第33話 2019年12月某日

「売れない…」

 市場でエビを売って生計をたてている中年の女性が項垂れる。

 夕方になるというのに川エビが1尾も売れない。

 悪循環なのだ。

 この手の商売は一度売れない日があると、もうダメなのだ。

 鮮度は落ちる。

 売れなくなる。

 一度、悪評がたてば…もう…

 鮮度が落ちて生臭さが増す川エビが汚れた水の中で浮かびだす。

「死に出した…もう私も死にたい」


 いいことなんて何もなかった。

 容姿にも恵まれなかった。

 貧乏な家に産まれただけでマイナススタート…容姿が悪くてさらに後ろに並ぶことになる。

 学校もロクに行かなかった…エビと同じだ。

 負の連鎖はブラックホールの渦の様に一度回りだしたら止められない。

 中心に辿り着くこともなく、ただ高速で回り続ける。

 空間から弾かれ、中心から拒まれ、どうしたら…先に進める?


 もう…何もかも嫌になった。

 寒い中、汚い川で川エビを掬う。

 凸凹のバケツに川エビを入れて市場を歩く。

 屋台が持てる奴はまだマシだ。

 自分の様に足で場所を探すような売り子は市場でも邪魔にされる。


「あんなふうになりたかった…」

 目の前を歩く長身の女性、細身で知的な女性。

 こんな市場に、そぐわない空気を纏っている。

 パリンッ…

 その女性がポケットから何かを取り出し道へ叩きつけて割った。

 少量の液体が道へ流れた…。


「もう…どうでもいい…」

 フラフラと下水に近づき、腐ったエビを下水へ流した。

 女性が割ったガラスも一緒に下水へ流し込んだ。

 あかぎれた指にガラスの破片が刺さったが、血もでないほど冷たくなった指には痛みすら感じられなかった。


 小屋のような家に帰ると野良猫が隙間から入っていた。

 部屋の隅で丸まる猫に手を伸ばす。

 毛を逆立てて猫が威嚇する。

「私の家よ…私の家なのよー‼」

 女は涙を流してバケツを猫に投げつけた。

 隙間から逃げ出す猫、隙間風が女のベタついた髪をからかうように撫でていく…。


「もう…嫌だ…もう死にたい」

 目を覆った掌に痛みが走る。

 指に細いガラス片が刺さっていたことに今、気づいた。

 爪でガラスを押し出して床に捨てた。

「死にたい…死にたい…死にたい…」


 フラフラと外に出て目の前を流れる汚染された川に入る。

 胸まで川に浸かると、水圧で胸が圧迫されて息が荒くなる。

 歯の根が合わずカタカタと音を鳴らす。


 ヌルッ…

 足首に何かが触れた。

 ゾワッと毛が逆立つ。


 ドプンッ…

 川に身体を浮かべた。

 冷えた夜空に月が白く輝く。


 2日後…彼女は川辺で保護された。

 払う金が無く運ばれた病院を抜け出し…2週間後、再び病院に運ばれる。

 高熱でうなされベッドに寝かされた女。


 数日後…

「感染症…です、肺炎ではありません、新種のウィルスかもしれません」

「まずは…指示を仰ぐことにしよう」


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