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学校に向かいながら、ツイッターをチェックする。手早くスクロールして目を走らす。
テストの情報は出回っていない。つまり今回は事前情報なしで頑張らなければいけない。ついでに、自分のアカウントも確認する。
また炎上してる。――アイツだ。
ツイッターを利用して自分の考えを発信するようになったのはちょうど中学一年の今くらいの時期だったと思う。たとえば『不真面目な奴が嫌い』『男が男を好きなんてあり得ない』『お金が全て』みたいなことを呟いた。正直なのは悪くないと思う。ツイッターは匿名だし、思っていることをハッキリ言うのは気持ちがよかった。
『悲しい人』『そうとは限らない』『今時こんな差別する人がいるなんて』
反論してくる奴は大勢いたけど、大抵の奴は勢いだけでその場限りだった。でも一人だけ例外がいた。そいつはかなり前から執着していて、挨拶レベルのツイートにも突っかかってきた。犯人の目星はついていて、恐らく学校内の奴だ。そいつが裏アカで絡んでいるに決まっている。だって、学校の奴しか知り得ない情報を仄めかしてくるから。時折、脅迫まがいのことまでしてくる。
あるときそれが、集団になった。一つのツイートに対して、徒党を組んで数十件のコメントがつく。それがいじめだと気づくのに時間はかからなかった。
でも、そのままにしていた。放っておけば時間が解決するだろう。それに実害がないし、お母さんに心配をかけてしまう。体に傷のつかないいじめは、進学校ならではかなと、少し感心さえしていた。
集中していると、後ろから肩を叩かれる。肩越しに振り返ると、よっ、と軽い挨拶をされる。
南頌大。サッカー部らしい爽やかさ、浅黒い肌を目立たせるホワイトニングでもしてそうな白い歯、八重歯が覗く特徴的な笑顔。面白くて、人気者で、陸斗の親友。
「リク、またスマホかよ。前向いて歩こうぜ」
「そんなこと言ってられないよ。テストがあるから」
ああ、と頌大は返す。
「リクは大変だな。親が厳しくて」
「仕方ないよ。僕のためだもん。そっちだって、お母さん厳しいでしょ」
頌大は、まあなと苦笑した。陸斗は小学生の頃からの長い付き合いだし、同じ塾に通っているから事情は知っている。
頌大が成績レースから離脱したのは二年前。つまりほぼ入学当初になる。せっかく進学校に入学したのにそんなことになったのには理由が二つある。自分より遙に頭の出来が違う人物に会って完全にやる気が削がれた、というのが理由の一つ。もう一つはやりたいことが見つかったからだという。勉強をする気も起きず、成績が伸び悩んでいた頌大がテレビを着けたときに、偶然目に飛び込んできたのはある芸人がコントをしている姿。その瞬間、心に灯が点った……らしい。どんなときでも人を笑わせる。ときに勇気づける。自他共に認めるムードメーカーの頌大に天啓が降りた瞬間だったようだ。俺は芸人になる、と高らかに宣言した頌大の力強さは、熱に浮かされたような勢いがあった。
陸斗としては親友の夢を応援したかった。しかし、頌大の親は反対だった。そんなの職業とはいえない。親の保守的な性格に加え、四人兄妹の長男というのも影響しているのだろう。議論は平行線を辿り、結局、平均を目指すという妥協点を見いだした。つまり学校の中間層に留まれということだ。よく考えれば親にご飯を食べさせてもらっているのだから、親に従うのは当然。それに子供の将来を考えての発言だから、頌大も否定はできない。陸斗も同意見だった。
「でもさあ、分かってはいる。分かってはいるけども、普通、どんな子供でも受け容れるもんだよなあ。子供が何かしたいと思ったら全力で応援する。それが親ってもんじゃないんか」
頌大は空に向かって嘆く。きっと親の正しさと自分の夢を天秤に掛けて悶々としているのだろう。けど両親は全ての正解を知っているのだから従うしかない。テストの答えも、人生の答えも、自分の三倍以上の人生を歩んでいる人に従っていれば間違えることはない。今までそうやって間違ったことはなかった。一度たりともだ。だから頌大もそうすべきだ。
