第22話 戻ってきた現実
「折れば言うことを聞かせられるっていっても、限度があるでしょう!」
スズルナに怒鳴られてハラルリクムは首をすくめた。
「素直に従うかどうかは五分五分だったんだ。誰も試した者はいないからな」
「当たり前です! 一体誰がドラゴンに乗ろうなんて考えるの……!」
スズルナは夫にすがってがっくりと肩を落とす。
あちらにはペリネイの腹に頭を突っ込んで、ガツガツと中身を食らう飛竜の姿がある。どうせ死体は片付けねばならない。ならばということで、王の許可をもらい飛竜の餌にすることにした。刀角や爪、牙、皮は残るから問題はない。
「角を叩き折ったあと、そのまま脅してここまで飛ばしたんだ。飯くらいは食わせてやらないと」
「一体どれだけ食うんですかアレ!?」
今日だけ食わせればいいというものではない。当然だが今更放流するわけにはいかないのだ。拾った動物はきちんと面倒を見る。これ常識。
辺境伯家の奥を預かるスズルナには他人事ではなかった。あんなデカブツの寝床と食事の世話をしなければならないと思うと頭痛がする。
「いっそ息の根を……」
「いやいや。お陰で助かっただろう。それにリリシャにも懐いてるし」
ハラルリクムは慌てて手を振った。
飛竜という手段を手に入れたことで、山を迂回するのではなく真っ直ぐ突っ切って来れた。しかも徒歩とは比べ物にならない速度で。お陰でペリネイの討伐も間に合ったし、期日内に王都に到着することもできた。
しかしドラゴンにとってはとんだ災難。食糧難で餌を探しに行けば、容赦ない往復ビンタでヘロヘロにされた挙句、四本あった角を全部へし折られたのだ。
角と一緒に他のものも折られた飛竜にとって、ハラルリクムは恐怖だ。リリシャは間に入ってくれる緩衝材。媚びを売るに決まっていた。
そんな飛竜を利用するだけして、いらないから殺すなどさすがに可哀相すぎる。
「あの姫様は妙に竜と相性が良いですものねえ」
やたらと構うグルウェルに、満腹になったのかごろんと丸くなったそこのドラゴン。それから目の前の
スズルナは一つため息をつき、男たちを見回して言った。
「とにかく屋敷に行きましょう。ここの見張りも手配しないといけないし、若の診察もしたいし」
「そうだな」
なくなった門を守っている兵士たちが、恐る恐るドラゴンの様子を窺っている。その向こうにそびえる王城に、リリシャは王に連れられて先に帰っていた。
どうにも腕の中が軽すぎると感じながら、ハラルリクムはアンサト家の屋敷に向かった。
☆
「リリシャ! リリシャ、よかった!」
飛びついてきたシンクレアを抱き返して、リリシャは困ったように笑った。
王は後始末やらワイラへの対応やらで、リリシャをシンクレアに預けて貴族たちと会議を開いていた。
「駄目よ、シンクレア。まだお風呂にも入ってないのに」
「だって、心配したんだもの……」
久しぶりに会う従姉妹は相変わらず可愛らしい。
「本当によかった」
リリシャを抱き締めてしゃくりあげるシンクレア。仕方なくリリシャは彼女の背中を撫でてやる。しばらくして落ち着いたのか、シンクレアは目元を拭いながら顔を上げた。
「行方不明になったと聞いた時は、目の前が真っ暗になって……でも、そんな花を飾るくらい余裕があったのね」
「え? これはハラルリクム様が……」
「まあっ! 一騎打ちで怪物を倒すなんて、どれほど怖い方かと思ったけど、女性には優しいのね」
ぱっと花開くような笑顔を見せたシンクレアに、リリシャはたじろぐ。
「どんな殿方なのかしら? 貴女の印象はどうなの?」
「えっ」
予想外に食いつくシンクレアに、リリシャは戸惑いながら答えた。
「それはその、とても頼りになる方かしら。大雑把に見えて丁寧に気遣ってくださるし……」
「まあ、そうなの! よかった、安心したわ」
