第56話 「百合が増えた理由」も少し考えてみた

 ……感想への返信が長くなったので、転機してちょっと自分の考えるとこも付け加えてみるざんす。


***


*百合自体は戦前からあるんですよー。

 その辺りは吉屋信子について辺りを読んでいただけると嬉しく。


 そう、戦前においてはまず中等教育機関からは男女別学だったんですね。

 だから「女学校」というものが男子の「中学」の代わりに存在してたの。

 だいたいにおいて「百合」はその中でも進学率が「尋常小学校(今の小学校。ここを卒業すると今の中学に相当する「高等小学校/2年制」か、実業系の学校に行くこととなる。ちなみに義務教育は尋常小学校6年まで)のクラスに一人か二人」しか行かない「高等女学校」における世界だったんですね。


(……だから昔、漁村の女の子が女学校に行けるというのをさらっと書いてた西せんせいの「御隠居」の話に「いやそれは無いわ」と真面目にぶんすかした記憶がある。無理! 絶対! もし行けるとしたら、村か何かで推してくれる人が居るんじゃないと!)


 その中でも、「官立」つまりは道府県立ではだいたいお堅いイメージがあるので、小説の舞台になるのはどちらかというと私立ですな。もの凄く読者からしたら「異世界」ですが、実業之日本社が出していた「少女之友」にはその傾向の話が多少なりともあったんですな。

 で、実際どうだったか、というのに関しては、大東亜戦争ちょい前に官立の女学生をやっていた田辺聖子せんせいの「欲しがりません勝つまでは」に出てますなー。

 あともっと詳しいあたりはそのテの専門の本よろ。


*二次なやおいが「目に付きだした」のは70年代、80年代キャプ翼でどーんと目に「美形ではない少年達」のいちゃいちゃが形にされだされ、今では一次含めてBLというジャンルは作り手側ではもうその中でもの凄く多様性を持たれてるんですね。


 で、70年代までだと、少女マンガの中に残ってはいるんですな。

 池田理代子の「おにいさまへ……」だったり、「ベルばら」でもオスカル様好きな女性ってのはあれこれ居る訳だし、ロザリーだって本気で途中までは恋してたんですがな。市川ジュンも「昔の少女雑誌」を古書展で見つけては楽しんでるキャラ出したりしているし、和田慎二はサキさんを慕う少女っての確実に出してたし。一応昔の流れの気配は続いていたのがこの時代。

 一方で少年愛とかも出てきたのがこの時代で、それこそ萩尾望都や竹宮恵子とかがクローズアップされてきたりもしたんだな。ただそれは並行したもので、集英社のマーガレット系に百合要素はくらもちふさこ・槇村とおるの二大巨頭がばーんと出てくるまではまだ残っていたんだわな。

 24年組とかはコミックとかの小学館系。

 一方でフレンドとかの講談社系ってのは、男女恋愛に徹している感がある。大和和紀とか里中満智子が居ると言えば早いか。

 何だかんだ言って、それを許容する出版編集部の方針があるかどうかなんだよな。

 そんで、集英社の場合、70年代も後半になって、男女恋愛の方に向いた時に、「そうでない」人々が「白泉社」の方に行ってしまったというのがある。男女恋愛以外のごった煮世界だな。その中で少年マンガとの境界線が次第に曖昧になっていったのが花とゆめで、少し年上の少女マンガなのがLaLaだった。山岸涼子が「日出処の天子」、木原敏江の「摩利と新吾」、それに森川久美の「南京路に花吹雪」とかの耽美系もそっちだったな。まあそれもだんだん時代が進むにつれ、その色が薄れていったんだけど。

 で、独特な歩みをしてきた秋田書店がプリンセス。ここはもう青池保子の「イブの息子たち」と「エロイカ」だな。これはもうBLとかよりもろゲイの世界だったざんすよ。ただこの方はそれを流麗な線のギャグでやっていた+ベースになっている知識が凄まじいことで、納得させてくれちゃうんだな。