「あー、芸能界にいきてぇ。そうすれば、俺だってアイドルとヤレるのになあー」
頌大は愚痴を誤魔化すように言い足す。それは本心じゃないことを陸斗は知っていた。ずっと一緒にいたら分かる。本心を出した後のある種の照れ隠しなのだ。
――そういえば、頌大に謝ることがある。
「そうだ。頌大、こないだは、その……ごめん」
「どうした急に」
「この間の約束だよ。直前になってキャンセルした」
「なんだ、そんなことか。気にすんなって。体調不良なら休むのは当然だろう」
頌大は軽い口調で言った。
こっちが遊ぶ約束を破ったというのに根に持つということがない。しかも、今回が初めてではないのにキレたりもしない。こういうさっぱりした性格に何度救われただろう。だからこそ真実は言えない。本当は頭痛なんてなかったなんて。お母さんにあんな成績の悪い子と遊ぶなと言われたから断ったなんて。
「きっとリクは勉強しすぎなんだろ。頭酷使しすぎだぜ。この前は急用だったし、早く忙しくなくなって、小学校のときみたいに遊べたらいいよな」
頌大の笑顔が眩しい。自分が影になるくらいに。
頌大は自分のことを理解してくれている数少ない友人だ。自分から離れる友人のなかで、ただ一人留まってくれた。
一方でお母さんだって自分のためを思って言ってくれている。お母さんの言葉で言えば、長期的な視野で見て、友だちより勉強を優先するべきということ。毎回二人を天秤にかけるけど、本当はお母さんも頌大も裏切りたくない。
校門を抜けると、校長先生が花壇の手入れをしていた。校長先生は建前だけの美化委員よりよっぽど草木を愛し、校内美化に貢献している。その綺麗好きは陸斗としても見習うところがあった。そういう背景があるから、陸斗は純粋に校長先生が好きだった。だから担任に対してよりも丁寧な挨拶を心がけている。今日も陸斗は最高の挨拶を行う。
「先生、おはようございます」
「はい、おはよう」
校長先生がはにかんで挨拶を返し、また手入れに戻る。挨拶は言われるより、先に言う。毎日やっているから良い印象を与えられていると思う。
下駄箱に着くと、頌大は上履きを床に落とし踵を潰して履いた。
「リクはホントよくやるよなー」
「何が?」
「アレだよアレ。あの挨拶。そこまでしなくてもいいんじゃないか」
「ああいうのが大事なんだよ。内申に影響するし」
見てる人は見てるから、生活態度に気をつけるように。耳にたこができるくらい聞いたお母さんの教えだ。それに、校長先生だから特に丁寧にしたい。
「優等生だねぇ。ま、頑張ってくれよ」
と、言い残して頌大は自分の教室へと歩いていった。
陸斗もそれに続こうとして、掲示板の前で足を止める。これからテストだというのに、嫌な気持ちがした。見なくても分かった。学年最優秀として同じクラス、同じ塾に通う女子の名前が記載されている。
鈴木波蒼。頌大のやる気を折った女子。そして、陸斗が追い越さないといけない遙か高みにいるライバル。一番になるためには波蒼を踏み潰さなければならない。
鈴木波蒼について知っていることは多くない。友だちはいない。冷たい。でも成績最優秀。それくらい。休み時間はいつも本を読んでいるか、そうでないときはどこにいるのかも分からない。陸斗は一度も話したことがないし、かかわろうとも思わない。
鈴木波蒼といえばもう一つ思い出すことがある。
『私に友だちは要りません。仲良くしなくて結構』という自己紹介は前代未聞ではないだろうか。最初それはセンスの悪い冗談かと思ったが、眉一つ動かさない鈴木波蒼の表情は紛れようのない真実だと主張していた。前の人の自己紹介が、色んな人と仲良くできたら嬉しいです……だったからその対比は凄まじかった。
そうこうしていると、チャイムが鳴った。余計な思考を廊下に振り落とす。鈴木波蒼のことを考えて自分の成績が上がるわけではない。テストのことだけに集中する。
――もう後がない。ここで結果を出すんだ。お母さんに喜んでもらうんだ。
陸斗は、緊張した面持ちで教室に向かう。
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