第24話 白薔薇と赤薔薇
ハラルリクムが王の提案を蹴った。
何が起きたか理解した人々は、理解したがゆえに声も出せず、行動もできなかった。
王の言葉に異を唱えることは、反逆するも同然。だがそれをしたのは魔獣をものともしない強者。どちらを敵に回すか咄嗟に決められるわけもない。とりあえずは様子見である。
沈黙を破ったのは当の国王だった。
「ふむ。儂の可愛い娘をくれてやるというに、断ると? 理由を申してみよ」
「私にはすでに結婚の約束をした女性がおります」
「聞いた覚えがない。まだ届けも許可も出ておらぬだろう? ただの口約束ではないか。王の命に逆らうほどのものか?」
上級貴族の結婚は国に届けが必要だ。政治の都合によっては許可が出ないこともある。
ハラルリクムのプロポーズはほんの二日前。昨日王都に到着したばかりで、見合いの件も片付いていないのに、書類上の手続きなどされているはずがない。
「思っておらねば、辞退などと申しません」
「ほう」
父とハラルリクムの問答を、リリシャはハラハラしながら見守った。断ってくれるのは嬉しいけれど、それでハラルリクムが反逆者扱いされるようなことになったら。
「我が辺境領は特殊な土地柄。元々姫君との縁談は辞退するつもりでおりました。恐れながら白薔薇の姫には、辛いことになると存じますゆえに。ですから……」
ハラルリクムはリリシャの方を見た。目が合ったリリシャはどきりとする。告白された時と同じように、真正面から見られたからだ。
「賜るのなら、赤薔薇の姫を是非に」
ハラルリクムの強い言葉に、リリシャは息が止まりそうだった。まるで、おとぎ話で竜殺しの勇者が姫に求婚するシーンそのままだ。遭難した山の中でもあれだけドキドキしたのに、これはお姫様が気絶するのも理解できる。
ふらつきそうになるのを支えてくれるのは、たおやかな従姉妹だった。立場が逆転しているがとても心強い。いつもシンクレアが怯えたり緊張したりするのを支えてきたが、当事者の気分は初めて知った。
「其方、白薔薇には辛い土地と申しておきながら、堂々と赤薔薇を望みおるか!」
「かの姫ならば、全霊をもって必ず幸せにしてみせましょう」
王はハラルリクムと睨み合い、それからふっと笑った。
「よくぞ言った! ならば尚更シンクレアを貰ってもらわねばな」
王が目を向けるとシンクレアが一歩前に出た。
「アンサト家のハラルリクム様。初めまして。私はリリシャ。私の従姉妹を、シンクレアを守ってくださりありがとうございます」
礼をした白薔薇の姫の名乗りに、さしものハラルリクムも虚を突かれた。会場内が騒然とし始める。王が声を張り上げた。
「これは我が姪のリリシャ。あちらが娘のシンクレアだ。社交界デビューの時、リリシャに対し埒もない噂をする者がおって可哀相だと言ってな。身代わりを買って出おったのだ。丁度いいからこの機会に皆の誤解を解いておこう」
「シンクレア。今までありがとう。私はずっと貴女と貴女の名前に守られてきたわ。でも、もう大丈夫。この名は貴女にお返しするわね」
手を取り、柔らかく笑うシンクレア――リリシャに、シンクレアは戸惑った顔を向ける。
「だって私たちは名前を交換して、もう何年もずっと……城の皆も、父上だって”リリシャ”と」
「馬鹿者!」
国王が言った。
「皆お前に乗っただけよ。呼び名を変えただけで王女が公女になるわけではないわ」
「あ……」
当たり前だ。昔の思い付きのまま今まできてしまったが、いつまでもそうしていられるわけはない。シンクレアが王女で、リリシャが公女であることは変えられないのだ。
「じゃ、じゃあ今回の縁談は……」
「最初から
よく考えればそうだ。シンクレア王女との縁談を持って行って、中身が別人だったら大問題である。
「じゃ、じゃあ何故私を使者に……」
「夫としてふさわしいか見定めよと、そう言ったはずだが?」
「……っわあああああん!」
つまりは王都へ向かう道中そのものが見合いだったのだ。真っ赤になったシンクレアは恥ずかしさに身悶えする。色々ありすぎてもう今更だが。
