20

 「幽子!!」

 自室の部屋を勢いよく開けると、寝そべった幽子の顔には驚愕の表情が貼りついていた。開いた音が大きすぎて驚かせてしまったらしい。でもこれからもっと驚くことになる。

 陸斗は幽子にテストを見せた。テストにはExcellent!の文字が右上がりに書かれていて、いつもは陸斗を傷つけるバツ印が一つもない。つまりどこからどう見ても満点だった。嬉しくて涙が出そうだった。陸斗はゾンビみたいにたどたどしく幽子に歩み寄る。なんでもいいから叫びたかった。エネルギーを留めておけなくて、思わずハイタッチしてしまった。

「陸斗、すごい! やったね」

 幽子はまるで自分自身のことのように喜んでくれた。

 掲示板で鈴木波蒼の名前が自分の下に記載されているのを見たときの気持ちは格別だった。まさか鈴木波蒼を超えるなんて思ってもみなかった。自分の継続した勉強と、なんといっても幽子の力のおかげだった。嘘ツイートも結果的にはよかった。皆がそれを信じたから平均点が下がったのだ。点数を上げる力と下げる力が両方作動しなければなせなかったことだ。

 階段を一つ飛ばしで降りて、お母さんのもとに急いだ。一刻も早く見てほしかった。幸いお母さんはまだ出かけていなかった。

「お母さん……! 高野先生のテスト、平均点はすごく低かったし難易度も高かった。でも見て。僕の点数」

 テストを見せると、お母さんは無言で頷いた。でも目を見開いて大きく鼻で息を吸うのを見逃さなかった。そして口の形が細くなって――笑った。

「陸斗、頑張ったわね。自慢の子よ」 

 お母さんが笑っている。どれだけ待ち望んだか。膝が震える。陸斗は幸せの味を逃さないように丁寧に咀嚼した。この時間が永遠に続けば、と思った。

 するとお母さんは表情を引き締めた。

「この調子で頑張るのよ」

 お母さんは仕事に出ようとしていた。玄関に向かう後ろ姿に問いかける。

「えっ。この調子で、って……」

「まだ中学も一年あるでしょ。この状態を維持しないと。それから高校、大学と先は長いわよ」

 お母さんは言って、出て行った。

 突き放された感じがした。どこか遠い場所に置き去りにされたような気持ちだった。幼いころ眠ったまま自分の部屋に、一人運ばれてしまったあの孤独な悲しみ。

 喜びはつかの間だった。お母さんはやっとの思いで到達した満点を、わずか十秒のなかに押し込めてしまった。もう充分頑張ったのに。そう言いたかった。娯楽や友情を犠牲にしたのに、得たのは一瞬の喜びだけだった。この先いつまで頑張り続ければいいのだろう。いい高校に入っていい大学に入って、公務員になって昇進して昇給して、ゴールはどこにあるのだろう。すでに頑張っている僕に、お母さんはいつまで頑張らせるのだろう。

 陸斗は重い足取りで自室に戻った。

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