 秋田書店はその後、どんどん恋愛系からはじき出された分野の作家さんの行き場になった感じはあるのね。歴史やFTはこっちに結構来た。ボニータもその部類の雑誌。

 その後角川の参戦で、もっとどんどん色んな領域が男女の境目がごちゃ混ぜになってきたけど、まあそういう流れはある。

 あ、あくまでワタシが見てきた範囲でだぞ。見ていないとこにはもっと様々な流れがあるとは思うし。


 で、アニメだ。

 「美形敵キャラ」がロボットアニメに出てきたのも70年代からだな。敵側にドラマを作る様になると、指揮官の中に美形が出てくることも多くなってくる訳で。

 79年がファーストガンダムなんだけど、まあファンジンという世界の中で「シャア×ガルマ」が出てきたというのがあるよな。

 富野氏は自分の書いた小説の中で、アムロとセイラさんがそういう仲だー、みたいに「フツーの」「リアルな」を求めたかもしれんが…… 腐女子というのは何処にだって居るのさー。

 で、まあワタシが知っているあたりで有名どころとしては、ゴッドマーズの兄弟。ボルテスのハイネルとか、タツノコのリアル系、特にガッチャマンは筋肉カルチャーのそういう関係好きにはたまんなかったんだと思います。

 で、80年代真ん中で、そういう「美形」ではなく、「フツーの男の子達」を絡ませたのがキャプ翼だった訳だ。

 これが他ジャンルとやや違ったのは、「似てなくてもいいマンガ」「キャラ」「これこそ原作」を皆追求しだしたというか。

 だってキャプテン翼ですよ! 始まったばかりは本当にただの小学生のサッカーマンガですよ!

 ところがそこに「沢山普通の、ドカベンのキャラの様な特徴ありすぎるひとは少ない皆それなりに見られる」男の子達がそれぞれ事情持っている、としよう。

 さあこれは改変のチャンスなのだった。

 いや、ドカベンにも無論それ以前からありましたよカプ。里中と山田とか、不知火と犬飼とか、あと土井垣さんか。だいたい1チームに一人は美形いましたからね。ただ、カプにするには多くは無かったんですな。女子が普通にさらっと自分で変形できるようなキャラが。あと皆ドラマ背負いすぎてるし。

 ところがキャプ翼は何と言っても背負ってるドラマがほとんど無い。それでいて、皆ほぼそう変わらない顔してる。だからこそ(笑)、差異を自分達でつける訳だわ(笑)。原作自体のキャラのバックボーンが薄い、というかもう生活にそう違いが無くなってるのね。だから属性を持ったキャラとしてもの凄く細かいとこで推しができる訳だ。

 だって考えてみようぜ。岬くんと反町くんとえーと雪国の…… の顔で区別を付けられるか? は当時でもアレだったんだ。日向小次郎と若島津健の「関係性」が「絶愛」になるんだぜ? で、カプが逆だとおぢろう組の様な感じになったりする。ちなみに彼女達は結構ドカベンとかの野球流れだったりするから、ギャグとか正統的なんだよな。

 ―――てなことやってるうちに、まあコミケで腐女子の参加率が無茶苦茶増える訳だ。 

 80年代真ん中だと「ふぁんろーど」の存在もでかい。全国に同志は居るんだ、というのね。あれ結構でかい。その中で神絵師として既に君臨していた方々も居たんだけど。

 現在ワタシが「阿・吽」プッシュしてるおかざき真里氏も昔は投稿者として「神威」さんで、あの方は「ダンバイン」でともかく女性キャラ、記憶に強いのは「ジェリル・クチビ」を推してたんだよなあ。当時から強い女性が大好きだった。

