25
「遅かったね。もっと時間がかかると思ってた」
家に帰ると、幽子は椅子に座っていた。憂えた横顔がゆっくり振り向く。すべてを悟った目だった。
「鈴木さんから聞いたよ。幽子、分かってたんだろ。自分の性別も、自殺したことも」
「うん。波蒼に会ったときから分かってた」
幽子は淡々と答えた。
「どうして黙ってたんだよ。隠し事はしないって約束したじゃないか」
「言えないよ。ある日突然自分が男だったって発覚したらどう思う。自分の見かけと内面の性別が違うなんて言えるわけない。しかもその原因にも思い当たらないんだから自分の混乱を抑えるので精いっぱい。それに、覚えてる? 陸斗のツイート」
「ツイート……?」
「自分でしたツイートを覚えてないの?」
浮かんできたのは自分の強い言葉たち。そのどれが幽子に影響したかは分からなかった。それほど雑多に無責任に思いつくままにつらつらとツイートしていた。
「あんなふうな考えの人に心底思っていることを言うなんてできないよ」
幽子の台詞は陸斗の体を芯から冷やした。陸斗は視線から逃げて吐き捨てる。
「それにしたって隠し事は最低だ。約束を裏切ったんだから」
「その言葉そっくりそのまま返すよ」
「どういうことだよ」
防ごうと思ったら遅かった。幽子は机の引き出しを開けた。一番上のカードを掴み、歩いてきて目の前に突き出す。
「陸斗だって。このカード気づいてたんでしょ。わたしの姿の意味。自分のことを棚に上げて、隠し事のことをとやかく言ってる」
「これは……話そうとしていたんだ。隠そうとしてなんかない。でも幽子、真実なんて見つからなくていいとか言うから出すタイミングを待っていたんだ」
「どうして言い訳するの。正直に言っても怒らないよ」
「言い訳じゃない。僕は本当に幽子に成仏してほしかったんだ。だから女子校まで行って調べたりした」
「成績のためにね。自分の成績を上げるために」
「成績のためじゃない! それを証明するために鈴木さんと話したんだから」
幽子の目が激しく揺れた。
「それが余計なことってどうして分からないの」
「話さなきゃ分からなかった! どうして幽子が取り乱していたのか、どうして幽子が逃げたのか。ずっと幽子は教えてくれなかった。だから、たとえ苦しめてしまったとしても鈴木さんに聞くしかなかった。これしか方法がなかったんだ」
「わたしは望んでなかった! そんな勝手な真似……どうして」
幽子は声を荒らげた。指が白くなるくらい自分の手を握りしめている。それから二人は黙った。口を開いたのは幽子だった。幽子は静かに言った。
「ねぇ陸斗、わたし気づいちゃった。成仏するには真相を見つけるだけじゃダメなんだよ。自分の本当の問題を解決しなきゃ神様は成仏させてくれない。波蒼と会って分かった。和解が必要だって。そう魂の奥に語りかけられたの。でも……もう波蒼とは和解できない。陸斗が問題を拗らせてくれた。一生、わたしは現世に留まるんだね」
「なんでそうやって悲しいこと言うんだよ。現世に留まるって決まってるわけじゃない。鈴木さんにはちゃんと謝るから。それで幽子と会うのが必要ならまた方法を考える」
幽子は儚く笑った。
「無理だよ――はい、これ」
紙切れを渡される。紙切れは複数あって、単語や文章が罫線のなかに収まっている。陸斗は驚いて手を離す。
「中間テスト全教科分の解答。陸斗のために取ってきた。この中間テストの答えがあれば満点も確実だよ」
言葉が出なかった。陸斗はただ幽子とテストの解答を見比べていた。
「わたしは答えを盗んでしまった。だから絶対成仏できない。万に一つ、波蒼と和解できても神様は許さない。いくら雑な神様でも盗みは許してくれない。もう後戻りできないの」
「なんで……なんで、こんなことしたんだよ」
「陸斗は常に望んでたでしょ。成績を上げてって。ずっと君は利己的だった」
「こんなやり方するとは思わなかった」
「今更善人ぶらないでよ。もともとわたしに協力してくれたのも、わたしのためじゃなくて自分のため。自分の成績のためで、もっと言えばお母さんのため」
幽子は怒っていた。今にも泣き出しそうなくらいまつげを濡らしていた。
「君は成績が上がっても上がっても不幸せそうで、なのに永遠に辿り着かない高みを求めている。家庭教師でも体の乗っ取りでも満足しない。君はこんなやり方というけど、他に方法があると思うの」
幽子は苦しげに言った。それから暗い笑顔を見せた。
「でもよかった。これで自分の味方なんていないって分かった。陸斗と打ち解けられたと思ったのもまやかしだったんだ」
幽子は立ち上がる。
「どこ行くんだよ」
「どこだっていい。話したくない……」
幽子は窓を開けて、身を乗り出す。
「ねぇ、一つだけ最後に言わせて。君のお母さんのこと。本当は誕生日忘れてたよ。慌てて本とケーキを買いに行ってた。わたし見てた」
陸斗は立ちすくむ。
幽子が言ったことが理解できなかった。お母さんは誕生日を覚えていなかった。自分の子供の生まれた日を。
「さよなら陸斗、ごめんね、優しくなくて。……楽しかったよ」
幽子が遠ざかる。陸斗はただその背中を目で追うことしかできなかった。
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