「お前が自分より弱い男には興味がないと言うでな。国内最強を見繕ってやった」
国王はしたり顔で笑う。想定以上の最強だったが、問題はない。何より見合いがそのまま伝説になりそうな大成功だ。
「さて、まだ辞退したいと申すか? ハラルリクムよ」
「……謹んでお受けいたします」
ハラルリクムは苦笑して王に向かって深々と頭を下げたのだった。
「いやいや、若の殺気が垣間見えてちょっと怖かったでござる」
「あれを止めろとかチェカちゃんも無茶言うよね」
「だってシンク……じゃない、リリシャ姫様から頼まれたんだもの。陛下が悪ノリして万一若がブチ切れたら、大惨事だからって」
「案外食わせ者だな、白薔薇の姫も」
緊迫していた会場は今は和やかな談笑の場になっていた。ハラルリクムは王族たちと一緒だ。恥ずかしげなシンクレアが、それでもハラルリクムと腕を絡めているのが見える。
防壁で王の宣言を聞いていたチェカナは、心配になってマトネルに相談した。帰りの馬車で一緒だったので、話しやすかったのだ。そこからリリシャに話がつながり、チェカナは二人の姫が実は入れ替わっていることを教えられた。
チェカナは見合いのからくりを知って安心したが、リリシャは心配になった。王の性格を知る彼女は、父が簡単に種明かしをするわけがないと考えた。シンクレアと相思相愛となっているハラルリクムが真実を知らされずに暴走したら。
リリシャ公女はアンサト家の家臣に協力を願うしかないと、チェカナに伝言を頼んだのだった。幸い王も危険を察知したのか、すぐに説明を始めたので危惧した状況にはならずに済んだ。
「まあ若もいきなり暴れたりはしないだろうが、みるみる機嫌が悪くなっていったからな」
「娘を奪われる父親のささやかな抵抗?」
「む……」
心当たりでもあったのか、ウェスリドが胸を押さえた。スズルナがくすりと笑う。
「リリシャ様もマトネル様と婚約が決まっておめでたいですね」
「会場のご令息たちが一気にがっくりきたのは面白かったな」
シンクレアとハラルリクムの婚約決定の後、王はついでとばかりにリリシャとマトネルの婚約を発表した。マトネルは聞かされていなかったらしく大きな目を白黒させていたが、リリシャは嬉しそうだった。
会場はまた騒然となった。彼女がシンクレア王女ではなかったとしても、その美貌が失われるわけではない。蛮勇を発揮した一人が「いくら侯爵家といえど醜い蛙の如き男」と口を滑らせた。
それに対しリリシャはむっとした表情で「蛙は愛らしくて、とても魅力的ですわ。貴方とは趣味が合わないようですね」と一蹴してのけた。大人しげな彼女がはっきりものを言うのは珍しいことだったらしい。以後誰も何も言わず、反対なしということでこちらも確定となった。
「リリシャ様、可愛らしいですものね。……なんかリリシャ様って言うと変な感じがするわ」
「シンクレア様のことを、リリシャ様と呼んでいたわけだからな」
「王都の人たちはもっと変な感じでしょうね」
楽団が音楽を奏で始めた。ホールの中央へハラルリクムとシンクレアが出てくる。
「若ってば、踊れるの?」
「お前が知らないのに俺が知るわけないだろう」
焦ったように言うスズルナに、ウェスリドが返す。ジムルスが口を挟んだ。
「大丈夫じゃないですか? ほら、前に御館様に言われて……」
「ああ、そういや一応覚えておけって皆で練習させられたな」
舞台度胸のあるハラルリクムは危なげなくシンクレアをリードしている。緊張した様子のマトネルが、リリシャと二人そこに加わった。続けて何組もが踊りの輪に入って行く。
「せっかくの機会だし、行くか」
「ええ!」
ウェスリドがスズルナをエスコートして歩き出すと、ジムルスもチェカナの手を引いてホールへ出て行った。
「……皆、薄情でござる……くっ」
相手がいないティテリーは、一人寂しくグラスの酒を呷る。彼の春はまだ遠い。
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