 まあ言い出すと本当に切りが無いんだが、そこでできた同人フォーマットがその後、星矢→トルーパー→シュラト~とかに流れていくんだよな。

 あ、ワタシは翼の次はトルーパーでした(笑)。

 この辺りは同人バブルです。滅茶苦茶豪華装丁が多かった。

 ただこの辺りは本当にBL台頭期だったから、百合は…… まあ…… 殆ど無かったですね。


*一方百合もしくはGLというジャンルは、戦後男女恋愛が解放されちゃったが故に「古くさいもの」というイメージがつくんですわ。


 ただしこれはあくまで「少女趣味」と言われた昭和20年代の感想でもあったんだけどね。少女雑誌が解放されたとばかりに、男女の話のことを書き出したというのもある。


*そのあとはジェンダーが何だかんだとまた色々面倒なことが言われ、何というか、一応レズビアンなコミックとかあっても、どうも硬いものになってしまい、一般的に流通しないというか読まれづらいというのがあったんですね。


 これに関しては確かにちょっとだけ出た時期があったんですね。

 で、一冊買ったんですが、やっぱり堅かった!

 そんでやっぱり百合ではなく「ビアン」という意識がもの凄く強かった訳ですな。

 で何処かやっぱりジェンダーが! と叫んでるイメージもあったので、そうそう手にはしづらかったんではないかと思うんですな。別に「薔薇族」の様な感じではないのですが。堅い、ともかく堅かったんですよ。

 それとマンガとして魅力が足りなかった。やっぱりそれに尽きると思うんです。当時の書き手さんには申し訳ないけど。

 んで、その「見た感じ」なんですが。


*マリみては戦前の百合の一種パロの様な形なんですが、引き金はそれでしょう。雑誌が出だして。


 そう。結局「見て心地よいもの」かどうか、というの大きいんですよ。

 マリみてちゃんと読んだことがある訳ではないんですが、ともかくこれだけ続いてファンも多かったということは、まず作品として面白く、その上でそれまで隠れてきた百合衝動を爆発させてくれるものだったんでしょうな。

 ただ、「百合姫」あたりだけでは、今程には広まらなかったと思うんですな。まだ何処かで「特別」感があった訳ですよ。

 その辺りはマンガの「百合男子」が詳しいかなあと思うんですな。あの話は男性が描いているんだけど、マリみて以降百合姫あたりの百合好き傾向を上手く描いてくれてる。もう続編「俺の嫁なんて~」の2巻以降は出ないのかと思うと残念。

 そこで重要なファクターと思われるのが、「日常系女の子しか出ない四コマ」ですよ。

 結局「女の子しか出ない優しい世界」というものが地味~に、しかも四コマ~アニメのネタとして浸透していった、しかも作者が結構女性というのが小ネタとしてのリアリティもあったというのもありですな。

 女子校における、がさつなノリも出してくれるというのは大きかった。それまで実際はそうであっても、小説やマンガの台詞としては出てこない「女言葉でない日常」を普通に出してくれたってのはでかい。

 そういうノリが浸透してきた時に、一方でBLが普通にアニメ化できる状況になった、というのと、細分化しすぎの飽和という現象もあると思うんですね。


*で、BLもだんだん飽和してきたってのもあるし、特別感なくなってきましたわな。

 そこでようやく百合もお姉様妹だけでなく、四コマの少女だけのものとかで「女の子だけの登場する世界」のまた広がりとかありますでしょ。あーいうのが日常系が出てきて、そこからBLの手法を転用して日常にえろいものとか社会人とかも出てきたと思われます。


 BLはともかく女子にとって、性癖をこれでもかと暴露させてくれるいい場所だったんですよ。

 だからその手法を使って、GLをまたやる、というのはそう難しいことではない。

 そこに萌えがあっても、おかしくはない訳ですね。

 ……ってとこで今の百合の急速な広がりがあるのではないか、と一旦ここで文止めーーーーーー!

 一気に書くもんじゃねえ、疲れた!


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