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 数日後。羽坂希良が生前通っていた学校はネット掲示板ですぐに特定できた。その中高一貫の女子校は隣の市に位置してたから、わざわざ学校を休むまでもなく終業のチャイムが鳴ってから向かっても夕方までには到着することができた。

 陸斗は歴史を感じさせる荘厳な校門を見上げる。無生物なのに見下されているように感じて萎縮する。

 制服のまま他校に行くのは緊張した。でも幽子の重要な手がかりを裏付けるにはここに通う生徒の声が必要だった。生徒たちは塊になって下校していたし、甲高い女子の声が部外者を拒絶するようでなかなか話しかけられなかった。ただでさえ、初対面の人と話すのは不得意だというのに、今は幽子への恩返しの気持ちだけでこの場に立っているのだった。近所のおじいちゃん、おばあちゃんと話すのはなんてことないけれど、同年代と話すのは途端に難易度が上がってしまう。その原理は一生経っても分かりそうにない。

 まるで変質者のように校門近くに立っていると、一人で下校する女子生徒出てきた。周りには人がいない。

「あのう」

「はい?」

「ここの生徒さんですよね」

 女子生徒はきょとんとしていた。あまりにも当たり前のことを聞いていた。

「すみません。ちょっと聞きたいことがあって。羽坂希良さんを知ってますか」

「はぁ……。今どきは学生も使うんですね。週刊誌ですか」

 さすがは名門校。上品な敬語で話してきた。けれどあからさまな敵対心を含んでいた。これまで何度も雑誌記者に絡まれたのかもしれない。

「いや、違います。僕は――純粋にファンなんです」

「三年前に亡くなったアイドルのファンなんて、狂信的ですね。――じゃあ、ごめんなさい急いでるので」

「あ、ちょっと。もう少しだけ」

「学校から話すなと言われているので」

 そうは言われても引き下がれなかった。早足で去ろうとする女子生徒を追いかけると、「いいかげんにしないと、通報しますよ」と女子は苛立った。

「少しでいいんです。羽坂さんがどんな人だったか教えてくれませんか」

「私知らないです」

「困ってるんです」

「知らねぇったら!」と女子生徒はまるで男みたいに振り切った。

 豹変だった。陸斗はひっ、と女子みたいな声を上げる。女子校の闇の一面を見てしまった気がした。しかし諦められない。不良から救ってくれた幽子のため。プレゼントをくれた幽子のために。

「もし教えてくれたら」

「くれたらなに」

 そこで陸斗は詰まった。続く言葉はいくらかお礼をします、だった。でも言えなかった。なんの恩義もない祖母の顔がよぎったからだ。自分で稼いだお金じゃないのに、それを他人に渡すのはおかしい。そんなニュアンスの言葉が浮かんできてしまった。そういえば幽子も同様のことを言っていた。お金がそんなに大事? ここでお金に頼ったらまた幽子に失望されるかもしれない。そんなこと前なら気にしなかった。でも今は違う。幽子にどう思われるか。気になって仕方がない。

「教えてくれたら?」

「いや。なにも、ないですけど……」

「なにそれ」と女子生徒は笑った。

 それで和やかなムードになった。でも女子生徒はすぐに表情の綻びを修正して警戒したように言った。もうすっかり敬語は解けていて、素の女子生徒が現れた。

「君、しつこいから一つだけね。教えたらつきまとうの止めてくれる?」

「はい、誓います」

「従順なのはいいことだ」

「あ、ありがとうございます。ええと、羽坂さんはこの学校ではどんな人だったか、知りたいんです」

「うーん。三年前のことだから確かなこと言えないんだよね。それに直接的な絡みもなかった。なにせ私小六だったし」

 羽坂希良が中学三年生で自殺を遂げたとき、この女子生徒は小学生だった。ならば知らないのも無理はない。というか三年前に小六なら今この生徒は中三、僕とタメになる。

「そうですか……。噂でいいのでなにか知りませんか」

「そうだね。ええっと。これは同じ学校に通うお姉ちゃんに聞いたんだけど――顔面がいい」

「えっ」

「ほらあの子可愛いでしょ。でも実は内面はかなり男の子っぽかったみたいだよ」

「他には」

「君、一つだけって言ったでしょ。じゃあ、私は帰るから」

 女子生徒は急に立ち止まった。

「それと一つ助言。しつこいのは嫌われるから気を付けた方がいいよ」

 同じ中学三年の女子に上から目線の助言をされるとは思わなかった。これも歴史ある校風の効果だろうか。あるいは外見を見てナチュラルに年下だと見定められたか。人は見た目によらない。自分も相手も。女子生徒の後ろ姿をポカンと目で追いながら、集めた情報をまとめた。

 羽坂希良の表の顔は清楚系。裏の顔は大胆で男勝りで個性的。表と裏が正反対なのは今の幽子と一緒。つまり羽坂希良イコール幽子で間違いないだろう。

 そこまではよかった。

「陸斗、アンタなにしてんの」

 声をかけてきたのは見慣れた制服姿の女子だった。一瞬、女子生徒が戻ってきたのかと思った。お人好しにも補足してくれるのかと淡い期待を抱いた。そこにいたのは沙依だった。ふいに頭を叩かれたように、なにが起きたか分からなくなった。沙依の高校とこの女子校はずっと離れている。どうして沙依がここにいるんだ。