ほわっと笑ってシンクレアはリリシャの手を取る。
「お会いしたら、貴女を助けてくれたお礼を言わなければ」
そこでリリシャははっと思い出す。ハラルリクムは
「ごめんなさい、つい話し込んでしまったわ。疲れたでしょう。今日はゆっくり休んで」
シンクレアの合図で侍女たちがやってくる。
「積もる話はまた時間のある時に聞かせて」
「う、うん。じゃあまた」
リリシャは侍女に連れられて、無邪気に笑う従姉妹と別れた。
のんびり風呂に浸かって食事を済ませ、寝室で一人になったリリシャは大きく息をついた。
お風呂は素直に嬉しかった。髪の手入れもできたし、温かいお湯は疲れを溶かしてくれた。食事も美味しかった。だが何となく物足りない。
「最近激しかったからかしら……」
辺境へ行くまではそれほどでもなかった。だがあちらを発ってからは平穏など綺麗さっぱり置き去りにしてきた。
「今日だってドラゴンに乗って帰ってきたのよね」
ハラルリクムに散々殴られて顔を腫らしていたドラゴンを思い出し、リリシャはくすりと笑った。すがるような目で見られた気がして、撫でてやったら喉を鳴らした。グルウェルもそうだったが、一度服従してしまうと案外可愛いものだ。
ドラゴンを撫でたなんて、辺境へ行く前の自分が聞いても笑い飛ばしただろう。父もモーサバー侯爵ら貴族も、騎士も市民も、防壁の外で休むドラゴンを見て冷や汗をかいていた。
そのドラゴンが近づくハラルリクムを見てちょっと怯えたそぶりを見せた時など、全員が全員ぽかんとしていて、見ていたリリシャは吹き出しそうになった。
驚嘆や称賛の目を向けられてハラルリクムは居心地が悪そうだったが、リリシャは嬉しかった。
彼は本当に凄いのだ。辺境の田舎者だとか野蛮人だとか、侮られることもないだろう。きっと誰もがハラルリクムを認めるに違いない。
不意にシンクレアの笑顔が頭に浮かんだ。辺境は怖い、大きな男の人は怖い。そう言っていたシンクレアなのに、ハラルリクムに興味を持った様子ではなかったか。
リリシャはぶんぶんと首を振る。
ない。ないったらない。シンクレアが辺境で暮らせるはずはない。ハラルリクムだってそれを考えて縁談を辞退すると言っていたのだ。それに彼は王都についたら正式に結婚を申し込むと言ってくれた。
リリシャはふかふかのベッドに飛び込んだ。ずっと野営続きだったのだ。さぞかし気持ちよく寝れるはず。
そう思ったのに、見合いのことが頭にちらついてリリシャはなかなか寝付けなかった。
翌日、リリシャは眠っているところを侍女に起こされた。
「姫様、姫様、そろそろ起きてくださいませ」
「ん……うん……」
やはり疲労がたまっていたのか、頭がなかなか覚醒しない。もう外は明るいし、大勢の人の気配もする。朝はとうに過ぎているようだった。
ぼんやりしているうちにリリシャは風呂に入れられ、数人がかりで磨き上げられた。香油を塗り込め、綺麗に梳かれた髪は複雑に結い上げられ、宝石のピンやリボンで飾られる。
「一体何なの?」
深紅のドレスを着せかけられて、ようやくおかしいと思ったリリシャは侍女に訊ねた。
「戦勝パーティですわ。だって忍び込んできたワイラの軍を退け、王子を捕虜にして魔獣まで倒したのですもの! 勝利でなくて何でしょう!」
「それなら私は近衛の礼装で……」
「何を仰いますか!」
古くからリリシャの世話をしている侍女長は、とんでもないといった表情で首を振った。
「一緒にシンクレア姫様とハラルリクム様の婚約発表もあるのですよ!」
「えっ?」
そのあとどうなったのかリリシャの記憶にはない。我に返ったのは、パーティ会場である王城の広間の前に来てからだった。
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