第24話 節分とハロウィン

 これも転載。2016年ね。


***


 ―――と並べると、まるで関係が無い様なのだが、ワタシにとってはあるのだ。


 共通項は一つ。


 「家々を回って合い言葉を口にするとお菓子がもらえる/ので子供達は皆そのために走り回る」


 まあその合い言葉を検索してみたら、本当にワタシの地方にしか出て来ない様なので、あえて書かず。

 ただハロウィンと違うのは、そもそもは厄落としの行事だったということだ。

 某菓子屋のホムペやツイからすると、「厄年の人がお餅を年の数だけ切り分け、近所の子供たちに配る。そうすることで厄を切り分ける」ということらしい。

 で、その餅を菓子包みの中に入れたり、そもそも餅の存在は忘れられて菓子だけ配って…… ということになったらしい。


 ―――なんてことを今頃調べて書いてる訳だから、当時はその合い言葉の意味なんてまるで判らない。


 そしてウチの町は、餅は「お宮」で投げて、菓子を厄年の家で配る。つまり餅と菓子は切り離された存在だった訳だ。

 だがしかしその合い言葉の中には「餅」という単語が入る。しかもその後についてくる言葉もわからない。呪文のようなものだ。

 ハロウィンの様に意味のわかるものだったら何かまだ納得がいったろうが、周囲の誰もいまひとつ当時のワタシに判る説明をしてくれなかった。

 まあ小学生の頃だ。厄年の意味はわかっても、何でその歳なのか、何でお菓子を分ける「当番」になってしまうのか。そういう疑問には答えてくれなかった。たぶん呆れたのだと思う。


 で、その意味の判らない言葉を戸口で大声で告げなくてはならないのだが…… これが気恥ずかしい。

 もしくは、訳の判らない言葉を意味も判らず叫ばなくてはならないことが納得いかなかったのかもしれない。


 だがまあ、ガキだったので、ともかく菓子は欲しい。ばたばたと走り回った。

 走ると言っても、足が遅いのは当時からだったので、殆どは一人で歩いていた。当時から太っていたので、すぐに息が切れて、同級生について行けなかったのだ。

 四十年がとこ昔のことだ。二月はじめの夕方、ガキがばらばらと――― 時には一人で走り回っても、「ご町内」は安全だった。

 田舎なんで、誰が誰かこっちは知らなくとも向こうは知っているなんてことはざらだ。

 旅行でみやげを詰め込んできた、ビニルつきのでかい紙袋を持って、皆誰かしらの集まっている家へ家へ回った。

 戻ってくると戦利品を広げては悦に入った。冠婚葬祭の引き出物を入れる袋の大きさと言えばわかりやすいだろうか。アレがいっぱいなのだ。まだ町内の人口も多かった。その袋の菓子でしばらくはおやつに困らなかった。


 さて、これがいつまで参加したのかが、記憶に薄い。高学年の時の記憶が無い。

 どうでもよくなったのだろうか? 当時マセて軽くなおかつ微妙に裏でグレていた(またいずれ)ワタシとしては、子供っぽくて嫌だったのかもしれない。

 だが小さな自分と同時期に兄は走り回っていたなあ、という記憶があるので、参加はしたのだろう。だがしかし、五年の時にダイエットをした記憶これもまたがあるので行かなかったのかもしれない。


 ちなみに今年見かけた子供は親と一緒で、持っていたのも決して大きくないレジ袋だった。

 最近では親同伴で、近所でまとまって行くらしい。危険だからだろう。それにレジ袋で足りる程度の菓子を配る程度の数しか家は無いのだろう。

 菓子を求めて猛進したのは、さすがにまだ「皆それなりに貧乏」感を持っていた70年代だったからか。


 ガキが一人で走り回れた時代がちと恋しい。


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