「なんでいるんだよ」

 当然の疑問を狼狽えながら答えると、沙依は馬鹿にしたように言った。

「つけてたの。学校が終わるまで待って、気づかれないようにこうやってついてきたの。よかった。時間かけた甲斐があったわね」

「どうしてそんなことすんだよ? 意味が分からない」

「アンタ最近おかしいじゃない? やることは変わってないはずなのに、成績だけが上がってく。出来損ないの弟なのに釈然としない。そのときだよ。裏があるって思ったのは」

 すると今までずっと沙依は背後にいたということになる。気づけなかった自分の愚かさを罵倒したい。なんて詰めが甘かったのだろう。

「ついてくるなんて最悪だ! こんなの許さないから」

「最悪上等。許さなくて結構。アンタここ女子校だよ。こんなところにいることの方が最悪だよ。キモイよ」沙依は吐き捨てて、「お母さんに言ってやろうかな」

「それだけは、お願い。止めてよ。お母さんに知られたらタダじゃすまない」

「なら、さっさとこの女子校にいる理由を聞かせてよ。どうやって成績を上げてるか。ここに秘密があるんだろ?」

 沙依は陸斗を壁に追い詰めた。逃げる場所はない。

 どうする――。陸斗は考えた。正直に、幽子のことを言おうか。いや、どうせ理解できるわけがない。それにチート行為を伝えてしまったらどのみち圧倒的な不利に陥る。

 アイデアが降ってきたのは、沙依が痺れを切らして舌打ちをしたときだった。

「気になる子がいたんだよ」

「は?」

「だから、塾で気になる子がいたんだって。その子がこの学校に通ってて、衝動的に来ちゃったんだ。そんなの沙依に関係ないだろ!」

「正気?」

「ああそうだよ。悪いかよ。僕だって誰かを好きになるんだ」

 沙依は蔑むような目をしていた。そんなこと、と言い出しそうな目だった。そんなくだらないこと。

「じゃあ恋で成績が上がったっていうの」沙依は鼻で笑った。

「知らないよ。でも結果がそうなら、そういうことかもしれない。――もういいでしょ。離してよ!」

 焦って言ったのがかえって真実味を出せたようだ。沙依は掴んでいた肩から両手を離した。

「お母さんには言わないでよ」

「どうかな。そのときの気分かな。っていうか、陸斗恋愛って、アンタも馬鹿だね。せっかく成績上がったのに。またすぐ下がりそうだ。ま、アタシには関係ないからご勝手にどうぞ」

 そう言って沙依は去っていった。

「最近陸斗君、体調不良で来てないけど大丈夫ですか」

 塾講師からの電話に、渡辺恵美はまともに受け答えることができなかった。

「は、はい? どういうことでしょうか」

「一か月くらい前でしょうか。陸斗君頭痛が酷くてお休みすることが多かったんですよ。お母さんの許可も得ていると言っていましたけど……もしかしてご存じないのですか」

「い、いえ。もちろん存じ上げてます。そうでしたね、そうでした」

 恵美は嘘を吐いた。事実はどうあれ世間体を守ることが重要だった。このままだと子を監理できていない親と認識されてしまう。陸斗に問い詰めるのは後でいい。「仕事の都合でなかなかこちらから連絡できなくて。それで陸斗に頼んだんです。先生には心配させてしまって申し訳ないです。今後は直接わたしからお電話差し上げますので」

 電話を切って、キッチンに立ってもなかなか夕食作りに戻れなかった。

 ――親に内緒で勝手に休むなんて。どういう神経をしているんだろう。

 恵美ははらわたが煮えくり返りそうだった。成績が上がったと思ったらこれだ。すぐに調子に乗る。あの子の悪い癖だ。やっぱり厳しくしないといけない。

 包丁を持って野菜を切る。自然に力がこもった。思い通りにいかない、我が子二人に辟易していた。

 帰ったら詳しく聞かなきゃいけない。夕食を作りながら、恵美はそう思うのだった。

 幽子は陸斗の通う学校に来ていた。放課後だから校舎にはほとんど生徒はいなかった。陸斗には内緒だった。陸斗の性格なら、知ったらきっと激昂するだろう。でも今は塾のはずだし問題ない。

 少しくらい羽を伸ばしたかった。神様は善行をしておけって言うけど、そう簡単に不幸な人は見つかりっこない。先日、一日かけて市内を回ってもあまり収穫はなかった。それに姿が見えないからやりにくい。転びそうな人を支えて転倒を回避したり、高齢者の重い荷物を自宅に転移した。けれど、大抵の人は――というか、すべての人が恐れおののいていた。感謝こそあれど恐怖なんて。失礼にもほどがある。だから今度からは転び終わった人を自然に起こしてあげたり、重い荷物をいくらか間引こうかと思った。でもそれも間抜けだ。転ぶ人を待つなんてそれこそ本末転倒だし、荷物を勝手に減らすのは犯罪だ。食べ物探しにも飽きた。どうせ食べられないし。人の秘密を探偵するのも飽きた。誰にも話せないし。だから自分と同世代の人がいる学校に来たのだった。陸斗の生活の半分、暮らしている学校を見てみたかった。

 学校を徘徊して、陸斗のクラスに辿りついた。なにをするつもりもなかった。でも教室に残る一人の女子生徒からなぜか目が離せなかった。脳内に蝶が羽ばたいて優雅に着地する。見覚えのある顔だった。彼女の動作が、表情が心を掻き立てる。

 幽子はその場に膝から崩れ落ちた。決定的な記憶が戻った。

 わたしの名前。わたしは――。


 鈴木葵だ。

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