第25話 エピローグ

 防壁の上で警備巡回をしている兵士は、空を見上げてそれに気づいた。しばし目を凝らしてじっと観察する。


「辺境伯の飛竜だ! シンクレア様ご来訪っ!!」


 兵士が怒鳴ると、伝令が馬に飛び乗り王城へ走って行く。

 そうしているうちに防壁の外側にドラゴンが舞い降りてくる。首に大きな赤いリボンを巻いた巨大な魔獣。羽ばたく翼の風圧が門まで届いた。

 入都のために門前に並ぶ列が驚いて一斉に動く。が、先に出てきていた兵士たちがそれを押しとどめ、説明して落ち着かせた。

 滅多に見れない伝説を目にしたことを理解すると、旅人たちは運の良さに歓喜した。王都に来れば必ず見れるというわけでもないのだ。

 国に一頭しかいないドラゴンだ。縁起がいいと商人も喜ぶので、地味に経済の活性化にも一役買っていた。


「お疲れ様。しばらくのんびりしていてね」


 地上に降り立ったシンクレアはドラゴンにねぎらいの言葉をかけ、その太い首をぽんぽんと叩く。ドラゴンはぐるるると喉を鳴らしてシンクレアに頭を寄せてから、翼をたたんで丸くなった。

 もう彼女は近衛の騎士ではないが、軽鎧にグレイヴを背負っていた。その刃は以前王都を襲ったペリネイのものだ。今では彼女も夫と共に魔獣討伐に参加している。

 シンクレアは一緒に連れてきた幼い少年を抱き上げ、門へと向かった。馬はドラゴンを怖がって近づけない。こちらから走らねばならなかった。もちろんその程度、何の苦もない。

 王都の巨大な防壁に目を丸くする息子を見て、シンクレアは微笑む。


「お父様はこの壁を一撃で壊した魔獣を、一人でやっつけちゃったのよ」


 ぱあっと目を輝かせる息子をぎゅっと抱き締めて、シンクレアは出迎えの兵士に手を振った。




 一旦アンサト家の屋敷で着替えた後、シンクレアは息子と共に王城に向かった。今までは夫と二人での訪問だったが、今回彼は討伐任務のために来ていない。代わりに息子を連れてきた。竜に乗るくらいなら大丈夫だろうと判断されたからだ。


「お久しゅうございます。父上」

「おお、よく来たシンクレア! そちらはゼアンか! 大きくなったのう!」


 面会を申し入れる前に控えの間に国王が飛んできた。苦笑したシンクレアは、息子の背を叩いて合図する。


「ゼアン・アンサトです。中の名はまだありません。お会いできて光栄です」


 片膝をついて礼をする孫に、国王は目尻を下げる。


「うむ。良い挨拶じゃ! 構わんからこっちへおいで。前に会ったのはまだ赤子の頃じゃった。立派になりおって……」


 手を広げる国王を見て、ゼアンは戸惑った顔を母に向ける。シンクレアがにっこり笑って背を押したので、ゼアンは王のところへ行って抱き締められた。


「この年の子にしてはしっかりしておる。きっとこの子は父を越える英雄になるぞ!」

「本当ですか、陛下?」

「お爺様、じゃ。本当だとも。儂の目に狂いはない」

「はい、お爺様!」


 孫の笑顔にメロメロの父を見てシンクレアも笑う。そして父親に憧れつつ、負けん気を持つ息子にも優しい目を向けた。


「シンクレア、元気そうね」

「リリシャ!」


 顔を出したのはモーサバー侯爵夫人。マトネルに嫁いだリリシャだ。


「貴女も来ていたの?」

「私は王都にいることが多いから、マトネル様やお父様のお手伝いをしに時々ね」


 深窓の白薔薇、硝子の姫君などと呼ばれていた儚げなリリシャだが、彼女なりに自立しようとひっそり努力していた結果、今ではすっかり影の女帝と化している。社交術や国内外を問わない王族、貴族たちに関する豊富な知識は他の追従を許さない。

 それもあって二人の嫁ぎ先は武のアンサト、知のモーサバーとして国の両翼と呼ばれるようになった。

 おかげでここのところバーンイトーク王国は建国以来の安定期を迎えている。自由に飛ばせる飛竜だけでどれほどの脅威か。外交で崩そうにもそちらの守りも揺るがない。

 以前ちょっかいをかけてきたワイラ王国は、あのあと生態系のバランスが崩れた魔獣の災禍に遭い、衰退の一途をたどっていた。魔獣に対する天然の抑止力だったドラゴンを奪われたのが最大の要因とも言われるが、それは明確になっていない。いずれにせよ自業自得である。


