないしー、ということで皆が皆! 白躯体に白/オレンジのかごバッグのものだった中で一人青い車体でした。

 いやー中学のずらりと並んだ同じ車体の中で、これは実に見つけやすかったです。ワタシもこれは高校まで使っていたんですが、躯体だけ取っておけばよかったかなー、と今になって思います。何と言ってもまだあの頃の自転車は丈夫だった。パーツ交換すれば今でも乗れるんじゃないかと思うくらいです。

 大学行ってから、80年代の自転車についてはまた。

 

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