「お父様。いい加減執務に戻っていただきませんと」

「いや、せっかくゼアンが……」

「日帰りではないのです。まだ時間はあります」


 放蕩の報いで死んだ両親を反面教師にしたリリシャは、実に勤勉だった。シンクレアも味方をする。


「父上。私もただ遊びに来たわけではなくてですね……」

「ああ……もう。わかったわかった。ゼアン。庭でも練兵場でも、好きに遊んで良いぞ。またあとでな」

「はいっ!」


 シンクレアは膝を折って息子と目線を合わせる。


「母も陛下とお話があります。ゼアン、お前は決して暴力を振るってはいけませんよ。ここの人々は辺境ほど強くはないのですから」

「わかりました、母上」


 注意事項を伝えて、シンクレアは王とリリシャと共に別室へ向かった。一人になったゼアンは侍女に庭へ案内してもらう。

 綺麗に整えられた庭木や花壇。四阿あずまやのある庭園は、辺境の館にはないものだ。


「綺麗な場所だなあ」


 ゼアンは興味深げにあちこちを見て歩き、自然と人の手が融合した美麗さに感嘆する。

 ふと泣き声を聞いてゼアンは振り返る。庭の奥へと進んで行くと、大きな池があった。池の真ん中に小さな島がある。そこで泣いている小さな少女が一人。

 ゼアンは軽く助走をつけて跳んだ。

 着地の音に驚いて少女は顔を上げた。大粒の涙を浮かべた大きな目と口は蛙を連想させる。上等なドレスを着てふわふわの金髪にはリボン。


「どうしたの?」


 ゼアンが声をかけると、少女は顔を赤くして目を伏せた。


「お花……」

「ん?」

「お花が欲しかったの」


 蚊の鳴くような声で小さく上を指差す蛙の姫。ゼアンが見上げると、岸辺から島へと伸びた木の枝に、薄紅色の花が一輪咲いている。

 島まで橋があるわけではない。小舟が置かれてもいない。察するところ、このお姫様は花目当てで頑張って木に登ったものの、途中で落っこちたのだろう。岸へと戻る手段もなく、どうしたらいいのか途方に暮れていたに違いない。


「そっか」


 ゼアンはひょいと跳び上がり、花の咲く枝を折り取った。子供の運動能力ではないが、そこは辺境クオリティである。


「はい」


 枝を差し出すゼアンに、蛙の姫は大きな目を丸くしてそれを受け取る。


「あ、ありがとう……」


 ゼアンはにっこりと頷くと、少女の頭を撫でる。ちょっとだけびくりとした蛙の姫は、真っ赤になってうつむいた。

 特に何をすることもなく二人が並んで座っていると、遠くから「コーネリア、コーネリア」と呼ぶ声がした。


「兄様が呼んでる」

「行かないの?」

「だって……」


 少女がまた泣きそうな表情で池の水を見ている。そこでゼアンはやっと母の「ここの人は辺境ほど強くない」という言葉を思い出した。


「渡れないんだ?」


 確かめるように聞くと、少女は頷いた。


「じゃ運んであげるよ」


 ゼアンは言うと、少女を抱き上げて、来た時同様に島から岸へと池を飛び越えた。

 少女は思わずゼアンの首に抱き着く。何が何だかわからないうちに、少女は安全な岸辺へ到着していた。

 ゼアンはにぱっと笑って少女を地面に降ろす。そこへ血相を変えた少年が駆け寄ってきた。


「コーネリア!」


 それは少女と同じ金髪の、天使の如き美少年だ。少年はまず妹の無事を確かめ、それから彼女の涙の跡に気づいた。


「貴様! 妹に何をした!?」


 ゼアンは面食らったが、少年は怒りの形相で向かってくる。


「ち、違うの! 兄様!」


 コーネリアが必死に袖を引くが、頭に血の上った少年は聞いていない。殴りかかろうとする少年をゼアンは回避する。母の注意を忘れてはいけない。怒った母はそれは怖いのだ。


「やめて、兄様――!!」


 騒ぎに気付いた侍女たちが駆けつけてくるまでもう少し。

 出会ったばかりの竜の子と蛙の姫の未来は、まだ決まっていない。




                             ◆おわり◆

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姫騎士と行くお見合い道中 踊堂 柑 @alie9149

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